昼食ギルティ



 突然君臨したリドルの姿に、一同の顔色がみるみるうちに青褪めていく。正式に対面するのが初めてのユウですら、ごくりと生唾を飲み込むほどに辺りは緊迫していた。



「でぇっ!寮長!」

「おっと、リドルくん。今日も激ヤバなくらいかわい〜ね♪」



 慌ててケイトが事を濁そうとおべっかを使うが、残念ながらリドルの機嫌は悪くなる一方だ。綺麗なかんばせを顰め、一掃するかのようにその大きな瞳でじろりとケイトを睨みつけた。



「ふん。ケイト、あまりおしゃべりが過ぎるとその良く回る口ごと首をはねてしまうよ」

「いやいや、勘弁してよ〜!」



 その場の空気を何とかしようと、ケイトは出来る限りおちゃらけた声で言葉を返した。すると、その様子を見ていたグリムがハッと気付いて声を上げる。



「ふな゛っ!?コイツ、入学式でオレ様に変な首輪をつけたヤツだゾ!」

「キミ達は、昨日退学騒ぎになった新入生か。人のユニーク魔法を『変な首輪』呼ばわりするのやめてくれないかな」



 リドルはピシャリ、と言い放つとわざとらしく溜息を吐いて見せた。



「まったく、学園長も甘い。規律違反を許していてはいずれ全体が緩んで崩れる。ルールに逆らったやつはみんな、ひと思いに首をはねてしまえばいいのに」

「顔に似合わず、言う事こっわ……」

「学園長はキミ達を許したようだけど、次に規律違反をしたらこのボクが許さないよ」



 誰よりも血色の悪い顔でリドルの呟きを聞いていたエースは、恐る恐る、しかし勇敢にも「あのー…」と眉尻を下げて片手を上げる。こんな場においてリドルに話しかけるなんて、怖いもの知らずもここまでくれば褒めたものだ。アイスは不謹慎ながらも少々感心してしまった。



「ところで、寮長。この首輪って……外して貰えたりしませんかね?」

「反省しているようなら外してあげようかと思っていたけど、先程の発言からしてキミに反省の色があるようには見えないな。暫く、それを付けて過ごすといい。心配しなくても、1年生の序盤は魔法の実践よりも基礎を学ぶ座学が中心だ。魔法が使えなければ昨日のような騒ぎも起こさなくて、丁度良いだろう?」



 残念ながら、交渉決裂のようだ。ガックリと肩を落とすエースを横目に、リドルはふん、と鼻を鳴らして言葉を続ける。



「さぁ、昼食を食べたらダラダラしゃべってないで早く次の授業の支度を。ハートの女王の法律・第271条『昼食後は15分以内に席を立たねばならない』……ルール違反は、おわかりだね?」

「はぁ、また変なルール……」



 この期に及んで悪態を吐くエースに、リドルのこめかみがピクリと震えた。



「返事は「ハイ、寮長」!」

「「はい、寮長!」」

「……よろしい」



 それでもまだ、リドルのご機嫌は回復しない。そんな寮長の心情に一番敏感なのは副寮長のトレイだった。苦笑しながらリドルの横に立つと、ぽん、とその手を彼の肩に乗せる。



「まあまあ、俺がちゃんと見張っておきますから」

「……フン。キミは副寮長なんだから、ヘラヘラしてないでしっかりしてよね」



 トレイもケイトも、アイスやリドルの先輩にあたる3年生なのだが、そこはやはり寮長。年上であろうが物言いに遠慮が無い。すると、リドルは出来るだけ息を潜めて面倒事から免れようとしていた人物に視線を移す。特に彼女が何か規則違反したわけでは無いと分かってはいるものの、昨日散々振り回されておきながらエース達と談笑しているその心境は理解しがたく、何故だか酷く腹立たしく感じるのだ。リドルの知る彼女は、酷く面倒臭がりで不利益な事は勿論、自身に利益の無い事に関しては目も向けたがらない利己的主義者だったはずだ。いくらトレイやケイトに誘われたからといって、自身に迷惑をかけた後輩と並んで食事だなんてありえない。



