第三章

01

 あばたもえくぼ、とは言ったもので。どうやら私は一度好意を自覚してしまえば、そこからはもうブレーキなんてものは無くなってしまうタイプのようだった。どうしていてもこうしていても、いつどんな時だろうと、彼を見れば「ああ、素敵だな」なんて思ってしまうばかりで、ついには私以外の部下に怒られて頭を掻いている姿さえ、可愛く思うほどになってしまった。
 笑っている姿も困っている姿も愛おしかった、もっとずっと見ていたいし、もっとずっと私の声を聴いていてほしかった。

「重症だね、あんた……」
「おつるさん……」

 偶然本部待機の被った元上官——厳密には今でも上官ではあるのだが——に、事の次第を相談すると、帰ってきた第一声がこれだ。私が任務に出るようになってから、大将藤虎と行動を共にするようになるまでのおおよそ七年間お世話になっていた人生の大先輩だ、なんでもいい、アドバイスをして欲しかったし、それが無理なら話だけでも聴いて欲しかった。

「しかし、よりによって藤虎かい、男の趣味が良いんだか悪いんだか……」
「良いと思いますよ?」
「はぁ……見事に馬鹿になってんじゃないか、まったく……センゴクが聞いたらどうなるか」

 聞いたらどうなるも何も、一昔前の良家の娘でもあるまいし、海軍本部大目付の娘だろうと一海兵と同じく自由恋愛が許されている。私が誰を好きになろうとそんなものは彼には一切関係がない。……ない、が……

 ——なにぃ!? 好きな男だと……!? 認めんぞ、いいか、好きになるのなら、私よりも強いやつにしろ!

「…………言いそう……」

 はぁ、とため息が二人分、おつるさんの執務室に静かに吸い込まれる。私は面倒見の良い彼女がわざわざ用意してくれた私用のフルーツに手を伸ばしながら、どうしたらいいかなぁ、と沈む声を絞り出した。

「どうするもなにも、そんなに好きならまず本人に伝えてみれば良いじゃないか」
「そっ……! れは、そう、なんですけど……」

 簡単にできれば苦労はないというか。……まあそのですね、恥ずかしながら私にとってこれは初恋≠ニいうものですので。どうして良いかが自分でもよくわからないのです。

「す……すきって、いうのが一番早いんですけど……言おうとするといつも、緊張して、上手く声が出せなくて……いざとなると、誤魔化しちゃう、んです」

 おやまあ、と声をあげ、彼女はわずかにこちらに身を寄せた。「素直だけが取り柄みたいなあんたがねえ」とくつくつ笑うのを、「だけってなんですか!」と私も怒るようなフリで返した。

「おつるさんはそういう時、どうしてました?」
「さあ……だいぶ前の話だ、忘れちまったね」

 整頓された机の上、並んだ書類に目を通しながら彼女は頬杖をついた。綺麗好きの彼女の机は、普段見るどんな将校の机よりも広く見える。塵一つないこの彼女のための空間に、理由もなく居座ることを許されるのはどこか気分が良かった。

「じゃあ、他の人にも聞いてみようかな……」
「それがいい——ああ、ウチの船の奴らなら、今日は大体マリンフォードにいるだろう。訓練の合間にでも会いに行っておあげ」

 あんたが隊を離れてから寂しそうにしてたから。と優しげな微笑みがこちらに向けられ、私は気恥ずかしさに頬を掻いた。それに対しての返事より先に立ち上がった私へ、彼女は続けて「これは一般論だと思うけどね」と口を開く。

「できないことがあるなら練習をすればいい、訓練と同じさ。……誰かに練習相手になってもらいな、探せば付き合ってくれるやつはそれなりにいるだろう?」

 なるほど、と頷いてから私は時計を確認し、午後の演習の時間を思い出す。私は少し急ぎ足で外へと向かい——ふすまに手をかけてから「おつるさん」と半身で振り返った。

「——大好き!」
「おや……ふ、可愛い子だね、またおいで」

 失礼します、と声を張る私を彼女は軽く手を挙げて見送り、私はそれに笑顔を返す。上官相手に……と、怒るような人は今はいないので、私たちはこれで良かった。


 
 おつるさんには……海兵になりたいと志願したばかりの、まだ正義のせ≠フ字もわからないような子供だった頃から、ずっとお世話になっている。母親——とは少し違うけれど、それでも家族みたいに大切な人だ。彼女からもそれくらいに大事に想ってもらえていることだって知っている。だから「大好き」という言葉くらいはいくらでも口にできた。

