あらゆる意味で不本意ながら、秀徳高校に入学して一週間ほど経った昼休み。黒子テツヤは一人、ゆっくり昼食を取るべく屋上に現れた。初日から悪目立ちしたが、それで別に周囲が煩い訳ではない。生来の影の薄さのせいか、本人が拍子抜けするほど静かなものだ。ではなぜわざわざ屋上に来たかと言えば、気分の問題と答えるしかない。
どういう訳か、教室に居るのは落ち着かないのである。何の因果か同じクラスになってしまった緑間真太郎、彼が予想に反して不気味なほど静かなこと。マジバでの説明会の後から、やけに馴れ慣れしくなった、やはりクラスメイトの高尾和成。バスケのスポーツ推薦で来たという彼も、思いのほか静かだ。それが、どうにも居た堪れない。
別に無視されているとかではない、普通にクラスメイトとして挨拶もすれば会話もする。高尾に至っては、よく疲れないなと思うほど賑やかだ。だがしかし、黒子が危惧するようなバスケの話題は出てこない。そのため、いつその話題になるかと気が気ではなくて、つい逃げ出してしまうのである。
考え過ぎだと、思いはする。自分が思うほど、相手には関心がないのだろうと。とんだ自意識過剰だとも思うが、どうにも感情をコントロールできないのである。
一つ溜息をついて空を見上げれば、清々しいほどの青い空。そよそよと吹く風は、冷たさが和らぎ心地良い。だというのに黒子の気分が憂鬱なのは、きっと答えが出ていないせい。
「テッちゃん、みーっけ!」
「っ!」
黒子がパックジュースを啜りつつぼんやり空を眺めていたら、いきなり声をかけられ飛び上がるほど驚いた。声の主は今しがた思いを馳せていた内の一人である高尾。天気が良いせいか割と賑わう屋上で、どうして彼はこうも容易く自分を見つけてしまうのか。そう思った直後に思い出す、そういえば特殊な特技持ちだったなと。
また一つ、黒子が溜息をついているうちに、高尾はちゃっかりと隣に腰を下ろす。コンビニ袋を持って来たことから、どうやらここで昼食にする気らしい。
「何のご用ですか?」
「昼飯と、そろそろテッちゃんのご期待に応えようかと思ってな」
「は?」
「テッちゃんさー、バスケやんねーの?」
「……やってますよ。ストバスですけど」
「ふーん、部活は?」
「女になってしまったので無理ですね」
「女バスがあるじゃん」
「これでもボク、男子バスケでレギュラーだったんですよ。男バスのスピード感に慣れた身としては、申し訳ないですが女バスは物足りないです。それに……」
「それに?」
「くどいようですが、男子相手にそれなりに試合で使えるパスを出してたんです。女子相手では怪我をさせてしまいそうで」
「あー、なるほど。んじゃ、男バスでマネとかは?」
「……急に何なんですか?」
「いやぁ、一人でグルグルしててもドツボにハマるだけかと思って?」
「意味が分かりません」
「真ちゃんの話しじゃ、相当なバスケ好きらしいし? 性別のせいで出来ないんじゃ色々と思うところがあるんじゃないかなーと」
「別にそのことは悩んでません。部活じゃななくてもバスケは出来ますし」
「その答えじゃさー、オレや真ちゃんが納得できねーのよ」
「はい?」
黒子のグチャグチャな頭の中を見透かしたように、ぐっさぐっさと痛いところを突いてくる高尾。おかげ様で無意識に避けていた、自分の見たくもない感情を直視させられることになった。それはとてつもなく単純で、どうしようもなく我儘な気持ち。理屈で覆い隠しても、いや、隠して目を逸らせば逸らすほど、その想いはここに居ると自己主張してくる。
あぁ、これは確かに一人で考えてても振り出しに戻るだけ。誰かに吐き出してしまえれば、楽になるのかも知れない。が、その相手を高尾にする道理はない。押し売りされてもぶっちゃけ有難迷惑である。それにだ、黒子を気遣ってるような言い方だが、よくよく聞けば自分のためではないか。
中学までは男の子、高校からは女の子。中学時代はバスケ部で、キセキの世代などと呼ばれる彼等と共にレギュラーだった。それは傍から見ればさぞ気になる経歴だろう。だがしかし、黒子には高尾のゴシップ紛いの好奇心を満足させてやる謂れはない。
「君からしたらボクの経歴は興味深いでしょうけど。少なくとも、緑間くんはボクがどうしようと気にしませんよ」
「なあ、黒子」
「はい?」
「それ、本気でそう思ってんならぶん殴るけど?」
「……すみません。思ってはいませんが、そう思いたい願望はあります」
