しあわせ家族計画/azul&jade&floyd



※もしものお話
※お題「監督生幼児化+母性擽られるアイスちゃん」



 オクタヴィネル寮に構える学生カフェ、モストロ・ラウンジの見どころと言えば何だろうか。支配人である寮長アズールが趣向を凝らした品の良い店内の設えに、双子のリーチ兄弟を交えて研究を重ねたフードメニュー、ポイントカード制でアズールが悩み事を聞いてくれるというのも魅力的だ。その中でも特に人目を誘うのが、ラウンジ内で異彩を放つカジノカウンターである。ディーラーを務めるのが学園唯一の女生徒、アイス・ルーレッドという事もあり、不定期に開催されるゲームはラウンジの目玉イベントにもなっている。カジノとは言え学園内で金銭を用いた賭博を促すわけにもいかず、賭け事の景品はモストロ・ラウンジ内で使えるフードメニューのクーポンやサービス券等々。しかし、そもそもカジノへの参加権自体アイスによる招待制であり、ここに通い詰める多くの生徒の目的がカジノカウンターで美しく微笑むアイス自身なので、見返りの品に対しては大した問題では無かった。今日も今日とて、招待状を受け取った生徒がまた1人、アイスが取り仕切るゲームに参加しようとモストロ・ラウンジに来店したのだが、招待状を見せるや否や早々に出迎えのリーチ兄弟に深々と頭を下げられてしまった。



「せっかくお越し頂いたのに申し訳ありません、今日のゲームはアイスさんの都合が付かず急遽中止となってしまいました」

「えっ!?ルーレッドさん、体調悪いんですか?」

「いいえ、モストロ・ラウンジにはいらっしゃるのですが……アイスさんより、今日お越しの招待状持ちのお客様には、別日に改めてゲームを開催する旨をお伝えするように言い使っております。このままお帰り頂いても構いませんし、もしお望みでしたら特別席でお食事頂く事も出来ますが、いかがなさいますか?」

「………特別席?」



 ジェイドの言葉に、ポムフィオーレの生徒は首を傾げた。そういえば、カジノは開いていないというのにモストロ・ラウンジ内のあちこちにアイスのファンと思しき生徒が見受けられるのは何故だろうか。不思議に思いながらも「まぁ、せっかくなので……」と入店の意を伝えると、ジェイドは「承知しました」笑顔で席へと案内をし始めた。。



「今からご案内する席は少々特殊なオーダー体系になっておりまして……ドリンク1杯で30分、フードメニュー1品で1時間、最大90分までご利用頂けます」


 そう言ってジェイドが案内したのは何の変哲も無い、単なるボックス席であった。おまけに『特別席』と言う割には、案内されたボックス席には既に2人の生徒が腰を降ろしており、揃ってある方向に向かって熱心に視線を送っているよ。その内の1人が何度かカジノで顔を合わせた事のあるハーツラビュル寮生である事に気付くと、ポムフィオーレ寮生は無礼を承知で小さく彼の肩を叩いた。



「やぁ……何度かカジノでお会いした事がありましたね?」

「嗚呼、ポムフィオーレの……」



 愛想良く声をかけたはずなのに、ハーツラビュル寮生がどこか面倒くさそうに返事をするので、ポムフィオーレ寮の彼は気分を害したかのように少し表情を強張らせた。それに気付いたのか、ハーツラビュル寮生は苦笑して軽く謝罪の言葉をクチにする。



「悪い悪い、いいとこ邪魔されたもんだからつい……」

「いいとこ……?」



 ハーツラビュル寮生はくい、と顎を癪ってある方に目を向けるように促す。益々意味が分からないと訝し気に顔を顰めるポムフィオーレ寮生だったが、言われるがままにあるボックス席を視界に捉えて目を丸くした。



