「真ちゃん、真ちゃん!聞いた?」
教室にはいってきたとほぼ同時に彼は叫んだ。その楽しそうな様子と彼の発した高校生には似つかわしくないあだ名に周りの女生徒たちはくすくすと笑う。だが、彼はまったく気にせず、大股で窓際の目的の人物にたどり着く。
「真ちゃんってば!」
とんと机を叩いて、前の席にすとんと座る。彼の席でなければ注意できたのだが、残念ながらそこは彼の席だった。これみよがしにため息をついて、呼び掛けられた人物、緑間真太郎は読みかけの本を閉じた。
「何をなのだよ?」
問い返す声は棘にまみれ、視線もかなり厳しいものだというのに彼、高尾和成はまったくめげない。これくらいでめげるようでは緑間を『真ちゃん』とは呼べない。身長195cmの日本人離れした体格に冷徹な表情。眼鏡の向こうの整った容姿がさらに厳しい印象を与える。そんな緑間にはまったく似つかない呼び方なのだが、何故か高尾は気に入ったりらしく、無駄に連呼される。初めは無視していた緑間だが、無視すればするほどうるさくなる高尾に根負けし、最近はおとなしく返事をしている。にへらと高尾はようやく緑間から返ってきた反応に笑いを深めた。
「練習試合決まったってさ」
高尾の持ってきた情報は騒ぐほど珍しいものではなかった。
ようやく1年生もチームに慣れてきた頃である。公式戦の前に練習試合が組まれるのは不思議ではない。
「そろそろインターハイ予選が始まるし、時期的には調整試合にはいい時期なのだよ」
「調整っ!?」
「な、なんなのだよ?」
ふんと鼻を鳴らして言った緑間に高尾は予想外に食いつく。いきなり声を張り上げた高尾に緑間がたじろぐ。にんまりと楽しそうな顔は明らかに先ほど高尾が口にした以上の情報を持っていることを示していた。その態度に苛立ちながらも緑間は先を促す。
「調整にはなりそうもないぜ」高尾はもったいぶって机の上に肘をつき、顔を乗せた。自分より高い位置にある緑間を見上げる。
楽しそうな双眸には明らかに不穏な光が宿ってる。先ほどから笑いっぱなしだった口の端が綺麗な三日月を描く。
「相手は海常だってさ」
告げられた対戦相手は予想外だった。厚いレンズの向こうの瞳が驚愕に開く。
海常高校は緑間の中学のチームメイトであった黄瀬涼太がいる学校だ。
10年に1度の才能を持つ天才ばかりが集まったキセキの世代は皆が別々の学校へ進学した。
キセキの世代を獲得した高校はそれぞれ強豪校で名をはせている。すくなくともインターハイ前の新チームでの調整試合に指名する相手ではない。
しかし、海常と緑間の所属する秀徳では県が違う。全国大会に行く前に予選で当たることもない。代わりに秀徳のいる東京にはキセキの世代がいる学校がもう1校ある。早いうちにキセキの世代と戦うシュミレーションをしておくことは悪くはないだろう。
「・・・そうか」
間をおいて頷いた緑間にはすでにいつも冷静さが戻っており、高尾は少し不満げに体を背もたれに預ける。
「あんまし動揺しないのな、真ちゃん」
「いつかは当たるのだよ。早いか、遅いかだけだ」
眼鏡のフレームをくいっと上げながら、緑間は冷たくさえ聞こえる口調で言い放つ。高尾はもう一度、机に頬づえをついた。
「ま、そりゃそうか」
別々の高校を選んだ時点で対戦は必ずやってくる確定事項だ。【いつか】が【来週】になっただけだ。
そもそも対戦をためらう相手でもない。
そんな慣れあいや感傷は緑間にも黄瀬にも、他のキセキの世代にもないだろう。前に立つならば倒すだけだ。
すでに興味を失ったように再び本を開こうとした緑間の耳に高尾の呟きが聞こえてくる。
「ちょっと監督攻めすぎだよなあ。いくらキセキの世代が2人いったからって」
本に伸びかけた指がぴたりと止まる。
海常にいったキセキの世代は黄瀬だけだったはずだ。
「2人?」
「あー、なんか幻のシックスマン?とかいう奴が海常にはいったんだってさ。真ちゃん知ってる?」
「・・・・」
知っていると返事は返せなかった。
練習試合の相手が海常だと聞いたときよりも大きな衝撃が緑間を襲う。
もちろん【幻のシックスマン】と呼ばれた人物を緑間は知っている。
【特別】な自分たちとは違う【特異】な才能を持ったプレイヤーで、不思議な人物だった。だが、彼は卒業を待たずして、緑間の、いや皆の前から消えた。バスケも捨てたのだと思っていた。
それが海常にいると言う。バスケを捨てられなかったのか、黄瀬が引きこんだのかはわからないが、あの才能が埋もれないのはいいことだと思う。
緑間は彼をあまり得意としてはいなかったが、力は認めていた。
「真ちゃん、なんか一気に楽しそうじゃね?」
「・・・・そんなわけはないのだよ」
はっと我に返れば、高尾がじとーとした目でこちらと見つめていた。
緑間は誤魔化すように咳払いをひとつついた。
その間も高尾は探るように緑間を睨みつけ、同じ質問を繰り返す。
「で、幻のシックスマン、知ってる?」
「ああ。だが」
自分をじっと見つめている高尾の視線を緑間はしっかりと受け止める。鋭い鷹の瞳。獲物は幻でさえも逃さないだろう。
「勝つのはウチなのだよ」
「・・・・」
きっぱりと言い放つ。
自分の問いにまったく答えていない緑間に高尾は一瞬呆れのような表情を見せたが、すぐに不敵に笑った。