欠陥ガルグイユ



 青空が美しい、良く晴れた日だった。図書室のある席を陣取ったアイスは、教科書の活字を目で追う合間に窓の外を眺めて、太陽が西に傾き始めている事に驚いた。まだ太陽が東に昇っている時に図書室を訪れたはずなのに、開いている教科書のページは一向に進んでいない。集中力を妨げている原因には心当たりがある。机上に置かれた一通の封筒だ。アイスは頬杖を付き、じとりとした目で事の元凶を睨みつけた。
 昨晩、アイスがモストロ・ラウンジでの仕事を終えてオンボロ寮に帰寮すると、談話室でババ抜きをしているユウ、グリム、エース、デュースと鉢合わせた。エースの首元には相変わらずリドルのユニーク魔法の首輪がかけられたままとなっており、残念ながら許しを得る事が叶わなかった事を物語っていた。



「ルーレッド先輩!お邪魔しています!」

「今晩は、デュースさん……エースさんも。その様子からして、どうやら放課後もリドルさんに謝る事は出来なかったようですね」

「謝るどころか、意地悪な先輩達のせいで会う事すら出来なかったんすよ」



 エースはグリムが持つ2枚のカードをじぃと睨みつけたまま答えた。どうやら左がジョーカーらしく、エースの手の動きに合わせてグリムの表情が一喜一憂している。ニヤリと笑みを浮かべたエースが右のカードを掻っ攫うと、グリムは「ふな゛っ!!」と悲鳴を上げてその場にゴロゴロと転がった。



「ま〜た負けたんだゾ〜……オイ、エース!!もう1回!!」

「いいぜ?何度でもやってやんよ。ま、朝までやろうがオレには勝てっこないだろうけどね〜♪」

「朝まで!?分かってるのか?明日の『なんでもない日』のパーティーに遅刻でもしたら全てが台無しなんだぞ?」

「んな事分かってんよ!事の例えだろ、た〜と〜え!」

「……『なんでもない日』のパーティー……?」



 アイスはデュースが吐いた非難の言葉の中にあったある名詞に眉を潜めた。『なんでもない日』のパーティーとは、ハーツラビュル寮で代々行われているティーパーティーの事だ。法律に厳格なハートの女王を敬う寮らしく、パーティーは事細かな規則に沿って執り行われる。



「そうだ、そろそろ『なんでもない日』のパーティーを開催しようと思っているんだ。よければアイスも来るといい」



 そういえば、とアイスは先日リドルがクチにしていた科白を思い出した。開催日は毎回不定期だが、ハーツラビュル寮生の誕生日意外の『なんでもない日』に寮長の心一つで決定する。昼休みにエースとケイトが「バラに色を塗った」話をしていたが、どうやらこの準備の為だったらしい。



「あ、アイスさん、トレイ先輩から預かりものがあって……」

「トレイ先輩から?」



 思い出したように、ユウはポケットから封筒を取り出した。それはマロンタルト作りを終え、エースとデュースを連れてオンボロ寮に戻ろうとした時、困り顔のトレイが半ば強引にユウに握らせた物であった。



「はい。明日の『なんでもない日』のパーティーへの招待状って言っていました」

「そうそう!オレ様達、アイスが食いたいって言うからすっげ〜頑張ったんだゾ!マローーーふがっ!」

「マロ?」

「「い、いや、なんでも……」」



 腰に手を当てて胸を張るグリムのクチをエースとデュースが慌てて塞いだ。何故なら帰り際、トレイはこうも言っていたからだ。



「悪いが、アイスにはマロンタルトの事は内緒にしておいてもらえるか?この事はリドルから言った方が良いと思うんだ」



 確かに、マロンタルトを所望していたのはリドルだが、そもそもはリドルがアイスの要望を叶えようとしてトレイに要求した事が発端である。エースからしてみれば美味しいとことろをリドルに譲ってやるようで何とも許しがたいが、それもこれもこの忌々しい首輪を外させる為だ。



