意地悪クエッション
時刻は1日の授業が全て終わった放課後、メインストリートには数冊の参考書を抱えて切歯扼腕するアイスの姿があった。レオナの言う事が信用ならないと分かっていたはずなのに、眠気に勝てずそれを良しとしてしまったのは完全に自分の落ち度だ。鏡で見たわけでは無いが、眠りから覚めた時の自分の顔は睡眠欲を解消されて血色良くなった筈なのに、間違いなく顔面蒼白であった事だろう。欲に負けた不甲斐無さもあり、目下で気持ちよさそうに惰眠を貪る男に感情をぶつけたくとも如何せん道理が合わない。幸いにも普段の授業態度のお陰で魔法史でも占星術でも欠席理由は『体調不良』と誤認されたようだが、代わりに次回までにと補修課題を出されてしまった。イライラを発散できないもどかしさで頭がいっぱいになっていたアイスは、曲がり角で突然現れた影に驚き思わず身を引いた。両手が塞がれていた事もあり、受け身を取るのが遅れた彼女の身体は見る見るうちに傾いていく。
「………っ!」
「おっと」
ドサドサッ、とアイスの腕から零れた参考書が地面に散在する。にも拘わらず彼女の身体が床に着かなかったのは、長い腕が素早く彼女の腰を支えてくれたお陰だ。咄嗟に強く目を瞑ったアイスは、覚悟していた衝撃がいつまで経ってもその身に降り掛かってこない事に気付き、恐る恐るその瞳を開ける。
「申し訳ありません、お怪我はありませんか?」
「あ……私こそ、前を見ていなくて……助かりました、ジェイドさん」
胸ポケットで輝くオクタヴィネル寮カラーの魔法石、落ち着いた丁寧口調に顔を上げると、クラスメイトに瓜二つの顔がじぃと此方の様子を伺っていた。瓜二つではあったが、アイスのクラスメイトと比べると目の前の青年はやや目が切れ長で、分け目やピアスをする耳も左右対称である。アイスの返答にジェイド・リーチはにこりと笑みを浮かべ、彼女がしっかりとその両足で地に立った事を確認した後に散らばる参考書を拾い集めた。
「教室に姿が見えずに心配しましたが、元気そうで安心しました」
「嗚呼、そういえば今日の魔法史はE組と合同でしたものね。ありがとうございます、すっかり良くなったのでもうご心配には及びません」
アイスは特に否定するわけでもなく、ジェイドに向かって笑顔で頭を下げた。
「アズールは「体調が良くないようでしたら今日は休んでも構わない」と言っていましたがどうされますか?」
「お気遣い感謝します。けれど、今日は予定通りに。招待状を無駄にするのも気が引けますし」
「それは何よりです。よろしければ、此方はモストロ・ラウンジまで僕が運んでも?女性が運ぶには少々重すぎるかと」
「それは助かります。図書室で見繕ったまでは良かったのですが、欲張って2教科分借りたのは流石に失敗したと反省していたところだったんです」
モストロ・ラウンジとは、オクタヴィネル寮の寮長、アズール・アーシェングロットを筆頭にリーチ兄弟と3人で設立したカフェの名前である。働き手の殆どはオクタヴィネル寮の生徒だが、様々な理由から他寮の生徒がそれに加わる事も少なくない。アイスやラギーのように、本人との同意の上で雇用契約を交わしている生徒も然り、そうでない場合もまた然り。
「ところで、リドルさんと何かありましたか?」
道中、思い出したように口を開いたジェイドの問い掛けにアイスの眉が一瞬僅かに動いた。しかしそれも束の間、彼女は足を止めて何事も無かったかのように困惑した表情を作り上げる。
「特に、何も。リドルさんがどうかしましたか?」
「いえ、フロイドもアイスさんが居ない事でかなり荒れていたのですが、リドルさんはそれ以上に落ち着きが無いように見えたので。彼にしては珍しく黒板から目を離す事が多かったですし、視線の先は常に教室の出入口に向けられていました。僕の気のせいでしょうか……?」