「はい、あーんして?」

「あー!」

「ユウくん、ぱくん、出来ますか?」

「……んっ!」

「まぁ、凄い!もぐもぐ、もぐもぐ……」

「もぐもぐ、もぐもぐ………あ!」

「ふふ、よく食べられましたね。えらい、えらい」



 ラウンジのほぼ真ん中に設置されたボックス席を陣取り、アイスは子供用の椅子にちょこんと座るユウに向けて夕食を与えていた。因みに、ユウの座る幼児用の椅子は勿論、食器やおむつ、知育玩具に至るまで全て先程購買部で揃えたばかりの新品である。『購買部で買えない物は無い』という全校生徒の共通認識があるとはいえ、まさか本当にこんな商品まで取り揃えているとは誰も思うまい。褒められて嬉しいのか、キャッキャッとユウがはしゃぐと、手元が狂って小さなクチにべちゃりとスプーンからリゾットが零れる。アイスは特に慌てる事も無く、テーブルに用意していたガーゼハンカチを手に取ると優しくそのクチを拭った。



「お食事中は、はしゃいじゃメッ、ですよ?」

「あいっ!メッ!ねっ!」

「ふふ、はい、お約束」



 微笑み合いながら細い小指と小さな小指が絡まる光景に、あちらこちらで恍惚のため息が漏れる。キッチンカウンターからその様子を見ていたフロイドは、あからさまに顔を顰めしかめた。



「げぇっ、何アレ。大体グラちゃんも頭おかしくね?『ラウンジの仕事を放棄して小エビちゃんユウさんの面倒を見る代わりに見世物になれ』だなんてよく頷いたよなぁ」

「まぁまぁ。そうは言っても、あの状態のユウさんの面倒を見ながらラウンジの仕事を手伝ってもらうのは困難ですし、元々アイスさんは自分の見た目を商売にする事に対して躊躇しない人ですから」



 片割れはそうは言うが、フロイドの機嫌は悪くなる一方だ。確かに日頃から彼女の秀でた容姿を商売に利用してはいるので、根本的な商法はいつもと差異は無いのかもしれない。しかし、いつもであれば何かとカジノカウンターの立ち寄る度にアイスにちょっかいを出せるのだが、先程ボックス席を訪れて彼女の隣りに座ろうとしようものなら「ユウの面倒を見るので手いっぱいだから来てくれるな」と一刀両断されてしまった。



「あ〜つまんねぇ……もう帰っていい?」

「ダメに決まっているでしょう。第一、アイスさんにユウさんの面倒を見るよう勧めたのはフロイドだったと聞きましたが?」



 アズールは呆れ顔でキッチンカウンターに頬杖付くフロイドにそう言い放った。今日は何やらツイステッドワンダーランドで今最も人気のスナックフード企業と商品販売権を巡っての交渉と言っていたが、彼の表情からして事は上手くいったらしい。アズールはカウンター前の椅子に腰掛けると、くるりと振り返ってラウンジ内の視線を独り占めしているボックス席に目を向けた。



「フフフ、思った通りだ!アイスさんはただそこに座ってユウさんの面倒を見ているだけにも拘わらず、少し特別なサービスを思案するだけでクレームどころか客が喜んで金を落とすシステムが出来上がる!ジェイド、今日の売り上げ予想は?」

「カジノのチップが見込めない分不安でしたが、このまま伸びてくれれば普段の1.5倍にはなりそうですね」

「完璧だ!」



 アズールが声高らかに自分を褒め称える横で、ジェイドはいつものよう似たまま口角をキュッと上げたまま、口元に指を添えてボックス席を見つめていた。すっかりお腹もいっぱいになったせいか、ユウは目を擦りながらぐずり声を上げ始めている。アイスはゆっくりと席を立つと、小さな身体を慣れた手つきで抱き上げて優しく背中をぽんぽんと叩く。アズールがオーバーブロットした先の一件から比較的色んな表情を見せてくれるようになったものの、彼女は今までに見たた事が無いくらいに優しい顔をしていた。



「アズール、さっきので商談終わったんでしょ?だったらグラちゃんと小エビちゃんの面倒見るの変わってよ」

「何で僕が!?大体、人間の子供のあやし方なんて知りませんよ」

「オレ、これ以上小エビちゃんにグラちゃん取られてんの我慢なんねーんだけど。ジェイドも何とか言ってよ」



 唇を尖らせる相方にジェイドは眉尻を下げた。



「おやおや、僕に賛同を求めないで下さいよ」

「よく言うよ。ジェイド、さっきから全然笑ってねーじゃん」



 流石は長年連れ添った相方と言うべきか。実に的を得た指摘にジェイドのこめかみがピクリと動いた。フロイドの言う通り、随分と前からジェイドの心中は何とも穏やかでは無かった。かと言って、別にフロイドのようにユウに対してどうこう言うつもりは無い。恐らくアズールがそうであるように、アイスの女性らしい意外な一面を見れた事に対しては非常に満足していた。初めて見る人間の子育てはとても興味深いし、見続けているうちに柄にもなく「もし、自分が彼女とつがいになれたのなら、こんな風に家庭を築くのだろうか」なんて妄想じみた考えも頭を過ったくらいだ。だが、自分以外の思念も彼女に向けられているという事実はどうもいただけない。