「あっ……ガープさん!」
「おお、お前か!」

 午後の演習に参加し、その休憩中。たまたま近くを通りかかったらしいガープさんを見かけ、私は思わず声をかけた。息は上がったまま、肌も汗ばんだままぇ駆け寄ってきた私の頭を、彼は躊躇なくぐわんぐわんと撫でくりまわす。

「ぶわっはっはっは! 元気じゃのお! なんじゃ、もう演習は終わりか」
「いいえ、休憩中です。この後は新兵の演習があって、今度は監督役として参加する予定ですので……」
「おーおー、お前もそんな偉くなったか! 良いことじゃの〜……」

 そう言っている間も私の脳は揺れ続ける。このままだと首からぽきりと折れるのでは? と半ば覚悟を決めかけた時、ようやく彼はその大きな手のひらをパッと離してくれた。

「指導するというのも大事な力じゃ、しっかり励めよ。……あーそれとな、もしお前を舐めてかかるやつがいれば実力でわからせてやるといい」
「実力って……これ、ですか?」

 たんたん、と、私は力こぶを作るようポーズで二の腕を叩く。「当たり前じゃ!」と豪快に笑い、彼は私と同じように、私の倍以上はあるであろう彼自身の力こぶをバンバンと叩いてみせた。

「任せてください、負けません」
「おう、その調子じゃ」

 ぶわっはっはっは、と、ノーガードの鼓膜を突き抜けるような大声でまた笑いだし、軽い足取りで私の横を通り抜ける。その背中に再度声をかければひまわりのような笑顔が私を振り返って——

「——大好きです」

 そういうと、一瞬だけ目を丸くしてからまた笑い、「励めよ、クソガキ」と、言葉の割には弾むような声色でいうのだった。


 
 ガープさんは……センゴクさんとは違うけど、それでもセンゴクさんとおつるさんの次くらいには一緒にいた人。信頼も、親愛もあるし、何より——そういう好意では、ない。海軍本部以外に親密なコミュニティをあまり持たない私であっても、その違いくらいは認識できる。だから、言葉にして好意も伝えられる。
 その日の夜、そんなことを考えながら、私が自身の部屋で荷を纏めている時だった。コン、コン、としっかりとしたノック音に、「今いいか」という聞き慣れた声がする。それが養父であるセンゴクのものであると理解した私は、いつも通り「どうぞ」とだけ答えて作業の手を止めた。

「なんだ、もう出るのか」
「はい、そろそろ……目的地を考えると、今日の夜のうちにでた方が良いですから」
「そうか、夜くらいは一緒にメシでもと思ったんだが……」

 お気に入りのパンツスーツに、しっかりと絞められたネクタイ。どうみてもくつろいでいたわけではない私の様子に彼は短く息を吐く。明日はマリンフォードから少しだけ離れた国での任務がある。朝イチには私含む海兵たちを配置につけるべきだという大将の判断により、今日は夜間からの出航を予定していた。

「忙しそうだな」

 そうでもないですけど、とは言わない。今日の私自身はまだゆとりもあるが、実際、大多数の隊、将校たちが忙しいからこそ前日入りではなく夜中の出立になっているのだから。

「そりゃあ、人手が足りてませんから……知ってますよね?」
「ん? はっはっは……どうかな、隠居してからは、とんと疎くなってな」
「嘘ばっかり」

 大目付になってからのセンゴクさんは大将、総帥の時よりも朗らかでよく笑うようになっていた。肩の荷が降りてきっと素直に感情や言葉を出せるようになったのだろう……白髪も少し、増えてきている。人は時に「現役時代よりも優しくなった」なんていうこともあるけれど、私からしてみれば、彼は変わらず@Dしいままだ。

「……センゴクさん」
「ん?」
「だ——」

 一拍。言葉に詰まる。照れからだろうか、それと同時に頬が熱くなった。
 でも——これは違う、改めて伝えるのが恥ずかしくて躊躇してしまったけど、これは、イッショウさんの時とは違う。

「——大好きです、センゴクさん」
「は……はっはっは、なんだ、突然……」

 私よりもずっと大きな身体をした彼が、私と同じように頬を赤らめ首の後ろをかいていた。つられて私も同じように手を回しそうになるのをぐっと堪え、私はさっさと手荷物をまとめ、部屋を出る。

「それじゃ、いってきます、センゴクさん」
「ああ、気をつけて」

 挨拶をすればいつも通り。それもそうだ、だってセンゴクさんは家族≠ナ、言葉にすることに気恥ずかしさはあれど、伝えることに問題も戸惑いもあるわけがないのだ。
 だから——それなら、やっぱり。

 ——イッショウ、さんは……。
 

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