# 04


翌日、部室の空気は最悪だった。空気が泥のように重かったと、後に理石は語る。
 練習を終えた学生達が、黙々と制服に着替えていく。いつもは練習の感想や明日の授業の話で盛り上がるのだが、皆懸命に口をつぐんでいた。

「……いや、空気悪いわ! どうしたんや、また双子がやらかしたんか?」

 監督とのミーティングで遅れて入ってきた三年生達が部室のドアを開けると、一、二年生はほっとしたように息をつく。どかどかと三年生が部室に入ってくる。尾白が気をきかせて突っ込んでくれたのが良かった。緊張で強ばっていた空気が少しずつゆるんでいく。

「また俺らってどーいうことやアランくん」

「そうや、俺らなんもしとらんし」

「いやそのまんまの意味や、お前ら最近ピリピリしとったからな」

「…ホント迷惑」

「おい角名聞こえとるからな」

「ピリピリなんてしとらんし!」

「しとるわ! 現に今もそうやないか、見てみい後輩達の青い顔を! ……あれ、そういえば元凶の日向はどこおるんや?」

 アランさん、それは禁句です――!
 一、二年生の心の声が重なった。試合でブレークを重ねた時より一致団結した瞬間だった。
 尾白はキョロキョロと広い部室を見渡すが、特徴的なオレンジ頭は見つからない。最近は隅っこで隠れるように着替えていたはずだが、もう帰ってしまったのだろうか、と思ったその時、

「そうや。なんで今日翔陽くんおらんねん」

ぶすくれた顔で着替えを終えた侑が言った。

 ボールを触るのが、バレーをするのが楽しくてしょうがないという風に練習を心待ちにしている日向が、その日はいなかった。いつもならいの一番に体育館に入って準備を始め、帰りはぎりぎりまで自主練をして遅くまで残っているはずが、一向に姿が見えない。
 侑と治は、北に絞られたのもあって日向をとっ捕まえようと計画していたのに、肩透かしをくらっていたのだった。

「そういえば、理石、お前日向と同じクラスやったな。あいつ、授業にはおったんか?」

 名指しで指名された理石は、大袈裟に肩を震わた。ついに来てしまったか、と同級生が同情の視線を送る。理石が制服のボタンをかけ違えたふりをしながらゆっくりと背後を振り向くと、侑と治が取り立てに来たかのように理石を睨んでいた。そのさらに後ろで、尾白がしょうがないなと肩を竦めている。
 日向が侑を部屋に招いた時からなぜかこういうことが起こるんじゃないかと予見していた。とばっちりを喰らわないように関わらずにいたのに……、と理石は内心肩を落とす。そして、観念して口を開いた。

「日向、今日学校にも来とりませんでした。なんや昨日深刻そうな顔で部屋で電話しとったんで聞いたら、今日から宮城に帰るって言うてました」

「……はあああ!?」

「息ぴったりか!」

 アランの軽快な突っ込みも関係ないとばかりに、侑と治が理石に詰め寄った。

「どっ、どど、どういうことや!? 今、み、宮城に帰った言うたか!?」

「なんっっでそれを早く言わんのや! クソ、詳しく教えんか!」

 二人に胸ぐらを掴まんばかりの勢いでまくしたてられた理石は、だから言いたくなかったんだよ、と密かにため息をついた。理石から見てもあからさまに日向へアピールをしている侑と治が日向が宮城に行ったなんて知ったら、尋常ではないほど怒るか、騒ぐか、当たり散らすか、いずれにせよ自分達部員が悲惨な目にあうことは目に見えていた。実際に目の前で慌てふためいている双子は、その整った顔を歪ませて、任侠のごとく理石を恫喝しようとしている。ファンの女の子が見たら卒倒するだろうと思った。

 しかしながら、理石も日向の電話の内容は詳しく聞いていないし、日向からも宮城に帰省するとだけ聞かされていた。特に、電話口では落ち込んでいたようだったから、理石にとって日向は仲の良い同級生ではあるものの、プライベートに土足で踏み入る気にはなれず、特に理由も聞かなかった。
 理石は昨日あったことを時系列で説明すると、二人は何を勘違いしたのか、勝手に話を進める。

「ま、まさか……俺らと会うのが嫌になって、て、転校とかないよな!?」

「て、転校!? いや、でも宮城に帰るってことはそういうことになるんか…? 日向、そんなに俺らのことを……」

「サムお前が何かしたんとちゃうのか! 俺がユースから帰ってきたらこんな感じやってんぞ」

「アカン……」

「おい聞けや、呆然としとる場合ちゃうぞ!」

 日向が宮城から帰ってこないかもしれない、と愕然としている治の肩を、侑が興奮しながらがくがくと揺さぶっている。二人が阿鼻叫喚しているのを尻目に、その光景が慣れっこになってしまった三年生あたりは、おつかれさまでーす、と声をかけて部室を出ていくのが見える。角名や銀島もその一人だ。
 一部始終を横目に眺めていた尾白は、コソコソ話をするように口元に手をあてて、帰り支度をしている北に尋ねた。

「…なあ北、日向の話なんか聞いとる?」

 部活といえど無断欠席は許されない。欠席する場合は、少なくとも監督か顧問に連絡が行くはずだ。尾白は、その連絡をキャプテンである北も受けているのではないかと踏んでいた。
 北はジャージを丁寧に畳んでバッグに詰めながら返答した。

「いや、俺のところに連絡は来とらん」

「じゃあ本当に……」

「けど、侑と治の言うように転校とかいう話になったら俺にも連絡が来とるはずやろ。だから、何か理由があるんやと思うで。明日顧問の先生にも聞いてみるわ」

「そ、そうやな。それもそうか……」

 北の言うことはもっともだった。長期の休みや、ましてや転校なんて話になったら監督や顧問から話があるはず。そも、日向の性格を考えると、誰にも何も言わずに高校を去ることは考えられない。冷静になって考えると当たり前のことだが、あの元気印がいないことで、尾白も少なからず動揺していた。

「けど、双子は勘違いしたままやで。北から何か言うたほうがええんちゃう?」

 気を利かせた尾白の発言に、北は慌てふためく双子をちらと見て冷静に言った。

「いずれ日向は戻ってくるやし、あいつらが知らんでもええんやないか。最近テンション下がってたし、いい気付け薬にもなったんちゃう」

 正論と言えば正論だが、自分が知っていることをあえて双子に言わないままでいるのも、尾白の良心が咎めた。明日から暴れる二人を止めるのは俺なのだろうか、という不安もないと言ったら嘘になる。
 そんな尾白の内心を見透かしたような瞳で、北は言った。

「雨降って地固まる、言うやんか。今回はそれやと思うねん。やから、黙って見とればええんとちゃう」

 そういうものなのか、と頭を悩ませた尾白は、いつの間にか北がコートを着て帰り支度を済ませてしまっていたことに気が付く。部室を見渡すと、大方の生徒達はもういなくなっていて、残すは双子と、それに絡まれている理石達一年生と、自分達だけだった。
 冬の昼は短い。
 部室の底冷えする空気を今更感じた尾白は、練習の疲れも相まって温かい夕飯と柔らかいベッドの誘惑にさらされた。そして、北が間違ったこと言うたことなかったしな、と自分を納得させて、北の後を着いて部室を後にした。