警告プレデター



 温帯ゾーンへ足を踏み入れたアイスは、脳内に叩き込んだ案内図に沿って材料を採取していく事にした。
 今回クルーウェルから出された課題は制限時間内に『忘却薬』を生成する事である。ただ『忘却薬』を作るだけなら1年次の早い段階で経験したが、その時に習ったやり方ではとてもではないが制限時間内に薬品を完成させるなど不可能なのだ。恐らく、昨年習った材料と工程は最もポピュラーな薬品のレシピであって、様々に工夫する事でもっと効率的に薬品を生成する手段があるのだろう。様々な伝手を使って進級後の各授業内容について情報収集した甲斐もあり、少なからず事前に対策を打てたのは良かったものの、1年次に習った『忘却薬』は生成に半日かかったと記憶している。それをたかが2時間弱で作れというのだから、デイヴィス・クルーウェルという教師は全くもって良い性格の持ち主だ。
 材料採取に行く間際、クルーウェルは「散歩コースは仔犬共各位に任せるが、拾い食いせず、きちんとお使いをして戻ってこい」としかアドバイスをくれなかった。言い換えれば、学園の敷地内であれば材料採取の場所は問わないという事だろう。更に言うと、今回の課題は『どう採取するか』ではなく『何をどう使うか』がポイントになってくる。時間制限も厳しい中、材料の採取に手間取らせる様な課題の組み方はしないだろうから、恐らくこの『植物園』内で全ての材料が確保できるはずだ。

 アイスのいる温帯ゾーンでは、その名の通り温帯地域の特性が細かく再現されており、四季や雨季といった気候の変化までシステム化されていた。今は秋にあたる気候になっている為か、植物園のガラス張りの天井から見える綺麗な青空と相まって、ゾーン内はすこぶる過ごしやすい環境になっている。
 どうやら他の組は材料の選定に時間がかかっているらしく、今のところ温帯ゾーン内にはアイス以外の生徒の姿は確認できない。ただ、ここで安心して悠長にもしていられない。いくら園内の植物を自由に出来るとはいえ、栽培されている数や最終可能な数は限りがある。万が一他の生徒に先を越されようものなら、また一から薬品の材料を見直す必要が出てきてしまうのだ。それはいくらなんでも面倒臭すぎる。採取メモを握りしめて一心不乱に材料を積み漁る事早十数分、アイスの腕にかかる籠の中には様々な植物が詰め込まれていた。



「…苦薄荷ニガハッカにトモシリソウにシダの花、青楓アオカエデの樹液も取ったし、後は……」

熊葛クマツヅラは花が小さすぎて下処理に時間がかかりすぎる。美女桜バーベナが妥当だな」

「嗚呼、そう言われてみれば確かに……ん?」



 突如背後からかけられた声と、いつのまにか自分の手から抜き取られたメモ用紙。アイスは咄嗟に振り返ろうと試みるが、動揺で一瞬遅れをとった好機を声の主は見逃さなかった。彼女が反射的に距離を取ろうとするよりも早く、褐色の太い腕がアイスの上半身に巻き付く。



「材料的に課題は『忘却薬』の生成ってとこか……相変わらずつまんねぇ授業やってんなぁ」

「いっ、痛……レオナ先輩、顎が……顎が肩に刺さって…っ!」



 慌てる姿が愉快なのか、痛がる声に満足したのか、アイスは左肩越しに彼の喉がくつくつと震えるのを感じる。何とも悪趣味な男だ。尖った顎がぐりぐりと肩に押し付けられ、たまらず呻きにも似た声がアイスの口から漏れる。何事もなく口を開く事が出来たのなら、喉まで出かかった悪態が滝の様に流れ出てしまっていた事だろうから、この場合は不幸中の幸いとでも捉えた方が良いのなもしれない。メモを取られて手持無沙汰になった左手でぐいっとその頭を押しのけ様と藻掻いてみるが、血気盛んな寮生のトップに君臨するサバナクロー寮寮長、レオナ・キングスカラーにしてみればミーアキャットがキーキー喚いている程度に可愛らしい抵抗でしかなかった。



「可愛い後輩にせっかくアドバイスしてやってるのに、その態度はないだろ?」

「――――〜〜っ!!!!」



 テノールボイスで吐息交じりに言葉を放てば、こそばゆさからアイスの身体が面白いくらい跳ねる。普段鉄壁の笑みを浮かべている女がここまでペースを乱されているのだ。これが愉快と称さず何と言えというのだろう。