「あら……すみません、せっかくのお誘いなのですがトレイ先輩にはお断り頂けますか?」

「「「「えっ!?」」」」



 アイスが笑顔で首を縦に振るものと思い込んでいた4人は、眉尻を下げて封筒を受け取ろうとしない彼女の姿に目を丸くした。



「アイス先輩来ねぇの!?」



 手にしたトランプの束を放り投げ、エースが慌ててアイスに詰め寄る。というのも、彼の中でアイスは『なんでもない日』パーティーに無くてはならない存在だったからだ。暴君寮長のイエスマンである先輩達トレイとケイトに、まともな魔法が使えない同級生達ユウ・グリム・デュース……何か失態した時に自分をフォローしてくれる人物は皆無に等しい。明日の『なんでもない日』のパーティーで確実にこの首輪を外して貰うには、多かれ少なかれリドルに物言う事が出来、自分達1年生よりも魔法が上手なアイスが必要不可欠だったのだ。



「恥ずかしながら補修課題を2教科も頂いてしまって……授業の復習もありますし、明日は図書室に籠ろうと思っていたんです」

「そんなぁ〜…アイス先輩が居ればどうにかなると思ってたのに……」



 がっくしと肩を落とすエースには申し訳ないが、アイスとてそこまで頼りにされても困る。その気は無かったにせよ、現状リドルとは喧嘩別れに近い状態なのだ。今日の明日でリドルと対面するのは流石に非常に気まずい。当初の予定では出題された課題はその日の内に終わらせてしまうつもりだったが、聞きそびれてしまった2教科の復習をしなければならないのは事実なので嘘は吐いていない。しかしエースは諦めきれないらしく、ユウから封筒を奪うと強引にアイスに押し付けた。



「終わったらでいいからアイス先輩も来てよ!オレとアイスの仲じゃん!」



 そうは言うが、アイスとエースはまだ出会って2日しか経っていない。あまりの図々しさに呆然としてしまったせいか、自室に戻った彼女は自身の手で皺くちゃになった封筒を見てようやく断るのに失敗したのだと理解した。
 朝になり、予定通り4人でハーツラビュル寮へと出かけて行ったユウ達を見送ったアイスは、宣言した手前図書室に向かわないわけにもいかず、昨晩読み終えた参考書と突き返すのに失敗した招待状を抱えてオンボロ寮を出た。意を決して封筒に手を伸ばし封を開けてみると、中には簡単な時候の挨拶と『なんでもない日』の開催日時が記載された便箋が入っていた。断言はできないが、便箋が女子ウケの良さそうなデザインだった事とその字体からして、恐らくケイトが用意したものだろう。



「……何と言うか、まぁ……過保護な事で」



 アイスは首を左右に振り、気を紛らわすかのように昨日アズールから借りた授業ノートを広げた。普段であれば対価を警戒してアズールに頼み事などしないのだが、商売にするだけあって彼のノートの分かりやすさは相当のものである。授業で先生が発言した事、試験に出ると思われる重要項目、授業では触れない応用問題の解き方等々……。授業に出席出来なかったアイスからしてみれば、喉から手が出る程に欲しい情報である。アズールのノートと教科書を交互に見比べていると、不意に彼女の向かいの椅子がカタンと揺れた。



「すまない、邪魔したか?」

「いえ、全然……申し訳ありません、私の方こそ少し場所を取りすぎていたみたいですね。どうぞ、お使いください」

「助かる」



 見知った顔を確認して机上に散乱していた教科書や参考書を片付けると、音の主、ディアソムニア寮のシルバーは軽く頭を下げて抱えていた本を机に降ろした。



「『古代・中世の建築様式』『西洋建築史』『大聖堂の怪物』……どれも昔の建築に関する本ですね。魔法史の課題か何かですか?」

「いや、先日マレウス様にガーゴイルについて御教示頂いたのだが……まだイマイチ理解しきれなくてな。せっかく俺の為に時間を割いて下さったのにこのままでは申し訳が立たないので、少し自分でも勉強しようと思っていたところだ」

