戯者バスト
淑女は柔らかく微笑み、エースの向かいに座っていたユウに視線でそこを変わるように促した。穏やかで気品を感じる所作の筈なのに、有無を言わさぬ威圧感を覚えるのは何故であろうか。長いまつ毛で覆われた臙脂色がスゥッと細まれば、ユウは飛ぶようにその場から退いて席を彼女に譲るのであった。
「えぇと……アイス先輩?」
「はい?」
「そのー……もしかして、怒ってます?」
「怒る?私が……?」
アイスは一瞬きょとんとした顔で瞳を瞬かせ、それからプッと吹き出したかと思えばクツクツと笑い始めた。
「可笑しなことをおっしゃいますね。貴方方はただ、学友同士でカードゲームを楽しんでいただけじゃありませんか。私が怒る要素なんて少しもありませんよ」
上品に口元を折り曲げた人差し指で隠し、淑女はふるふると肩を揺らしている。
「———ただ、私が仕事柄ボードゲームに目が無いだけです。何かを掛けるようなゲームは特に、ね」
目の前で笑う女子生徒の容姿が至極整っている事は周知の事実であるが、そんな彼女に真正面から笑顔を向けられてもエースは不思議と顔を赤らめる事は無かった。微笑むアイス・ルーレッドの笑みは正しく花のよう≠ノ美しい事に違いないというのに、エースの顔は血色が良くなるどころかむしろサァッと血の気が引くような感覚に見舞われている。そんなエースの心情を知ってか知らずか、アイスは何やらブレザーのポケットに手を入れると、そこから1つのダイスを取り出して見せた。
「カードゲームは私も大好きなのですが、アルバイト先でディーラーをさせて頂いているだけに少々飽きてしまっていたんです。せっかくですから、ダイスを使ったゲームなんて如何でしょう?カードゲームと比べてイカサマがしにくいと思いますよ」
「う゛……」
怒っていない、とは言うが、こうもチクチクと嫌味を吐かれては非常に居心地が悪い。
「さて、肝心の報酬ですが、エースさんが勝てばこのワッフルは全てエースさんに差し上げます」
「にゃにーっ!?」
アイスの言葉に慌てたのはグリムだ。目くじらを立てて突進する勢いで彼女に詰め寄っていく。
「オイ!オレ様そんなのぜってー認めないんだゾ!何でワッフルをぜーんぶエースにやんなきゃなんねーんだ!」
「あら、まるで私が負ける事が前提みたいな言い方ですね」
「酷い」と嘆く口振りとは裏腹に、アイスは表情を崩す事無く口元に弧を描いている。
「その代わり、私が勝てばエースさんの分のワッフルはお預けです。全てユウさん達で召しあがって頂きましょう」
ゆっくりと色を露わにした臙脂色がエースのチェリーレッドと交わった。
「さぁ、どうなさいますか?」
どうする、と聞かれてもエースは特別ワッフルが食べたいというわけでは無かった。確かにアイスが持ち込んだ紙袋から漏れる良い香りに食欲を擽られはしたが、食い意地の張っているグリムと違って妙な提案に飛びつく程に腹が減っているわけでも無い。しかし、アイスの挑戦的な瞳にプライドを刺激され、エースの中でゲームを断るという選択肢がどんどんと薄れていく。ワッフルよりも、目の前で余裕綽綽な表情を浮かべる淑女の鼻を明かす事の方がずっと魅力的に感じるのだ。
「……いいよ、乗ってやろーじゃん。後でグリムにぐちぐち文句言われても知んねーからな」
「それはそれは……ご忠告ありがとうございます。覚悟して挑む事としましょう」
やはり、アイスは顔色一つ変える事が無かった。
「これから始めようと思うのは、21(トゥエンティワン)……言わばダイス版のブラックジャックです。基本的なルールはブラックジャックと大差ありませんが、ブラックジャックがディーラー対プレイヤーなのに対して21(トゥエンティワン)はプレイヤー対プレイヤーでゲームが進みます。ブラックジャックをご存知であればルールは至って簡単。ダイスを振って出た目の合計がより21に近い者が勝ちとなります。ブラックジャックはヒットを選択するとカードを引きますが、このゲームではダイスを振る事がその代わりとなります。どうです?実にシンプルなルールでしょう?」
