45

 森の奥か、山を抜けた先か、姿を消した帝江と双子。
 辺りは静まり返り、ギンコは帝江が咲かせた巨大な水晶のその破片をぼんやりと見つめていた。
 水晶からは甘い香りと精気が漂い、それに蟲達が集まり、月に照らされ花は更に蒼く光る。
 それだけを見ていれば先程の事など忘れてしまいそうな幻想的な光景が目の前に広がっていた。
 そして地面に倒れる抜け殻と化した人々からは無意識に視線を反らす。
 月はあれから徐々に地面へと近づいて、あともう少し…あともう少しすれば自分の背中の方角から太陽が顔を出す。
 帝江は無事だろうか。あの双子は、ガレキたちのように帝江を扱ったりしないだろうか。


(いや…どっちも一緒だ…)


 ガレキたちの傍に在っても、双子の傍に在っても、帝江に【自由】は無い。双方共に、帝江を人間だとは思っていないのだから。人間である帝江など、求めていないのだから。


「……帝江…」


 帝江を見つけるために、頭目たちは妖樹を使ったと言った。ギンコがその名を聞いた事が無い辺り、蟲ではない。彼らも蟲師ではないと公言していたのだ。
 となると、他にも帝江を捜す方法を辺りに置いている可能性が高い。
 ギンコはこのどうにもならない時間を紛らわすために考え続ける。


(俺が気付かない形で知る術があったなら…)


 帝江を捜しにきた頭目達だからこそ、彼等が自分達の前に現れる頃合いがちょうど良いのも当たり前だ。
 そして化野の蔵で嗅いだあの甘い匂い。
 蟲関連の珍品が集まるあの蔵にも、曰くつきのものだと言って誰かが紛れ込ませていてもおかしくはない。こういう事態に備えて…
 恐らくあの時帝江が化野の蔵で魅入っていた香炉にも仕掛けが…
 だから、頭目達は仲間を連れ立ち自分達の元へとやってきた。
 道中帝江を追う天狗の気配を探りながら。
 ギンコは考えを頭の中でまとめながら動けない躰を何とかしなければと辺りを見回す。
 とりあえず、今この状況を何とか脱しないことには、帝江を捜すことも、イサザ達に山が枯れた原因と、ガレキたちの素性を知らせる為に追いかける事も出来やしない。


「ギンコ…ッ」


 しかし聞こえた声にギンコはハッと顔を上げた。その声の主はたった今ギンコが頭の中に思い描いた人物。


「イサザッ」


 声のした方へ目を遣れば、息の切れたイサザ。そして切羽詰まった表情。


「どうして戻って…?」


 自分の元に駆け寄るイサザにギンコは唖然としたが、イサザもギンコと…そして目の前に広がる惨状を目にしてギンコの側に立ち尽くす。
 しかししばらくしてからイサザはギンコの側に膝をついてギンコを縛る縄を解き始めた。


「…移動中に長が…この山から変な気を感じたって…胸騒ぎがするって…だから戻って来たんだ」
「…そうか…イサザ、すぐに戻って長達に知らせろっ、あの山には今近づいたらダメだ。…あそこは奴らが帝江を捕らえるためによくねぇもんを置いていた山だったんだ。そいつの所為で山は今枯れてるんだ」


 ギンコが先ずは知らせろと、必死に訴える。
 その時森の茂みが風もないのにガサリと揺れた。


「「…っ!」」


 ギンコとイサザがいきなりの事に驚いてその茂みを見て息を飲む。


「…獣…かな」
「…暗くて…よくわからん」


 熊か、猪か、危険な動物であれば今の二人は極めて危険だ。だが確実に木々が揺れる音はギンコ達に近づいていて…正体のわからないそれに二人は警戒する。
 やがて姿を現したそれに、ギンコは目を見張った。


「帝江…っ」


 双子に連れて行かれたはずの帝江がギンコとイサザを見下ろしてそこに佇んでいた。


「待て…、ギンコ…ッ」


 ギンコが身を乗り出そうとしたが、イサザは気付いてギンコを留める。
 帝江の後ろから赤いものが見えたからだ。


「お姉さ〜ん。居た〜?」


 やってきたのは、血塗れの双子。
 ギンコもイサザも身を固くする。


「あ!いたいたお兄さん!なんか増えてるけど」
「ほんとだ〜。そのお兄さんは祓い屋の仲間〜?」


(祓い屋?)


