開店プレパレーション
寮生が開店作業に勤しむ姿を監視しつつ、アズールはボックス席を陣取って目の前に広げた帳簿の1枚1枚に目を通していた。昨日から新学期を迎えて新たな学生も増えた今、ラウンジでは新規顧客の確保とリピーターの育成に思考を巡らせていた。昨年はどうすればラウンジの知名度を上げられるか、どうすれば客を誘致出来るか、学生に人気のメニューはどんなものか………経営を安定させる為に尽力した1年であった。元より失敗する筈はないと周囲に豪語して始めた事ではあったが、ミドルスクールから貪欲に学んできた経営術、様々なコネを駆使して得た情報を元に組み立てた戦略、自身の意向を実現するために動く敏腕な腹心達のお陰で業績は右肩上がりだ。特に後述の腹心達、昔馴染みでもある双子のリーチ兄弟の働きっぷりは称賛に値するのだが、彼らはその性格に一癖も二癖もある曲者でもある。自分達が愉快になる事を第一優先に行動する双子とはもう数年の付き合いになるが、その間に何度この兄弟の行動に手をこまねいた事か。今もまた、アズールの頭を悩ませる原因は、目の前で寮生に混じり床にモップ掛けをしている兄弟にあった。
「アハッ、ジェイドもよくやるよね〜?グラちゃん、ワケが分かんね〜って顔してたじゃん」
「フロイドが察し良くて助かりました。貴方なら上手くやってくれると思っていましたよ」
ラウンジのバックヤードに点々と続く足跡。その持ち主がラウンジ内に入ってきたとき、アズールはギョッと目を見開いて固まった。
「お前達、アイスさんに何をしたんです?面倒事はするなと言ったはずでしょう」
「おやおや、酷い言われようですね」
「そうそう、オレらはただ、グラちゃんが汚れてたから洗ってやろうと思っただけだし」
悪びれる様子も無く、ジェイドとフロイドは至極楽しそうに笑い声をあげている。
「嗚呼、そういえば。猫科のスプレー行為って臭いがなかなか落ちないとか」
「え〜、オレいつまで経ってもグラちゃんから他の雄の臭いするとか耐えらんねぇんだけど?」
事のあらましについて詳しくは聞いていないものの、双子の会話で何となく把握は出来た。恐らく、何らかの出来事を機にアイスに染み付いた移り香に気分を害したジェイドが、フロイドを使って彼女に水をぶっかけたのだろう。
「ジェイド、フロイド。僕は人前でユニーク魔法を使うなと再三言っている筈ですが?」
「周りにはオレらしか居なかったし、別に問題なくね?」
「ええ。アイスさんの反応を見ても、ここに来るまでの道中で特に追及してこなかったところからして、恐らく僕達がやった事だと確信を持てなかったのでしょう。かなり疑ってはいるようでしたが」
確かに、ジェイドの言う事は一理ある。アイスは非常に頭の良い人間だ。それ故に、憶測だけで物言う事はしない。どんなに自分の憶測に自信があったとしても、それを証明する手立てが無ければ明言を避ける筈だ。
「バレてしまってからでは遅いんです。特にジェイド、お前のユニーク魔法については殊更ね」
「勿論、承知しています」
「でもさ〜、アズールだって嫌じゃねぇ?グラちゃんがオレら以外の雄のモノになっちゃったら」
フロイドの言葉に、アズールは帳簿を捲る手をピタリと止めた。
そもそも、自分とアイスとの関係が何かと問われれば、ビジネスパートナーという言葉が一番しっくりくる。モストロ・ラウンジを開店するにあたり、一番頭を悩ませたのが話題性の作り方であった。学生が経営するカフェという事でそれなりの話題性がある事には違いないが、話題になったところで顧客になるのかと問われると確約は持てない。学園内には学生が自由に使える学食もあるし、大抵の物は取り揃えてある購買部もある。自分が携わるからにはフードにもドリンクにも妥協するつもりは微塵も無かったが、それを証明するにはラウンジに一度足を運んでもらう必要があった。そこで目を付けたのが学園唯一の女生徒であるアイス・ルーレッドの存在である。男子校に入学した異例の生徒というだけで生徒の関心を集めていた彼女は、その見た目の良さも相まって学園内に於いてはスーパーモデルのヴィル・シェーンハイトと並ぶ程の有名人であった。アイスが働いているという事実だけで話題性は格段に上がるし、更に言えば彼女目当ての客が出来る事でリピーターの数もぐんと上がる。アズールにとって、アイスはモストロ・ラウンジを成功させるのに必要不可欠な要素といっても過言では無かった。