アイスの説明を聞いたエースは、目の前に置かれたダイスを鋭い眼光で睨みつけながら指で突き始めた。見た目も大きさも重さも、何の変哲も無い普通のダイスに見える。試しに何度か転がしてみたり、指の腹で妙な凹凸が無いか確認してみるが、それでも可笑しな所は全く見受けられない。アイスはそんな彼の様子を気にする事なく、更に言葉を続けた。
「ブラックジャックと同様なので補足は不要だと思いますが、バストした場合はその段階で負けが確定となり、ステイした時の合計点数が同じ場合は引き分けとなります。ブラックジャックと1番勝手が異なるのが、対ディーラーで無いが為にアップカード、ホウルカードという概念が無いので駆け引きする要素が少ない事くらいでしょうか?」
「……何となくだけど、ルールは分かった。それで、何回勝負にするんスか?」
「そうですねぇ……では、無難に3回で如何でしょう?エースさんは初めてでいらっしゃいますし、初回は私から始めますね」
そう言ってアイスはエースの手からダイスを摘まみ上げると、掌で数回転がして素早く机上に放り投げた。
———カラン、カラン……
放り出されたダイスは何度か目を変えて転がり、3≠フ目が出たところで小刻みに震え動かなくなった。
「では、続けますね」
静止したダイスを手の中に納め、アイスは続けて何度かダイスを振るう。出た目は6=Aそれから5・3・1と続き、合計値が18となったところで淑女はステイを宣言した。
「今ので要領は掴めましたか?」
「まぁね。オレは18〜21を狙ってダイスを振れば良いって事でしょ?」
「おっしゃる通りです」
アイスはダイスをエースの前に差し出した。
「さぁ、いつでもどうぞ」
相も変わらず余裕綽々なその様子に内心舌打ちをして、エースは差し出されたダイスを奪うように掴む。彼女がしていたように何度か掌でコロコロと転がし、様子見にと小振り机上に投げ打てばダイスはカッと音を立ててピタリと止まった。慌てて出た目を確認したグリムは、焦った様子でユウの頭をバシバシと叩き始める。
「6=I!どうすんだゾ!いきなり大きな目が出ちまった!」
「いや、でもまだ初手だし……。それに、6≠セったらアイスさんも何手目かで出してたじゃん」
ユウの言う通り、このゲームに於いて初手で何を出すかは全くゲームの進行に影響は無い。大事なのは、3手目終了時にどのような選択をするかである。勿論、そんな事はエース自身百も承知であった。ユウやグリムの会話に反応する事無く、素早くダイスを拾って何度かダイスを転がす。カラン、カランとダイスは目を出し続け、4回目で2≠出したところで高らかにステイを宣言したのだ。
「6・6・5・2……コレでオレの合計値は19!オレの勝ちだよね?」
「ええ。残念ですが、私の負けですね」
いきなり黒星発進となり、これには流石のアイスも眉をハの字にして「悔しいですね」と感想を零す。すっかりと気分を良くしたエースの様子に、デュースがムッと眉を潜めて苦言を申し立てた。
「確かにエースの勝ちだったが、お前の振り方、少し小さすぎじゃないか?ルーレッド先輩はちゃんと放り投げてたのに、お前が投げたダイスは殆ど転がってないだろ」
「うるせーなぁ、どんな投げ方したってオレの勝手でしょ。アイス先輩だって、投げ方にどやかく言ってないんだからいーじゃんか」
「ねぇ?」と食い気味に意見を求められたアイスは、少しだけ目を見開いたがすぐに「勿論」と首を縦に振った。
「どんなに小振りな振り方をしても、汗や手の皺、机上の傷等に左右されて出したい目を出すのは非常に困難な事です。私は一向に構いませんよ」
「ほらな!さっすがアイス先輩、話が分かる!」
再びダイスを手に取り、エースは繰り返しダイスを振り始めた。バストしないように注意して慎重に振った目は1・2・1・6・2・3・4と細かく数字を重ね、再び合計値が19となったところでステイを宣言する。すっかり元の調子に戻ったエースは、ニヤニヤと笑みを浮かべてダイスをずいっとアイスに押し付けた。
「ほら、次はアイス先輩の番だぜ。ま、オレの合計値は中々越せないと思うけどね♪」
「ふな゛ぁ〜……マズいんだゾ!このままじゃ、オレ様のワッフルがぁ〜……」
グリムはすっかりと尻込みしてしまい、エースに自分の分のワッフルを残すようにと懇願をし始めた。しかし、勿論エースが聞く耳を持つ筈も無い。
