微笑クレイター
「あ!おーい、アイスちゃーん!」
オンボロ寮までの帰路を急いでいたアイスは、購買部に差し掛かったところで自分の名前を呼ばれて踏み出した右足をピタリ、と止めた。
幸いにも何事も無く図書館からの脱出に成功したが、誰がクロウリーに説教されているのかと考えた時に真っ先にアイス脳内を過ったのは他でもない、先日からオンボロ寮生となったユウとグリムの姿である。シャンデリアの件といい、エースの首輪の件といい、入学してまだ1週間も経っていないにも関わらず、連日の問題事の渦中には常に彼らの姿がある。アイスの想像通りであった場合、クロウリーに見つかろうものなら拒否権無く面倒事に強制参加させられていた事だろう。だからこそ、変なフラグを立てる前に自室に引きこもってしまいたかったのだ。
「そっか、図書館で課題やってたんだっけ?相変わらず真面目だね〜」
声の主がひらひらと手を振りながら近付いてくるのに気付き、アイスは深呼吸で本心を胸の奥に仕舞い、瞬時に綺麗な笑顔を作って見せた。
「ご機嫌よう、ケイト先輩。意地が悪いですね、あまりからかわないで下さい。勤勉な学生なら補修課題なんてもらうはず無いじゃありませんか」
「図書館に行ってたって事は自分で参考文献探したって事でしょ?真面目じゃなかったら教科書丸写しで済ませちゃうって。まぁ、そんな事がリドルくんにバレたら大目玉食らうんだけどさ」
ケイトは大袈裟に肩をすくませると、極々自然に右手を伸ばしてアイスの抱えていた荷物を奪い取った。
「その様子だと後は寮に帰るだけって感じ?ここで会ったのも何かの縁だし、優しい先輩が寮まで荷物を持って行ってあげよう」
「まあ、ありがとうございます。それではお言葉に甘えてよろしいですか?」
「勿論♪けーくんに任せなさい。その代わりってワケじゃないけど、ちょっとコレ持っててもらえる?」
直接では無いにせよ、『なんでもない日』のパーティーを断ってしまっただけにアイスはトレイやケイトに対してどこか気まずさを感じていた。本音を言えば早々にこの場を立ち去りたいのだが、淑女が殿方の申し出を無下にするなど言語道断。この場合、正しい選択は多少申し訳なさそうに眉尻を下げつつ、甘んじてその申し出を受け入れる事だろう。アイスは差し出された紙袋を受け取り、小さく頭を下げた。
「……そういえば、昨晩エースさん達から今日の『なんでもない日』のパーティーの招待状を頂きました。せっかくお誘い頂いたのに申し訳ありません」
アイスの言葉に、ケイトは眉をハの字にして「ははは」と乾いた笑いを浮かべた。可笑しな反応にアイスが首を傾げていると、彼は空いた手で頬を掻きつつゆっくりと口を開く。
「実は今日の『なんでもない日』のパーティーの準備でミスしちゃって、リドルくんをカンカンに怒らせちゃったんだよね」
「まぁ……それでは、エースさんの首輪は取れず仕舞いですか」
「それどころかデュースちゃんとグリちゃんもリドルくんに首輪付けられちゃったんだよ」
「はい?」
グリムはともかく、デュースはどちらかというと規則を重んじるタイプだった筈だ。そんな彼までリドルのユニーク魔法で罰せられるとは…。アイスの困惑した表情を察したのか、ケイトは大きな溜息を吐いた。
「今日のパーティーのケーキはマロンタルトを用意してたんだ」
「マロンタルト……?」
マロンタルトと言えば、先日アイスがリドルにリクエストしたソレと一緒だ。しかし、彼はその後に何て言っていただろうか。
「……確か、『なんでもない日』のパーティーにマロンタルトは法律違反になるのでは…?」
「え?!アイスちゃん知ってたの?」
「ええ、まぁ……リドルさんが、その様な事をおっしゃっていたので…」
