後輩レクチャー
「ええと、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
アイスの身長は決して低くは無いが、女性として平均より少しばかり高いくらいの為、ナイトレイブンカレッジの中では彼女より低い身長の生徒の方が珍しかった。それは相手が1年生であっても同じ事。現に、向こうの方でラギーと会話をしているサバナクロー寮の後輩も同級生のリーチ兄弟らと同じくらい高い身長をしている。だからこそ、キュッと箒を握りしめお辞儀をした小柄な後輩の姿は彼女の目にはとても新鮮に映った。授業を受けるまで忘れていたが、そういえば去年を思い返してみると自分達も初めての『飛行術』の授業は上級生との合同授業として組まれていた。授業の冒頭でバルガスが「上級生とコミュニケーションを取るきっかけに」とか「下級生の指導も授業の一環だ」とか色々と言っていたが、実のところは「大勢いる飛行に不慣れな1新入生の監視員」という表現が正しいのだろう。まぁ、教師陣の気持ちも分からなくはない。新入生の中で飛行術に嗜みのある生徒なんて極僅かだし、去年の例で言えばアズール達のように陸が不馴れな生徒も少なくない。上手く箒を使いこなせない生徒が四方八方に散乱し、教師1人では手に余るのは目に見えている。
「私はアイス・ルーレッド……見ての通り女なので、学園長先生のご配慮で特定の寮には属していません。貴方は……その腕章からしてポムフィオーレ寮でしょうか?」
「あ、はい……僕はエペル・フェルミエ…です」
一目見て、彼がヴィルの治めるポムフィオーレ寮だという事は容易に想像がついた。女であるアイスから見てもその容姿はとても可憐だし、ふわふわとした紫蘭色の髪は風に舞う花びらのようで、ココが男子校でなければその見た目に騙される生徒は五万といるのではなかろうか。まぁ、だからこそバルガスは彼の監視としてアイスを指名したのだろうが。
「エペルさん、とお呼びしても?」
「は、はい。僕も、アイスサンと呼んでもいいですか…?」
「ええ、お好きなようにお呼び下さい」
ホッと息を撫で下ろす姿は何とも初々しい。昨日の今日で新入生と交流した回数は片手で数える程度にしかないが、少なくとも新入早々に学園のシャンデリアを壊すようなハーツラビュル寮の1年生には出ない感想である。そういえば、エースに至っては昨晩また問題事を起こしてリドルに懲罰を受けたのだとか。どうすればこうも立て続けに面倒事を起こせるのか教えて欲しい。
「アイスサン?」
「嗚呼、すみません。少し考え事を……ところで、エペルさんは飛行術の経験は?」
「実家の庭でなら……独学なので、誰かに教えてもらった事は無いんですけど」
「あら、それなら私が下手に一から説明するより、実践の中でアドバイスをする方が良いかもしれませんね。よろしければ、簡単に飛んでみて頂けませんか?」
「は、はい!」
これは想定外だった。アイスは臙脂色を何度か瞬かせて「ほぅ」と感心したような声を上げた。独学、というから乗降の動作や浮遊中の姿勢に何かしらの問題があるのではないかと踏んでいたが、リドルの模範的な飛行スタイルにも引けを取らない出来ではないか。ふわり、と浮かんでくるり、周囲を一周して軽やかに降り立つ。周囲は自分達の事で精一杯なのか騒ぎ立てはしないものの、あまりにも軽やかな一連の流れは下手をすれば2年生にも引けを取らない。
「どう、ですか?」