「アイス先輩が提案してきたんだから、文句はアイス先輩に言うんだね。何から食べよっかな〜?なぁグリム、お前は何が食べたかったわけ?」
「何!?オレ様に分けてくれんのか!?」
「バ〜カ!そんなワケ無いでしょ。これ見よがしに見せびらかしながら食ってやろうと思ってさ」
「くっそう!オマエ、ホントに性格悪いんだゾ!!」
ギャーギャーと幼稚な言い争いを始めるエースとグリムに、ユウは小さく溜息を吐いて額を押さえた。グリムはどこまでも、食べる事に対して貪欲なのだ。何と言っても、炭鉱やハーツラビュル寮の庭園で落ちていた真っ黒な石を食べてしまうくらいなのだから。もしこのままアイスがゲームに負けるような事になれば、間違いなく大騒ぎを起こして課題どころでは無くなってしまうだろう。ユウはげんなりと肩を落とした。しかし肝心のアイスはというと、グリムの非難の的に成りうるかもしれないというのに、まるで外野の騒音等聞こえていないような素振りで淡々とダイスを放っている。
———カラン、カラン……
小気味好く音を立てて転がるダイスは、何度か回転をして5≠フ目を上にすると動かなくなった。ダイスの目がこれ以上変わらない事を確認し、アイスは再びダイスを拾い上げて先程と同じように放り投げる。ダイスはカラン、カランと音を立ててコロコロと転がっていく。そうして段々と動きが鈍くなり、止まったダイスの目は先程と全く同じ数字であった。2回続けて同じ目が出る事は左程珍しい事では無い。現に、先程の勝負ではエースも2度続けて6≠フ目を出していたくらいなのだから。
———カラン、カラン……
エースとグリムは未だ騒ぎ続けており、デュースは至極呆れた顔でその様子を眺めている。アイスが3度目のダイスを振った事に気が付いていたのはユウ唯一人であった。
「……え?」
意図せず漏れた声に、ユウはハッとして口を押さえた。騒ぎの中心にいる3人組には届かなかったようだが、ソファに腰掛ける淑女の耳にはしっかりと聞こえていたようで、アイスはユウの方へ首を向けるとにっこりと微笑んで見せた。
「まぁ……こんな事もあるんですね。驚きです」
「え、あ、はい……本当に…」
机上でピタリと動きを止めたダイスの目は5≠ナあった。
「ハッ!ユウ、今どんな状況なんだゾ!?」
「えぇと……アイスさんの合計値は15だから、次で4∴ネ上を出せればその時点でエースの勝ちを阻止できるって感じかな」
「3∴ネ下が出ると……少し厳しいですねぇ…」
アイスの手から地に落ちたダイスは、カラン、カランと音を立てて机上で動き回っている。全員の視線を一点に受け、ダイスは次第に動きを鈍らせながら出目を表す。
「あら……残念、3≠ナしたか」
「これで18………エースの19を超えるにはあと1¢ォりない…」
「けど、4∴ネ上が出るとバストでその時点でルーレッド先輩の負けが決まる……」
ふぅむ、とわざとらしく溜息を吐いてアイスはダイスの目を覗き込んだ。その隣では勝利を確信したエースが意気消沈するグリムをこれでもかといじり倒している。たかだかワッフルの1つや2つと思うかもしれないが、何よりも食≠日々の楽しみとしているグリムにとっては世界が終わるのと同じくらいに絶望的な状況なのだろう。残念ながら、ユウには一生分からないであろう感覚だ。
「でも、ここで降りても負けになるんだし、アイス先輩はダイスを振るしかないんじゃね?」
「うーん、手厳しいですねぇ……」
そう言って、アイスは眉尻を下げながらダイスを拾い上げた。
「けれど、おっしゃる通り振るしかありませんもの……ね」
綺麗な放物線を描いて、ダイスはカツンと机に落ちた。あまりにも勢いよく落下した為、跳ね返ったダイスは軌道を変えてカラカラと転がる。6≠ェ出て転がり、5≠ェ出て転がり、回転を弱めながら1≠フ目が出る。そうしてそのまま最後の力でカタンと倒れて小刻みに震えた。
「……ふふ、グリムさんに責められるのは、もう少しお預けになりましたね」
「嗚呼、よかった」と彼女はホッと息を吐き微笑んだ。机上のダイスは黒い2つの星を浮かべて静止した。
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