「アイス、昨日は彼らが迷惑をかけたみたいで悪かったね」

「あら、どうかお気になさらずに。学園長先生に頼まれただけの事、リドルさんが気を病むことは何もありません」



 アイスは至極綺麗な笑みでそう答えた。すると、その会話を聞いていたグリムがくい、くい、とアイスの制服を引っ張って見せる。



「なぁアイス、アイツと知り合いなのか?」

「ええ。同じ2年生ですし、リドルさんは学年主席でいらっしゃいますから、時々相談にのって頂いているんです」

「……ボクからすれば、キミ達がアイスと随分親しげなのに驚きだよ」

「そうそう!オレも気になってた!昨日、アイスちゃんがエースちゃん達に振り回されたってのは分かったけど、それにしては仲良すぎじゃない?特に監督生ちゃんとか、グリちゃんとか」



 リドルの言葉にケイトも同調して深く頷いて見せる。表情には出さないがトレイも2人と同じ疑問を抱いていたらしく、興味深そうに視線をアイスに向けていた。ところが、6つの瞳を向けられた彼女はあっけらかんとした顔で口を開く。



「嗚呼そうでした、すっかり忘れていました。実は私、昨年からオンボロ寮で寝泊まりしていたんですよ」

「「「………は?」」」



 にっこり、と効果音を背負ったアイスがそう言うと、リドルだけでなくトレイとケイトも揃って目を丸くした。



「昨年度までは私1人だったので学園長先生の意向もあって公にしないと決めていたのですが、今年からは3人に増えたのでそれも解禁して良いでしょう。これで胸を張って、ユウさんやグリムさんと同じ寮生だと言えます。ねぇ?」

「おう!」

「あ、はい…まぁ」



 意気揚々と頷くグリムに、少々遠慮がちに頬を掻くユウ。途端に、先程までざわざわと賑やかだった大食堂内がしん、と葬儀場のように静まり返った。昨日の入学式でも、もう少しざわめきだっていたではなかっただろうか。



「あー……なんてゆーか…まぁ、そういう反応になるよなぁ〜」

「僕達も昨日驚いたもんな…」



 周囲の驚愕っぷりにエースとデュースは揃ってうんうんと首を縦に振る。学園唯一の女子生徒、しかも皆が認める美女が異端の新入生と同じ寮に寝泊まりしているだなんて。誰よりも早く我に返ったリドルは、慌ててアイスに詰め寄ると華奢な身体のどこにそんなチカラがあったのか、ガシッと彼女の両肩を掴んでずいっと詰め寄った。



「そ、そんなの規則違反以前の問題だ!アイス、キミ、それで納得したのかい!?」

「と、言われましても……学園長先生直々にお決めになった事ですので」



 ぽん、ぽん、と自身の肩を掴む手を叩きながら、アイスは眉尻を下げた。だが、一方のリドルはそのチカラを緩めるつもりは微塵も無いようで、わなわなと震えたまま信じられないものを見るかのような目で彼女を捉えて離さない。



「学園長は一体何を考えているんだ……!」



 恐らく何も考えていないのだろう、とアイスは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。



「それよりもリドルさん、何か用事があったんじゃありませんか?」



 アイスの言葉にリドルはハッとした。そもそも、エース達の会話が耳に入ってきたから立ち寄っただけで、彼が大食堂内を歩いていた当初の目的は別にあった。リドルの敬愛するハートの女王の法律・第339条を遂行するのに必要な物を調達しなければならなかったのだ。



「……購買に角砂糖を買いに行くんだった」

「でしたら、私も購買までお供します。次の授業は確かリドルさんのクラスと合同授業でしたよね。せっかくですから一緒に行きませんか?」



 どうやら、アイスはここで揉め事を起こされるより、自身が重い腰を上げてリドルをエース達から離す事を選んだようだ。恐らくこの場でそんな彼女の思惑が分かる者等居る筈も無いのだが、アイスの素を知るリドルには多少ながらもその思考が読み取れてしまう。



「ボクのご機嫌取りのつもりかい?」

「まさか。次の授業は魔法史でしょう?昨晩はあまり良く眠れなかったので、眠気覚ましのガムが欲しいだけです」



 ようやくリドルの手のチカラが緩んだのを確認して、アイスはゆっくりと立ち上がると食べ終わった食器類をまとめて目線を右往左往させているグリムに声をかけた。



「グリムさん、あまりユウさんに迷惑をかけてはいけませんよ」

「ふなっ゛!?オレ様じゃなくて、コイツがオレ様の足を引っ張ってるんだゾ!」



 心外だと言わんばかりにグリムは喚くが、アイスは相変わらずの綺麗な笑みを浮かべたままリドルと並んで席を後にしてしまった。2人が去ってしまうと、先程まで葬儀場のように静まり返っていた大食堂内は次第に賑わいが戻りだす。



