# 01

耳に馴染んだ関西弁は随分と懐の深いところまで入ってきた。キツそうに聞こえる言葉が今では安心感をくれるから、不思議だ。その発声方法になのか、その言葉を使う人になのかは定かではないがとにかく心が落ち着く。
 大阪でのホーム戦を終えた翌日、寮から二人揃って駅に向かう。大抵この時間は、体育館の照明か会社の蛍光灯の下にいるから太陽が高い位置にある時間帯に、外を歩くのは久しぶりだった。

「ほな、行こか」
「今日はよろしくお願いします」
「ええよ、先輩に任しとき」

 髪色でも身長でも目立つ先輩は、コートの中では見られない顔で笑った。本来の笑顔というものは、ファンやバレーに向けられるものよりも大人しい。
 そんな先輩こと、侑さんの背中を座標にして街中をグングンと進む。歩幅がかなり違うから、一瞬でも気を抜いたら置いて行かれそうだ。それはまるで、今の自分が身を置いているところにも似ているなと思った。

「翔陽くん。時間あるなら地元案内するで?」
「いいんですか?」
「おん。美味しいものとか見せたいもん、いっぱいあんねん」

 子どもみたいにはしゃいでお礼を言って、今日は侑さんの地元である兵庫を案内してもらう予定だった。そう、予定だったのだ。
 何を隠そう。俺はなんと、この歳になっても迷子になるという失態をしでかした。一つ、言い訳を聞いてもらえるのなら侑さんにも悪いところがあるというのは声を大にして言いたい。
 もともとホーム試合の翌日だし、あの人は高校時代から名の売れている選手なわけである。変装もせずに、街中を歩いてみろ。すぐさま見つかり、黄色い声が上がるに決まっている。雪崩のように侑さんに駆け寄るファンによって、俺は見事に離れ離れ。何より災難なことは、ここは兵庫の住宅街なわけである。

 周囲に目星になるようなコンビニを探すところから俺の旅が始まったが、上手いものをたらふく食べようと空かせた腹がここへきて裏目に出た。腹が減っては戦は出来ぬというのは、嘘じゃない。アスリートの俺が言うからより真実味が増すだろう。ここでドヤ顔しても腹は膨れない。

「侑さんどこー? 電話に出てくださいよ」

 電話を掛けても掛けても繋がらない。きっとまだ、ファンの方に捕まっているのだろう。でも、可愛い後輩の事を思い出してほしい。
 半べそをかきながら、教育に悪いと怒られそうなヤンキー座りで道端にしゃがんだ。もうへとへと。まだ七月に入ったばかりだというのに、日本は猛暑日を連日で記録している。これじゃまだ、ブラジルのほうがマシだぞ。
 お金があっても物が売っていなければ、財布に入ったそれらはガラクタに過ぎない。水がほしい魚になった気分だ。

「こんなとこで、どうしたん?」
「はいッ! すみません!」
「えらい暑いのに……こんな所におったら熱中症なるからはよ日陰に入らなアカンよ?」
「それがですね……俺、えっと、」
「涼みにうちおいで」

 見知らぬ人間に優しくしてもらうなんて、という遠慮も忘れてその提案に勢いよく頭を下げた。神様みたいに思えてくる。重そうに両手をふさぐ荷物持ちに立候補し、沢山笑ったであろう目元の皺がさらに深くなった。

 ◇  ◇  ◇  ◇

「ばぁちゃん、誰か来てるん?」

 果物を取りにおいでと、連絡が入り仕事終わりの足で祖母の自宅に向かう。細い道の運転もかなり慣れてきた。住宅街にはやや不自然な車種で、緩やかにタイヤを滑らせる。小さい頃は祖母に育てられたようなものなのに、あの広すぎる家に前回行ったのは正月くらいだ。
 社会人になってから、その顔を見る機会は部活を始めてからさらにグンと減った。いつも変わらない優しいばあちゃんの背中は、気づかんうちに小さくなったように思う。俺がデカくなったからなのかどうかはわからないけど、きっと気のせいやない。
 そんなばあちゃんの玄関に、見かけん靴があった。成人男性としてはありきたりやけど、妙に凝ったランニングシューズ。スポーツをしている人間なら一度は履いたことのあるブランドで、それは新作が出たと騒いでいた後輩のSNSにあげられていたものの色違いだった。

