掩蔽ノーメイク
昼休みになり、午前中の授業の全てでアイスの腰に引っ付いて離れなかったフロイドは、あれよあれよという間にアズールとジェイドに回収されていった。元より、彼らの種族の噛む力の強さは理解しているつもりなので、肉が引き千切られなかっただけ手加減しているのだろうが、ジェイドが赤黒く変色した彼女の首筋を見て一瞬固まったのをアイスは見逃さなかった。双子の片割れが見て引く痕だなんて、どんな力で噛んだのだと聞いてみたいものだ。まぁ、聞くと後が面倒臭そうなのでそんな事はしないのだが。
「アイス、ここ空いているよ」
学食でトレーを持ってウロウロしていたアイスは、声の主の姿を捉えてホッと息を撫で下ろした。
「ありがとうございますリドルさん、助かります」
ハーツラビュル寮の寮長、リドル・ローズハートだった。ナイトレイブンカレッジでは、実力さえあれば1年次であっても各寮の寮長に就任する事が可能だ。アイスと同学年で言えば、オクタヴィネルの寮長であるアズール・アーシェングロット、スカラビアのカリム・アルアジームがそれに該当するが、このリドルは入学後1週間で早々と寮長の座を奪い取った猛者とも言える。
「……で、どうしたんだい?その首元は」
「嗚呼、やはり目立ちます?午前の授業中に、フロイドさんとちょっと…」
「ふうん……前々から思ってはいたけれど、フロイドに目を付けられるなんてキミもつくづく運が無いね」
「……その言葉、金魚ちゃんには言われたくないな」
「その腹立たしいあだ名でボクを呼ばないでくれるかい」
アイスは小さくフン、と鼻を鳴らすと先程取り分けてきたばかりのランチプレートに手を伸ばした。ナイトレイブンカレッジでの昼食は人それぞれだが、基本的には今アイスがいる大食堂でとるのが一般的だろう。ビュッフェ形式で好きなおかずを選べるのはとても魅力的だし、様々な国から集まる生徒の事を考慮してバリエーションも豊富なのが嬉しい。今日のアイスはというと、青々としたグリーンサラダにバケット、それと大好きなカボチャをふんだんに使ったグラタンだ。フォークを刺すとほくほくのカボチャにチーズがたっぷりと絡み、見た目だけで食欲を何倍にも増幅させてくれる。
「アイス、一昨日もカボチャグラタンを食べてなかったかい?」
「よく見ていらっしゃる事で……別にいいだろ、好きなんだから」
「幼い子供じゃないんだから好き嫌いせずに何でもお食べよ。あと、口調が戻っているよ」
「おっと……失礼」
リドルに指摘され、アイスはキョロキョロと周囲に視線を配る。授業が終わってすぐに大食堂に来た甲斐あってか、食堂内はまだピーク前らしく生徒の姿も疎らで席も所々に空席が見受けられる。現にアイスとリドルが陣取るテーブルも、まだ彼ら以外の生徒が使用している形跡は無い。小さく息吐く姿に、リドルはやれやれと肩を落とした。
入学当初から何かと人目を惹いていたアイス・ルーレッドという人物と初めて会話を交わしたのは、初のD・E組の合同授業となった魔法薬学での事だった。魔法薬学とはいうが、1年生の最初で習うのは基礎中の基礎である薬草の種類とその見分け方について…所謂座学である。その頃にはアイスはすっかりフロイドに懐かれてしまっており、大柄な双子の間にちょこんと座り、ポーカーフェイスを保ちながらクルーウェルの話を黙々とノートに書き留めていた。
「……ところで、今説明した毒キノコだが、ここ最近で新たな活用法が確立されたらしい。分かる賢い仔犬はいるか?」
クルーウェルは切れ長の目で生徒らを一周すると、挑発的に鼻を鳴らして躾棒を構えた。生徒らは慌てて教科書を捲るが、リドルは知っていた。答えはこの教科書のどこにも書かれてはいない、と。先月、リドルは定期的に購読しているサイエンス誌のコラム欄にとあるキノコの活用法について記載されているのを目にした。十中八九、クルーウェルが今口にしたキノコで間違いないだろう。ただ、このコラム内ではあくまでも提唱である為、薬品の名称や事細かな効能については記載されていなかったはず。まったくもって底意地の悪い教師だ、とリドルは綺麗な顔を歪めて悪態の飲み込んだ。周囲の生徒らは相変わらず有りもしない記述を求めて教科書を読み漁り、指名されてたまるものかと一同揃って教師から視線を逸らす。これでは負け犬のソレでは無いか。痺れを切らしたリドルが、不服ながらも手を挙げようとしたその時だった。