「ひえ〜、焦った〜。アイスちゃんに感謝だね」



 大きく息を吐いて、ケイトは疲れた様子で机に突っ伏した。



「超カンジが悪いんだゾ、アイツ!」

「コラ!失礼だぞ!」



 リドルが消えた方に向かって舌を出すグリムを、デュースは厳しい口調で咎める。確かにお世辞にも人当りが良いとは言えないが、それでも相手は自身の寮の寮長なのだ。しかし、リドルが去って安堵しているのは自分達だけではないらしい。



「寮長、行ったか?」

「俺、ハートの女王の法律・第186条『火曜日にハンバーグを食べるべからず』に違反してハンバーグ食べてたから見つかったらどうしようかと思った」

「はぁ……食うものくらい自由にさせて欲しいよな〜…」

「「……………」」



 コソコソと会話するハーツラビュル寮生の姿に、トレイとケイトは神妙な面持ちで目配せを交わす。



「……寮長は、入学して1週間と経たずに寮長の座についた。少し言葉がキツくなりがちだけど寮を良くしようと思っての事で、根は悪い奴じゃないんだ」

「根が良いヤツはいきなり他人に首輪付けたりしないんだゾ!」

「ははは………」



 珍しく正論を翳すグリムに、トレイは乾いた笑いしか出す事が出来なかった。すると、ユウが先程の会話でリドルが口にした、聞き覚えの無い単語に首を傾げる。



「そういえば『ユニーク魔法』って?」

「ん?リドルくんのユニーク魔法の事?」

「ユニーク……という事は、寮長独自の魔法という事ですか?」



 デュースが続けて質問を投げると、トレイがそれに軽く頷いて見せる。



「厳密に世界で1人かはさておき、一般的にその人しか使えない個性的な魔法の事を『ユニーク魔法』と呼ぶ。そのうち授業でもちゃんと習うと思うぞ」

「リドルくんのユニーク魔法は『他人の魔法を一定時間封じる事が出来る魔法』。その名も……」



首をはねろオフ ウィズ ユア ヘッド!』



 グリムとエースは自身に向けられた魔法を思い出して身震いした。



「ヒェッ!名前がもう怖ぇ〜のだ!」

「魔法士にとって魔法を封じられるのって首を失うのと同じくらいイタイからね〜。ってわけで、寮内ではリドルくんのルールには逆らわない方がいいよ」

「逆にルールにさえ従っていればリドル寮長も怖くないって事だ」



 どこか納得のいかないエースだったが、確かに自身の首に科せられたこの首輪の威力は絶大だ。他人の魔法を制限する魔法だなんて、実践魔法を受けていなくても、それなりに高度な魔法である事くらい理解できる。ここは大人しく寮長に従い、早々に首輪を外して貰えるように努めるのが先決のようだ。



「そういや、オレ、タルト買って帰らないとまたケイト先輩に追い出されるわけ?」

「そうだね〜。ハートの女王の法律第53条でそう決まってるからさ。あと、リドルくんは特にホールケーキの最初の1ピースを食べるのを楽しみにしてるから、きっとホールじゃないと許してくれないよ」

「仲良くしようとか言っといて、そこは見逃してくんねーのかよ!」

「それはそれ、これはこれ」



 悪びれる様子も無く、ケイトはぴしゃりと言い放った。



「しかし、タルトをホールでってだいぶ高くないか?」

「げー。オレそんな金持ってないんですけど」

「じゃあ作っちゃえば?あのタルトも全部トレイくんが作ったやつだし」



 寮生活をしている身でそう簡単にホールのタルトが手に入るものなのだろうか?頭を悩ませていたユウは、ケイトの言葉にうんうんと首を縦に振った。



「確かに、買うよりは安いかも」

「あのタルト、トレイ先輩が作ったの?すげー!売り物みたいでしたよ」



 食べた者だけが分かる感想だ。エースは心から感心した様子で、食べた感想を素直に述べた。褒められて悪い気もするはずなく、トレイは頬をかいて照れたように笑った。



「はは、ありがとうな。確かに器具や調味料なんかは一通り揃えてあるが……タダで提供するわけにはいかないな」



 成程、此方も「それはそれ、これはこれ」らしい。たちまちエースの表情が歪み始める。



「えぇ〜!?金取るのかよ!」

「はは、後輩から金を巻き上げるわけないだろ。次にリドルからリクエストされたタルトを作るのに、栗が沢山いるんだ。この場に居ないから言うが、どうやらアイスが食べたいとリドルに言ったらしくてな」



