幸福なる空腹


あいつを見ていると腹が減る。
 一度気付いてからは妙に目について仕方がなかった。ふと視線を上げた先にある顔が、強い光を宿した瞳が、いつだって雄弁に語っていた。腹いっぱいになって幸せだと、まだまだ食い足りないのだと。
 誰よりも貪欲に、飯を食うみたいにバレーをする小さな獣。それが治から見た烏野十番という存在だった。
 彼を見ていると自分まで腹が減った。美味そうに飯を食う奴を見たら、誰だってそうなるだろう。ただ今思えば、誰かのプレーに対してそんな風に感じたのは、あの時が初めてだったかもしれない。
 飢えという純粋な欲求。試合が終わるその瞬間まで、あの場にいた者たちは間違いなく囚われていた。極上のフルコースを何度食っても食い足りないような、天国とも地獄とも呼べそうなそれ。永遠に続くとさえ感じられた宴は、やがて稲荷崎の敗北をもって終わりを告げた。
 烏野には次の春高で雪辱を果たしたが、強く印象に残るのはやはり、最初に戦ったあの試合だったように思う。
 飯の道に進むと決めてからは勉強や準備に日々を追われ、久しく思い出すこともなかった。けれど、鮮烈な体験はそう簡単に忘れられるものではない。きっかけさえあれば、数年越しにでもあっさり蘇る可能性は十分にあり得る。
 たとえば――あの記憶にも等しい光景を、再び目の当たりにしたならば。





 熱狂の余韻が未だ醒めやらぬ夜に、治はとある居酒屋で行われたMSBYブラックジャッカルの祝勝会に参加していた。所属選手の身内であり、チーム自体とも普段からそれなりに親交があったため、良かったら来ないかと声が掛かったのだ。
 本来ならばすぐに撤収して関西まで戻る予定だったのだが、治は折角なので誘いを受けることにした。もしかしたら試合の熱量にあてられて、浮かれていたのかもしれない。手伝いに来てくれていたアルバイトを駅まで送り届け、目的の店に到着した頃には、座敷の中は既に宴もたけなわといった賑やかさだった。
 まず監督や主将へ挨拶を済ませて、騒がしい輪の中から目的の人物を探す。間もなく座敷の角で目立つ金髪とオレンジ色が目に留まり、治は迷わずそちらに向かった。
「ショーヨーくん。楽しんどるか?」
「――治さん! 
 はい、料理もお酒も全部美味しいです!」
 すぐに治に気付いた日向が、満面の笑みで頷いた。つい数時間前まで激戦を繰り広げていたというのに、疲労の色を感じさせない笑顔で迎えられ内心舌を巻く。こいつの体力は底なしなんか。
「そら良かったわ。
 ……で? ソイツどないしてん」
 でかい図体を丸くして日向に凭れかかる男は、非常に不本意ながら自分と瓜二つの顔をしている。しかもよく見たらとうに夢の世界へと旅立っているらしく、すうすうと安らかな寝息まで立てていた。
「飲むペースが早かったから、眠くなっちゃったみたいですね」
「ほおん。ガキは酒飲まれへん筈やけどなあ」
「あっはは」
 使われていない座布団を座敷の隅に適当に並べて、その上に侑を転がしておく。赤ら顔のまま呑気に寝こけている姿からは、世間からイケメンセッターと持て囃されている面影など露ほども感じられない。遊園地ではしゃぎ疲れた子どもそのものだ。
 片割れの間抜け面を見下ろし溜め息をひとつ落としてから、治は改めて日向に向き直った。侑を退かして空いた席を指さす。
「隣ええ?」
「はい! どうぞ!」
 からっとした気持ちの良い返事につい口角が上がる。隣に腰を下ろすと、いつもはカウンター越しにしか合わない目線がいくらか近く感じられた。
 メニューから適当に頼んだ麦茶はすぐにやってきた。軽くグラスを傾けると氷がカランと高い音色を奏でて、僅かに物足りない清涼感が治の渇いた喉を潤す。設営に必要な機材を運ぶため宮城までは車で来ていたので、アルコールに手を付けられないのが少々残念ではある。
「……落ち着いて話すんは初めてやった気するけど、いざこうしてみるとそういう感じもせんな」
「そうなんですか?」
「自分がトライアウトで入ってきた時から、ツムのヤツ、ショーヨーくんショーヨーくんうるさかってん」
