第二章

02

 彼に付いての任務はそれからすぐにあった。結果だけを言えば上々、聴力、見聞色に優れた者同士、連携は思っていた以上に容易かった。
 特に有り難かったのは、彼には一定以上の視覚情報を伝える必要がないところだ。なにせ私の能力で索敵を行った際にネックだったのが、見えていない部分の人の動きがわかる反面、それが「どんな姿か」というところまではわからないことだった。

「そこに敵意を持つ者がいるのはわかった。では見た目は? 髪の色は? 性別は? 年齢や人種は?」

 そう聞かれるととても弱い。開けた土地や動かないものについては詳細を捉えることはできたとしても、混雑する街中や走り回る複数の標的についてはあまり得意ではなかったのだ。
 しかし、この大将藤虎≠ノ関しては、そのような細かい情報は必要がない。

「イッショウさん、100m先、建物の裏です!」
「はい、——失礼しやすよ」

 二歩、距離を詰めて彼が建物ごと海賊を叩き切る。その後ろから新手が来ていることを知らせるべく、私が「イッショウさん」と声を張り上げると、彼はくるりと振り返り、それも一刀に切り伏せた。

「残りは」
「右手側射程外です! ……手前、段差あります! 60cmほど」
「——助かりやす」

 ふわり、彼が浮かせた瓦礫の上に乗り、私の伝えた高さ分宙に浮く。そうしてそのままぐんぐんと海賊の元まで距離を詰め——私が追いつく頃には、最後の一人も彼の前に地に伏していた。

「……流石です」

 そう、敵の情報などは必要がない。必要なのはむしろ——地形についての情報だった。
 彼の戦い方を初めて見た時は驚いた。無駄の多い移動、大きすぎる攻撃範囲、それによる周辺地域への被害……。それもそうだ、よくよく考えれば——考えなくとも——彼は視えていないのだから、敵と味方を的確に区別して、無機物を避け、あまつさえ狭い路地を進むなんてことは現実的ではなかったのだ。
 だからこそ、限りなく正確な地形図を伝えられる私の能力は相性が良かった。空を飛べるのも良い、見聞色の覇気により、同じようなモノが見えているというのもまたそれを助長する形となっていた。だが——

「イッショウさん! 隕石を落とす時は言ってくださいって言いましたよね!?」
「あい、すいやせん、落としやした」
「落とす前じゃなきゃ意味ないんですって! もーーっ!!」

 あちゃー、というような顔で頭を掻いているがこの男、すでにこれで三度目のこのやり取りである。反省したのかしていないのかで言えば、多分していない。ついうっかりを装っているが、確信犯で間違いないだろう。

「せめて先に言ってもらえれば、他の海兵さんたちを下がらせることもできるんですから」
「へへ……いやァ、それでも皆さん、上手く避けてくれるもんで、つい、甘えちまいやして」
「ぐ……! そんな、結果良ければ全てよし、みたいな事じゃ済まされないんですよ!」
「いやァ……」

 ——正直ほんのちょっとだけ、世界徴兵は失敗だったんじゃないかと私は思っていた。
 この人は本当に強い、私との連携の相性も良い——ただし、団体として動いているという意識が低い。それは、海軍≠ニいう組織の中では致命傷になる可能性がある。もしかしたら、それも含めて先達≠ナある私を専属のように付けているのかもしれないが——

 ——正直、甘やかされて育った私には、重すぎる荷であった。



「おや、少将さん……ですかい? 珍しいですねェ、こんな夜更けに……」

 ある任務の帰り道、不寝番でもないのに起きていた私は、これまた不寝番でもないはずのイッショウさんに声をかけられた。甲板で、ほんの少しネイビーな気分に浸っていた時に。

「ネイビー……? アンニュイ、ってやつですかい」
「そうかも……」

 流石に、あなたのことで……というほど無神経でもなかったので、「少し悩んでいることがあって」と適当な理由で話を濁す。

「へェ、あっしで力になれることでしたら、話くらいは聞きやすよ」

 その言葉はいつも通りまっすぐで、ますます本当のことなど言えなくなる。手にしたコップを傾けながら「うーん」と考える素振りを見せる私はわざとらしくはなかっただろうか。

「……ああ、そうだ、うん……イッショウさんは、どんな正義を、掲げてらっしゃるんでしたっけ……」

 そういえば聞いたことはなかったな、と。私は空いているもう一つのカップに飲み物を注ぎながら、そう訊ねる。それを受け取り、軽く礼を口にしてから、彼はなんてことなしに「仁義ある正義、ですかねェ」と言ってまだ湯気の立つそれに口をつけた。

「仁義……」

 ——仁義という名の正義は滅びん……!

 そういえば、あの人もそんなことを言っていたような気がする。で、あれば、彼がこの人を気に入って、私が一緒に居られるよう口添えをしたのも納得か……と私は白い息を吐いた。
 私ももう子供ではない。あの人がまだ元帥としての権威を失い切らないうちに、わざわざ新しい大将と顔合わせをさせ、できる限り同じ任務に就けるよう手を回してくれたことには薄々気が付いてはいた。きっと、あの人も私が現元帥に対して何か思うところがあることには気がついていたのだろう……。

(甘やかすなっていうくせに、結局センゴクさんが一番私に甘い……)

 夜風で凍えた身体には、同じく夜風に冷やされたココアのぬるさですら温かい。その温度は、ほんの少し凍りかけていた私の心まで溶かしていくようであった。

「……私には、なくて、そういう、自分の信じられる正義みたいなものが……」

 だからだろう、私は思わずそんな言葉を漏らしていた。

「なにか……大切なものが確かにあった気がしたんですけど……いつのまにか、無くしてしまったみたいで……」

 がらんどうの身体から、はぁ、とまた白い息が漏れる。それ以上は声にも言葉にもならず、冷めたココアを一気に煽り、空の器の底をただ見つめ続けた。
 しばらくの間、彼もそんな私の隣でじっと黙って小さなカップを傾けていたが、少ししてから、「……まぁ、あれだ」と空に向けて何事かを呟きだす。

「そういうことも、ありましょうや……」

 ただ、それだけ。
 それだけを言って、ご馳走さんです、と空いたコップを私に押し付ける。あら、別に何か言ってくれるわけでもないのですね? と考えながらそれを受け取ると、すべて見据えたような声色で「それはあっしがどうこう言えるもんでもないでしょうから」と続けた。

「……自分で考えないといけない……んでしょうね、やっぱり」
「左様にござんす。……しかしなんだ、見失っただけなら、また見つかりやす。あんたはあっしと違って、視えてんだから」

 ははは、と。冗談のつもりかなんなのか。こちらとしては笑いにくいことこの上ないなと苦笑をこぼし、私は去っていく背中を見送った。また、誰もいなくなった甲板で一人、静かな海を眺め続ける。

 ——答えはまだ、見つからないまま。

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