 その一言に、グリムがハッとして声を上げた。



「そういえばアイス、随分とリドルと仲良さそうだったんだゾ!」

「リドルくんも言ってた通り、あの2人は学年も同じだし、性格もどこか似てるとこがあるから一緒に居る事多いよ?」

「え〜!?アイス先輩と寮長が?嘘でしょ!?」



 これにはデュースも頷いた。規律に厳しく言動も横暴なリドルに対して、アイスはたまに刺のある言葉を吐きはするものの比較的温厚で接しやすい性格をしている。相性が悪いか、と聞かれればそうでは無いだろうが、類似点は無いように思える。



「アイスはリドルが首席、と言っていたが、彼女もなかなか成績が良いんだよ。それこそ次席……調子が良いとリドルの成績を超える事もあるくらいだ」

「流石ルーレッド先輩!やっぱりあの人は凄い人なんですね!」

「そりゃあね。女生徒で唯一ナイトレイブンカレッジへの入学を正式に許されたっていうんだから」



 すっかりとアイスに憧れを抱いたデュースは、まるで自分の事のように嬉しそうな様子でトレイやケイトの話に聞き入っている。対してエースはアイスの成績に対してそこまで興味が無いようで、不満そうに彼らの会話に耳を傾けた。



「リドルはよく寮に彼女を招いて茶会を開いたりしてるんだ」

「それで、アイスさんが食べたがっていたタルトを?」

「そういう事。そこで、エースには栗を集めてきてもらいたいんだよ」

「どっちにせよめんどっ。で、どれくらい栗が必要なんすか?」

「『なんでもない日』のパーティで出すとすると……2〜300個くらいかな?」

「「そんなに!?」」



 トレイの口にした希望数は、エース達の予想を遥かに上回った数字であった。驚いて声を上げたグリムとデュースを他所に、トレイは淡々と言葉を続ける。



「栗に熱を通して皮を剥いて裏ごしするところまで手伝ってもらおうか」

「……オレ様、帰っていいか?」

「僕も」

「薄情者!!」



 材料集めだけならまだしも、面倒臭そうな下拵えまで手伝わされるとは。何の躊躇いもなく、グリムとデュースはあっさりとエースを裏切って彼から視線を反らした。



「まーまー!みんなで作ってみんなで食べたら絶対美味しいって。思い出作りってやつ?お料理ブロガーデビューも出来ちゃうかもよ?」

「リドルやアイスには内緒だけど、マロンタルトは作り立てが1番美味いんだ。出来立てを食べられるのは作った奴だけだぞ」

「おうおうオマエら!気合い入れろ!栗を拾って拾って拾いまくるんだゾ!」



 流石はハーツラビュル寮の副寮長。すっかりグリムの性格を良く理解した彼は、害の無い笑みで目の前に餌を振りまいた。確かに得意ではあるものの、ホールのタルトを数個作るとなれば人手はあるに越した事が無い。この機会はトレイにとっても願っていないチャンスではあったのだ。上手い事乗せられたグリムに頭を抱えるが、こうなってしまえば仕方が無い。そもそも、今朝オンボロ寮に来た時点で嫌な予感はしていたのだ。ユウは諦めた様子でトレイに声をかけた。



「ところで、どこで栗を拾えば?」

「栗の木は学園内の植物園の裏の森に沢山あったはずだ」

「よーし、んじゃ、放課後植物園の前に集合で」

「ゴーゴー栗拾い!なんだゾ〜!」



 肯定の意を示していないにも関わらず、すっかりデュースも頭数にカウントされているようだ。慌てて声を上げようとするが、ポン、と軽く肩を叩かれてハッとする。静かに首を横に振ったユウを見て、デュースはがっくりと肩を落とした。





+ + +





 どうやら彼はまだ怒っているらしく、歩きがいつもよりやや早いように思える。カツン、カツン、とヒールを鳴らしてリドルの背中について歩くアイスはたまらずに抗議を入れてみる事にした。



