ザッ。音を立ててボールが綺麗にリングを通る。
体育館は静寂に包まれた。
テンテンテンとネットをくぐり、床に落ちたボールが転がる。
ボールが体育館の壁にあたり止まるとわっと歓声が上がった。
「黒子!」
「やったな!」
輪の中心にいたのは1人の水色の少年。常ならば薄すぎる存在感に忘れられがちなのだが、このところの彼の練習は注目されていたため珍しく皆に囲まれるという状況に至った。
黒子と呼ばれた少年は彼以上に嬉しそうにシュートを決めたことを喜んでくれるチームメイトにはにかんでわずかに口元を緩めた。
「いやあ、マジよかったよ!苦節3日!」
「苦節っていう日数かよ」
「苦節だ!」
嘘泣きで目元を押さえたのはシュート練習を見てくれた先輩の森山だ。特に大袈裟な反応を見せた彼に呆れたように笠松が突っ込む。しかし、すかさず森山の反論が返った。拳を握って森山はこの苦難の3日間を振り返る。
「だって最初びっくりするほどはいらなかったんだぞ!」
大きくなった声はさりげなくさっくり黒子を刺した。うっかり後輩にダメージを与えたことにまったく気づかず、森山は力説する。
いろいろあって海常高校バスケ部に入部した黒子だったが、その特異な才能以外の所謂基本がまったく出来ていなかった。いや、出来ていないというには語弊があるかも知れない。知識としては知っている。反復によって身についてもいる。しかし、使えない。つまり下手だった。彼の才能を知らなければ、『お前向いてない』といってしまったかも知れない。おかげで事情を知らない監督と軽いトラブルになったのだが、それも『いろいろあって』のうちだ。
彼が中学時代所属していたチームは彼に【パス】以外の役割を期待していなかったのだろう。そのため黒子の問題点に関して触れなかったようだ。だが、海常バスケ部に入部した以上そのまま放っておくわけにもいかない。
出来ないといって諦めたなら現状以上はない。むいてなくとも努力をすれば、努力した分は確実に何かが変わっているはずだ。
『シックスマンってことに甘えんな!』
ランニングの途中で力尽きた黒子にそう怒鳴ったのは笠松だ。
心配して中止を進める黄瀬を蹴り飛ばして、笠松は黒子に続けさせた。体力は努力によって向上できるものだ。限界よりあと1歩。やりすぎは禁物だが、自分で限界だと思ったところからあと少し進むことによって少しずつ限界は伸びていく。
負けん気を発揮してなんとかゴールまでたどり着いた黒子を笠松は笑顔で迎えた。
『やりゃできんだよ』
ぐしゃぐしゃと褒めたたえるように頭を撫でる。当たり前のメニューをこなしただけなのだが、褒められて悪い気はしない。疲れていて表情筋も緩んでいたらしい。普段あまり表情を崩すことのない黒子が嬉しそうににふにゃりと微笑む。レア度の高い無防備な笑顔に毒気を抜かれたのか笠松の特別扱いを苦々しく見ていた他の部員たちも息をはくと、よくやったと肩を叩いていく。彼をやっかむ輩がまったくないとは言わない。だが、黒子はその努力によって確実に部内で認められてきている。そしていままた努力の成果が目に見えて実る。
「手の平で押すクセがあったんだよなあ」
森山が練習を振り返る。パスに特化した選手である黒子はスピードを出すパスを出すために手の平でボールを押すクセがあり、本来指と手首のスナップで打つための一般的なフォームでシュートを打つとまったく決まらないという状態だった。下手にフォームも悪くなく、リングには当たるためなかなか気づかれなかった悪癖だ。きっかけは早川の言葉だった。
『パスはね(ら)いどお(り)いくんだか(ら)、ゴー(ル)にパスす(る)つも(り)で打てばいいんじゃないか?』
落ち着いて話していても【ら】行の発音出来ない早川だった。しかし、持ち前の観察力で早々に早川語の解読に成功した黒子はさらりと返事を返す。
『パスとシュートは全然違います。パスはボールを押し出す感覚で』
『あ!』
黒子の話の途中で森山が声を上げた。きょとんと黒子と早川が振り返る。
『それでいいんだ!黒子、ゴールにパスしてみなよ!』
一人納得して話を進める森山に黒子は怪訝そうな視線を向ける。先程からパスとシュートは違うという話をしていたはずなのにどうしてその結論になるのかわからない。意図が読めずに動かない黒子に森山がにやりと笑う。
『別にシュートでもパスでもいいんだよ、入れば』
あれだけ正確なパスを送る黒子がゴールを狙えないはずがないのだ。邪魔だったのはゴールに入れるものはシュートだという既製概念。だが美しい教本のようなフォームのシュートもボールを殴るようにうつパスもリングをくぐれば同じ点数だ。こだわる必要はない。
案の定、パスと同じ撃ち方に変えたとたん、先程のようにシュートが綺麗に入ったのだ。
森山は感覚を忘れないように打ち込みはじめた黒子の姿に再び視線を戻した。
