齟齬コンテニュー
日にちに換算すると僅か4日足らず、1週間にも満たない間の出来事であった。憎まれ口を叩きながらもリドルと和解したエースはデュースと共にハーツラビュル寮に戻る事を許され、事は一件落着となった……かのように思えた。
「あら、ユウさんにグリムさん。おはようございます」
あの一件の翌日、眠気眼を擦るユウがグリム共々オンボロ寮の談話室に足を踏み入れると、そこにはいつも通りにゴーストの淹れたであろうモーニングティーを楽しむアイスの姿があった。
「アイスさん!」
「オマエ、昨日あれから何処に行ってたんだ?急に居なくなったからビックリしたんだゾ!」
「それはそれは…申し訳ありません、慣れない事で少し体調が悪くなってしまって。あの場で倒れてもご迷惑をおかけするだけと思ったので、一足先に自室へ戻って休んでいたんですよ」
そう眉尻を下げた彼女は、手にしたティーカップに口を付けた。うーむ、毎朝目にする度に思う事ではあるが、何とオンボロ屋敷に似合わない優雅な光景だろうか。グリムの言う通り、昨日薔薇の迷宮で突然姿を消したアイスは、どこを探しても見つけ出す事が出来なかった。勿論彼女の行方が気にならなかったわけでは無いのだが、見るも無残になったハーツラビュル寮の庭園をそのままにしておくわけにもいかず、清掃に付き合わされたユウとグリムがオンボロ寮に帰った時には空はとっぷりとした青褐色で塗潰されてしまっていた。明かりが灯らないオンボロ寮内は妙に静まり返っており、沢山居るはずのゴースト達は皆出払ってしまっているらしく何処にも見当たらない。アイスの所在を確かめようにも尋ねる相手も居らず、かといって女性の部屋に不躾に立ち入るわけにもいかず、連日面倒事に巻き込まれて疲労困憊だったユウは自室に戻るなり眠気に襲われ、ベッドに倒れこむなり泥のように寝入ってしまったのだった。
「ユウさんとグリムさんは新入生なのに……情けない先輩で恥ずかしいですね」
「いや、そんな事……」
「ま、このグリム様は優秀な魔法士だからな!アイスが敵わないのも仕方が無いんだゾ!」
「本当に……ドワーフ鉱山の時と良い、グリムさんの魔法は素晴らしいです」
「にゃっは〜!アイスは良く分かってるんだゾ!おいユウ、お前もよく見習うんだゾ!」
グリムは至極ご機嫌な様子でふよふよとアイスに近付き、いかに自分の魔法が素晴らしかったのか力説し始めた。身振り手振りでリドルのオーバーブロットを止めた時の状況を再現するグリムに、アイスは口元に手を添えて楽しそうに相槌を打つ。トレイと話していた時にも思ったが、さすがは上級生……クラスメイトのエースやデュースには無い大人な対応である。
「ユウさん、そんな所に立っていないで、よろしかったらモーニングティーをご一緒しませんか?」
「アイス!このスコーン食っても良いか?」
「ええ、どうぞ。今朝焼き上げたばかりのをゴースト達が貰って来てくれたんです。暖かいうちに是非」
「オレ様コレ!このチョコチップた〜っぷりのヤツ!」
「あーあー!誰も取らないから、そんなにテーブルの上を散らかしちゃダメだって!」
あー、と大口を開けたグリムがスコーンにかぶりつくと、予想していた通りにボロボロとその破片がテーブルに散乱する。ユウがは慌てて駆け寄り、近くにあった布巾でそれらを綺麗にふき取った。
「ふふ、どうかお気になさらずに。さぁ、ユウさんもお好きなのをどうぞ?」
「はぐっ!はぐっ!オレ様!次はそのナッツが入ってるヤツ!」
「……ホント、グリムは食い意地が張ってるんだから…」
大きく溜息を吐いたユウに、グリムはムッと顔を顰めた。
「ハーツラビュル寮のパーティーでマロンタルト食い損ねたから、その分まで今しっかり食べてるだけなんだゾ」
「あ、それで思い出した」
ユウはスコーンに伸ばしていた手を引っ込めると、いつかと同様に帰り際に押し付けられた封筒を胸ポケットから取り出した。少し皺になってしまったが、昨日は疲れすぎて制服のまま眠りについてしまったのだ。その理由が理由なのだから、多少の事は大目に見て欲しい。
「はい、これ……ケイト先輩からアイスさんに、って」
「……私に、ですか?」