「あの先生、少しよろしいでしょうか?」
穏やかな声色で品良く挙手をしたのは、学年一の有名人と言っても過言ではないアイスだった。クルーウェルは品定めをする様に発言の主に視線を移すと、「発言を許可してやろう」と躾棒を彼女に向ける。アイスは紅いルージュで染まった形のいい口元を上げ、「では」と話し始めた。
「昨晩の新聞にとある製薬会社が脳の活性化に効く薬剤を開発したと目にしました。まだ製品化前で詳細は伏せられていましたが、材料は『毒キノコとして駆除するにも跳ねて逃げるので除去が難しい種である』と書かれていましたわ。先生が今説明くださったキノコの特徴と酷似していますね」
「グッガール!目も開かない仔犬ばかりかと思っていたが……四つ足で立てる個体もいたとは嬉しい誤算だ」
「お褒めの言葉…と捉えさせて頂きますね」
にこり、と効果音が聞こんばかりに彼女は美しく笑った。周囲の生徒らその堂々たる発言っぷりに惚けた表情を浮かべ、アイスを囲んで座るリーチ兄弟は右から「グラちゃんかっこい〜」と、左から「アイスさん、今度その新聞貸して頂けませんか?」とステレオスピーカーの様な称賛を挙げている。
「アイス・ルーレッドさん、だね?少しいいかい?」
授業が終わり、リーチ兄弟に連れられ教室を出ようとしていた彼女を引き留めたのは、単純に彼女の優れた情報収集能力が知りたかったからだ。ミドルスクールの時も日々の習い事や授業の予習・復習等、リドルのアフタースクール・ルーティーンは多忙を極めていたが、ナイトレイブンカレッジに入学してからは今までのそれに部活動と寮長の業務も加わり、これまで以上にスケジューリングが困難となってしまった。少しでも参考になるのであれば、貪欲に優れた者から技術を吸収しようとするのが当たり前であろう。
「ご機嫌よう、ローズハートさん。私に何か?」
愛想良く答えたアイスは、背の高い双子の間から抜け出すと「追いかけますから先に行って下さい」と手を振った。これはフロイドに対しての科白だろう。フロイドが不服そうな声を上げる隣で、ジェイドはテンプレート的な笑みを崩す事なく彼女の言葉に頷いた。
「行きましょうフロイド。貴方、次の授業は防御呪文だったでしょう」
「そ〜いうジェイドは飛行術だっけ?オレあれ苦手〜」
2人の影が遠ざかるのを笑顔で見送ると、彼女は「さて」と此方に視線を向けた。じぃ、と綺麗な臙脂色の2つの瞳がリドルの姿を捉えている。
「わざわざ時間を作ってもらって申し訳ないね。簡潔に話すと、是非キミの学習方法を参考にさせてもらいたいんだ」
「私の、ですか?ジェイドさんに伺ったところ、ローズハートさんは学園一の秀才だそうですね。そんな方の参考になる様な教示は私には出来ませんが」
「先程の授業で君は『昨晩の新聞で』と言っていたね?僕も毎晩新聞は読む様にしているが、昨晩の魔法新聞にはどこにもそんな記事は書かれていなかった。恐らく、専門的な新聞の一角にでも書かれていたんだろう?ボクもジェイドからキミの学力も相当なものだと聞いている。普段の学習に加えて他にどんな情報収集をしているのか、とても興味があるんだ」
アイスの瞳が珍しく見開かれた。僅かだが、彼女のポーカーフェイスが崩れている所を見るのはこれが初めてだった。返答を待つリドルに、アイスはにんまり、と口元を緩める。そう、にんまり、と。
「驚いたな、まさか同学年で魔法新聞の隅から隅まで熟読している生徒がいるなんて」