いつもは和らいでいる高尾のつり気味な目が、鋭く細められ真っすぐ黒子を射抜く。砕けた愛称呼びから一転、唸るような低い声で名字呼び。天然なのか、計算なのか、分かりやすい態度である。こうもストレートに表現されては勘違いにすることも、すっとぼけることも許されない。流石はポイントガード。策士だな、なんて妙な関心をしてみたり。
黒子の返しに納得したのか諦めたのか、高尾は食べることに集中しだしたようだ。おにぎりやら菓子パンやら、黒子からすればうんざりするほどの量をたいらげて行く。その間にこの場から逃げれば良かったのかも知れないが、黒子が身動ぎする度に高尾から笑っているようで鋭い視線が突き刺さる。逃げても無駄、そう言っているようでまたしても溜息が出る。
仕方なしに大人しく待っていれば、満足したのか缶ジュースを飲みながら高尾が口を開いた。
「オレさ、中学ん時に帝光とやって負けてんの」
「知ってます」
「へ? 緑間は覚えてなかったぞ」
「ボクは覚えてます」
「そりゃまた光栄だけど、なんで?」
「対戦相手を覚えているのはそんなに不思議ではないでしょう?」
「いや、そうだけど。帝光の奴らは、相手なんてみんなモブ扱いかと思ってた」
「まあ、一部そうだったことは否定しません。ですがボクのプレイスタイルでは相手の観察が必須でしたので、君の試合も何度か録画を見てました。随分と面白い目をお持ちなようで、記憶に残ってます」
「ブフォ、そりゃどうも」
「それで?」
「あー、うん。帝光との試合で一番頭に焼きついてんのが、緑間のシュートなんだよな。すでにバッキバキにこっちのプライドへし折ってるのに、トドメのブザービーターだぜ? おかげさんでバスケ辞める寸前まで、落ち込みましたよ」
「……」
「んでもやっぱ、バスケ辞めたくなくて。辞めれねーから打倒緑間って開き直ってみた。高校バスケじゃ有名どころの秀徳から推薦がとれて、これは行けんじゃね? て盛り上がってたらさ。春休み中に顔を合わせた推薦組に、緑間がいてちょーショックだった」
「有名どころだからこそ、被るとは思わなかったんですか?」
「少なくとも緑間に関しては思わなかったね。つーか、アイツ等がこうもバラけると思わんかった」
「え?」
「だって普通に考えたら、アイツ等は纏まってたら無敵じゃん。分かれるとしても、パスが必要なシューターの緑間はPGと一緒に洛山辺りに行くだろうなって」
「あぁ……、なるほど」
「で、落ち込むのは既に飽き飽きしていた高尾ちゃんは、すぐさまスイッチを切り替えた訳ですよ」
「はい?」
「打倒緑間はムリになったけど、アイツが居るってことは他のキセキに勝てる可能性が格段に上がったってことだろ? でもまあ、まずは真ちゃんにオレを認めさせねーと話しになんねーけど」
「……そうですか」
「これがまたえっらい茨の道でさー。オレだけじゃねーけど、部の連中からパス貰うとさ。真ちゃんてばあれで素直だから、もろに顔にでんだよね。このパスは納得いかねーってさ」
「……」
「オレだってパス捌くのが生業のPGですから? そりゃーもう悔しくて悔しくて、色々試してんだけど全然ダメみたいでさ。そうなると気になっちゃう訳よ。アイツは一体、誰のパスと、どんなパスと比べてんのかってな」
「……高尾くんは、彼等に勝てると思いますか?」
「ブッハ、強引に話し捻じ曲げやがった! んー、オレは天才じゃねーからな。どう足掻いても勝てる気しねー。けど、バスケは一対一じゃねーから手段を選ばなきゃあ何とかなんじゃね? つーか、何とかする。そのために必要なら、真ちゃんとだって仲良くしてみせるぜ」
「それは随分と壮大な目標ですね、緑間くんが誰かと仲良くできるなんてとても思えません」
「ブフォオオオオ! そこ!? で、テッちゃんはオレの疑問に答えてくれる気あんの?」
「それは、ボクにバスケ部に来いと言ってます?」
「そのとーり! 言ったろ? 勝つためなら使えるもんは何でも使うって」
「本当に、正々堂々と手段を選びませんね、君」
「おう」
「……考えておきます」
「じゃ、今日は部活の見学な」
「なぜそうなるんですかっ」
「よく言うじゃん、考えるより動いた方が良いこともあるって。つー訳で、逃がさねーからそのつもりで」
「君の目は嫌いです」
「お褒めに預かり光栄の至りー」
「褒めてません」
一方的に言いたいことを言いまくった高尾はゲラゲラ笑いながら腰を上げ、先に戻るからと颯爽と去って行った。残された黒子は、暫し唖然とした後もう何度目か分からない溜息を盛大に吐き出した。
自分の頭に焼きついているのは、去年の全中の試合。その試合に挑むつまらなそうな顔の彼等と、無情に並んだ『1』の羅列。そして、絶望した友の顔。今も鮮明に残るその記憶は、思い出す度に胸や腹をぎゅうっと締め付けられたように苦しくなる。それでどうしたいのか、何度考えても出る答えは一つだけ。
