暴走プリーフェクト



 美しかった庭園は見る影もなく荒れ果て、青空の下では鮮やかに見えたペンキで化粧された薔薇達もすっかりよどんでしまっていた。宙を舞う薔薇の木々は、まるでリドルの心情を表現したかと思う程に荒々しく、轟々と音を立てて一直線にエースに向かっていく。その場に居た誰もが、この後エースの身に起こるであろう最悪の事態を想像して顔面を蒼白にしていた。



———カラン、カラン……



「………?」



 アイスの隣りで成す術も無く立ちすくむユウもまた、八つ裂きになった学友の姿に恐怖して顔を伏せる一人であった。目を閉じているせいか、 殷々いんいんたる風の音と薔薇の葉のざわめきが一層クリアに聞こえてしまうせいでユウは息の仕方を忘れそうになる。聞きたくない声、目の当たりにしたくない場景を拒み続けていると、彼の耳にどこかで聞いた事のある小気味好い音が飛び込んできた。そう遠い昔の話ではなく、随分と最近、それもこのツイステッドワンダーランド世界に来てから聞いたような気がする。ハッとして咄嗟にエースの方に視線を向けると、そこには思いもしない光景が広がっていた。



「!?これは……」



「……あ、れ?生きてる?何だこれ、トランプ?」



 リドルも、エースも、予想だにしていなかった展開に目を白黒させている。それもそのはず、エースに襲い掛かっていた薔薇の木々だけでなく、庭園に植えられていた全ての薔薇が跡形もなく消え失せ、彼の周りには何十枚……いや、何百枚というトランプが舞い散っている。



「薔薇の木が全部トランプに変わった!これは……」

「リドル、もうやめろ!」



 デュースが首を右往左往させる中、それまでかたくなに沈黙を守っていたトレイが神妙な面持ちで口を開いた。



「トレイの『ドゥードゥル・スート』!?えっ……どういうこと?」

「魔法封じの首輪が外れたんだゾ!」



 言われてみれば、とデュースが首元に手を当ててみると、確かに首の自由を奪っていた忌々しい首輪が綺麗さっぱり消えていた。思考が追い付かないのかケイトやグリムが驚きを露わにする一方で、アイスだけは一人満足そうにほくそ笑いを浮かべる。トレイのユニーク魔法、『薔薇を塗ろうドゥードゥル・スート』はリドルに誘われて参加したお茶会の席で何度か目にした事があったが、まるで手品のような披露の仕方に些かいささか疑問を持ったものだ。トレイは自身のユニーク魔法についてドゥードゥル子供の落書きのようなモノだと卑下するが、果たして本当にそうなのだろうか?



「言っただろ。俺の『ドゥードゥル・スート』は少しの間だけならどんな要素も上書きする事が出来る。だから……リドルの魔法≠俺の魔法≠ナ上書きした」

「うっそ………。そんなんあり!?チートじゃん!」



 一見するとお粗末なパーティー向けの魔法にも見えるが、そもそも『あるモノ』を『別のモノ』に変化させる魔法には高度な技術が必要とされる。それも変化可能な『要素』というのが実態のある物体だけでなく、目に見えない空気や魔法までもが対象キャンバス成り得るというのだから、その汎用性は計り知れない。時間制限があるといえ、使い方次第ではリドルの『首をはねろオフ・ウィズ・ユア・ヘッド』にも匹敵するユニーク魔法であると言えよう。魔法士にとってリドルの首輪で魔法を制限されるのが致命的であると同様に、リドルもまた自身の魔法を制限されては自慢のユニーク魔法を出す術も無い。



「く……っ、首をっはねろ!首をはねろったら!何でトランプしか出て来ないんだよぉ!」

「リドル、もうやめろ。これ以上はお前が孤立していくだけだ!みんなの顔を見てみろ!」



 その言葉に周囲に目を向けると、少し離れたところで此方の様子を窺うハーツラビュル寮生のすっかり怯え切った表情がリドルの目に映った。



「ほ、本気でやる気だったのかよ……」

「さすがにやり過ぎだろ……」

「バ、バケモノだ………」



 寮生たちは次々と畏怖の言葉をクチにするが、肝心のリドルはそれどころでは無い。絶対の自信を持っていた己のユニーク魔法がいとも簡単に打ち破られたのだ。それも、絶対の信頼を寄せていた幼馴染の副寮長に。