地面に降り立ったものの、何も言葉を発さないアイスにエペルは不安な表情を浮かべた。もしかしたら、何か間違っていたのだろうか?そういえば、入学式後に寮で行われた堅苦しい懇親会の中で、目の前の彼女の名前は何度か耳にする事があった。ナイトレイブンカレッジ異例の女生徒は、美に煩い我らが寮長ヴィル・シェーンハイトのお眼鏡にかなう人物であるという。彼女はどんな授業でも卒なくこなす模範生で、やたらとキラキラしているポムフィオーレ寮生にとっても憧れの存在なのだとか。自身の希望叶わずポムフィオーレ寮に組み分けられたエペルにとって、趣味嗜好の合わない寮生らの憧れなどどうでもよかったが、それでもあの口煩いヴィルが一目置く人物と聞けば少なからずどんな人物なのかと興味は湧いてくる。近いうちに一目見てみたいとは思っていたが、だからと言って決して交流をしたいと思っていたわけではないのだ。だって、彼のお気に入りという事は即ち、ヴィルと似通った思考の持ち主か、副寮長のルーク・ハントのように彼の意見に対して首を縦にしか振らないイエスマンのどちらかに決まっている。それなのに、まさかこんなにも早く噂の彼女と対面するだなんて。
そんな後輩の思考など分かるはずも無いアイスは、ハッと我に返って「すみません」と謝罪の言葉を述べる。
「こう言っては何ですが、ポムフィオーレ寮の方々の多くは汗をかくような運動が苦手な方が多い印象があったので……」
「それ、なんとなく分かります……あ、」
エペルが慌てて口を閉じたのを見て、アイスは内心苦笑した。彼の様子からして、入寮早々にヴィルの美に対する洗礼を受けたらしい。アイスからしてみれば、ヴィルは彼女の素を知る数少ない理解者で何かと気にかけてくれる良い先輩であるのだが、如何せん完璧主義で妥協知らずな性格故に一言、二言、三言……お小言が降ってくる事も少なくない。更に言えば、常に率直な物言いをする彼だけに、言い得て妙な発言の数々の中に鞭はあれど飴が混入した事は無かったと記憶している。可哀そうに、顔を青くしてチラチラとアイスの顔色を窺っているエペルは、どうやら彼女がヴィルに告げ口をしないかと怯えているようだ。アイスは眉尻を下げて、そっと人差し指を自身の口元に当てがった。
「今の会話、ヴィル先輩にはどうかご内密に…」
「でないと、私も怒られてしまいますから」と悪戯っぽく微笑めば、エペルはようやくホッと胸を撫で下ろしてコクコク首を縦に振るのだった。
「さて……想像以上に飛行がお上手だったので、私から特に教える事も無さそうですが……しいて言えば浮遊中の癖が少し気になるかと」
「癖、ですか?」
「はい。ひょっとして、独学をしている中で何方か参考にされた方がいらっしゃるんじゃありませんか?」
エペルが口にした人物の名前は、世界的に人気なスポーツであるマジカルシフト、通称マジフトのプロ選手の名前だった。マジフトにあまり詳しくないアイスでも、何度か耳にした事のある凄腕選手と記憶している。アイスの記憶の中の彼は、エペルとは正反対のとてもガタイの良い大柄な選手だったはずだ。ふむ、と考え込む素振りを見せると、エペルは少々不満げな顔を此方に向けてくる。何事かと首を傾げると、彼は眉を潜めてじぃ、とアイスを睨みつけた。
「僕に、似合わないと思っていますか?」
「はい?」
「身長も、肩幅も全然違うし……僕に彼のようなプレイが無理だって、アイスサンもそう思いますか?」
どうやら、彼の中で線の細い自信の姿はコンプレックスとなっているようだ。彼のような見た目に生まれたかったと渇望する者は少なくないだろうに。だが、見た目に関するコンプレックスという点に関しては、アイスも少なからず理解する事は出来る。要は、人間とは無いもの強請りをする生き物という事だ。
「気分を害されたのでしたら謝ります。ただ、貴方の質問に回答するとすれば、はい、とお答えしておきましょうか」
益々眉間に皺を寄せたエペルに苦笑する。