「私が……モストロ・ラウンジで、ですか?」
「ええ、是非アイスさんの力を貸して頂けませんか?勿論、アルバイトという形でお誘いする以上、それなりの報酬は支払わせて頂きます」
彼女を頷かせるにはどうすれば良いかと最後まで悩んだが、結局は正直に理由を伝える事にした。何度も言うが、アイスは非常に賢い女性だ。下手に回りくどい言い方をしても感付かれてしまうに違いないし、それで気分を害されては元も子もない。
「店の設えも、フードメニューも、働き手になる寮生の教育も、全てにおいて自信があります。ただ、それは経営が軌道に乗ってからの事。こんな事言いたくはありませんが、僕達はまだ1年生です。リドルさんのように寮長という肩書があれば別ですが、単なる寮生が運営するカフェに対する周囲の評価なんてたかが知れています。モストロ・ラウンジに今必要なのは確かな話題性と来場意欲を誘う仕掛けだ。学園内きっての有名人である貴方が働いているともなれば、その話題性は計り知れない。きっとすぐに利益として結果に表れてくれる筈です」
ボードゲーム部の部室でテーブルを挟み対峙したまま、アズールは満面の笑みで身振り手振りに勧誘を続ける。因みに、この時2人が行っていたオセロ盤上では若干白が有利となっていたわけだが、気持ち接待が入っていたというのはここだけの話だ。アイスはじぃ、と盤上を見つめたまま、ふむと考える素振りを見せる。
「お手伝いしたい気持ちは山々ですが、私、家業の関係でシフトに入れない日も多くなってしまうかと…」
「嗚呼、そんな事ですか?勿論、ご実家を優先して頂いて構いませんよ。先程もお話しした通り、僕が欲しいのはアイスさんの時間ではなく、貴方がモストロ・ラウンジで働いているという事実です。全く顔を見せて頂けないとなると話は別ですが、週に何度か手伝って頂けるのでしたら問題ありません」
「……随分と赤裸々に話して下さるんですね?」
パチン、と音を鳴らしてアイスが盤上に白を置く。その声色からしてどうやら警戒されているようだ。アズールは小さく眉尻を下げた。
「何を言っても、貴方には見透かされてしまうでしょうから。僕は是が非でもモストロ・ラウンジを成功させたいんです。貴方を誘っているのは単なる客寄せパンダになってほしいからではありません。あわよくば、貴方の頭脳も是非お借りしたいとも思っているんです」
「成程、まさか学園内で営業をかけられるとは思っても居ませんでした」
パチン、と今度はアズールが盤上に黒を置く。これは幾ら何でもあからさまだっただろうか。あまりにお粗末な打ち損じである。
「……もし、アズールさんが私をビジネス・パートナーとしてお誘い下さっているのでしたら、1つ条件があります」
「何です?」
間髪入れずにアイスが白を置いた。盤上の黒がどんどんと白に塗り替えられていく様を見つめながら、アズールは小首を傾げる。
「私、ミドルスクールの頃から賭け事が得意なんですよ。ルーレット、トランプ、ダイス……比較的何でも出来ます。良ければ、ラウンジ内にカジノカウンターを設置して頂けませんか?勿論、お金を賭けるなんて事はしません。そうですね……勝てばドリンクメニューサービスとか如何です?」
アイスの申し出にアズールは目を見開く。急な申し出なのは百も承知の上だったのでごねられる事は覚悟していたが、経営方針に関わる申し出をされるのは想定外だった。
