第二章

01

 世界徴兵で、新しい大将が入るらしい——
 そんな話が囁かれ出した頃、私はすっかり正義を見失い、辞表のようなものを書いては破り捨て、また筆を取っては折り……ということを何度も繰り返していた。どうせ、あのサカズキさんの選んだ人だ。同じような正義を信奉し、彼と同じように多少・・の犠牲はよしとする……そんな人間が入ってくるのだろうと、その日の私はやさぐれた気持ちで、通い慣れた執務室の扉をノックしていた。

「センゴクさん、ただいま参りました——」
「ああ、来たか」

 新しい上官との顔合わせだ。と呼ばれ、そこで待っていたのは、センゴクさんに負けず劣らずの大男。杖のようなものをカツカツと床に当てながら、それはゆっくりこちらを振り返る。
 ——瞬間、私は思わず飛び上がっていた。

「おい、いつも飛ぶなと言っているだろう」

 それは無理な話だ。そんなつもりはなかったのに、意識がこちらに向けられた途端、私は警戒せざるをえなかった。ただ顔をこちらに向けられただけなのに、地に足なんてつけていられないくらい、この人は危ないって、本能的に。なんだか、全て見られているような……。

「……見聞色の覇気、ですか? 多分、その、すごく、探るような……」
「ああ、すいやせん。つい癖で……へへ、眼の方は視えてねえもんで」

 笑った男の焦点は私には合わない。それどころか、視線というものをとんと感じなかった。彼のいう「視えない」というのはそういうことなのだろうと納得しながら、それでも私は警戒を解くことはしなかった。

「だが、視られていることに気がつくってことは、あんたも視ることができる側ってことだ」
「う、うん、はい、まあ……一応、素質がある、と……いっぱい、がんばりました、ので」

 じぃ、と私は彼の瞳を覗き込む。そりゃあ、大将に抜擢されるくらいだ、覇気の一つや二つ使えないのは有り得ない、が、これはどうやらそういう次元でもないらしい。目が見えないというのなら、視覚による情報もなく、戦いの全てを見聞色の覇気で賄うということになる。そんな人間がこの世に存在しているなんて、この時までの私は考えたこともなかった。

「ははあ、そいつは有難い」

 しかしその男は、何が嬉しいのか、わずかに声を弾ませてそう言った。

「? な、何がですか」
「先達が、同じ見聞色の覇気の使い手、それも手練れってんなら、教わることもたくさんありやすから」

 ——せんだつ。

「…………それって……、あの、私が先輩ってことですか?」
「? そりゃあ……あっしよりずっと前から海兵やってやしたでしょうから」
「私の方が、歳下なのに」
「歳は関係ありやせん」
「階級も下なのに?」
「それも関係ありやせん。たとえ階級が上でも、歴で言えば、あっしはまだまだ新兵以下ですから……」
「——、」

 私は羽ばたくのをやめ、地に足をつける。ぺた、ぺた、と数歩彼に近寄り、その顔をまじまじと見上げた。

「センゴクさん、この人が新しい大将になるんですか?」
「そうだ。だから挨拶をと……はぁ、まったく、紹介する前から勝手にあれこれと」

 大男は少しばかり困惑したように眉尻を下げ、ええと、と私のいる眼下を見下ろしている。きっとその表情も演技などではないのだろうという不思議な確信があり、私は思わず頬を綻ばせた。

「……うん」

 ——名乗るのが遅くなって申し訳ありません、と一言謝罪を前につけて、私は自分の名前を名乗る。「よろしくお願いします、大将」と手を伸ばせば、彼も少しばかり口の端を持ち上げた。

「ああ——あっしはイッショウ……大将藤虎≠名乗らせていただきやす、こちらこそ、どうぞよろしく」

 静かに差し出された手を握り、私は彼に私の心が伝わるよう強く強く力を込めた。この人は、どこか他の人とは違うような気がする……短い問答ではあったが、どこかそんな確信めいた気持ちに動かされ、私は彼の顔を覗き込むようにじっと見上げた。
 もしかしたら、この人と居られれば、見失った正義ものも見つけられるのかも……と。

「……ところで、さっきよりも位置・・が随分と低い、こいつは……」
「ああすまん、先程までこいつが能力で浮かんでいてな、本来はその位置だ」
「! はぁ……それは……どうりで、何かの音が聴こえるとは思いやしたが……」

