第四章

04

「しばらくお願い≠ヘ無しだ」
「えっ」
「当然じゃありやせんか……あっしを含め、船の皆さんに心配と迷惑をかけておいて、明日からいつも通り……ってのは、虫が良すぎるとは思いやせんか」
「そ、それは……その……すいません……」

 親に怒られる子供のように、彼女は泣きそうな声を絞り出す。見えないけれど、きっとあの小さな背中を丸めているのだろう、最後の謝罪の声などは、弱々しく普段の彼女からは考えられないようなものだった。
 介抱をしてくれていた海兵からは「のぼせただけでしょうね」と苦笑をもらい、その上タイミング悪く来ていた本部からの連絡には、折り返し事の次第を伝えたため、大目玉を喰らったらしい。もうすでに散々に怒られ、反省した、というように、彼女は再度「本当に申し訳ないです」と沈んだ声で繰り返した。

「まぁ……大事にならず、良かったです。それでは俺はこれで」

 部屋を後にする彼に「御苦労様です」と頭を下げ、また彼女の横たわる寝台のある方へ身体を向ける。……説教は恐らくもう充分ではあるが、それでもまだ話しておかなければならない事はあった。

「……いいですかい、次からは、必ず一人では入らない事。誰でもいい……できれば能力者でない者を連れて入るように」
「じゃあ……今日みたいな日は、私は部屋で大人しくしてなきゃだめって事ですか?」
「そりゃあ……こういう事態になるなら、そうなりやすね」

 それか、必ず他の女性の海兵も一緒の任務に就けるようにするか。そういうと、彼女は小さく悲鳴のような声をあげてから、慌ててそれを拒絶しだす。

「むっ……無理ですよ、そんな……! 海軍全体の男女比考えてください! ただでさえ今人手不足なのに、そんなこと……そんな無理を言ったら、サカズキさんに、また怒られちゃう……」

 ……先ほどの怒号が相当効いたのだろう。彼女は心底怯えた様子で、「それはできない」と声を震わせた。

「なら諦めるか、別の者に頼むかですねェ」

 その言葉を聞いて数秒黙り込む。納得したのか、と思えば、返ってきたのは拗ねるような……いや、どこかバツの悪そうな「だから頼んだんですけど、断られてしまったので」という声だった。

「あっしじゃなく、別の方に頼みなさいよ」
「だ……だってそれは、恥ずかしいし……! でも、今更溺れるのが怖いからやめておきますっていうのも、恥ずかしいし……」
「へェ、あっしなら恥ずかしくねェんで? まぁ、見えはしやせんからね」
「そ、そ、そうじゃなくて……いや、それも、あるんですけど」
「……だったら最初から、そういうことだといいなさいや、あっしだって理由があるなら——」
「ち——違うんです!」

 融通ぐらい……と、自分にしては少しムキになりかけた時、彼女がそう叫んで袖をぐいと引き寄せる。違う、とは? 何が違うのか。そう考えながらじっと次の言葉を待っていると、固い声で彼女は続けた。

「だ、だから……! だからいいたくなかったんです。イッショウさんならわかってくれてしまうかもしれないから……! お願い=Aじゃないと……だって——下心がないわけでは、なかったので……」
「…………はァ」

 ——呆れた。
 だが、その真っすぐさはどうにも……嫌うには少し、眩しすぎるようだった。

「つまり……なんだ、あんた……正直に言えば、あっしが折れてくれると思ってたんで?」
「……はい」
「それで、下心があるのにそういう手を使うのは、ルール違反だと思っていると」
「……だって、ずるくないですか? イッショウさんはいつも、約束守ってくれてるのに」

 はぁ、それで、誘った理由も伝えられず、かと言って、今更辞退する事もできず——結局、溺れて、あっし含め方々ほうぼうに怒られて落ち込んでいる、と?
 
「あんた——バカですかい」
 
「なんっ……」
「……ふ、ふふふ……っ、いや、すいやせん……笑うつもりは……っ、ぷふーっ! はっはっは……! あァ——あんた……やっぱ素直なんだなァ……」

 くつくつと笑いの止まらない自分を、きっと睨みつけているか呆気にとられているかしているのだろう。彼女は「あ」とか「うう」とか、おおよそ意味を持たない短いうめき声をあげながら、袖を引いたままの手をぷるぷると震わせていた。

「だっ……! なっ……」

 ——だから、何がそんなにおかしいんですか!
 普段は中々心のうち・・を読ませない彼女の、文字通り声にならない叫びが伝わる。それがまた笑いを呼び、しばらくは肩を震わせることしかできず、彼女はまた不服そうにぎゅうとその手に力をこめていた。

「はぁ……、心配も迷惑もかけて……まぁ、褒められた事じゃあないですがね……あっしは——嫌いじゃねェなぁ……」
「……!」

 そういうと今度は何やら慌て始め、またしどろもどろに「え」だの「あの」だのと口にする。そうして、ようやくその拳からゆるりと力を抜いて、消え入るような声で「ずるい」と小さく呟いた。

「なにがです?」
「だって、私……今日はもう、好きですって言えないのに」

 ずるい、ともう一度不服そうにぼやくのを聴いて、自分はまた、溢れ出る笑いを堪えきれなくなってしまった。

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