まだ成功率は高くないが、昨日に比べれば格段の差だ。あとは反復練習でさらに確率は上がるだろう。
「しかし、なんかすげえフォームだな」
やりきった感に満足している森山の隣で笠松が感嘆なのか呆れなのかわからない台詞をはく。小堀が軽く笑って頷いた。
「チームに二人もおもしろシューターがいるってすごいな」
小堀の言い方に毒はない。彼の性格からしても他意はないとわかっているが、森山は少しカチンときた。
「別にいいだろ!おもしろフォームだろうが、人と違うほうがモテそうじゃないか!」
何故か力説しはじめた森山に笠松が冷たい視線を送る。
「黒子はともかくお前のフォームはキタネエだけだろ」
「なんだと〜っ」
普段ならば笠松の毒舌にあえて抵抗をしない森山だが、今日は妙に突っ掛かる。周りが思っているよりも本人はフォームが汚いのを気にしていたのかもしれない。あまりに自信満々にシュートを打つからまったく気づかなかった。
「入りゃいいんだよ!入りゃ」
笠松と両手を合わせ、力比べのように押し合いをしながら森山が怒鳴る。シュートは入らなければ意味がない。森山は美しくても入らないシュートより、汚くても入るシュートを選択したのだ。レギュラーとなるために。
「そりゃ、そうだ」
森山の言葉に納得したように笠松が力を抜いた。突然無くなった抵抗力に森山はバランスを崩して床に尻餅をつく。肩透かしのような状態にむすっと笠松を睨む森山に小堀が手を差し出す。まだ腑に落ちない顔でその手に捕まって立ち上がる。とくに汚れていない尻の埃をぱんぱんと落としながら言う。
「それに黒子は【特別】のがいいんだ」
黒子のシュート練習に視線を移していた笠松が振り返る。小堀が不思議そうに首を傾げた。
「真似出来ない【特別】のが認めやすいだろ」
森山が肩を竦める。口調は軽いが目は真剣で少しだけ皮肉めいた色を浮かべていた。
海常高校バスケ部は強豪といわれるだけあり、それなりの人数が所属している。試合に出れるベンチ入りメンバーを目指すだけでもかなりの困難だ。しかし、黒子はそのメンバーに名を連ねようとしている。特異な才能をもったメンバーとして。黒子は誰もが評価するパスを武器としている。だが、パス以外のプレイはかなりお粗末だ。故に苦々しく見ている部員もいる。しかし、見たことのない真似出来ないパスを知っていれば非難は出来ない。実力があればあるほど悔しく思うと同時に彼のパスの有用性もわかってしまう。感情と理性の乖離とでもいうべきだろうか。だが、表に出なくても確執は残る。
「ちょっと下手くそなシュートが決まるよりも変則シュートがあるほうがいい。自分より下手な奴が出てたら腹立つけど真似出来ない奴とは比べないだろ」
黒子は自分たちと違う武器をもっているからレギュラーにいると納得できる。しかも、今回のシュートを身につける彼の努力は部員たちも見ている。
「何も出来ない奴が努力によって武器を手に入れたのに文句言える奴は早々いないし。自分もがんばろうって思えるだろ」
森山が体育館の中に視線を巡らせる。何人もの部員が自主練に励んでいた。明らかに最近自主練をする部員の人数が増えている。
短所を気にするより、長所を伸ばせとはよくいったものだ。全員がオールラウンダーになる必要はない。何か武器があればいいのだ。その武器は努力によって見つけることもできる。黒子の存在がそれを証明してくれた。
努力が無駄にならない存在は他の部員の励みになる。
ふうと笠松がため息をつく。
「何も出来ない奴とかいうなよ」
「例えだってば。黒子は何も出来ない奴じゃないしー」
先程まで真面目に語っていた面影はなく軽い調子で答えた森山に小堀が素直に感心する。
「さすが、森山。計算通りってことか!そこまで後輩を心配して気を配って」
「あ、いや。気は配ってないっていうか、黒子がああいうフォームになったのは偶然なんだけど」
「すごいな、森山」
素直に賞賛を向ける小堀に森山は視線をあさっての方向に飛ばす。結果論をそれらしく語ってみたのだが、馬鹿正直に感心されると居心地が悪い。試合以外では穏やかな性格の小堀だが、少し考えが性善説によりすぎだった。
「まあ、そんなわけで黒子は大丈夫だと思うわけよ」
強引に森山は話をまとめに入る。あごで示された方向をみやれば、2、3年生の部員達が黒子のシュート練習に協力している。先輩が後輩を指導するという部活として正しい姿に少しだけ口の端をあげる。そして視線を転じた。穏やかに和んでいた切れ長の瞳が鋭く細められる。和やかな雰囲気は視線の先の人物同様消え去っていた。
「問題はあっちだと思うんだ」
「・・・・」
腰に手をあて、笠松が腹の底からすべての空気を吐き出すようなため息をついて頭を垂れる。
「がんばれ、主将」
「・・・」
森山は渇いた笑いを浮かべて、小堀は無言で励ますように両側から笠松の肩を叩いた。