 コウモリはほとんど音を立てずに飛ぶ。そのはずだが、同じ部屋内とはいえ見もせずそれに気がついたのはやはり聴覚を頼りに生きている故だろうか。

「すいません、癖で……、だって皆と話す時、ちょっと首が痛いんですもん」
「結局伸びなかったからなぁ、お前……」

 そう言ってため息を吐くセンゴクさんとの身長差、おおよそ一メートル強。つまりはほぼ横並びの彼とも同じくらいの差があるわけで、見ると彼はこちらを見下ろすように顔を俯けて、所在なさげに空いた左手をうろうろと揺らしていた。

「……あの、もしかして子供だと思われているかもしれないですけど、背が低いだけでもう十八になりますからね、私は」

 十八はまだ子供だと思うが……、と、余計な言葉がした方を睨みつける。重なるように再度彼の「ええっ」という声が聞こえて、やはりどうしたってこの年齢差は困惑や不安の種になってしまうのかと一人肩を落とした。こればかりは、多分、どうしようもないのだろう。
 ……ここが海軍本部≠ナなければ私の身長も年齢もさほど問題にはならないはずなのに、「こんなに小さな」「子供が」「本部将校に?」という戸惑いや疑念は、いつだって私の背中を指している。「元帥の……いや、元′ウ帥のお気に入りだから」なんて陰口ももう聞き飽きた。狼狽する彼の様子は、そんな暗い気持ちを思い返すには充分すぎるものだったし、よく見慣れたものでもあった。まぁ、いい。それくらいの反応ならば想定内だ。別に、これから仕事ぶりを認めさせれば——

「いやァ、まさかそんなにお若いとは——……気を悪くしないで欲しいんですがね、その……あんたが随分しっかりと、凛とした声で話すもんだから、てっきり……もう一回りは、上なのかと」
「……!」

 口の回る人だなぁと、普段の私なら思っただろう。なによりも、おだてておけば機嫌を良くする子供《ガキ》≠セと思われるのが我慢ならない私は、そういうものには敏感だった。
 そのはずなのに、どうしてかこの人の言葉には嘘がないように思えて。

「き、ききました? センゴクさん! この人、私のこと大人っぽいって!」
「ああ、聞いていた……まったく、そんなことではしゃぐんじゃない」
「はしゃぎますよ! だって、みんな私のこと、子供扱いするばかりじゃないですか」
「そりゃあ……お前より長くいるやつからすれば、親戚の子か、良くて近所の子供みたいなもんだろうからな」

 こればかりはお前がいくつになっても変わらないだろう……と。そんな事は私とてよくわかっていて、そうじゃなくて、新しく入ってくる人だって、自分を見れば子供のように扱ってくる者もいるだろう、と。まとまらない言葉で捲し立てると、センゴクさんも「まぁたしかにな」と呆れまじりに肩をすくめた。

「ああそうだ、アラマキはどうだったんだ」
「あの人は嫌、私好きじゃない、です。すれ違った時、『どこから迷い込んだんだガキ、どっかの海兵の子供か?』なんて言ったんだ、許せなくて……」
「はは、そいつァ、怒って当然だ」
「! でしょう?」
「はぁ……」

 話のわかる人だ、と嬉しくなって、思わず彼の袖を引いた。だがすぐに「離しなさい」という声が聞こえるような気がしてハッとなり、固まる。初対面の人相手についやってしまった、という後悔で、指先は凍ったように冷たい。しかしそのような言葉もため息もなく、彼は片腕にかかる私の重さなどないもののように、にこりとただ微笑んでいた。

「どうかしやしたか?」

 不自然に黙り込んだことを気遣ってか、彼は動かぬまま少しだけ首を傾げてみせる。私はそれでも「いいえ」と首を横に振っている間もずっと手を離さなかったのだけど、彼は何も言わず、ただじっと私が何かいうのを待ってくれていた。

「……おい」
「! は、はぁい」

 ついには見かねたセンゴクさんに名前を呼ばれ、私はその手を離す。

「いいか、イッショウ、これから任務で一緒になることも多いと思うが……くれぐれも、甘やかすなよ」
「はぁ、そいつァ、難しそうだ……」

 不思議だった。普段ならどれもこれも子供扱いだと不快に思うことはあれど、快く思うことなど無いに等しいのに、今は何故か……自分でも驚くほど、凪いだ心で彼の笑う声を聞いている。

(どうしてだろう……この人の心のが、穏やかだから……?)

 彼からは、晴れの日の空のように、風のない海のように澄んだ音がする。この日私は、嘘のない人の心とはこんなにも穏やかなのだと初めて知った。
 ……それでも、何処か、激しい荒波が隠されているような——その理由が知りたくて、もっとその音を聞いていたくて、私は、彼についていくことを決めたのだ。


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