「成程、確かマレウス先輩の部活動は『ガーゴイル研究会』でしたね」



 シルバーの所属するディアソムニア寮の寮長、マレウス・ドラコニアは妖精族の末裔で世界屈指の魔法力を誇る生徒で、寮内・外問わず一目も二目も置かれる人物である。竜章鳳姿りょうしょうほうし才貌両全さいぼうりょうぜんの言葉が良く似合う彼は近寄りがたい印象を持たれがちだが、話をしてみると彼自身は非常に温厚で無礼な態度さえ取らなければ害の無い人物だ。



「嗚呼。学園内のガーゴイルについて説明して頂いたのだが、似たような装飾品との区別も難しくてな……」

「それで建築史の本を沢山持っていらしたんですね。ふぅむ……シルバーさん、ガーゴイルという名の由来はご存じですか?」

「それなら、水が流れる音の語根から派生しているとマレウス様に教えて頂いた」



 その通り、とアイスは微笑む。ノートを書き写すだけの単純作業に飽きていたアイスは、ペンを走らせながら更に説明を続ける事にした。



ガーゴイルgargoyleは『喉』という意味を持つガルグイユgargouilleに由来するとされています」

「『喉』という単語の語源が水音を表す事から雨樋を示す言葉にあてられたと聞いたが……俺は元々、ガーゴイルとは怪物のような装飾を指す言葉だと思っていたんだ」

「シルバーさんの認識も、強ちあながち間違いではありません。ある伝説によると、ガルグイユは沼地に住む化物の名前だったとか」



 ガルグイユは大蛇ともドラゴンともとれる姿をしていて、家畜を沼へ引きずり込んで捕食したり、火を吹いて火事を起こしたり、クチから水を吐いて船を転覆させたりしていたという。しかしある時、この地を訪れた大司教がこのガルグイユの退治を成し遂げる。大司教は町人に指示をして退治したガルグイユの身体を火にかけたが、どういう事か首だけは燃やす事が出来、燃え残った首は大聖堂に祭られる事になった。



「諸説ありますが、この首が雨樋としてのガーゴイルのモデルになったとも言われています。ガーゴイルとは言わば設備の名前なので造形に関しては特に取り決めはありませんが、魔除けや警告としての役割もあったそうですよ」

「魔除け?」

「ええ。怪物の造形を象る事で、その見た目の恐ろしさから悪霊の侵入を防ぐ一方、特に大聖堂では建物内に蓄積する罪の気を雨水と一緒に外部へ吐き出そうとしたそうです。動物の造形のガーゴイルも多々見受けられますが、これは古人が動物には建物を守護するチカラがあると考えていたからでしょう。例えば、東の方の国では、火災除けの呪いとして魚やシャチを模した軒飾りを施していたとか。恐らくガーゴイルも同様で、災厄を防ぐために様々な意味を持つ動物のチカラを借りようとしたのでしょうね」



 話し終えたアイスは、向かいに座るシルバーがあまりにも静かな事に気が付いてハッとした。というのも、シルバーと言えば授業中であろうがそうでなかろうが、気が付いたら目を閉じて船を漕いでいる事が多い青年なのだ。頭を前後に振っていたら何と抗議してやろうか、そんな思いを胸に彼の方に目を向けると、シルバーは眠っているどころか目を丸くして此方を見ているではないか。



「あら、随分と静かなので眠ってしまっているかと思いましたよ……どうかなさいました?」

「いや……随分と詳しいんだな」

「ふふ、貴方と同じですよ。以前、マレウス先輩に熱弁を受けた事があったんです」



 クスクスと笑うアイスを前に、シルバーはすっかり開いたクチを閉じるタイミングを見失ってしまった。彼は自身の護衛する主人が他者から一線引かれている事を良く理解していた。あまりに桁違いな彼の能力は敬意よりも畏怖として捉えられてしまうらしく、持ち前の堂々たる態度も相まってか、シルバーやリリア、他寮の寮長ら以外にマレウスに話しかける生徒など殆ど居ない。故に、アイスがマレウスとそれなりに言葉を交わす仲とは知っていたが、まさかプライベートな話もしているとは思わなかったのだ。