わざとらしい……絶対何かしらの確信があって聞いてきているだろう。自分が言えた事では無いが、本当にオクタヴィネル寮の生徒は食えない性格をした奴ばかりだ。はっきり言ってリドルとの言い争いがバレたところで痛くも痒くもないのだが、その後授業をサボってしまった汚点に於いては出来るだけ明言を避けておきたい。どんな些細なネタであっても、ジェイドを含めたオクタヴィネルの厄介な3人組に弱みを握られるのは御免だ。ようやく戻りつつあったアイスの機嫌が、ジェットコースターの如くみるみるうちに急降下していく。
「さあ……私には何も。ただ気にかけて下さっただけじゃありませんか、貴方みたいに」
どうせ見透かされているのなら、とアイスは物腰柔らかい口調とは反対にギラりと臙脂色を光らせた。これ以上踏み込むな、という無言の警告だったのだが果たして彼には通じたのか。様子を伺うも、アイスに負けず劣らずの張り付けたような笑みを浮かべるだけで、いかようにも全く腹の内を読むことが叶わない。
一方のジェイドは案の定、一向に口を割る様子も無いアイスに対して笑い声が零れそうになるのを堪えるのに必死だった。D組と合同の魔法史の授業だけならまだしも、その次の授業に入ってもリドルの顔色はどこか優れなかった。比較的ポーカーフェイスの上手いアイスとは違い、リドルは感情が顔にも態度にも出やすい。試しにと彼女の名前を口にすれば、隠す気が皆無なのかと疑う程に見事なまでの動揺を見せてくれた。恐らく、アイスは此方が確信付いて質問を投げていると知っている。更に言えば、それすらも此方に悟られている事すら気付いている。そういえば、いつだったかアズールに聞いた事があった。陸に於いて、アカは警告色なのだと。
「成程……そうかもしれませんね。つまらない質問をしてしまったようで、申し訳ありませんでした」
「いいえ、どうかお気になさらずに」
傍から見れば、単に見目麗しい二人がただ微笑みあっているように見えるのだから至極恐ろしい。目を細めたアイスが静かにジェイドから視線を外したその時、風に乗ってふわりとラベンダーの香りが鼻孔を擽った。一瞬彼女が身に付けているのかと思ったが、すぐに昨日フロイドがつまらなそうに口にした言葉を思い出す。
『グラちゃん、ベタちゃん先輩から香水貰ったんだって〜。多分、メンズ物。良い匂いだったけど、他のオスが付けたって思うとすっげ〜とムカつく』
漂った香りは女性が身に付けるには些かスパイシーすぎる気もする。いくら虫除けだったとしても、美意識の高いヴィルが彼女のイメージにそぐわない香水を贈るとは到底思えない。彼の知識には及ばない自分であっても、ペッパーやウッドは避けてシトラスやローズマリー等の植物性香料を主とした清涼感のある香水を選ぶだろう。色々と思考を巡らせていたジェイドは、知らず知らずのうちに口元から鋭い歯が見え隠れしていた事に気付いた。成程、その場では実感が湧かなかったが、確かにフロイドの言う事も一理あったわけだ。本当、実に、虫唾が走るほど面白くない。
校舎を出て、メインストリートを抜け、時計塔を横切りると、各寮への入り口がある鏡舎が近付いてくる。その時、ジェイドは少し前に自身の片割れの背中がある事に気が付いた。今日は部活が無いと言っていた筈なので、どうやらの目的地も自分達と同じモストロ・ラウンジのようだ。視線を斜め下に向けてみるが、アイスはまだフロイドの存在に気が付いていないらしい。ジェイドは静かに口元に三日月を描くと、胸ポケットからマジカルペンを抜き出し、無言のままその先を片割れに向けたのだった。
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