「お前達、忘れているようですが今は勤務中ですよ。いい加減にクチではなく手を動かしなさい」



 アズールがジロリと睨むと、フロイドは舌打ち一つ残してキッチンの奥へと消えて行った。次いで、「お前も早く持ち場に戻れ」と言わんばかりの視線がジェイドに向けられる。相も変わらず気が乗らないが、それでも仕事は仕事なのだ。深呼吸一つしてホールに戻ると、ボックス席の彼女がそれに気付いて声を上げた。



「あ、ジェイドさん」



 ユウを抱いている事で両手を塞がれているせいか、ひょこひょこと背伸びしながら訴えている姿は何とも滑稽だ。思わず吹き出しそうになるのを我慢して、ジェイドは紳士的な振る舞いで彼女に歩み寄った。



「はい、どうかしましたか?」

「申し訳無いのですが、そこに置いた私の上着を取って頂けませんか?」



 アイスの視線の先を辿ると、元々彼女が座っていた席の横に綺麗に折り畳まれた制服の上着がある事に気が付く。



「動きづらかったので脱いだものの、店内の空調で少し身体が冷えてきまして……。しゃがもうとすると、ユウさんがぐずって起きちゃうんです」

「嗚呼、そういう事ですか。勿論構いませんよ」



 上着を拾い上げてアイスの肩にかけようと近付けば、くぅくぅと気持ちよさそうに寝息をたてるユウの姿が視界に入ってきた。そういえば、フロイドが彼は1時間で1歳元の年齢に近付くのだと言っていたが、確かに開店前に見た時と比べて幾分か身体が大きくなっている気がする。



モストロ・ラウンジここに来たばかりの時と比べて、少し成長しましたか?」

「あら、そうでしょうか?ずっと見ていると少々疎くなってしまうようで……言われてみれば確かに、先程抱き上げた時よりも重くなっている気がしますね」

「人間の子育てとは大変ですね。僕達は海の中で育てられたので、重力という概念は無いに等しいのですが……」

「確かに……抱き上げる重みを感じないのは羨ましい事ですね。その代わりに、動ける範囲が足の着く範囲だけという点では些かマシなのかもしれません。人魚である貴方達は、四方八方どこへでも泳いで行ってしまうでしょう?」



 アイスは短い腕を精一杯回して必死に首元にしがみつくユウに頬ずりをして、そっと耳元で子守唄を歌い始めた。本当に、自分達人魚彼ら人間の子育では相違する事ばかりだ。そもそも、人間と自分達とでは1回の出産で出来る兄弟の数が異なっている。彼ら人間が一度に出産するのは1人、多くても2、3人なのに対してジェイドやフロイドには数万の兄弟が存在していた。……とはいえ、生まれたばかりの彼らはとても小さく、弱く、脆い存在であるが故に、それが兄弟であると認識する前にこの世から去ってしまう個体が殆どである。自分達も間違いなく、両親の愛情とやらを受けて育ってきたのだが、その愛情が数万分の一から数十分の一、更に二分の一にまでに増えたのはミドルスクールに上がる少し前になってからの事だ。だから、彼らには幼少期に両親に頭を撫でられ、子守唄の中まどろんだ記憶など無かった。写真も、ビデオも、二分の一の愛情も、何もかもがミドルスクールへ通うようになってから始まったものであった。しかし、だからといってその事が不満というわけではない。むしろ、それが当たり前だったのだ。
 そんな風に物思いに耽ていたジェイドは、ふとある事に気付いた。先程からあれだけ彼女(とユウ)の行動に欣喜雀躍きんきじゃくやくしていた周囲が随分と静かなのだ。不思議に思い何気なく適当な生徒の様子を伺えば、どの生徒は苦虫を噛み潰したような顔で此方を見ていた。はて、と疑問を持ちながらも、何の気なしにユウの頭へ手を伸ばすと彼らの表情はより一層強張っていく。