「マレウス様にもちゃんと学友がいたのだな……安心した」

「……何を勘違いしているか知りませんが、学友では無いかと」

「アイスがマレウス様の解説を経てガーゴイルの知識を深めたとご報告すれば、あの方もさぞお喜びになるだろう」

「本当、貴方も人の話を聞かない人ですね」



 ふぅ、と深い溜息を一つ吐いてアイスは再びノートの書き写しに集中する事にした。特にいつまでに返すと約束したわけではないが、持ち主が持ち主なだけに早めに返すに越したことはない。その様子をじっと眺めていたシルバーは、フッと笑みを零す。



「ようやく肩の力が抜けたな」

「はい?」



 意味が分からない、とアイスは眉を潜めるが、シルバーは特に気にする様子も無く続ける。



ココ図書室に来てから何度かお前の横を通ったが、ずっと思いつめたような顔をしていた」

「!?」

「何があったか、聞かない方が良いか?」



 瞠目どうもくするアイスに、シルバーは少し言葉を選んで問い掛けた。同級生とは言え、シルバーとアイスはそこまで深く付き合いがあるわけでは無い。知っている事と言えば、アイス・ルーレッドという人物は素行も良く、誰に対しても物腰柔らかに接し、一つ一つの所作も美しい女生徒だという事だけだ。だからというべきか、彼女の笑ったり、困ったり、驚いたりする表情は見た事があっても、激情したり、泣いたり、悩んだりする素振りは全く見た事が無く、どう接したらいいのか分からなかったのだ。
 一方で、アイスは至極動揺していた。シルバーに心の内を言い当てられた事は勿論、何より自分の知らない内に感情が表に出ていた事に対して驚きを隠せなかった。ギャンブルの基本とも言えるポーカーフェイスを彼女は得意としていた。感情を読み取られるという事は、相手に先手を打たれたり、足元を見られたり、将又はたまた弱みを握られたりと、いずれにしても此方に不利益を齎すもたらす事になるのだ。自身が覆す事の出来ないハンデを抱えていると理解しているからこそ、アイスは不自然にならない程度にしか感情を見せないようにしてきた、つもりだった。



「コラ!君達!図書室では静かにー!!!」

「な、何だ!?」

「……学園長先生?」



 アイスが言葉を詰まらせていると、図書室内にわんわんとクロウリーの叫び声が響いた。何事かとどよめく生徒らを他所に、彼女の第六感が脳内に『これは面倒事の前触れだ』と警報を鳴らし始める。アイスは素早く身支度を整えると、面倒事に巻き込まれる前にこの場を去ろうと席を立つ。



「アイス、帰るのか?」

「ええ、まぁ。シルバーさん、お気遣い感謝します。進級したばかりでまだ慣れていないのか疲れが出てしまったみたいで……失礼して早めに休みたいと思います」

「そうか……あまり気を張らないようにな」



 アイスは曖昧に微笑むだけで、明確な返答を返す事は無かった。彼女が何かに気を病んでいるのは明らかなのだが、どうも自分では役不足らしい。こんな時、マレウスであればどうするのだろうか。気の利いた言葉の一つや二つかけてやれるのではないだろうか。せっかくマレウスに出来た友人だというのに……。シルバーは自分に不甲斐なさを感じてはぁ、と溜息を吐いた。



「何じゃ、シルバーではないか。どうしたんじゃ、そんなに肩を落として」

「親……リリア先輩」



 『親父殿』と口にする前に、ギラリとリリアの瞳が光った。危ない危ない、人前ではその呼び名は禁じられているのだ。



「いえ、特には……」

「それが『何でもない』という顔か?悩みとはクチにするだけで気が楽になる事もある。ほれ、言うてみよ」

「……だとすれば…」



 だとすれば、クチにする事が出来ずにその胸の内に留めたままの彼女はは一体どうなってしまうのか。浮かない顔のシルバーに、リリアは表情を変えずに言い放つ。



「排水機能の備わっていない建物は、内から腐敗して何れは倒壊するだけじゃよ」


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