「どんなプレイヤーに憧れを抱くかはエペルさんの自由ですが、もしもマジフトプレイヤーの一員になりたいと考えているのならそうはいきません。貴方は自分の体形に見合ったプレイスタイルを確立すべきです」
「僕の…体形に見合った…?」
「先程申し上げた通り、貴方の飛行はとてもお上手だと思います。ただ、あえて言うのであれば貴方の体形に見合わないが為に無駄な動きも多い。例えば浮遊中の姿勢……胸を張った姿勢はディフェンスに最適ですが、貴方の体形を生かすのであればオフェンスとして素早く動けるように風の抵抗を軽減する姿勢の方が良い思いました。どんなスポーツでも、自分の体形を理解したうえでプレイスタイルを確立する事が基本ですからね」
ぽかん、と口を開いたままアイスの言葉を聞いていたエペルは、ハッとして問い掛ける。
「あの、アイスサンは否定しない?その、僕がマジフトやるって事…」
「あら、否定してほしかったのですか?」
「ち、ちがッ…!」
慌てて身を乗り出したエペルの額をちょいと指で突き、アイスは至極楽しそうに笑った。
「すみません、少し意地悪が過ぎましたか?」
「……アイスサン、顔に似合わず良い性格してますね」
「誉め言葉として受け取っておきます」
本当に綺麗に笑う女性だと思った。ただ、初対面の時よりも笑顔が少しだけ柔らかくなった気がする。自身の寮長が一目置く彼女は、想像していた通り容姿も所作も美しかったが、想像に反して意外と話が分かる人物なのかもしれない。
「嗚呼、そうそう……」
「ちょッ、な、な…ッ!?」
アイスは運動着のポケットから何かを取り出すと、そのままスッとエペルの前に歩み寄って彼の頭を抱き込むように腕を伸ばす。ふんわりと品の良い香水の香りが尾頭を擽り、慌てて身体を引こうとするが、途端に「動かない」と頭上から理不尽な注意が降ってくる。視線を上に向ければ綺麗な顔が、下に向ければ柔らかそうな膨らみが目に入るので落ち着かず、成すすべもなくキュッと目を閉じて耐えるしかない。耳元でコソコソとこそばゆい音が暫く続き、ようやく「はい、出来ましたよ」と彼女が離れた気配に目を開けると、至極満足したような微笑みに迎えられた。
「いぎなり何すんだッ!?」
「ふふ、すみません。先程飛行を見せて下さった時、何度か髪で視界を邪魔されて払っていたでしょう?」
「え?……あ…」
随分と首元が涼しいと思ったら、彼女の言うように運動するには少々邪魔と感じていた髪は後ろで一括りにされているようだった。顔の火照りが酷いが、どうやら目の前の彼女にはそれもお見通しらしく、何とも愉快そうに此方を見て笑っている。
「ところでエペルさんのソレ、方言ですか?」
「え゛!?」
「ふっ…ヴィル先輩の前では控えた方が良さそうですね」
ぷるぷると肩を震わすアイスにエペルは寮頬を膨らました。訂正、この先輩、かなり性格が悪い…!!
「それじゃあ、あとは実践しながら飛行スタイルを確認していきましょうか」
品よく箒に腰かけてふわりと浮かび上がったその姿は、非常に癪ではあるがとても絵になっていると納得する。この後、エペルは残りの時間をかけて彼女を追い回す事になるのだが、アイスは不安定な乗り方をしている癖に妙にすばしっこく、結局授業が終わるまでエペルは彼女の箒に触れる事すら叶わなかった。必死なエペルと、終始楽しそうなアイス。当人らの心情は置いておいて、周囲で見ている第三者の目には、見目麗しい2人が優雅に追いかけっこをしているようにしか映っていない。
「これを見せモノにしたら、良い見世物になるんじゃ……」
ジャックと並んで空を見上げたラギーは、いい稼ぎになりそうなのに、と苦々しそうにぽつりと呟くのだった。
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