それはとてつもなく単純で、どうしようもなく我儘な気持ち。
カラフルな彼等に昔を取り戻して欲しい。あのキラキラと輝く、眩いばかりの彼等をもう一度見たい。あの濁ったような目を、つまらなそうな顔を、何としてもぶち壊してしまいたい。
だけど男であった中学時代、同じコートに立てて居た時でさえそれは叶わなかった。女である今は、同じ舞台に上がることすら許されない。そんな自分に何ができると言うのか。
去年の夏の日から、ずっと考え続けていたこと。その答えは見つからないし、どうにもならいことだとも思う。いっそバスケを嫌いになれたら、離れることが出来たなら、自分の理想そのもであったはずの彼等が。いまどんなプレイをしようと、こんなに苦しくなることもないのだろう。
しかし結局、黒子はバスケから離れることができなかった。ずるずるとストバスに通い詰めているのがその証拠。ならば高尾の言う通り、開き直るしかないのかも。諦めきれないなら、前へ進むしかない。
どう進めば良いかはやはり分からない、ならば高尾の示した道に乗ってみるのも手だ。どうせ、逃げられそうもないし。そう思ったところで予鈴が鳴り、黒子は教室へ戻るべく勢いをつけて立ち上がった。
*
放課後、掃除当番だった黒子と高尾は少し遅れてバスケ部の部室へ向かっていた。因みに緑間は先に行っている。
「そういえば、秀徳って女子マネを取ってましたっけ?」
「お、やる気になった? 今はいねーけど取ってはいる」
「いないんですか」
「うん、今は男マネばっか。なんか三年になるとさ、見切りつける人が多いんだって」
「はい?」
「レギュラーになる見込みのない一軍の三年は、受験勉強を理由に退部が多くて。二軍の場合は辞める人と、選手は諦めてマネになる人と半々ぐらいなんだと。ま、そんだけバスケ好きが多いってことだろーな」
「なるほど」
「てな訳で一応手は足りてるけど女子も否定してねーの。ただ、まあ、アレだ。女子の場合は下心ありで入って来ても、長続きしねーの多いんだと」
「マネージャー業って、地味で重労働ですからねぇ」
「だよな。男バスは人気あるらしくて、マネ希望者が結構来るみたいだけど。監督とキャプテンのお眼鏡に叶った子だけ取るんで、今年はまだ決まってねーの。去年は三年の女子マネがいたらしいけど、卒業したからむさ苦しいったらねーよ」
「そんなに女子マネが欲しいんですか、高尾くんは」
「そりゃあ可愛い女子マネは、運動部男子のロマンだろ! 実際はトキメク暇なんぞねーけどな」
「ボクも去年まで運動部男子でしたが、それをロマンと感じたことはありません。感謝はしてましたけど」
「あー、そういやわりぃ」
「はい?」
「テッちゃんはオレのこと覚えてたのに、オレは覚えてなかったわ」
「あぁ、影薄いですから。ボク」
「イヤイヤ、オレもあんま見てなかったんだなーと反省。帝光の奴等をどうこう言えねー」
「いえ、彼等が対戦相手を見てなかったのは本当です。三名は見る価値無し、一名はどうでも良い、もう一名は相手が誰だろうと自分の人事を尽くすのみでプレイを変える気は全くありませんでした」
「ブハッ、誰がどれだか分かるかも」
「そうですか?」
「ま、これから宜しくな! 女子マネさん」
「まだ、なれると決まった訳ではないですよ」
「なれる、なれる。いざとなれば真ちゃんの我儘使えばばっちオーケー」
「我儘?」
「そそ。アイツ、一日三回まで我儘OKになってんの。スカウト受ける条件だとさ」
「何やってるんですか、あの人。中学時代はそんなに我儘は……、言ってましたね、そういえば」
「ブフォオオオオオオオオオオオオオオオ!?」
「我儘の大半はラッキーアイテムとシュート練習に関してですね、わかります」
「当たり! さすが元チームメイト」
「当たっても嬉しくないですよ。むしろ変わってくれてた方がなんぼかマシです」
「ギャハハ! 辛辣っ」
そんなこんなで目指す部室棟が見えてきた。中学とは全く違う建物なのに、どこか懐かしさを感じる雰囲気。それを目にすれば、黒子の胸に湧き上がるのはウズウズするような期待感。やっぱり自分は、バスケから離れるなど端から無理だったんだと痛感したりして。
今はもう、選手とは成りえない。そんな自分が望みを叶えるためにどうしたら良いのか、何が出来るのか。その答えはまだまだ暗中模索。この先どうなることやら分からないが、もうただ悩むのは辞めて成り行きに任せようかと思う黒子であった。