「は……?トレイに魔法を上書きされた……?ボクの魔法より、キミの魔法の方が優れてるって事?」

「そんな事あるわけないだろ。リドル、一旦落ち着いて話を聞け」

「キミもボクが間違ってるって言いたいの?ずっと厳しいルールを守って頑張ってきたのに!いっぱいいっぱい我慢したのに!ボクは……ボクは……信じないぞ!!!!!」



 友人と思っていたアイスも、幼馴染であるトレイも、結局のところ誰一人として自分リドルの思考を理解などしてくれていなかった。ルールは守ってこそ意味がある、守るからこそ秩序を保てる。そう教わってきたし、そう信じて過ごしてきた。なのに、今この場にはルールを疎かにする愚か者しか居ない。



「いけませんローズハート君!それ以上魔法を使えば、魔法石が『ブロット』に染まりきってしまう!」

「ボクは……ボクこそが!!!絶対、絶対、正しいんだーーーーー!!!!」

「リドルーー!!」



 ユウは漏れそうになった嗚咽をぐっと飲み込んだ。突然薄気味悪い漆黒がリドルの身体から溢れ出たと思えば、そのドス黒いオーラでみるみるうちに彼の姿も禍々しいものに変貌していく。



「ククク……ハハハハハハ!!ボクに逆らう愚か者ども。そんな奴らはボクの世界にいらない。ボクの世界ではボクこそが法律。ボクこそが世界のルールだ!返事は「ハイ、リドル様」意外許さない!ボクに逆らう奴らはみんな首をはねてやる!アハハハハハ!!」



 これにはさすがのアイスも思わず一歩身を後ろに退けさせた。オーバーブロット……その対処法や危険性は実践魔法の授業で習ってはいたものの、まさか自分がその現場に居合わせるなど考えた事も無かった。



「嗚呼、なんてことだ!私がついていながら生徒をオーバーブロットさせてしまうなんて!」

「オーバーブロットって何なんだゾ!?アイツ、めちゃくちゃ邪悪な感じに変わっちまった!」

「オーバーブロットは魔法士が一番避けなければならない状態です。彼は今、負のエネルギーに囚われて感情と魔力のコントロールを失っている」

「何かよくわかんねぇんだゾ!?」

「僕もだ!」

「あーもー!平たく言うと、闇堕ちバーサーカー状態って事!」



 グリムとデュースの言葉に、ケイトは「やれやれ」と頭を掻きながら口早に説明を付け加える。



「このまま魔力を放出し続ければ、リドル自身の命も危ない」

「命ぃぃぃ!!??」

「とにかく生徒の命が最優先事項です。他の寮生は私が避難させましょう。ローズハート君の魔力が尽きる前に正気に戻さねば。命を失う事も最悪ですが、さらに最悪なのは……」



 ……さらに、最悪なのは?



「……あの、学園長先生、それは一体……」

「だらあああ!くらえ!!」



 聞き捨てならないクロウリーの言葉にアイスがクチを開いたのと同じタイミングで、エースの叫び声が割って入ってきた。何事かと声のした方へ視線を移すと、無謀にも再びリドルにマジカルペンを向けているエースの姿が目に飛び込んでくる。



「「「「えっ!?」」」」



 目をひん剥いて唖然とするクロウリー、トレイ、ケイト、アイスを他所に、間髪を入れずに今度はデュースがペン先をリドルに向けた。



「いでよ!大釜!」



 すかさずグリムも飛び出し、自慢の炎をリドルに向けて放つ。



「ふな゛〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」



「……貴様ら、何のつもりだ?」



 3人の最大限の魔法も虚しく、リドルには傷どころか汚れ一つ付ける事も敵わない。ギロリ、と鋭い視線を受けながらも、3人は変わり果てた寮長から目を反らす事無く、次に魔法を放つタイミングを窺っている。



