ピンポン、ピンポン、ピンポーン
「やっかまし! 何時やと思ってん、ボケが」
「ひぃっ」
「…………」
「翔陽くんー! やっぱサム怒って」
「おい、後輩に何さしとんねん」
深夜一時、住宅街に響いた関西弁はまだ静まる気配はなかった。とりあえず、中に入れと家に案内された日向と侑だが扱いは囚人のようだ。お邪魔しますという日向の声は、双子の罵り合いによってかき消されていく。
治が生まれてからずっと住み慣れた家も地元からも飛び出し、陸続きではあるが一人暮らしを始めて早くも十年が経とうとしていた。仕事もどうにか軌道に乗り、最近は利益を伸ばしつつある。心配事はこれといってなく、独身を満喫しているところだ。ただ一つ、誤算と言えば片割れが所属するチームの拠点に居を構えたことだった。
流石に、チームの寮から徒歩で寄れるような場所にはないがこうして気軽にふらりと立ち寄れてしまう。利便性を考え、職場へのアクセスも考慮した結果がこれだ。ツム、さっさと移籍せんかなと考えているのはここだけの話である。
「プロのバレー選手と飲みたいっていう姉ちゃん方と飲んでてん」
「何の自慢やねん。お前なんか、背後から刺されるのがオチや」
「やめろや! 言霊ってあるやろっ」
「あのー俺、そろそろ帰ろうかと」
「「なんで? 泊まっていったらええやん」」
日向が恐る恐る挙げた手を、二人は何も見えなかったらしい。勿論、そうするよな? という圧も込めて言い切った言葉に日向は頷くしかなかった。普段感じることのない圧に、日向の心はすでに筋肉痛である。
「翔陽くん。すまんけど、俺のベットでええ?」
「あのっ、お構いなく!」
「構うやろ、普通。自分、体が資本なんやから。ほんまは、客用の布団で寝さしたいんやけど。ほれ、あの我儘がおるやろ」
「侑さんですか?」
「おん。あいつ、自分用とか言い張って誰にも貸すなって無茶苦茶言いよる。だから、すまんけどこれで我慢したってや」
既に広めのリビングには布団が敷かれており、いつの間にか侑はスウェットに着替えている。この家の使い勝手は知っているようで、歯磨きしてくるとどこかへ消えていた。
着替えは……サイズは心配でんでもええか、と渡されたことに悔しさを感じながら風呂場へと案内された。治が日向へのおもてなしを準備する一方、侑は一日の全てを終わらせたらしい。もう寝るわ、と勝手に日向を身内の家へ連れて行ったかと思えばもう体は布団の中だ。
「あいつ、飲み会の前に風呂入るしよう飲むから飲酒後に風呂入らすの危ないからな。さすがに、そこまで面倒見たくないしな」
「確かに、今日もペース早かったですね」
「翔陽くんはどないする? 風呂は別に明日でもええよ」
「いえ、さすがに。寝床奪うのに、そんな」
侑の後輩とは思えへんという言葉を零したが、これまでの彼らの後輩を不憫に思う。日向がそんなこと言えるはずもなく、大人しく風呂に入ることにした。
柑橘系の匂いのする湯舟に浸かり、これまたいい匂いのするシャンプーやらボディソープの匂いを漂わせれば、間違いなく日向は宮家の一員だった。風呂のお礼を言おうとリビングに行けば、冷えた容器を渡される。たくさんのクエスチョンマークを飛ばす日向に、メディア対策と治が笑う。
「化粧水ですか?」
「おん。ビーチとかやってたんなら、肌の手入れとかしてると思ってたけどしてなかったん?」
もう侑はとっくに夢の中だ。示し合せをしなくても二人の声は小さくなる。なんと言っても、侑の寝起きはかなり悪い。それのとばっちりを長く喰らっている二人だ。対策しないはずもなかった。
「常温やとなんかべたつくし、嫌やん? 冷やしたら気持ちいいんよ」
「治さんはアレですね。生活の仕方が上手いですね」
「なんやねんそれ。褒めたってなんもないで。あ、それ終わったらこっちな」
化粧水を顔に塗りたくれば、今度は乳液を渡される。これがまたこってりとしているのに、ひんやりとしているからかよく肌に馴染む。
全てつけ終わった日向は、自分の両頬に手をあてて歓喜の声をあげた。その表情に、治は瞬きを一度だけゆっくりとしてみる。初めて対戦したあの冬に見た、彼がここにいるのかと思ったからだ。どれだけ瞬きしようとも、目の前にいる彼は姿形が変わるはずもないのに。
「治さん! すごいです、コレ。ほら、ねっ」
考えもなしに、治の手を取り先ほどまで自分がしていたように両頬に手をセットした。水で荒れた手が、日向の柔い頬の感触を感じ取る。治の片手ほどしかない日向の顔は、どこもかしこも柔らかくて癖になる。