「こいつはあいつらの仲間じゃない」


 祓い屋というのがガレキたちのことなら、今ここで否定しなければイサザが殺される。


「そ、じゃあいいや」


 選択は間違っていなかったらしい。が、油断はできない。


「ギンコ…」
「帝江…っ」


 帝江が駆け寄ってきてギンコの前に膝をつく。心配そうにギンコの蹴られた頬に手を添える。


「おいギンコ…このガキ共は…」
「…あ、ああ…どうやら、こいつらがあの天狗らしい」
「……え?」


 見つめ合う二人に問いかけたイサザ。しかし返ってきた答えにイサザは混乱する。目の前の血塗れの双子。それが天狗?

「…なんで戻ってきた?やっぱり…俺の首も取りに来た…のか?」
「「ん?違うよ?」」


 きょとんとした顔で答えた少年。


「……なら、帝江を俺に任せちゃくれんか」


 自分の前に膝を着く帝江を見て、再び双子を見て訴えかけた。
 双子は赤と青の瞳でそれぞれギンコを見つめていたが、やがて双子が近づいてきた。
 無言のまま双子の一人が帝江の手をとって立ち上がらせ、ギンコの前から退かせた。もう一人がギンコの前に出る。


(──駄目、か)


 間近に迫る静寂の時を予感した。
 しかし不思議と恐れはなく、寧ろ最後に帝江の姿を見ることが出来てよかった…と…うっすらと碧の眇を開けて子供に手をとられている帝江を見つめたら…子供を見ていた帝江の灰色の瞳がこちらを覗いた。


──ブチブチッ


「……っ」


 一瞬躰を包んだ圧迫感に顔を歪めた。しかし、訪れたのは予想したものではなく、両の腕が自由になる感覚。
 ギンコの前に立った子供は、なんと力技でギンコを拘束し続けていた縄を引き千切ったのだ。


「ギンコ…」
「帝江っ…」


 子供から手を離した帝江がギンコに手を伸ばす。今度こそその手を握り、その躰を抱き締めた。
 双子がギンコを認めたのかはわからない。けれど、やっと腕の中に帰ってきた帝江はギンコの胸の中で目を閉じて抱擁を喜んでいる。
 ギンコは帝江を見つめ、抱きしめた小さな躰にまるで自分から縋り付くように帝江の躰に顔を埋めた。
 そんな二人を黙って見つめるイサザ。ふと双子に目を向けると、いつのまにか並んで一歩下がり、自分と同じように二人を見つめている。


「……おまえたちは…帝江を返しに来てくれた、のか?」
「「違うよ?」」


 恐る恐る双子に問いかけてみるも、先程と同じようにきょとんとした顔で答える。


「ここに戻ってきたのはお姉さんだし」
「…連れて行ったのはおまえたちだろうが」


 双子の真意が掴めずに顔を上げたギンコは怪訝な顔をする。


「だってあの男がお姉さんを捕まえるために戻ってくるかもだったし?」
「お兄さんに任せても護れ無さそうだったし?」
「お姉さん意識無かったし?」
「「とりあえずお姉さんの身の安全を最優先にしただけだよ」」
「じゃあ尚更だろうが。どうして」
「だってお姉さんが戻るって言うんだもん。戻るしかないじゃん」


 ギンコは目を瞠った。その様を見て、双子は溜息を洩らす。


「う〜んとね、お姉さんは僕たちの主、帝江なんだ」
「──…っ」


 天狗本人から、そう告げられることは、散々帝江の能力を見せつけられてきたギンコにも少なからずの衝撃を与えた。帝江を抱く手に力が籠る。


「でも…帝江っていうのは…」


 イサザが口を挟む。


「そうだね。お姉さんは今までの帝江とは違う。僕達も初めてだよ。お姉さんみたいに意思を持つことを選んだ帝江は」
「…?」
「帝江とは、すべてを包む自然の親にして象徴」
「そして僕たち天狗は、あるものが、あるがままにあれとする、自然の摂理を見守る目」
「だから僕たちは帝江が何者かの支配や影響によりその存在を曲げぬよう守護する」
「帝江の意思こそ、自然の意思。それが護られることが、僕らにとっての第一」
「…自然の意思は絶対。何者にも支配されず、支配できぬもの。つまりは、お姉さんの意思は絶対で、僕達はそれを護るためにここにいるんだ」
「「帝江がおまえの傍にあることを選らんだ。故に、僕たちはただ、そうするだけ。それが僕たちの役目」」


 ガレキたちにしろ、この双子にしろ、帝江を取り巻く者達に、大きく欠如したもの。
 ギンコは、何故か泣きそうになった理由がわかった。