「ちょちょちょ、お前ら何やってんの?」

「アイツ、あのままじゃ大変な事になっちまうんだゾ!?」

「さすがにそこまでいくと寝ざめが悪い。それに……」

「まだ「ボクが間違ってました。ごめんなさい」って言わせてねーし!」



 正直、彼らの実力ではリドルに勝つ事は疎か、一矢報いる事すら出来ないだろう。第一、決闘を挑む程に嫌悪感を抱いていた相手に対してどうして危険を承知で挑んだりしているのだろうか。デュースの言う「寝覚めが悪い」には同意見だが、とは言えこれはリドル自身の所業が招いた結果……自業自得では無いか。アイスが眉間に皺を寄せている間に、エース達に感化されたトレイも意を決したように頷いた。



「……分かった!少しの時間なら俺がリドルの魔法を上書きできる。その間に頼む!学園長、寮生達の避難を頼みます」

「君達待ちなさい!危険です!」

「そーだよ!トレイくんまで何言ってんの?リドルくんに勝てるわけないじゃん!」



 ケイトの言う通りだ。リドルは1年生ながらに前寮長に決闘で勝利して今の座を手にした、2年生の中でも屈指の実力者なのだ。トレイのユニーク魔法は確かに強力ではあるが、オーバーブロットしてしまったリドルには魔法を制限する理性が欠如している。どんな強力な魔法も躊躇無く放つ彼に対して太刀打ち出来る訳がない。



「勝てる奴にしか挑まないなんて、ダサすぎんでしょ!」

「そんなの全然、クールじゃないんだゾ!」

「正気に戻すのにてっとり早い方法はこれしか思いつかないな」

「嗚呼、あいつを失うわけにはいかない。俺は……あいつに伝えなきゃいけない事があるから」

「こうなったら腹を括るっきゃない!」



 益々、アイスの眉間の皺が濃くなっていく。どうしてそこまで身を挺して立ち向かおうとするのだろう。間違いなく、クロウリーが他の寮長や教師を連れて来るのを待つ方が良いに決まっているのに。第一、同じ故郷で育った、同じ学園に入学した、同じ寮になったとはいえ、ただ『それだけ』じゃないか。所詮、赤の他人なのだ。



「………あ〜〜、くそっ!分かりましたよ。こういうの柄じゃないんですけどねー、ホント!」

「嗚呼、もう……生徒を避難させたら私もすぐに戻りますから!それまで耐えて下さい!」



 ついには乗り気でなかったケイトまでもが、渋々ながらもエース達に協力すべくマジカルペンを取り出した。



「監督生ちゃん、アイスちゃんを連れて下がっててね?」

「え……あ、はい!」



 ケイトの言葉に、ユウは弾かれるようにアイスの左手を取ってその場から後退する。そういえば、エース達に次いでトレイがリドルと対峙したあたりからだろうか。アイスはめっきりと言葉を発すのを止めてしまった。魔法について理解の無いユウであったが、クロウリーやトレイの必死な様子を前に、リドルの身が危険な状況にあるという事は嫌でも理解できた。



「どいつもこいつも、良い度胸がおありだね……。みんなまとめて、首をはねてやる!」

「このままじゃリドルの身体が危ない。手遅れになる前に止めないと」



 リドルを覆っていた禍々しいオーラは大柄な女性と思しき姿へと形を変え、エース達を威圧するかのようにリドルの背後で揺らめいている。腕に赤いペンキが滴る薔薇の木を手にしたソレは、リドルがステッキを振るのに合わせて薔薇の木を棍棒のように振り回し始める。



「ドゥードゥル・スート!」

「くそっ、くそっ!またボクの邪魔をするのかトレイ!」

「よっしゃー!これでリドルの首輪攻撃は封じたんだゾ!」

「でもそんなに長くはもたないよ。ピンチには変わりない」



 散在していたトランプが、1本、また1本と次第に薔薇の木へと戻っていく。先程トレイがかけた『ドゥードゥル・スート』の効果が切れたのだ。アイスは小さく舌打ちをする。対象とした薔薇の木が多かったせいか、想像していたよりもトレイの魔法の時間制限というのは短いようだ。薔薇の木の魔法が解けるまでの時間を逆算すると、確かにケイトが言うようにあと数分もしないうちにリドルにかけられた魔法は効力を失ってしまうだろう。



