第二章

03

 その日も晴れ、絶好の海賊討伐日和。自身の正義についてはいまだ定まってはいないものの、それはそれ、これはこれ。とにかく海賊なんてものは大嫌いなもんで、私はその日も悪い奴らの取り締まりに躍起になっていた。

「待てーっ! 大人しくしろー!」

 誰ともつかない怒号の中、私は一人上空から街を見下ろしている。西に東に走り回る海兵たちを眺めながら、また、銃弾も刀も届かない場所で、安全な場所で、北へ南へと偉そうに指示を飛ばすのだ。
 ——それが自分の役割だと分かってはいるけれど……。

「飛び回るばかりで、敵と撃ち合う力も、その勇気すらもないのだ」

 そのように後ろ指を指す者がいないわけでもなかった。しかしそういう者に限って、正面から私と打ち合えば地を這うことになるばかり。次第にそんな声も聞こえなくなり、今では私のこの役割≠ニ階級≠ノついて、とやかくいう者はいなくなっていた。
 だから、今なお耳の奥に残るこの声は、他でもない私自身から溢れているものでしかなく。

「——制圧完了! 海賊団、すべて捕縛しました!」

 それでもなお、任務に支障をきたさずにいられるくらいには、もう慣れた感傷の一つだった。

「……お疲れ様です、皆さん! 順次軍艦へ連行してください! 人手が足りなければすぐに呼んでください、被害状況も確認します!」
「お疲れ様でござんした」
「はっ、大将……!」

 電伝虫で各小隊へ指示を出し、私は久方ぶりの地面へと足をつけた。聞き慣れた杖の音に振り返れば、イッショウさんとそれに敬礼を返す海兵たちの姿。私も同じように姿勢を正してから、彼の後ろを歩くもう一人にも声をかける。

「スモーカー中将殿も、お疲れ様であります!」
「ああ……」

 彼の手には賞金首の海賊が。それを周囲の部下に受け渡してから、彼は「思ったよりも早く片付いたな」と葉巻の先から立ち上る白い煙を、くつくつと小刻みに揺らしていた。

「呼ばれたからには助太刀いたしやしたが、いやァ、あっしの出る幕もなかったですねェ」
「まぁな……そこの優秀な少将さんのおかげでな」
「はっ、ええと……ありがとうございます、スモーカーさん! じゃない、スモーカー中将!」

 つい慣れた呼び方を口にした私を一瞥して、白煙に巻かれた彼は「好きに呼べ」とぶっきらぼうに言い捨てた。彼なりの優しさに私が返事をするより先に、その背後から私をちゃん&tけで呼ぶたしぎ大佐の声がして、その寛容だったはずの彼が厳しい顔で背後を振り返る。

「たしぎ、お前はもう少し……」
「えっ? あっ……! す、すいません、少将殿! つい……」
「たしぎさん!」

 言い終わるより先に私は彼女に飛びついた。ハグは万国共通の愛情表現、「気にしてないよ」の気持ちが伝わるように、私は彼女の頬と自分の頬がくっつく程に近づける。聞くところによると、ミンク族という種族の間ではこういった挨拶のことを「ガルチュー」というらしい。

「くすぐったいです……! それ、好きですね」
「えへへ、本部で流行らせようと思うんですけど、どう思います?」
「素敵だと思います、ね、スモーカーさん」
「んなわけねぇだろバカ、いいから報告しろ」

 上官の命令には背くわけにもいかず、私は渋々彼女から身体を離し、先ほどまでの戦況、戦果について報告する。負傷した兵、民間人への被害、街の損壊具合……しかしどれもこれもほぼ無事である旨を伝えると、スモーカーは煙と共に「そりゃ、お前らから見ればそうかもな」と嫌味のような言葉を吐き出した。

「……? 失礼しました、多かった、ですか」
「いいや、最小限ではある。……が、無事と報告するには街が傷つきすぎてるな」
「あ……そう、ですね。そうでした、すいません」

 つい、普段の任務と比べてしまっていた自分を恥じる。そうだった、損害など無ければないほど良いに決まっているのに、私としたことが、街の半壊が前提になってしまっていたようだ。

「まァ……大将が出るような仕事ばかりじゃ、そうなっても仕方ねぇか。そもそも今回も、ちょうど近くにあんたらがいたから手を貸してもらっただけで、わざわざ出向いてもらうほどのヤマじゃねェからな……勝手が違うのは、仕方がねえ」
「いえ、すいません、気を引き締めます」

 彼らしくもない言葉に細やかな気遣いを感じ、じんわりと胸の辺りが温まる。当然だが、きっと彼も大将の任務について行ったこともあるのだろう……赤犬か、青雉か、はたまた黄猿か。現在のパンクハザードを思えば、自然系ロギアの能力者と共に仕事をするというのは、いかばかりか……。