「信ちゃん、よう来たなぁ」
「あぁ、もう仕事終わった頃やったから。タイミング丁度やったわ。で、誰が来てるん?」

 少しキツい言い方になってしまうのも無理はない。しっかり者のばあちゃんだが、高齢者には変わりない。よからぬ者がばあちゃんを騙そうとしている可能性を、一刻も早く潰したかった。

「道端に立ち尽くしていたからなぁ。一緒におやつ食べて、話し相手になってもらってたんよ」
「ばあちゃん、いくらなんでもそれは危ないやろ?」

 どんな奴がおるんかと、居間に歩を進めればスヤスヤと寝ている子がおった。高校生に間違われそうな彼は、侑の後輩に間違いない。こうして顔を合わせるのは二度目だが、俺の最後のバレーの試合。双子以上にノリノリだった彼らを忘れることなんて出来なかった。

「翔陽くん言うてな。この子もバレーやっとるって言うてたよ」
「そうやろな。この子、プロのバレー選手やで」
「そら、悪いことしたなぁ。信ちゃんのこと知ってるかなぁ思って、あれこれ喋ってしもうたなぁ」

 記憶の中とは違う、逞しくなった腕に日焼けした肌。そこにはもう俺の知らん翔陽くんがおった。向こうがこちらのことなんて知っているはずもないし、せいぜい学校名を聞いて対戦した相手くらいの認識なんやろうなと思う。

「で、翔陽くんはどうしてここにおるん?」

 純粋な疑問。彼らのホームは大阪であって、ここに来る理由はないに等しい。あるとするなら、高校時代の後輩くらいしか思いつかんかった。
 目を覚ました彼に、すぐさま聞けば
「北さん!」
と、間違われることなく名前を呼ばれた。プロにもなったこの子が一度しか対戦してない自分を覚えていることに驚く。侑の口からあれこれ聞いた可能性もあるが、今は素直にこの子の記憶によるものだと思いたい。

「侑さんと一緒に来たんですが、はぐれまして。それで、立ちおーじょうしている所を北さんのおばあちゃんに助けてもらいました。昼ご飯とかおやつとか色々と振る舞ってくれて、本当にありがとうございます」
「お礼を言うならばあちゃんに言ってや」
「ッす!」

 寝ぐせのついた髪に指を梳かせて、こちらからもお礼を伝えればキョトンとしている。何のことかわからんって顔をしているが、その理由を話さずに本題へと戻した。

「で、侑とは連絡ついたん?」
「ハッ! 忘れてました!」
「今から電話掛けてくれへん? 俺が話つけたるから」

 翔陽くんは素直に侑の連絡先にタップし、コール画面に切り替えた。どうするのかと、落ち着きない彼に大丈夫やと笑ってまたその形のいい頭を撫でる。
 あ、プロ選手にこれはアカンよなと手を頭から離せば、翔陽くんはシュンとした顔になった。それを何度か繰り返すたび、シュンとした顔をするものだから色々とこの子には完敗や。されるがままでいる翔陽くんの頭に手を載せたまま、電話が繋がった。

「翔陽くん? 今どこなん? ほんまは、俺と来るの嫌やったん?」
「おい、侑。後輩誘って出掛けたんなら、ちゃんと最後まで面倒みろ。熱中症にでもなってたらどうするつもりやったん?」
「はッ!? え、北さん? なんで、翔陽くんの電話に北さんが出てはるんですか?」
「まずは翔陽くんに言わなアカンことあるやろ」

 電話の後ろで聞こえる侑と似た声の奴に、聞き慣れた笑い声。こいつら三人は昔から仲良かったが、とくにかく面白さが一番でそのあたりは成長していない。仮にも翔陽くんより先輩にあたるわけやから、もう少し自覚を持ってもらいたい。

「後ろにいるお前らもや。後輩もてなすんなら、ちゃんとせぇ。翔陽くんに失礼やと思わへんの? な、治に角名?」
「北さん? え、侑さん一人じゃないんですか?」
「侑、これから翔陽くん送り届けたるから位置情報送っといて」
「すんません。よろしくお願いします」

 話がいまいち見えてこない翔陽は、まだ俺の手を頭からどけることなくソワソワしている。というよりかはハラハラだな。無意識に人を追い詰めてるとこがあると、アランに言われたことを思い出した。

