第三章

03

 ——困らせるつもりはなかったと言って一体何人が信じてくれるだろう。全くもって私は阿呆だ、しっかり自覚した、反省した、恥もかいた、もう終わりだとさえ思っている。
 恥の掻き捨てがてら言わせてもらえば、本当に想定していなかったのだ。まだまだガキと言われても言い返す余地がない未熟で愚か者の私は、好意を伝えるぞ! というところまでしか考えがなく、それを聞いた彼がどう思うか? なんというか? ということを一切想定していなかった、そもそも思考の道がそこで途切れていたのだ。本当に考えなしである。

(仕事なら、もっとちゃんとできてるのに!)

 じゃあなぜ今回こんなことに? 答えは簡単、私の経験の浅さ、もっというなら対人スキルの低さが原因だ。散々自分を慈しんでくれる年上ばかりに甘やかされて育った自覚もあるわけだし、本当に、もっとちゃんと、しっかり考えて行動に移すべきだったのに……!

「あの……少将殿」
「はっ、はい! あっ、ええと……続けてください、報告」

 部下の呼びかけでハッと我に返る。いけない、いけない、仕事くらいはまともにこなさなければ。こんなにも幼稚な……いや、私的なことで落ち込んで他のことに差し支えるなんてあってはならない。本当に。……実はすでにもういくつかポンコツを晒しているのだが、せめてもうこれ以上は。

「……以上です、あの……」
「はい、ご苦労様です。問題なさそうですね、皆さんは」
「ええと、はい……皆さん、は?」

 言葉尻を捕らえられそうになり、咳払いをして海兵のみなさんを下がらせる。そうすると必然、部屋には私と……同じく報告を聞いていたイッショウさんの二人きりになるわけで……。

「………………えーと」

 気まずさにちらりと彼の横顔をうかがった。なんともまあ、いつもと一切変わらぬ凛々しい顔立ち。昨日の夜のことなんかなかったみたいに、任務中から変わらずのいつも通りだ。

「……あの」

 空へ向けて声をかける。まぁ、二人しかいないのだから、自ずと誰が誰に声をかけているかは明白で、彼はほんの少しだけこちらに顔を傾けて「どうかしやしたか」と変わらぬ声色で問い返してきた。

「あの……昨日は、その…………——ごめんなさい」

 なんと言っていいかわからず私は謝罪を口に、そして彼に見えるわけではないけれど……と深く頭を下げる。彼はそれを聴いても特に顔色ひとつ変えず静かに首を横に振った。

「謝る必要はありやせん、あんたはあっしに好意を伝えてくれただけだ。……応えられなくて、申し訳ねェが……」
「…………ええ、と——」
 
 ——き、気を遣われている………………!
 
 いくら私がバカでどうしようもないガキでもわかる、これは明らかに気を遣われている。私がこれ以上恥をかかないようにと優しさで言葉を尽くされている……! それがまた余計に惨めではありますが、こればかりは自業自得、甘んじて受け入れるしかありません。ううん……。
 しかし私は困らせたかったわけでも謝って欲しいわけではなく、ただ、あるがままに「そうですか」と言って「ところで今日の夜ご飯は何にしますか」とでも続けてくれれるのが一番ありがたい。これがどうしようもなくわがままなことだというのは理解しているが、それくらいでいて欲しいのだ、もし、応えられないけれど、嫌いなわけではないと思ってくれるのなら……。
 
「——忘れた方がいいなら、忘れやしょう」
「それは——嫌です」
 
 自分でも驚くほどすんなりとその答えは出た。あまりにも無意識のうちの言葉だったので、は、っと思わず息を呑む。何事かを言いかけていたのに何を言いたかったのかをすっかり忘れてしまうほど、視界が真っ白に眩むほど、彼の言葉は私にとって衝撃だった。それ故に何かを考える前に口が勝手に動いていた。間髪入れずに声を上げたことが意外だったのか、彼はここに来てようやく表情を崩す。——何故? と理由を尋ねられる前に、私は自分から口を開いた。

「好きなのは、本当なのに……なかったことにされちゃうのは、悲しいです」

 困らせてしまっているのは申し訳ないけれど、そうなる可能性を一つも考えなかった自らの未熟さを恥じてはいるけれど、嘘は一つもついていないのに……。
 任務に関わる話でも、軍に関わる話でもない。馬鹿みたいに感情的で、ただただ個人的なそんな話を、彼は黙って聞いていてくれた。時々言葉に詰まったり、「ええと」「そのう」と言い淀むこともあるこんな話を、何も言わず、相槌すら打たないままじっと私の言葉に耳を傾けている。