「リドルさん、少し早いです。もう少しスピードを落として頂けませんか?」

「………」



 声に出してみたものの、リドルは歩みを止めるつもりはないらしい。いよいよ面倒臭くなってきたアイスは小さく溜息を吐いた。



「一体何が気に食わないんだい?僕がオンボロ寮に寝泊まりしていたのを黙っていた事?」



 周りに誰もいない事を確認してアイスが不満そうに言葉を投げると、途端にリドルの歩みがぴたりと止まる。あまりにも突然止まるものだから、アイスは思わず彼の背中にぶつかりそうになって慌てて自身の足を一歩後ろに引いた。



「急に止まらないでほしいな。危ないだろう」

「……監督生とあのモンスターがキミの寮に泊まるようになったのは?」

「ユウ達かい?一昨日の夜からだけど?」



 それがどうした、とアイスは首を傾げる。一昨日の夜、つまり入学式の夜だ。リドルがアズールと共にグリムを追い出し、魔力の無い生徒……つまり、あの監督生がナイトレイブンカレッジから退学を言い渡されたあの日。だとすれば、昨日昼食を共にした時は既に彼らユウとグリムはオンボロ寮に暮らし始めていたという事になる。学園長が彼女の身を案じて所属寮を口外させない事は学園内で暗黙のルールとされていたし、リドルもそれに賛同していた。なのに、こうもあっさりとルールが破られるだなんて。とても大事なルールだったはずなのに。



「何でそんなに普通なんだい?昨年まで頑なにまもっていたじゃないか」

「まもる?……嗚呼、やっぱり所属寮を隠していた事に怒っているのかい?悪かったとは思うけど、そんなに目くじら立てなくてもいいだろう?」

「全然、少しもお分かりでないようだね!」



 振り向き様に放たれたリドルの声は長い廊下にわんわんと響き、その反響に合わせてアイスの目がどんどんと丸くなっていく。たまに小さな言い争いをする事はあっても、リドルから面と向かって怒鳴られたのはこれが初めてだった。面倒事が大嫌いなアイスではあったが、言われも無い怒りをぶつけられたとなれば話は別だ。何故、自分がリドルに怒鳴られなければならないのか。先程まで少なからずリドルの心情を心配してい気持ちはぷつりと途切れ、代わりにふつふつと怒りが湧いてくる。
 一方で、リドルもリドルで言い知れぬ憤りで頭に血が上る感覚に襲われていた。何故アイスは理解しないのか、と。彼女は女性で、いくら年下やモンスターとはいえ、異性と同じ屋根の下で過ごす事がどれだけ危険なのか、どうして考えもしないのか。少なからず、自分はアイスにとって『友人』と呼べる関係なのだと思っていた。彼女の淑女らしからぬ口調を知る者は極僅かと聞いているし、知識を得る為に努力を惜しまない彼女の姿勢には尊敬すらしていた。だが、彼女にしてみればどうだったのだろうか。彼女は果たして、自分の事を『友人』と思っていたのだろうか。考えれば考える程に思考は悪い方へ偏る一方で、怒りや、悲壮や、侘しさにも似た感情がぐるぐると渦巻いて脳内を巣食っていく。



「……驚いた、あまり大声を出さないで頂けますか?」



 彼女にしては珍しい、地を這うような低い声にリドルはハッとした。目の前の彼女はすっかり淑女の仮面を被り直してしまったらしく、張り付いたような笑みを此方に向けている。目線が殆ど変わらないからか、ふと合った視線の先で大きな臙脂色えんじいろが持ち主の機嫌を表したかのようにギラりと光ったのが分かった。



「あら大変。私とした事が、そういえば5限目の占星術の宿題がまだ終わっていないんでした」



 アイスはぽつり、と自分に言い聞かすように呟き、素早く進行方向を変えて歩き始める。



「すみません、リドルさん。先に教室に行ってこれ宿題を片付けてしまおうと思います。それでは、また後程」



 リドルには「歩くのが早い」と言っておきながら、この場から立ち去っていく彼女の歩みはその比では無い。あまりにも早すぎて、リドルは彼女を引き留めようとする考えすら追い付かなかった。様々な思考と感情で頭がいっぱいとなり、角砂糖を買いに購買へ行くという当初の目的はコロンと転げ落ちてしまったのだった。


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