「……嗚呼、成程…」



 そこでようやく納得した。これは恐らく、先程自分が彼らに向けていた感情に酷似しているのだろう、と。今、彼らは自分たちが脳内に思い描いていた理想に入り込んできた邪魔者ジェイドに嫌悪感を抱いているのだ。誰でも憧れる雌の隣りに立つのは自分でありたいと思うものである。自分以外の雄が立つ姿を見たいと思う者が居るものか。
 一方で、アイスは急に他所を向いて笑みを深めたジェイドに訝し気な視線を送っていた。彼との付き合いは左程長くは無いが、この表情は何度か見た事がある。碌な事を考えていないときの顔だ。



「ところでアイスさん、ずっとユウさんを抱き上げたままですし、少し休憩してはいかがでしょう?」



 警戒していた矢先に思いもよらない言葉をかけられ、アイスはギョッと目を丸くした。一体何を企んでいるのかと疑わしい事この上無いが、アイスの腕が限界を迎えつつあるのは事実であった。ただでさえ眠っている子供の体重とは重く感じるもの。それに加えてユウの身体が成長して体重も増しているのか、彼女の腕は変な筋肉がぴくぴくと痙攣を起こし始めている。



「お気遣いありがとうございます。でも、降ろしてしまうとユウさんが起きちゃいますから……」

「それでしたら僕が代わりに抱いてましょう。どのみち、頃合いを見て起こしてあげた方が良いんじゃありませんか?あまり寝かせすぎて夜眠れなくなってもいけませんし」



 実に癪ではあるが、ジェイドの言う事は最もである。弟達の時に経験済みだが、夜中眠らない子供程恐ろしい生き物はいない。変に昼寝をさせすぎた夜は、有り余った体力を100%使いきるまで眠りに就こうとしないので何度手を焼いた事か。アイスがおずおずと視線で了承の意を示すと、ジェイドはにっこりと笑って彼女の首に縋りつく幼子の身体を引き取った。ユウは思いのほか手のかからない子供らしく、引き離した時に「ふぇ……」と僅かに鼻を鳴らしたが、すぐにジェイドの首に手を回して再びすやすやと夢の中へ戻って行ってしまった。



「……噛み付いたり落としたりしないで下さいね」

「これは酷い……随分と信用が無いんですね、僕」



 すんすん、とわざとらしく鼻をすするジェイドを後目に、アイスは随分と前に用意してもらったアイスティーに手を伸ばした。グラスはすっかりと汗をかいてしまっており、中身も氷が解けて当初よりも少しばかり色が薄くなってしまっている。しかし、そこは舌の肥えたアズールが厳選した茶葉なだけあり、グラスに顔を近付けるとふわりと薔薇にも似た香りが鼻孔を擽る。味も薄まってしまってはいるが、渋みも爽やかで飲みやすいディンブラだ。



「へぇ……茶葉を新しく仕入れたんですね。凄く美味しいです」

「それは良かった。アズールが喜びますよ。その茶葉に辿り着くまでに連日何杯も試飲を繰り返していましたから」



 『貴方の為に』という一言がジェイドのクチから発せられる事は無かった。昔からの好みよしみもありアズールの事はそれなりに気に入ってはいるものの、今回に関してはフロイド同様でこんなに不愉快なシステムを作った彼に多少なりとも不満を感じているのだ。店の収益の為と言えば分からなくも無いが、ささやかな報復をしても罰は当たるまい。そんな彼の心中などを知る由も無く、アイスは自分好みのアイスティーにすっかりご満悦の様子だ。



「……交代して頂いておいて何ですが、こんな所で油を売っていて良いのですか?仕事、まだあるんじゃありません?」

「ご心配なく。今日は殆どの席が時間制のお陰で随分とお客様のご案内やオーダー取りが楽なんですよ」



 ふぅん、と鼻を鳴らしながらも、アイスは一向にくわえたストローを離そうとはしない。余程気に入ったのか、分かりやすい態度にジェイドは苦笑した。



「そこまでお気に召したのでしたら、今度淹れ方をお教えしましょうか?」

「あら、是非。ウチオンボロ寮のゴースト達にも伝授頂けると助かります」

「その代わりに、僕も一口頂いても?少々喉が渇いてしまいまして……申し訳ないのですが、両手も塞がれてしまっているので、飲ませて頂けると助かるのですが」



 アイスは「何だ、そんな事か」と言わんばかりの顔で手にしていたグラスをジェイドの口元に近付けた。周囲からの刺すような視線などまるで無視をして、ジェイドはストローにクチを付けると冷たいアイスティーを喉に流し込んでいく。距離が近くなったのを良い事に、アイスは酷く呆れた表情で小さく言葉を漏らした。