「翔陽くん。これから、侑んとこに送ったるから準備してや」
「いえ、そこまでお世話になるわけには。マップさえあれば大丈夫っス」
「ええから、俺に送らせてくれへん? 先輩の顔、立ててや」

 そこまで言うならと、渋々引き下がる橙頭を撫でれば少しくすぐったそうに笑ってくれた。当初の目的を果たし、ばあちゃんの家を後にする。またおいでと、笑ったばあちゃんに翔陽くんは元気に返事をしていた。また、が本当にあるのかはわからないがあったらええなと思う。

「翔陽くんはほんまにええ子やな。今日はハプニングとはいえ、ばあちゃんの相手してもらってありがとう」
「いえッ! 俺、北さんのおばあちゃんに会えなかった間違いなく倒れるところでした。こちらこそありがとうございました」

 前を向いて運転している俺に、その視界の隅でもわかるくらいに深々と下げた頭に、ほんまにええ子やなと思う。あのバケモンたちが気に入るのも頷ける。いや、彼はこちら側の人間やなくてバケモン側や。今さらわかりっきたことに、フフッと苦笑交じりの声が出た。

「北さんは、って。北さんって呼んでもいいですか?」
「ん? あぁ、かまへん。あー、いや下の名前で呼んでや」
「信介さんですか?」
「自分、俺の下の名前まで知っとんたん?」

 さすがに、こればかりは驚く。先輩の先輩やし、フルネームを知っているとは思わんやろ。危うく事故りかけそうになりながら、街並みは穏やかに流れていく。ポーカーフェイスを気取ってるわけやないけど、感情が顔に直結しない性格で良かった。
 おれの問いかけに答える気はないみたいで、翔陽くんは静かに頷くだけだった。バケモンたちに可愛がられる理由もわかってしまう。後輩としての可愛さだけやない、彼の魅力は人間すらも虜にしてしまうのは時間の問題や。

「信介さん。今度、お礼させてください」
「ええよ、そんなん。もとはと言えば、侑の不手際やから。それに俺はなんもしとらんしな」
「見ず知らずの土地で優しくされて、それで終わりというわけにはいきません」

 その優しさにありつける有難みを、ちゃんと知っている子なんやなと思う。ブラジル帰りだからこそ、余計にそう思うんやろうな。

「それなら、バレーでしたらええ。時間は誰でも平等に流れるけど、お前らと俺らの時間は意味が違う」
「信介さんは意地悪です! そんな線引かなくてもいいじゃないですか。絶対にお礼をするったらするんですッ」

 俺の周りにはいない種類の後輩で、声に出して笑った。涙が滲むほど笑ったのはいつぶりだろう。おかしなことは言っていないぞと、首を傾げる翔陽くんは視線を逸らすことなくこちらを見た。しゃーなしと、車を路肩に停め向かい合う。

「自分、プロなんやからそんな安売りしたらアカンのちゃう?」
「プロとかそんなの関係ないです。信介さんは迷惑ですか?」
「迷惑やったらここまでしな」

 ブラジル式の挨拶が自分の車内で行われるなんて、予想つかんかった。頬が焼けたみたいに熱い。冷房はガンガンにつけているのに、自分の外側を保っていられそうにない。
 俺やって男や。そっちがその気なら手加減なんかせん。高校の頃から侑やボールやなくて、俺を見てほしかったんやから。せっかく蓋しとったのに。

「翔陽くん。このまま俺の家でもええ?」
「あの、俺。そういうつもりじゃ」
「ならどういうつもりやったん? さすがに日本じゃ、おふざけでここまで出来ひんよな?」
「だって、信介さん。観戦に来てくれても侑さんとしか話さないし。今日の機会を無駄にしたくないけど、思い出もほしかったんですもん。からかってなんかいないですけど……ごめんなさい」

 こんな可愛い子をこのままバケモンたちに送り届けるのは嫌やと、何百か何千万かいくであろうその手に優しく触れる。みんなが欲しがる彼が、こんなプロでも何でもない自分を欲しいと言われるのは気分が良かった。