アイスは一瞬だけピクリと眉を上下させたが、すぐに何事も無かったかのようにユウに差し出された封筒を受け取った。そのまま何回か裏表を確認した後、ゴーストに頼んで持ってこさせたペーパーナイフで丁寧にその封を開ける。一昨日の件もある為少し警戒をしていたが、アイスが睨んでいた通り、ケイトはむやみやたらに彼女の内情に探りを入れるつもりは無いらしい。書かれているのは昨日の一件に巻き込んでしまった事、リドルの暴言に対する詫びの言葉と、数日後に改めて開催する『なんでもない日』のパーティーに招待するといった事であった。手にした紙に目を通すアイスの様子を、ユウは冷や冷やとした心持ちで眺めていた。詳細は分からずとも、書かれている内容は何となく予想が付く。別れ際にケイト自身から、数日後に開催する『なんでもない日』のパーティーにアイスを連れてきて欲しいと声を掛けられたからだ。確かにリドルがアイスに放った暴言は酷いモノであったが、恐らく本心からそう思っているわけでは無いのだろう。確信は無いが、トレイと学園長に連れられて医務室に行くまでの間、リドルがしきりに周囲を気にしていたのは間違いなく彼女の姿を探していたからだとユウは考えている。安否を知りたかったのか、謝罪の言葉を述べたかったのか……そこまでは定かでは無いが、それでも彼の中でアイス・ルーレッドという生徒は他人とは言い難い存在であると感じていた。手紙を一通り読み終えると、アイスはそれを元あったように折り畳んで封筒に戻す。
「……せっかくですが、今回も遠慮させて頂きたいと、ケイト先輩にお伝え願えますか?」
「え?いや…そりゃあ、昨日の今日でまだ気まずいかもしれませんが……」
「あら、勘違いなさらないで?お誘い頂いた日に、別の予定を入れてしまっているだけですよ」
封筒をテーブルの上に置き、アイスは少し冷めてしまった紅茶をまた一口、口に含んだ。
「それに……気まずいのは彼方の方では?だって、私には非はありませんから」
穏やかなはずなのに、その口調はどこか冷ややかである。まるで、ドワーフ鉱山で口論するエースとデュースに言い放った時のような……。
「申し訳ありませんが、立てた予定を崩す程に私の参加が必須とも思えませんし……パーティーは皆さんだけで楽しんでください」
やはり、美人は怒らせるべきではないのだ。自分の力量では、この美しい笑顔の淑女の心を動かす事は叶わない。トレイやケイトに何と伝えよう……ユウは大きく肩を落とし、人知れず頭を抱えるのだった。
+ + +
「それで、僕は良いように断り文句に使われたというわけか」
「あら、人聞きの悪い。先日、食堂でリリア先輩にお誘い頂いた時から伺う予定は立てていたんですよ?……まぁ、立てていた予定に対してアポイントを先に取っていたかは別ですが」
雲一つ無い絶好のパーティー日和となった今日、鏡舎を通ってアイスが訪れたのは学園きっての魔力を誇るマレウス・ドラコニアが治めるディアソムニア寮の談話室であった。ここに来るまでの間に見た空はどこまでも高く、清々しい紺碧であったのに、この寮はそんな美しい青空とは無縁のようで、室内を灯す明かりといえば転々と焚かれているライトグリーンの松明くらいだ。お陰でまだ昼間なのにも拘わらず、ディアソムニア寮内はまるで夜のように薄暗い。
「マレウス先輩こそ、式典にお呼ばれされなかった事で酷く落ち込んでいらっしゃったとか……心中お察しします」
「勘違いするな。僕は別に落ち込んでなどいない」
「入学式の夜なのに制服で出歩かれている事を不思議に思っていましたが、寮長が寮分けの儀式に出席しないだなんて前代未聞なのでは?」
「お前も中々言うようになったな、ルーレッド」
マレウスが少々口調を強めるも、アイスは素知らぬ振りで自身のスマホを注視している。暫くの間じぃ、と液晶画面に表示された数字を見て眉を潜めていたが、やがてフッと諦めたようにその電源を落とした。
「そんな数字ばかり見つめていて、何が楽しいんだ?」
「それを言うならマレウス先輩こそ、そんなレトロゲームの何が楽しいんです?」
アイスの視線の先には、豪壮な寮舎に似合わない小型のアナログゲーム機がローテーブルの上にころん、と転がっていた。確か、10年以上前に発売された育成ゲームでは無かっただろうか。アイスの通っていたミドルスクールでも、殆どの生徒が通学カバンにぶらさげて登校していたそのゲームは、確か当時社会現象になるまでに流行したと記憶している。
「僕の住んでいた茨の谷では、日常生活の中で機械仕掛けの物に触れる機会が皆無に等しい。昔、リリアが海外に行った土産にと買ってきてくれたんだが、コレを凌ぐ物には未だ出会った事が無い」