アイスがそう言うと、ケイトは「あちゃー…」と額に手を当てがった。入学早々に寮長の座に着いたリドルは、自分にも他人にも厳しいその振る舞いから一般の生徒には敬遠されがちである。小柄な見た目と相反する高圧的な態度は特に上級生の反感を買う事も少なくないが、いざ学年主席の秀でた頭脳と優れたユニーク魔法を前にすれば、殆どの生徒は震え上がってまともに声も出せないのが現状だ。同じ寮のトレイやケイトを除けば、リドルとまともに会話出来る生徒はこの学園の中で両の手に納まる程度にしか居ないのだろう。その中でも、アイス・ルーレッドという女生徒はリドルと互いに友好的な関係を築いている数少ない人物だ。見た目も良く物腰も柔らかな彼女は、リドルに負けず劣らず非常に頭の良い生徒であった。寮長へ就任してから数日後、学園の廊下で偉くご機嫌な様子のリドルを見かけたケイトが何の気なしにその理由を尋ねてみると、彼は珍しく口元を緩めて「面白い同級生を見つけた」と言って笑ったのを覚えている。それから更に数日後、リドルから『なんでもない日』のパーティーに彼女を招きたい、と相談されて『面白い生徒』の正体が学園唯一の女生徒であると知った時は本当に驚いたものだ。トレイと揃って、彼の顔を二度見、三度見してしまう程に。
「こんな事になるなら先にアイスちゃんに相談しておくべきだったかー…」
学年が上がり、初めが肝心とばかりに最近のリドルは特に新入生に対して昨年以上に威厳を示すようになった。現に昨晩の彼の機嫌は最悪で、ハートの女王の法律第256条に違反したとして、一気に10人もの生徒が首をはねられてしまう始末。彼なりに職務を全うしようと必死なのだろうが、リドルが寮長として厳しく寮生を処罰すればする程に周囲の不満は高まっていく。今まではリドルに恐れをなして意見出来る生徒が居なかったが、今年は物怖じしないエース・トラッポラや意外と我の強いデュース・スペード、異質の監督生やモンスター等、一癖も二癖もある新入生が入ってきた。このままでは彼らの一言に感化され、ハーツラビュル寮内で暴動が起きかねない。だからこそ、今回の『なんでもない日』のパーティーには是が非でもアイス・ルーレッドという生徒の参加が必須だった。どんな形であれ、リドルはアイスに対して特別な感情を抱いている事は間違いない。その証拠に、彼は事あるごとに彼女を寮内のイベントに招きたがるし、昨日の食堂でアイスの無防備さに激怒した姿からもその想いの強さが見て取れる。彼女が食べたがっていたタルトをリドルが用意した、とお膳立てしておけば、多少の粗相が合っても切り抜けられると算段していたというのに…。
「エースちゃん達がリドルくんに謝る手土産としてマロンタルトを作るように勧めたんだけど、まさかケーキの種類にまで指定があるとは思わなくて。こうなったのはオレ達のせいでもあるし、何とかフォローしようとしたけど力及ばず……面目ない」
「規律に厳しいリドルさんがエースさんを叱咤する姿は想像出来ますが……それでも、やはり少し腑に落ちませんね。何故デュースさんやグリムさんまで?」
「怒ったリドルくんがマロンタルトを破棄しろって言った事が気に食わなかったみたい。まぁ、そうだよね。エースちゃん達、結構頑張ってタルト完成させたみたいだし」
「嗚呼、成程……」
結果として、リドルに暴言を吐いたエース、デュース、ユウ、グリムらをトレイ、ケイトによって強制退場させる事で場内の混乱は鎮火した。……かに見えたが、実際はその事がリドルの圧政に拍車をかける事となり、現在ハーツラビュル寮ではパーティーが終わって数十分しか経っていないにも関わらず、ルール違反した寮生の首が次々にはねられる非常事態となっている。
「で、流石にこのままじゃマズいと思って、オレやトレイくんで必死にリドルくんのご機嫌を直してもらおうと試行錯誤してる最中ってワケ」
アイスがケイトに言われるがままに手渡された紙袋を開けてみると、中にはより取り見取りの茶葉が入っていた。アイスに声をかける前に購買部で購入したソレは、どれもリドル好みのフレイバーティ―である。こんなもので彼のご機嫌取りになるとは微塵も思わないが、それでも無いよりは幾分かマシだろう。
「そうだ!アイスちゃんさえ良ければ、このままウチの寮まで来てくれない?リドルくん、今かなり行き詰まってるみたいで……アイスちゃんと話せば良い気分転換になると思うんだよね」
「えぇと……」