超人系パラミシアのイッショウさんでもあんなに大変なのに……ああ、いやいや、比べるなんて失礼、だよ)

「え、ええと、報告の続きですが……」
「——緊急! 緊急です! 中将殿、聞こえますか!!」

 余計な思考に思わず報告の言葉に詰まり、私が震えかけた声を出すのとほぼ同時に、彼の電伝虫がけたたましく叫び出した。何事だ、と短く返したすぐ、船の方からは海兵たちの叫ぶ声が聞こえていていた。

「はっ! 収容しようとした海賊が暴れ出し……! 三名が拘束を解き、逃亡! 二人は捉えましたが、もう一人が街の方へ……!」
「バカ野郎が、しっかり捕まえとけ!!」
「スモーカーさん、私が行きます、他情報あれば教えてください」

 言い終わってすぐ、私は大地を蹴る。地上からは中将の怒号のような声が届いていた。逃げ出した海賊の容姿、性別、身につけていた武器……それだけ分かれば、すぐに見つけ出せるはずと、私はどこか浮ついた気持ちのまま海賊が向かったという方角へ飛んだ。避難誘導が功を奏し、今ならばまだ人も少ない。これならばすぐに見つけられるだろうと息を吐いたところで——
 微かに、助けを求める小さい子供の声がした。

「こ、子供が……人質に……!」

 子電伝虫へそれだけを伝え私は急いでその場へ急行する。どうやら海賊は少年をひとり小脇に抱え銃を構えているようで、その銃口が彼のこめかみに当てられていた。
 人質だ、おそらくすぐに命を取ることはないとは思うが——そう考えた時、彼らの足元に縋り付く若い女性が目に入る。

「お願いです! 私が代わりになりますから……!」

 ——母親、だろう。泣きながら、息子を助けてくれと懇願していた。海賊はそれを鬱陶しそうに振り払い、あろうことがその銃を彼女に向けたのだ。

「——だったらまず、お前が死ぬか!」

 かちゃり、リボルバー式の拳銃独特の、発射前のあの音がする。その音を聞いた途端、私の身体は勝手に動いていた。足先までが途端に氷みたいに冷え切って、衝動のようにその場へと急降下し海賊の首元へコウモリの爪を突き立てる。

「ぐぁ……っ」

 驚きと痛みでその銃口は母親から逸れ、宙へ舞う。そのまま引き倒して捕縛するべくもう片方の足で銃を持っている方の手首を掴み、そのまま地面へと押し付けようと試みる、が、しかし力の問題か上手くいかず、ふらりと少しバランスを崩させるまでに留まってしまった。

「くっ、この……! くそ海軍が……!」

 もう一度銃が鳴る音がして、今度はそれが私の方に向けられる。……なんてことはない、ただの鉛玉だ。避けるのはさほど難しいことではなかった。だが……

「お母さん!」

 海賊の腕の中で少年が悲痛な声を上げる、私がこのまま距離を取れば——あるいは銃弾を避ければ——興奮したこの海賊が今度は少年に危害を与えはしないだろうか? もしくは、背後にいるはずの彼の母親にあたるかもしれない。彼を海賊から引き離すにしては時間がなさすぎるし、他の方法を考えるには遅すぎた。ここに来てじわりじわりと背中に汗が滲むのをスローモーションのように知覚している。ああ、まずい、選べる選択肢が、こんなにも、少ない。
 なら、もう、一か八か。少年を庇って、奇跡的に二人とも助かる可能性に賭ける、しか——

「——それでいい、大丈夫、後はあっしに任せてくだせェ」
「え、っ……」

 判断は、一瞬。
 戸惑いも困惑もあれど、耳に届いたその声に体は自然と従った。両手で少年を抱き上げ、力の限り海賊を蹴りつる、その反動で体を半回転させ銃口には背を向ける形を取った。
 海賊は多少体勢を崩したものの変わらずこちらを狙う敵意にブレはない。このままなら数秒後その引き金は引かれ、弾丸は私の背を貫くだろう。ほんの少しの恐怖に、私は少年ごと自分の体をぎゅうと抱きしめる。
 だが、そんな未来は訪れない。

「——これで、終いだ」

 どん、と、背後で何かが地に落ちる音がする。よく知っている音だ。それと同時に私の身体がほんの少しだけ軽くなって、まるで始めからそうするつもりだったみたいに両足でしっかりと地面を踏みしめていた。

「…………イッショウさん」
「はい、——どうも、遅くなったみてェで」

 彼が刀をしまい、きん、という音が響く。私の手を離れた少年は真っ先に自分の母の元へ駆け寄り、母親は息子を抱きしめた。向こうからは数人の海兵が走り寄ってきて、気絶した海賊を取り押さえようと躍起になっている。私は……

「さて、皆さんに怪我はねェか……」

 私は、私たちを助けてくれたその人の顔を見上げて——なぜだか、ほんの少しだけ涙ぐんだ。


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