「私が好きだって思ったことまで、なかったことになっちゃいそうで、嫌なんです。……自分勝手なのは、わかっているんですけど……」
「ヘェ、はは……それは随分と……正直なお嬢さんだ」

 いつのまにやら彼は仕込み杖を壁に立て掛けて、少しだけ姿勢を崩して椅子に深く座り込んでいた。そのまま、んん、と考えるように顔を少し上げてから、「ならどうしたもんか」と静かに息を吐く。

「あっしはそれでもかまいやせんが、それであんたが上の空になるのはよくねェ。……今日はなんとかなりやしたが、ずっとその調子だと、命がいくつあっても足りなそうだ……」
「それは……はい」

 こればかりは彼の言うとおりであり、弁解の余地はない。もしこれが億越えの海賊団相手の討伐任務であれば、私は隙を突かれ早々に殺されていただろう。そう考えるとぞっとしない話だ、そんな間抜けな死に方をするために私は海兵になったわけではない。
 だが——ここで私は良いこと≠閃いた。

「イッショウさんの言っていることはもっともです……だから、私——これからは、積極的に好意を伝えていくことにしようと思います」
「……んん?」

 私は一歩二歩、彼の方へとにじり寄り、緊張で声が裏返るのもお構いなしに一気に畳み掛ける。
「私はですね、伝え方・・・を失敗したなと自分で思っていて……それが恥ずかしくて後悔してるわけなんですけど、それならつまり次を成功させることで一度目の失敗は正しく失敗の経験として糧になったということになりますよね? これを繰り返せばいつか辛さは薄れ、成功体験の積み重なりで私も自信が持てるんじゃないかと」
「はぁ」
「そしてその失敗というのは貴方への告白であり……だからつまり——私が何度もあの手この手でイッショウさんに大好きを伝え続ければ……いつか、はじめの失敗くらい気にならなくなるのではないかと」
「んん……いや……そいつァ流石に……ちょいと話が飛躍し過ぎじゃありやせんか……?」
「そんなことはありません、筋も理屈も通っています」

 彼から見ればこんなもの、やぶれかぶれの開き直りに見えるだろう。——正直私もそう思う。やけくその居直りで、言ったもん勝ち出たとこ勝負だ。なにせ、昨日からずっと失敗続き。恥ずかしいところなんて見せ続けているんだから今更これ以上恥じることなど何もありはしない。ええい、私の勢いの良さはガープさん譲り、センゴクさんのお墨付きだ。無理を通せば道理も引っ込む、この人の道理を引っ込ませるためにはどでかい無理も必要になるだろうよ——!

「そういうわけなので、一日三回は私の愛情表現に付き合っていただきたく。もちろん軍のお仕事には支障は出しません、早速ですが本日の夜などお部屋に伺いたく!」
「…………あんた、極端だなァ……」
「はい、そこもお茶目なアピールポイントです!」

 ずい、とさらに彼と距離を詰める、今手を伸ばせばきっと彼に触れられるだろう。

「イッショウさん」

 彼はゆっくりと顔を上げ、私の顔を見た。いや……正確には見えてはいないのだけど、それでも声のする方へ顔を向けるのだ。まるで、「きちんと聞いていますよ」と態度で相手に示すように。

「——手に、触れても良いでしょうか」

 上まぶたを微かに持ち上げ、驚いた猫のようにほんの少しだけ背筋を伸ばす。そうして数度瞬く間、私は息をすることも忘れてじっと彼の瞳を睨みつけていた。時計の針がカツカツと数度鳴り終えた後、彼はまた脱力したように身体の力を抜いてから、非常にゆっくりとその右手を持ち上げる。

「……それくらいなら」
「ありがとうございます」

 声は思うより大きく響いたが、彼はさして気にしてはいないようだった。両の手を数度自身の服に擦り付け、私は初めて彼に合った日のように力強くその手を握りしめる。
 そういう意味で触れるのだ、と。暗にそう言った上で触れることを許されるのは、気恥ずかしくもあったがそれ以上に胸の熱くなる思いがした。許容≠ニいうのは、人が思うよりずっと得難いものだと知っていたから。

(今は、これで……)

 そう考えていることもきっと彼には気づかれているだろう、でも、それでいい。
 ぎゅう、と力を込めた手のひらに彼の温かさがある。どうか、この時間が、できる限り長く許され続けますように——
 

clap! /

prevbacknext