「成程……茨の谷では電子機器よりも魔法道具の方が流通しているんですね」
「ルーレッドの実家はこういった玩具を取り揃えていると聞いた。お前はやった事が無いのか?」
「うーん……私、どうもその手の電子ゲームは苦手で…。それに、私の実家が制作しているのはアナログゲームがメインなので、そういったモノには縁が無いんですよ」
同じミドルスクールの生徒が揃ってカバンに『がおがおドラコーンくん』を付けるものだから、ある日両親に「アイスも欲しくは無いのか」と問われた事があった。周囲があまりにも夢中になるものだから、全く興味が無かったかと聞かれると答えはNOだ。しかし、だからと言って「欲しいか」と聞かれるとそうではない。アイスが興味を持ったのは「何故そこまで夢中になるのか」であって、ゲームそのものでは無いのだ。
「まぁ、何を楽しいと思うかは人それぞれですから。私にとっては『ドラコーンくん』より、数字を見つめる事に心惹かれるというだけです」
「それはそうだろうが……ふぅむ……」
どこか納得のいかない様子で、マレウスはピーピーと鳴るゲーム機を手に取った。どうやら「お腹が空いた」というアラームらしい。世界で5本の指に入るという魔法士が甲斐甲斐しく『がおがおドラコーンくん』の世話をする姿は何とも滑稽ではあるが、目の前の先輩は色々な意味で規格外なお人なので最早何も思うまい。
「ところで、シルバーからお前が何かに悩んでいるようだったと相談を受けた。その後変わりあったか?」
「……一体何の事でしょう?シルバーさんの思い違いでは?」
「お前にはせっかく招待状が届いたというのに……無下にする気持ちが分からないな」
「先輩には関係の無い話です。女性の諸事情に首を突っ込むだなんて無粋ですよ」
「それに、いつまでその口調を続けるつもりだ?寮生は皆出払っていて今は僕だけだ。いつも通りで構わない」
アイスは小さく舌打ちをして、大きな臙脂色でマレウスを一睨みした。妖精族は彼女達人間とは異なり、とても長生きをすると耳にした事がある。もしそれが本当であれば、この目の前の美丈夫は一体幾つなのだろう。年の功の余裕なのか、アイスが酷く不服そうに顔を歪めているのに対し、マレウスは優雅にもソファに深く腰を降ろして小首を傾げて此方を見つめている。
「……僕がいつ、どこで、どんな話し方をするかは僕が決める事だ。貴方の指図を受ける謂れは無い」
分が悪くなり、アイスは席を立つとティーカップに残っていた紅茶をぐいっと一気に口に含んだ。
「何だ、もう帰るのか?」
「帰りたくなるような振る舞いをされれば、そりゃあね。僕も暇では無いので。コレ、有難くお借りしていきます。リリア先輩にもよろしくお伝えください」
アイスがひらひらと掲げたのは、マレウス伝手でリリアから借りたとある雑誌だった。しかし、その中身と言うのが何とも不可思議である。それこそ、先程彼女と会話をしていた内容に非常に不釣り合いなのだ。
「その手のモノは苦手だと言っていたのに……可笑しな奴だな」
「僕が苦手だからといって、興味を持つ前に切り捨てるのは愚か者のやる事です。何事にも興味を持って己の見識を広げる事が大切なんですよ。特に、僕みたいな立場の人間はね」
「……お前、そういう所はアーシェングロットに似ているな」
「やめてもらえます?全くもって不愉快だ」
それでは、とアイスは多少視線が低くなった美丈夫に軽く会釈をした。あまり長居しないつもりであったが、気付けばアフタヌーンティーの時間はとうに過ぎている。『なんでもない日』のパーティーを終えたハーツラビュル寮生と鉢合わせないようにするには、早々にオンボロ寮に帰った方が良さそうだ。
「ルーレッド」
暗いディアソムニアの堅い床にカツン、とヒールの音が響く。
「お前、ローズハートと諍いを起こした事、後悔しているのだろう?」
寮舎の天井がとても高いせいか、人気が極端に無いせいか、アイスの耳に届いたマレウスの声は壁に反響して四方八方から彼女を咎めているかのようであった。しかし、ゆっくりと振り向いたアイスは、いつもの柔らかい笑みを浮かべて穏やかな口調で言葉を返す。
「友人?そんなモノ、未だかつて作った事はありませんよ」
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