休息アフタヌーン
植物園の温帯ゾーン、芝生の敷き詰められた広葉樹の木陰はレオナ・キングスカラーのお気に入りの昼寝場所だった。亜熱帯エリアとは異なりスコールの設定もなされていないこの空間は、適度に暖かく、時たま涼しい風が通り、1日を通して過ごしやすい気候に保たれている。彼が寮長を務めるサバナクロー寮では、むやみやたらに寮長のお気に入りの場に立ち入らない事を暗黙の了解としていたが、他寮までそれが浸透しているかと問われるとそうでは無かった。昼食後、今日も今日とて午後の授業時間を丸々昼寝に費やそうと木陰を訪れたレオナは、思わぬ先客に足を止めた。普段なら問答無用に力づくでこの場から追い払うのだが、この日に限ってはそれをする気も起きなかった。何故なら、広葉樹に背を預けて転寝をしているのが学園唯一の女子生徒であるアイス・ルーレッドだったからである。彼女がこの場で舟を漕いでいる事に対しては特に疑問も持たないが、驚くとしたら今の時刻である。昼休みももう間もなく終わろうかとする時間。本来であれば真面目な彼女は既に授業を受けるべく教室で着座している筈なのだが、何故この場にいるのか。
一歩、また一歩と近づいてみるが、相当深い眠りについているのか彼女は全く起きる気配を見せない。無防備すぎるだろ、とレオナは額に手を当てて溜息を吐く。ついに彼女の目の前まで辿り着くと、長い足を折り畳んでまじまじとその様子を眺めた。入学時からそれなりに目を惹く見目をしていたが、ヴィルに化粧を習い始めてからはそれが更に洗練されたというべきか。レオナはアイスの膝に置かれた占星術の教科書をひょいと拾い上げ、そのまま図々しくも彼女の膝に頭を預けると暇つぶしにパラパラと教科書を捲った。太陽・月・惑星の軌道の読み方、ホロスコープの出し方、運勢の読み解き方、等々。何とも眠気を誘う内容に、レオナはふぁ、と大きな欠伸を漏らした。
「………?」
レオナが欠伸をした際に膝に感じたこそばゆさから、アイスの意識がふと現実に引き戻された。アイスはリドルと廊下で別れた後、損ねた自身の気持ちを落ち着かせる為、教室ではなく敢えて植物園で宿題をする選択を取った。ただ、あまりにも心地良い温帯ゾーンの気候に意識が遠退き、知らず知らずのうちにすっかりと思考が停止してしまっていたのだ。
「あ、れ……ここ…?」
「何だ、まだ寝ぼけてんのか?」
思考が追い付かないまま目を擦っていると、低い声と共に膝に若干の重みを感じる。何の気なく視線を声のした方に向けたアイスは、ぴしり、と身体を硬直させた。
「え、レオナ先輩?……植物園?」
大きな瞳を零れんばかりに見開き、アイスは必死に今の状況を把握しようと周囲を見回す。芝生に散らばったノートと筆記具、積まれているのは魔法史の教科書で、レオナの手にあるのは占星術の教科書……。次第に事のあらましを思い出したアイスは、慌ててその場に立とうと身体を動かした。
「ちょっと!レオナ先輩、退いてください!」
「あ?何でだよ、せっかく昼寝してたんだろ?もう少し寝りゃいいじゃねぇか」
「何言ってるんですか?もうすぐ授業が……」
彼女の言葉を遮るように、校内に午後の授業を告げる鐘の音が鳴り響いた。途端に顔を青くしたアイスとは反対に、レオナは満足そうにククッと喉を鳴らす。
「残念、始まっちまったな」
「嘘……でしょう?」
アイスが肩を落として立つという意欲を忘れてしまったのを良い事に、レオナは手にしていた彼女の教科書をポイっとその辺に投げ捨て昼寝態勢に入る。寝心地の良いポジションを探し、頭に違和感が無くなった事を確認するとゆっくりと目を閉じた。
「駄目です、私は授業に行きます!」
「おい、動くな!」
せっかく眠りにつけると思ったのに、あと少しの所で身動ぎをされてレオナは不服の声を上げた。だが、そんな事はアイスには微塵も関係ない。そもそも、彼女はレオナに対して膝を提供する等と許可した覚えすら無いのだ。
「今ならまだ間に合います。邪魔しないでください」
「出たところでどうせ居眠りこくだけだろうが。お前、自分の顔見たか?」
そう言われて、アイスはぴたりと動きを止めた。彼の言うように鏡を見たわけでは無いが、その言わんとする事は何となく理解出来た。要は寝不足なのだ。昨晩自室に帰宅してからというもの、少しばかり内職をする筈が殊の外集中してしまい、おまけに今日の放課後に備えて色々と準備をしていたらすっかりベッドに入るタイミングを逃してしまったのだ。午前は体力育成と飛行術が立て続けに組まれていた事で身体を休める間も無く、いよいよ昼休みに眠気のピークがきてしまった。
「授業中に居眠りしてトレインに口煩く言われるより、思い切ってサボっちまった方が後で何とでも言えるだろ」
レオナの言う事は最もな気もするが、アイスが彼の言葉に素直に頷けない理由の一つに、先程リドルと喧嘩別れのようにして会話を打ち切ってしまった事があった。あの時は「何故リドルに叱られなければならないのか」という不満と苛立ちで頭がいっぱいだったが、あんな別れ方をした相手が次の授業に出て来ないとなればリドルはどう思うか、と考えると何とも居た堪れない気持ちになるのだ。
「あぁ、めんどくせぇ。そんなに気になるなら次の授業前に起こしてやるよ。だから、さっさと寝ろ」
口ではそう言いつつも、レオナは手を伸ばしてぽん、ぽんと優しくアイスの頭を撫でてやる。アイスは煩わしそうにその手を払い除けようとするが、植物園の暖かな気候、太陽の日差しと相まって、次第に再びウトウトと船を漕ぎ始める。授業の事、宿題の事、リドルの事……考えなければならない事は沢山あるはずなのに、如何せん頭が回らない。
「ほんと、に……起こしてくださいね…?」
「はいはい。仰せのままに、レディ?」
こてん、と首が傾くと、返ってきたのは言葉ではなく小さな寝息だった。口でああは言ったものの、本よりレオナには彼女を起こす気などさらさら無かった。恐らく、授業が終わればお節介なラギーが自分を起こす為に連絡を入れてくるのだろうが、そんなか細い振動で起きた試しも無い。アイスが敏感にその振動を捉えれば話は別だが、ここまで早く寝入ってしまうのであれば間違いなく気付く事は無いだろう。伸ばした手をそのまま下に降ろしていくと、やがて包帯に巻かれた白く細い首に差し掛かる。ツツ…と撫でてみるが、アイスは身動ぎはするもののやはり起きる気配は毛頭ない。
「なぁ、今目の前に餓えた雄ライオンが居たとして……そんな無防備で良いのか?」
問いかけても答えが無いのは想定内だった。少しだけ上半身を起こして包帯越しに彼女の左首に唇を落とす。今、その気になってこのまま首元を噛み千切ったら、彼女は簡単に絶命してしまうと言うのに。レオナは満足そうに口角を上げると、今度こそアイスの膝に頭を埋めて瞳を閉じた。今日も今日とて仄かに香る、例の嫌な香水の匂い。不快極まりないが、我慢出来ない程では無かった。それよりも、次に目が覚めた時にどこまで薄まっているかが非常に楽しみだ。
- 20/31 -
*前次#
ページ:
戻る/サイトトップへ戻る