「構いませんが……それが貴方に何の得があるんです?」
「アズールさんならお判りでしょうが、ビジネスに於いて大事なのは伝手と情報量です。それらを確保できる場が多いのに越したことはありません。貴方が私を使うように、私も稼業の為に貴方のラウンジを利用させてもらいます。それならWin-Winでしょう?」
ようやく顔を上げたアイスは、誰もが見惚れるであろう笑みを浮かべていた。成程、これは確かにあの厄介な双子が気に入るわけだ。恐らく、彼女が悩んでいたのはラウンジで働くか否かでは無い。どうすれば、自分に都合がいい条件で働けるかを思案していたのだろう。
「カジノカウンターの設置、すぐに手配を入れましょう。どんなカジノカウンターが良いかご要望は?」
「そうですね……馴染みやすいブラックジャックはどうでしょう?ディーラーとしても複数人同時に相手が出来ますし、プレイヤーの回転が早いのも魅力的かと」
「成程、確かに予めゲーム回数を指定してしまえば更に回転は早くなる。ゲームする権利はラウンジ内のフードを頼む事を最低条件にするとして……それでもまだ開店時間内に全員さ捌ききれるか疑問が残りますね」
「では、リピーター限定するのは如何ですか?軌道に乗ってきてからは招待制にしてもいいかもしれませんね。ご無沙汰な既存客の誘致を促すのにも使えそうです」
「いいですね。カジノ目当てで来場したとしても、結局のところフードメニューを頼む事は必須。招待状という特別感を出す事で、心理的に来場欲を掻き立てる事が出来るかもしれない」
アイスのアイディアを機に、アズールの中でどんどんと今後の戦略が湧き上がってくる。ふるふると意欲に震えるアズールを他所に、アイスはしげしげと盤上を覗き込んで若干不満げな声をあげた。
「あの、そろそろおふざけはやめて頂けますか?私、手抜きされるの好きではないんです」
それから今の今まで、アイスは非常に良く働いてくれている。当初の約束通りに報酬は支払っているが、アイス・ルーレッドというブランド名は伊達では無かったようで、自分達の目論見通りに今やカジノ目当てで通うリピーターも少なくない。招待状の送り先はアズールとアイスとで戦略的に選出してはいるが、彼女の直筆とする事で打率は更に高くなった。
つまり、アズールはアイスに対してマイナスな感情は抱いていないものの、それ以外に関しては特に考えた事も無かったのだ。フロイドが杞憂しているのは彼女に意中の相手が出来る事なのだろうが……。ううむ、と思考を巡らせたところで全く想像が付かない。ただ、何とも言えない気持ちになるのは確かであった。もっと言ってしまえば、どうして昨日、フロイドが彼女の首筋に噛み付いたときに席を立ってしまったのだろうか。自身の腹心がビジネス・パートナーである彼女に危害を加えたから?いや、あの程度の傷で済むのであれば、フロイドにとっては本当にただじゃれついただけなのだろう。咬魚と言うだけあって、その気になれば肉を喰い千切る事などあの双子にとっては訳無いのだから。
「あ〜!グラちゃんお帰り〜」
「濡れてしまった制服はお預かりしましょう。今から乾燥をかければ、アイスさんが寮に帰る頃にはお渡し出来ると思いますよ」
そうこうしている間に、今、アズールの脳内の大半を占めていた彼女がホールに戻ってきた。流石にずぶ濡れのまま接客させるわけにもいかず、着替えを渡すと同時にVIPルームを更衣室として提供したのだ。アイスが何とも言えない表情をしている事などお構いなしに、ジェイドが人の良さそうな笑みを浮かべて濡れたままの制服の上着やスラックスを受け取ると、すかさずフロイドの長い腕が彼女の腰に巻きついた。
「やっぱ、アズールのでもグラちゃんにはちょっとデカかった?」
「僕達のよりはマシと思ったんですけどねぇ?」