「ああ。俺が『オフ・ウィズ・ユア・ヘッド』を封じているうちに、早く!」

「うっぎぃいいいいいい!!!」



 身動きの取れないトレイの代わりに、エース、デュース、ケイト、そしてグリムが必死にリドルに魔法を放つも、地面を割る勢いで振り翳される薔薇の木に防がれてしまい手も足も出ない。



「コイツの魔力、底なしかよ!」

「絶対に…絶対に、ボクが正しいんだ!!」



 まるで幼子が地団太を踏んで駄々をこねているかのようだ。誰の言葉も耳に入れることなく叫ぶ中で、リドルはまるで自分に言い聞かせるかのように呟く。



「……そうじゃないと、ボクは今まで何のために……!!」

「リドル………!」

「トレイ、集中して!気を抜いたら押し切られる!」

「!すまない……」



 3年生が2人も必死に交戦して圧されている。それ程までに、オーバーブロットしたリドルのチカラは強大だった。



「………どいつもこいつもブラフばっかり……勝ち目のない決闘コールドテーブル程、興醒めなモノは無いね」

「え?……アイスさん…?」



 聞き取れないながらも、ユウの耳にアイスのものと思しき呟きが入り込んでくる。反射的に顔を向けたものの、彼女は顔を伏せているせいでその表情を窺う事が叶わない。



———カラン、カラン……



 また、あの音だ……。ユウはその正体を確かめようぐるりと辺りを一周したが、残念ながら特に変わった様子は見られなかった。リドルは相変わらず段違いな魔力で皆を圧倒しているし、トレイやケイトも限界が近いらしく、顔を歪めて必死にリドルの攻撃に耐えている。しかし次の瞬間、それまで退く事の無かったリドルの身体がけたたましい音と共に仰け反った。



「よっしゃあ!決まった!!」

「ふな゛ぁ!!見たか、オレ様の炎を!!」

「あんなにデカい大釜が出せるなんて……!!」



 三者三様に喜ぶエース、グリム、デュースの眼前には、長時間に渡って魔法を駆使し続けたせいか酷く疲労困憊した様子のリドルの姿があった。先程までユウの目にもくっきりと映っていた恐ろしい巨大な女性の姿は次第に薄れ始め、リドルはフラフラと身体を揺らして元の寮服へと姿を変えていく。



「ボクが…間違っていた…?そんなわけない、よね……お母…様…」



 彼の身体が地面に倒れこむ寸前で、トレイが何とかそれを阻止するのに成功した。慌てて息を確認するが、彼の胸が正常に上下している事を確認してようやくホッと胸を撫で下ろす。あれ程までに厚い雲に覆われていた空は美しい夕焼けへと姿を変え、轟々と音を立てて吹き荒れていた風は嘘のように穏やかにトレイの頬を擽った。



「……良かった、本当に……ね、アイスさん!」



 リドルの無事な姿に安堵したのはユウもまた同じであった。横たわるリドルは勿論、披露でその場にしゃがみ込んだグリム達にも目立った怪我は見られない。ユウは恐らく自分と同じ心情であっただろうアイスに話しかける。自分達の都合で連れ出してしまったせいで、無関係のアイスを恐ろしい目に合わせてしまったのだ。もしかしたら自分以上の恐怖を感じていたかもしれない、と。しかし、いくら待ってもいつもの柔らかな声は返ってこない。首を捻りながら隣りに視線を向けると、不思議な事に先程まで隣りに居た筈のアイスの姿は跡形もなく居なくなってしまった。



「……トランプ?」



 トレイの足元に、風に乗って『ドゥードゥル・スート』で要素を上書きしたトランプがハラりと舞い落ちた。拾い上げようと手を伸ばすと、トランプは薔薇の花弁へと変わってしまう。花弁はトレイの手をするりとすり抜け、風が運ぶままに空高く舞い上がった。


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