「そ、それはそれは…お気遣い頂きありがとうございます。……それで、先輩は何故こちらへ?」

「こんな良い天気の日に昼寝以外に何をしろっていうんだよ」

「……貴方、今年で何回目の3年生なのか自覚ありますか?」



 表情は見えないが、その表情が呆れかえっているだろうという事は容易に想像がつく。その態度が気に食わないと再び肩に乗せた顎に力を入れた。



「いっ……ちょっと、私は貴方と違って暇では無いんですよ……!」

「こっちだって別に暇してたワケじゃねぇ。せっかく気持ちよく寝てたのに、胸糞悪い臭いで起こしたのはアイス、お前だろ」

「はい?何です、その良く分からない責任転嫁は……って、ちょっと!」



 レオナは肩に乗せていた首を動かし、そのまま首筋に顔をうずめるてすん、と鼻孔を震わせる。この臭いには嗅ぎ覚えがある。先日の入学式後、ヴィルから噴きかけられたそれと酷似しているのだ。その時はあまりに唐突なヴィルの行動に威嚇の意味を込めて唸り声をあげたが(とはいうが、実際は入学式の大半で眠り呆けていた彼に対しての義憤の現れである)、今ようやく「寮長を筆頭にアンタのとこが1番タチが悪そうだから、勝手に害虫駆除させてもらうわよ」と続けた言葉の意味を理解した。普通の人間にとっては単なる香水にしか感じないのだろうが、レオナの様に鼻の良い獣人には分かる。品の良い香りの中に漂うローズマリーやミントといったハーブの匂いは、レオナ達にとって刺激臭以外の何物でもない。恐らくヴィル自ら調合したであろうこの匂いは、草食動物俺ら以外にとっては他のオスの存在を示唆する一方で、自分達の様に鼻の利く種族、特にネコ科の獣人にとってはその刺激臭で個体そのものを寄せ付けない役割を果たすのだ。



「……ッチ、ふざけた真似しやがって」

「ふざけてるのはどちらです?!嗚呼、そうですか。眠りを妨げてしまって申し訳ありませんでした。私は早々に立ち去りますからまた床に就いたらどうです?」

「お前もお前だ。この臭いだけでも腹が立つのに、何だこの痕は」

「ひ……っ!」



 空いた右手でつつ…と右首筋をなぞる。編み込まれた亜麻色の髪束に隠れて赤黒く主張する痕に、自然と眉間に皺が寄る。歯型と薄らと漂う潮の臭いでこの痕を付けた人物が一体誰なのか、大方予想はついた。そこら辺の草食動物より多少鼻が利くが故に、自分と同じ様に彼女が虫除け疑似マーキングされている事に気付いたのだろう。犯人フロイドが抱いた嫌悪感には同意するが、こればかりはいただけない。ライオンという生き物は、下位の生き物から奪う事はあっても、自分の懐から掻っ攫われるなど辛抱ならないタチなのだ。
 と、ここでレオナはある事に気が付いた。軽快な足跡と嗅ぎ慣れた臭い。間違いなく自分が温帯ゾーンここに居る事を分かった上で、何を考えどう動くかを想定していたのだろう。



「また面倒臭い奴を連れてきやがって……」

「……今は貴方以上に面倒臭い人はいませんよ………い゛っっだ!!!


 何だこれは、デジャヴか何かか?左首筋に走った激痛に、アイスの口からはらしくもない大声が発せられた。逃げ様にも先程から自分の身体を拘束したままの腕は一向に緩む気配がなく、じわりと目ににじみ始めた水滴を拭う事すら許されない。唯一、握りしめた籠をこの場に落とさなかった事だけは称賛を浴びてもいいのではないだろうか。次第に抗う事を放棄し始めたアイスの思考は自ずと明後日の方向へ向き始めている。



「………ッハ、まぁこんなモンか」

「な、何が……いい加減に…ッ!」



 アイスの歯がギリッと鳴るのと、その身が解放されたのはほぼ同時であった。すぐさまその場から飛退く様に距離を開けてようやく身体を対峙させれば、にやにやと憎たらしい程の笑みを浮かべた顔が臙脂色えんじいろの瞳に飛び込んできた。息を荒げて小刻みに肩を揺らす姿は、まるで仔猫が威嚇をしている様である。すっかり平常心が欠けてしまったのか、涙目ながらも眉を吊り上げて何か言いたそうにしている様も愉快で仕方が無い。



美女桜バーベナが植えられてるプランターは向こうだ。喧しいハイエナラギーを連れてさっさと戻れ」

「言われなくてもそうします!!」



 ひらひらと目の前に翳したメモをふんだくり、アイスは「アドバイスありがとうございました!」と怒号に似た声で礼を告げて足早にその場を後にする。行き場のない怒りが歩き方に表れているのか、ヒール音が必要以上に園内に響き渡った。フン、と満足げに鼻を鳴らしたレオナはのっそりと元居た大木の木陰に寝そべると、すっかりご機嫌な様子で尻尾をゆらゆらと揺らしながら「ふぁ」と大きな口を開けて欠伸を漏らした。

 一方で、少なからず事の終始を心配していたラギーは、張り付けた様な笑顔で現れたアイスに口元をひくつかせた。無事では済まないとは思っていたが、臭いといい噛み痕といい、マーキングのされ方が想像の域を超えている。



「申し訳ないのですが、魔法薬学室に戻る前に保健室に寄っても良いですか?」


 周知の事実であるが美人は怒らせると恐い。更に言えば、普段怒らない人が怒ると迫力が違う。一応は此方を気にかけてくれてはいるものの、その笑みの裏に「No」と言わせるつもりは微塵も無い事をひしと感じる。勿論賢い彼は抗うことなく、耳を後ろに反らせながらも「お供するッス」とヒール音の後を追う選択肢を取ったのだった。


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