「なぁ、もう一回初めましてからせぇへん?」
「え?」
「ちゃんとしたいねん、翔陽くんのこと。これからずっと大事にしたいねん」
「よよ、よろしくお願いします」

 侑たちのいる店に手を繋いで登場してやろうと、高校時代の俺が顔を出す。互いのことを恋人やと紹介したらあの後輩らはどんな顔をするんやろうなぁと、ついさっき出来た恋人に口づけを贈った。耳に馴染んだ関西弁は随分と懐の深いところまで入ってきた。キツそうに聞こえる言葉が今では安心感をくれるから、不思議だ。その発声方法になのか、その言葉を使う人になのかは定かではないがとにかく心が落ち着く。
 大阪でのホーム戦を終えた翌日、寮から二人揃って駅に向かう。大抵この時間は、体育館の照明か会社の蛍光灯の下にいるから太陽が高い位置にある時間帯に、外を歩くのは久しぶりだった。

「ほな、行こか」
「今日はよろしくお願いします」
「ええよ、先輩に任しとき」

 髪色でも身長でも目立つ先輩は、コートの中では見られない顔で笑った。本来の笑顔というものは、ファンやバレーに向けられるものよりも大人しい。
 そんな先輩こと、侑さんの背中を座標にして街中をグングンと進む。歩幅がかなり違うから、一瞬でも気を抜いたら置いて行かれそうだ。それはまるで、今の自分が身を置いているところにも似ているなと思った。

「翔陽くん。時間あるなら地元案内するで?」
「いいんですか?」
「おん。美味しいものとか見せたいもん、いっぱいあんねん」

 子どもみたいにはしゃいでお礼を言って、今日は侑さんの地元である兵庫を案内してもらう予定だった。そう、予定だったのだ。
 何を隠そう。俺はなんと、この歳になっても迷子になるという失態をしでかした。一つ、言い訳を聞いてもらえるのなら侑さんにも悪いところがあるというのは声を大にして言いたい。
 もともとホーム試合の翌日だし、あの人は高校時代から名の売れている選手なわけである。変装もせずに、街中を歩いてみろ。すぐさま見つかり、黄色い声が上がるに決まっている。雪崩のように侑さんに駆け寄るファンによって、俺は見事に離れ離れ。何より災難なことは、ここは兵庫の住宅街なわけである。

 周囲に目星になるようなコンビニを探すところから俺の旅が始まったが、上手いものをたらふく食べようと空かせた腹がここへきて裏目に出た。腹が減っては戦は出来ぬというのは、嘘じゃない。アスリートの俺が言うからより真実味が増すだろう。ここでドヤ顔しても腹は膨れない。

「侑さんどこー? 電話に出てくださいよ」

 電話を掛けても掛けても繋がらない。きっとまだ、ファンの方に捕まっているのだろう。でも、可愛い後輩の事を思い出してほしい。
 半べそをかきながら、教育に悪いと怒られそうなヤンキー座りで道端にしゃがんだ。もうへとへと。まだ七月に入ったばかりだというのに、日本は猛暑日を連日で記録している。これじゃまだ、ブラジルのほうがマシだぞ。
 お金があっても物が売っていなければ、財布に入ったそれらはガラクタに過ぎない。水がほしい魚になった気分だ。

「こんなとこで、どうしたん?」
「はいッ! すみません!」
「えらい暑いのに……こんな所におったら熱中症なるからはよ日陰に入らなアカンよ?」
「それがですね……俺、えっと、」
「涼みにうちおいで」

 見知らぬ人間に優しくしてもらうなんて、という遠慮も忘れてその提案に勢いよく頭を下げた。神様みたいに思えてくる。重そうに両手をふさぐ荷物持ちに立候補し、沢山笑ったであろう目元の皺がさらに深くなった。

 ◇  ◇  ◇  ◇

「ばぁちゃん、誰か来てるん?」

 果物を取りにおいでと、連絡が入り仕事終わりの足で祖母の自宅に向かう。細い道の運転もかなり慣れてきた。住宅街にはやや不自然な車種で、緩やかにタイヤを滑らせる。小さい頃は祖母に育てられたようなものなのに、あの広すぎる家に前回行ったのは正月くらいだ。
 社会人になってから、その顔を見る機会は部活を始めてからさらにグンと減った。いつも変わらない優しいばあちゃんの背中は、気づかんうちに小さくなったように思う。俺がデカくなったからなのかどうかはわからないけど、きっと気のせいやない。
 そんなばあちゃんの玄関に、見かけん靴があった。成人男性としてはありきたりやけど、妙に凝ったランニングシューズ。スポーツをしている人間なら一度は履いたことのあるブランドで、それは新作が出たと騒いでいた後輩のSNSにあげられていたものの色違いだった。