「餅みたいやなぁ」
「ここでも食べ物に結びつくのは治さんらしいですね」
日向の言葉にハッとする。こういう時は、赤ちゃんの肌みたいというのが一番の褒め言葉だし広告もそうしている。自分の答えにアホらしくなって、治はその頬をつねってやった。
「明日も早いんやろ。もう寝よか」
「っス。明日もバレーします」
「ほんまに、飯食うとるみたいにバレーするなぁ」
思い出に溺れそうになりながら、治はオレンジの彼を寝室へと送る。不思議な気持ちを感じながら、これで彼との縁も終わりだと思った。
「治さん、急に押しかけてすみませんでした」
「また来るから、よろしくなサムー」
「翔陽くん、これ良かったら食べてな。で、ツム。お前は二度と来んな」
規則正しく目覚めた二人を見送る。遠ざかるうるさい頭の二人が見えなくなるまで、ベランダから見守った。きっと今日で最後だと信じて疑わない。チーム一と言ってもいいほど人気のある彼が、この家で過ごすのは最後だ。そう簡単に、プロ選手に会える世界があってたまるか、という逆ギレにも似たそれを押し殺し、こちらに気づいて手を振る日向を見つめ手を振り返した。
と、思ったいた頃が懐かしくなるほど日向は治の家にやってくるようになった。頻度的に言えば、侑の次くらいにはあるだろう。大抵酔っ払った侑の世話係としてやってくる。翌朝、三人で朝食を取って解散。それがいつもの流れだ。なのに、それなのに、今日は勝手が違う。
「あ、サム? 今、家におるやろ?」
「おるけど、何や。迎えには行かんぞ」
治がチーム内の規約で車の運転を禁止されている侑の足になったことは、両手じゃ足りない。今日もその連絡かと思えば、すぐさま否定される。こういう時だけ、察しがいいのはどうかと思うと口にしないだけ大人になったなと思った。
「あんな翔陽くん、今日も一緒なんやけど」
「お前の後輩ということがほんまに可哀想やわ」
「うっさいわ、ボケ。ちゃう、時間無いから話聞けや。これからスポンサーと顔合わせやけど、翔陽くん狙われてんねん」
「なら、ええことなんちゃう?」
「アホ言え。汚い大人なんかと関わらすなんて出来るか。そっちの意味ちゃうしな」
治からすれば、絶句するような内容だった。スポーツ選手はスポーツさえすればいいものなのに、それ以外とも戦わないといけないことがあるなんて。それも、自分の片割れがそこにいるのも何というか、上手く名前のつかない感情が胸の奥に生まれたような気がする。
「ツムは?」
「え、あ、俺? 俺は大丈夫やで。チームのお偉いさんと一緒やし、キャプテンとの打ち合わせも済んどる。けど、翔陽くんは別格やねん。正直、自分の身を守れへんうちは同行すべきやないねん。けど、あの烏はよく知りもせずにのこのこ来ちゃったからなぁ」
タクシー手配してるから、という何とも仕事のできるようになった男から烏が我が家に輸送されるらしい。さすがに、二人だけで会ったことはない。出会ったあの日からこれまでずっと。もしかすると、我が家に来てしまうほうが大きな罠かもしれんと思う。
ピンポン、ピンポン、ピンポーン
あの夜みたいに、インターホンが鳴った。これまた見慣れない正装した日向が、小難しい顔して立っている。まるで童貞の家に片想い相手がやって来たような、企画モノみたいなそんな展開だ。治はワクワクで片付けていいのか迷いながら日向を家に上げる。
これまたあの日みたいに、自分のスウェットを日向に渡し風呂へと誘導する。夜はまだこれからだ。もしかすると、もしかするかも。学生にでも戻ったようなテンションで、風呂上りの日向を見れば寝るにはまだまだ早い時間だというのに寝室の扉を開く。
「治さん? えーっと、夕飯食べたいなぁ」
「んーまだ後でええんちゃう。腹空かして食べた方が」
ピンポン、ピンポーン、ピンポーン
「っち、誰やねん」
「治、邪魔するで。侑に頼まれて来たわ」
「北さん?!」
意外な人物の登場に治の脳内はパニックだ。短いターンを繰り返す治の目に、北は冷ややかな笑みを浮かべた。
「翔陽くんやったな?」
「はい」
「侑から色々話聞いててな。二人だと寂しいやろ? あとで、角名も合流するから美味い飯、一緒に食おうか」
狙ったようなタイミングで、大阪にいるかつてのチームメイトに背筋が凍る。侑はああ見えても、人の機微に敏い。治の気持ちもバレバレであるし、自分の後輩を易々と誰かに譲る気もないらしい。
「治、頭冷やしてこい」
日向が何のことかこれっぽちもわかっていなくて、良かったなと思う治であった。