とても楽しそうに表情を緩めた目の前の人物は、一体誰だ?リドルの知るアイス・ルーレッドはあどけなさが残りながらも、母から聞いた『淑女』という言葉が似合う女性だったはず。しかし、今自分の目の前にいるアイス・ルーレッドはどうだろう?初めて見る玩具を見つけて喜ぶ幼子の様ではないか。
「いいよ、教えてあげる。僕は趣味の一端で色んな事業の専門誌を購読していてね……さっきの授業で参考になったのは昨日の魔法経済新聞の記事だよ」
「驚いたのはボクの方だ……色々な意味でね」
「あ……いけない、つい口調が……ダメだな、気を緩めるとすぐボロが出る」
アイスは小さく舌打ちをすると、深呼吸をしてすぅ、と目を閉じる。静かに瞼を上げ、再びリドルに視線を戻すと、今度は困った様に眉尻を下げてリドルの知るいつもの綺麗な顔で笑みを浮かべた。
「教えて差し上げたんだから、素の私についてはどうか秘密にしてくださいね。対価として物足りないというなら、お勧めの情報誌を幾つか見繕いましょうか?気になる記事だけスクラップにしても良いのですが……きっと、貴方はご自分で知識を得る方がお好みでしょう?」
あの出来事以来、アイスは何かとリドルに構う様になった。彼女が約束してくれた情報誌の提供の他に、授業の進行具合や試験解答の確認等々。当初は見張られているのかと勘ぐっていたリドルだったが、その疑念を直接彼女にぶつけてみたところ、単に自分の知識に付いてこれる学友がいるのが新鮮なだけだと言い除けられた。
「何より、この学園の生徒はみんな背が高いだろ?フロイドやジェイドなんて特に……。リドルみたいに同じ目線で話せる奴がいると助かるんだよ」
ついでに屈託のない笑顔でそう付け加えられた。その日、リドルは初めて彼女と喧嘩をした。
思い出に浸るなんてらしくないが、気付けば彼女と知り合ってからもうすぐ1年が経とうとしている。相変わらずリーチ兄弟には付き纏われている様だし、他にも色々と危険分子が現れ始めた。先程からリドルの背後でずっと此方の様子を伺っているどこぞのお目付け役とか。
「本当、キミはどこまでも面倒事を連れてくる性質をしているね」
「聞き捨てなりませんね……私、面倒事が大嫌いなのですが」
すっかりとプレートに盛り付けた品々を完食したアイスは、食後のコーヒーを片手にじとり、とリドルを睨みつけた。確かに彼女の言う通り、彼女自身は極めて面倒事を嫌う性格をしているが、周りはそうはいかない。そもそも、面倒事が嫌いならナイトレイブンカレッジに入学することがまず間違いなのだ。
リドルの言葉に納得がいかないアイスだったが、ふと昨晩の出来事を思い出した。自分の使っていたオンボロ寮にやってきた魔力の無い少年と、見た事も無いモンスター。クロウリーですら体験した事の無い大事件だという彼らの存在は、今後自分の学園生活に悪影響を及ぼすのだろうか?
黙り込んだアイスに首を傾げながらも、リドルは「ボクはもう行くよ」と席を立つ。ハートの女王の法律・第271条『昼食後は15分以内に席を立たなければいけない』に反してしまうのだ。トレーの上に空のティーカップが置かれている所からして、食後のレモンティーは達成済の様である。
「そうだ、そろそろ『なんでもない日』のパーティーを開催しようと思っているんだ。よければアイスも来るといい」
「あら、ありがとうございます。謹んで参加させてい頂きますね。……そうだ、トレイ先輩にタルトの催促も是非。私マロンタルトが良いです」
今のは素のアイスの笑みだ。淑女のフリをしなくても、彼女はずっと魅力的だと思うのだが。
「『なんでもない日』のパーティーにマロンタルトは法律違反だ。それは別の日に食べにおいで」
「……相変わらず変な法律ですね」
「何か言ったかい?」
「いいえ、何も」
白々しく両の掌を見せ、アイスは「私も午後の授業に向かいます」とトレーを持って立ち上がる。まあ、寮に戻ってトレイに口添えくらいはしてやるか。明日の昼、改めて声を掛けたらどんな反応をするだろう?リドルはふふ、と息を漏らした。
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