「信ちゃん、よう来たなぁ」
「あぁ、もう仕事終わった頃やったから。タイミング丁度やったわ。で、誰が来てるん?」

 少しキツい言い方になってしまうのも無理はない。しっかり者のばあちゃんだが、高齢者には変わりない。よからぬ者がばあちゃんを騙そうとしている可能性を、一刻も早く潰したかった。

「道端に立ち尽くしていたからなぁ。一緒におやつ食べて、話し相手になってもらってたんよ」
「ばあちゃん、いくらなんでもそれは危ないやろ?」

 どんな奴がおるんかと、居間に歩を進めればスヤスヤと寝ている子がおった。高校生に間違われそうな彼は、侑の後輩に間違いない。こうして顔を合わせるのは二度目だが、俺の最後のバレーの試合。双子以上にノリノリだった彼らを忘れることなんて出来なかった。

「翔陽くん言うてな。この子もバレーやっとるって言うてたよ」
「そうやろな。この子、プロのバレー選手やで」
「そら、悪いことしたなぁ。信ちゃんのこと知ってるかなぁ思って、あれこれ喋ってしもうたなぁ」

 記憶の中とは違う、逞しくなった腕に日焼けした肌。そこにはもう俺の知らん翔陽くんがおった。向こうがこちらのことなんて知っているはずもないし、せいぜい学校名を聞いて対戦した相手くらいの認識なんやろうなと思う。

「で、翔陽くんはどうしてここにおるん?」

 純粋な疑問。彼らのホームは大阪であって、ここに来る理由はないに等しい。あるとするなら、高校時代の後輩くらいしか思いつかんかった。
 目を覚ました彼に、すぐさま聞けば
「北さん!」
と、間違われることなく名前を呼ばれた。プロにもなったこの子が一度しか対戦してない自分を覚えていることに驚く。侑の口からあれこれ聞いた可能性もあるが、今は素直にこの子の記憶によるものだと思いたい。

「侑さんと一緒に来たんですが、はぐれまして。それで、立ちおーじょうしている所を北さんのおばあちゃんに助けてもらいました。昼ご飯とかおやつとか色々と振る舞ってくれて、本当にありがとうございます」
「お礼を言うならばあちゃんに言ってや」
「ッす!」

 寝ぐせのついた髪に指を梳かせて、こちらからもお礼を伝えればキョトンとしている。何のことかわからんって顔をしているが、その理由を話さずに本題へと戻した。

「で、侑とは連絡ついたん?」
「ハッ! 忘れてました!」
「今から電話掛けてくれへん? 俺が話つけたるから」

 翔陽くんは素直に侑の連絡先にタップし、コール画面に切り替えた。どうするのかと、落ち着きない彼に大丈夫やと笑ってまたその形のいい頭を撫でる。
 あ、プロ選手にこれはアカンよなと手を頭から離せば、翔陽くんはシュンとした顔になった。それを何度か繰り返すたび、シュンとした顔をするものだから色々とこの子には完敗や。されるがままでいる翔陽くんの頭に手を載せたまま、電話が繋がった。

「翔陽くん? 今どこなん? ほんまは、俺と来るの嫌やったん?」
「おい、侑。後輩誘って出掛けたんなら、ちゃんと最後まで面倒みろ。熱中症にでもなってたらどうするつもりやったん?」
「はッ!? え、北さん? なんで、翔陽くんの電話に北さんが出てはるんですか?」
「まずは翔陽くんに言わなアカンことあるやろ」

 電話の後ろで聞こえる侑と似た声の奴に、聞き慣れた笑い声。こいつら三人は昔から仲良かったが、とくにかく面白さが一番でそのあたりは成長していない。仮にも翔陽くんより先輩にあたるわけやから、もう少し自覚を持ってもらいたい。

「後ろにいるお前らもや。後輩もてなすんなら、ちゃんとせぇ。翔陽くんに失礼やと思わへんの? な、治に角名?」
「北さん? え、侑さん一人じゃないんですか?」
「侑、これから翔陽くん送り届けたるから位置情報送っといて」
「すんません。よろしくお願いします」

 話がいまいち見えてこない翔陽は、まだ俺の手を頭からどけることなくソワソワしている。というよりかはハラハラだな。無意識に人を追い詰めてるとこがあると、アランに言われたことを思い出した。

「翔陽くん。これから、侑んとこに送ったるから準備してや」
「いえ、そこまでお世話になるわけには。マップさえあれば大丈夫っス」
「ええから、俺に送らせてくれへん? 先輩の顔、立ててや」