名案、と言わんばかりのケイトの提案に、途端にアイスの顔の筋肉が強張った。
「ね?オレ達を助けると思ってさ」
「それが、その……」
笑みを崩す事無く、アイスはケイトから視線を反らす。彼女の思いもよらない反応と煮え切らない態度に、ケイトはたまらず目を丸くした。それと同時に、彼の中で立てていた仮説が信憑性を増していく。それは、つまり……。
「重ね重ね情けない話なのですが、実は昨日のお昼にリドルさんと少々言い争いになってしまいまして……ですから、私が行けば益々リドルさんの気分を害してしまうと思うんです」
まさか、とは思っていた。アイスという女生徒は誰もが認める淑女であり、怒った姿など見た事が無かったからだ。前に一度、リドルがアイスと喧嘩した事があったと聞いたが、その時もリドルが一方的に彼女に叱咤するばかりでアイスの方は困ったようにそれを受け入れるだけだったと聞く。だからその時はここまでリドルの機嫌が悪化する事も無く、すぐに元の鞘に納まったのだろう。
「……うーん、アイスちゃんと喧嘩した事が要因の一つとはねぇ……」
「まさか、とは思いますが……。申し訳ありません、ご迷惑をおかけして」
「いやいや、アイスちゃんのせいじゃないって。学生なら一度や二度、誰かと口論することだってあるだろうし……それこそ、一昨日のエースちゃん達みたいにね」
とは言うものの、これで完全にリドルを宥める手は無くなった。本来であれば彼女と仲直りさせるのが一番の特効薬になるのだろうが、アイスがリドルに会う事を拒絶している以上それも叶わない。頼み込めば重い腰を上げてくれるかもしれないが、エース達の一件で癇癪を高ぶらせているリドルが冷静に彼女と会話出来るとも到底思えない。これは今晩も寮生何人かが尊い犠牲になる事は避けられないだろう。そうこうしているうちに、2人はオンボロ寮へと辿り着いた。預かっていたアイスの荷物を彼女に返し、ケイトは滅入った気持ちを押し殺して笑顔を繕う。
「それじゃあ、またね」
「ええ、重い荷物を運んで頂きありがとうございました」
相も変わらず、笑みを浮かべる彼女はとても美しい。しかし、自身に背を向けようと振り向いた瞬間、思わずケイトは彼女の肩を掴んだ。ケイト自身、思いもよらない自分の行動に目を丸くしたが、それ以上に目の前のアイスは面を食らったような表情で彼の顔を見つめている。
「……ケイト先輩?」
「え……っとぉ…いや、アイスちゃんは大丈夫かなぁって」
「私……ですか?」
掴んでしまった肩から手を離し、ケイトは手持無沙汰になった手で軽く頬を掻く。
「そうそう。さっきの様子だと、アイスちゃん、誰かにリドルくんとの事話したりしてないんでしょ?リドルくんはまぁ、何と言うか……ウチの寮生を巻き込んで感情表現してるけど、アイスちゃんはそんな事してないだろうし」
ケイトの言葉にアイスは眉を上げて顔をきょとんとさせたが、やがてスッと目を細めた。
「ご心配には及びません。リドルさんの事は大変心苦しくはありますが、私生活に支障は出さないつもりです。ケイト先輩なら、お分かりいただけると思いますけど?」
今度こそ、アイスは軽い会釈をしてオンボロ寮へと消えて行った。残されたケイトは暫くの間その場に固まっていたが、やがて彼女の肩を掴んだ時に抱いた違和感の正体が分かって嗚呼、と膝を打った。振り向き様、オンボロ寮へ足を踏み入れる瞬間、日頃目にする淑女の面影が無い程に彼女の表情から笑顔が消えた。つまり、普段自分達が見ている彼女と、素の彼女は異なるという事なのだろう。そして、別れ際にそれをまじまじと見せつけたのは恐らく、完全なる拒絶の証。
「……そっか、オレと同じか…」
まさか、寮も異なる生徒に見透かされてるなど思いもしなかった。ケイトは足元に転がっていた紙袋を拾い上げ、はぁ、と盛大に溜息を吐く。
「これは、思ったより長引くかもね…」
そう呟いたケイトはハッとした。自分は今、どんな表情でいるのだろう、と。
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