生憎、オクタヴィネル寮には彼女と背丈が似通った生徒は居ない。細身のアズールの物ならばと彼のシャツとスラックスを貸したのだが、それでも男女で体格差はあるようで、若干丈や袖、裾に余りが見受けられる。
「確かに少し大きい事には違いないのですが……」
楽しそうなリーチ兄弟とは打って変わり、アイスは解消の兆しが見えない胃のムカつきに悩まされていた。そもそも、どうして自分がこんな目に合わなければならないのか。本当に一瞬の出来事だった。突如自分の横を風が吹き抜けたかと思えば、次の瞬間自分の身体は大量の水の塊に飲み込まれていったのだ。十中八九、目の前の双子が一枚噛んでいるに違いないのだが、如何せん証拠が無い。せめてもの腹いせにと、びしょびしょに濡れた制服の上着を上質な革製のソファに叩きつけてやったが、それだけではどうにも腹の虫がおさまらなかった。更にアイスの気分を降下させたのが、アズールに借りたワイシャツとスラックスである。確かに背丈の違いから袖や裾に若干の布の余りはあるのだが、ウェストがピッタリなのはいかがなものか。アイスは無言で自身の腹を摩る中、ジェイドとフロイドに関してはふむ、とある一点に視線を奪われ、そのまま無言で互いに顔を見合わせた。
「あー……アズール、グラちゃんにジャケットも貸してやんなよ」
フロイドがアイスの頭を撫でながらそう言うと、続けてジェイドも首を縦に振った。
「何を勝手に決めているんですか。いくら何でも、寮服を他の寮生に貸せるわけないでしょう?」
アズールは視線を帳簿から反らす事なく言い捨てた。巻き込まれたアイスには心底同情するが、これ以上自分があの双子の尻拭いをしてやる必要はどこにも無い。チラっと腕時計を確認すると、時計の針はあと十数分でラウンジの開店する時刻を指そうとしていた。
「そんな事より、いつまで掃除しているつもりです?そろそろ持ち場について……っ!?」
ようやく顔を上げたアズールは、双子の間で若干うんざりとした表情を浮かべたアイスの姿を見て固まった。そしてようやく、フロイドの言葉の意味を理解した。ワイシャツとスラックスは貸し出せたものの、流石に肌着を用意する事など出来るはずも無く、アイスのワイシャツからは薄らと濡れた水色の肌着が透けていた。たちまち、アズールの顔面が茹蛸の如く真っ赤の染まる。その姿を見た双子は、再び顔を見合わせてにんまりと口角を上げた。
「アレ?アズールどったの?」
「血色が随分と良くなったようですが?」
「あら、本当に……風邪でしょうか?」
最早、アイスが首を傾げる仕草も、憎たらしい双子の表情も目に入らない。ただ、顔中に集まった熱をどうすれば冷ます事が出来るのか、その方法を模索する事にだけ注力していた。
「私、保健室で薬を貰ってきましょうか?」
「い、いえ!結構です!というより、そんな恰好で出歩かないでください!!」
「……はい?」
アズールは素早くフロイドからアイスを引き離すと、呆気に取られている彼女を他所に、有無を言わさずに自身のジャケットを羽織らせた。
「え?他寮生には着させられないって……」
「僕が慈悲深い人魚で良かったですね。女性に風邪をひかせるわけにもいきませんし、今日は特別にお貸しします。絶対に汚さないでくださいね」
眼鏡のブリッジをくいと指で上げ一息吐くと、アズールはそのまま3人に開店準備に戻るようにと告げて再びソファに腰を降ろし、散在していた帳簿の1枚を拾い上げた。それを合図に、アイスもリーチ兄弟もそれぞれの持ち場へと戻っていく。アイスはカジノカウンターへ、フロイドは厨房へ、ジェイドはVIPルームへ。自分のジャケットを羽織るアイスの後ろ姿に歯がゆさを感じつつ、どこか優越感にも似た気持ちになったのは何故だろうか。知らず知らずのうちにその口から漏れた鼻歌の理由を知る者は誰も居なかった。
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