 そこまで言うならと、渋々引き下がる橙頭を撫でれば少しくすぐったそうに笑ってくれた。当初の目的を果たし、ばあちゃんの家を後にする。またおいでと、笑ったばあちゃんに翔陽くんは元気に返事をしていた。また、が本当にあるのかはわからないがあったらええなと思う。

「翔陽くんはほんまにええ子やな。今日はハプニングとはいえ、ばあちゃんの相手してもらってありがとう」
「いえッ! 俺、北さんのおばあちゃんに会えなかった間違いなく倒れるところでした。こちらこそありがとうございました」

 前を向いて運転している俺に、その視界の隅でもわかるくらいに深々と下げた頭に、ほんまにええ子やなと思う。あのバケモンたちが気に入るのも頷ける。いや、彼はこちら側の人間やなくてバケモン側や。今さらわかりっきたことに、フフッと苦笑交じりの声が出た。

「北さんは、って。北さんって呼んでもいいですか?」
「ん? あぁ、かまへん。あー、いや下の名前で呼んでや」
「信介さんですか?」
「自分、俺の下の名前まで知っとんたん?」

 さすがに、こればかりは驚く。先輩の先輩やし、フルネームを知っているとは思わんやろ。危うく事故りかけそうになりながら、街並みは穏やかに流れていく。ポーカーフェイスを気取ってるわけやないけど、感情が顔に直結しない性格で良かった。
 おれの問いかけに答える気はないみたいで、翔陽くんは静かに頷くだけだった。バケモンたちに可愛がられる理由もわかってしまう。後輩としての可愛さだけやない、彼の魅力は人間すらも虜にしてしまうのは時間の問題や。

「信介さん。今度、お礼させてください」
「ええよ、そんなん。もとはと言えば、侑の不手際やから。それに俺はなんもしとらんしな」
「見ず知らずの土地で優しくされて、それで終わりというわけにはいきません」

 その優しさにありつける有難みを、ちゃんと知っている子なんやなと思う。ブラジル帰りだからこそ、余計にそう思うんやろうな。

「それなら、バレーでしたらええ。時間は誰でも平等に流れるけど、お前らと俺らの時間は意味が違う」
「信介さんは意地悪です! そんな線引かなくてもいいじゃないですか。絶対にお礼をするったらするんですッ」

 俺の周りにはいない種類の後輩で、声に出して笑った。涙が滲むほど笑ったのはいつぶりだろう。おかしなことは言っていないぞと、首を傾げる翔陽くんは視線を逸らすことなくこちらを見た。しゃーなしと、車を路肩に停め向かい合う。

「自分、プロなんやからそんな安売りしたらアカンのちゃう?」
「プロとかそんなの関係ないです。信介さんは迷惑ですか?」
「迷惑やったらここまでしな」

 ブラジル式の挨拶が自分の車内で行われるなんて、予想つかんかった。頬が焼けたみたいに熱い。冷房はガンガンにつけているのに、自分の外側を保っていられそうにない。
 俺やって男や。そっちがその気なら手加減なんかせん。高校の頃から侑やボールやなくて、俺を見てほしかったんやから。せっかく蓋しとったのに。

「翔陽くん。このまま俺の家でもええ?」
「あの、俺。そういうつもりじゃ」
「ならどういうつもりやったん? さすがに日本じゃ、おふざけでここまで出来ひんよな?」
「だって、信介さん。観戦に来てくれても侑さんとしか話さないし。今日の機会を無駄にしたくないけど、思い出もほしかったんですもん。からかってなんかいないですけど……ごめんなさい」

 こんな可愛い子をこのままバケモンたちに送り届けるのは嫌やと、何百か何千万かいくであろうその手に優しく触れる。みんなが欲しがる彼が、こんなプロでも何でもない自分を欲しいと言われるのは気分が良かった。

「なぁ、もう一回初めましてからせぇへん?」
「え?」
「ちゃんとしたいねん、翔陽くんのこと。これからずっと大事にしたいねん」
「よよ、よろしくお願いします」

 侑たちのいる店に手を繋いで登場してやろうと、高校時代の俺が顔を出す。互いのことを恋人やと紹介したらあの後輩らはどんな顔をするんやろうなぁと、ついさっき出来た恋人に口づけを贈った。