「せっかく僕が身をていしてやってるんだ。テキパキ働いて僕のチップ分まで稼いでもらわなきゃ困るんだけど」

「それもご心配には及びません。今日はフードのオーダー率も良いので、このままいけばそれなりの売り上げになりますよ」

「なら良いけど……僕はタダ働きは御免だよ。今日の給料はキッチリ支払ってもらうからね」



 じぃ、といさめるような視線と同時にトン、と人差し指で軽く身体を小突かれる。ジェイドは抱えていたユウをアイスの腕の中に戻して静かに微笑み返した。



「お任せください。……なんか、こういうの良いですね」

「……?何がです?」



 小首を傾げたアイスをそっと席に座らせ、いつも以上に低くなった彼女の頭をそっと撫でてやった。



つがい……嗚呼、人間だと夫婦と言うんでしたっけ?こんな感じなんですかね?」

「……貴方が家族に興味を持つだなんて、意外ですね」



 アイスは悪びれる様子も無く、どこか感心したように呟いた。リーチ兄弟は共通して、広いようで狭い世界で物事を見ている。好奇心旺盛な彼らは見た事が無い、分からない、知らない物事に関して誰それ構わず貪欲に首を突っ込んでいく傾向があるが、それは他者との交流を深める為ではなく、自分達の欲求を満たす為の手段に過ぎない。つまり、他者に興味が無いのだ。彼らの世界には相方がいて、アズールがいて、それ以外の人物は全て乱雑に袋詰めにされてその辺に放置されている。たまに袋の紐を解いて、中を漁り、その瞬間に興味を持った人物を取り出して自分達の世界に置いてみる。だが、興味が失せれば躊躇無く再び袋の中に放り投げ、袋の奥深いところに沈めて忘れてしまう。



「僕だって雄ですからね。それなりに今後の事を思案したりはしますよ。そうですね、例えば……」

「え?は?」



 ジェイドはスッと身を屈め、アイスの耳元にクチを寄せた。



「行ってきますね、アイス」



 次の瞬間、彼女の頬に何か柔らかいモノが触れた。低く甘い声が耳から全身へと伝わり、アイスはぞくっと身震いさせる。思考が追い付かず、暫くの間ぴたりと動きを止めてしまったものの、やがて我に返ったのか随分と血行の良くなった顔がバッとジェイドに向けられた。



「僕の理想では「行ってらっしゃい」と微笑んで頂きたいのですが……お願い出来ますか?」



 どこまでも良い笑顔がアイスの頭上から降ってくる。アイスはギリリと歯を鳴らし、腹いせとばかりに彼の長い足を蹴り上げた。流石に痛みには態勢が無いらしく、ジェイドは少しよろけて再び身を屈める。すかさずアイスは首を伸ばし、仕返しとばかりに替えの耳元で呟いた。



「さっさと稼ぎに行ってらっしゃい。旦那様」



 臙脂色えんじいろがギラリと光る。どうやらこれが最後通告のようだ。ジェイドは「はい」と笑顔で返事をすると、空になったグラスを手に取ってくるりと振り返った。視界に入ってくるのは沢山の羨望の眼差しと、カウンターで真っ赤になる支配人、それと酷く不貞腐れた様子の相方の姿。先の無数の視線はさて置いて、残りの2つの視線に関してはお小言を免れそうにない。まぁ、それでも良いものを見れた御代と考えれば随分と安いものだ。
 ジェイドの心の中のジオラマにはいつも決まった人物が並んでいる。自分と相方、それからアズール。ナイトレイブンカレッジに入寮してからは、そこに亜麻色あまいろの髪が美しい人物が加わった。今はそれだけで十分だが、願わくばそこに小さな影が加わるのも悪くないかもしれない。フロイドに話したら、どんな反応を示すだろうか。きっと………。


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