 忘れもしない高校二年生の春高。侑がついさっき負けたばかりの相手にいつかトスを上げると宣言したのが、冗談でも何でも無いのは薄々察していた。数年経ってもその熱が冷めなかったのは意外だったが、そういえばことバレーに関しては飽き性が鳴りを潜める傾向にあったのを後になってから思い出したものだ。
 日向の入団が通告された当日。それはもうテンションが上がりまくった片割れは、守秘義務やら何やら全て吹っ飛んでしまったらしく。閉店の看板など物ともせず押しかけてきて、開口一番に翔陽くんがうちに来るでぇ!と興奮した様子で捲し立てた。片付けと翌日の仕込みをしている傍ら、コイツのIQは未だに幼児並みなんかと残念に思いつつ、かく言う自分も何となく落ち着かない心地にさせられた。認めたくはないが、本質的なところではやはり侑と似た血が通っているのだろう。
 それからは以前より明らかに店に顔を出す回数が増えた。侑にバレー関係者以外で気兼ねなく話せる友人など殆どいないのが一番の理由だっただろうが、治も話を聞くのが嫌ではなかった。最初は話のタネでしかなかった日向本人を連れてきて、先輩面して奢ってやるなんてこの先一生見られないと思った光景も、今や当たり前になりつつある。
 だがそうやって店に来る時も専ら話の中心にいるのは侑で、日向と治の間では相槌や軽いやり取りが殆どである。顔を合わせる機会は何度かあっても日向の周りにはいつも誰かがいて、二人でじっくり話せるタイミングはあまり無かったのだ。
「アイツがここまで後輩の面倒見るなんて、稲荷崎でもあり得へんかったし。ろくに友達もおらんから、何かある度に俺にまで相談してくんねん。
 その所為か、何や他人の気がせえへんわ」
「侑さんには普段から良くして貰ってますけど、知らない間に治さんにもお世話になってたんですね!」
「それが信じられへんのよなぁ……」
 あの人格ポンコツもいよいよオトナになったんやろか、なんて呟くと、日向もぶはっと吹き出した。
「今でもたまに怖い時はありますよ。でも、俺にとっては尊敬する先輩です」
 ――これから先、人でなしとさえ呼ばれる片割れをこんなに真っ直ぐ慕ってくれる後輩なんて、まず現れないだろう。今度侑と話す時には改めて、今以上に大事にするよう伝えておこう。治は密かにそう心に決めた。
「何にせよデビュー戦大勝利おめでとうさん。今日の試合、凄かったわ」
 そう言って飲みかけのグラスを軽く掲げれば、日向も己のグラスを上げてにかっと笑った。
「あざす! 課題はまだたくさんありますけど、勝てたのは素直に嬉しいです!」
 カツン、とガラス同士が合わさる軽やかな音が合図となり、二人揃ってグラスを煽る。中身の色はよく似ているが、治が麦茶なのに対して日向のグラスには黄金色のビールが注がれていた。あのちんちくりんがなあ、とまるで久々に会った親戚のような感慨深さに見舞われる。
「高校ん時以上にあちこち跳び回って、えらい燥いどったなあ」
「いやあ、久し振りの試合だったのが嬉しくて……」
「責めてへんよ。危うくこっちまで乗せられるとこやった」
 店で客を捌く傍ら、何度も日向が跳ぶのを目にした。自分が立っているのがコートの反対側でないのが不思議なくらい、彼の存在感は大きく、やはり鮮烈だった。きっと日向を初めて見た観客たちも、似たような感覚を抱いただろう。
「それに跳ぶだけやのうて何でも出来るようになってんねんもん。レシーブ上手いわトス上げるわ、いっちょまえにフェイクまでしよるし」
 あれ爽快やったなあ、と思い出して自然と笑みが浮かぶ。運ばれてきたばかりの大皿から唐揚げを口に放り込んだ日向が、一瞬動きを止めた。もぐもぐとしっかり咀嚼して飲み込んだ後、ぱあっと顔を輝かせる。
「見てくれてたんですか!?」
「おん。ちょうどええ場所に出店してん、よう見えたわ」
 目の前で食べる姿につられて、治も唐揚げをひとつ拝借してみる。カラッと揚がった衣に対して中の肉は歯の通りが良く、口の中にじゅわりと広がる肉汁の旨味に思わず唸った。香辛料の配分がまた絶妙で、これは相当酒が進むに違いない。宮城の店もなかなかやるやんと勝手に感心しながら、治は己の内に今もなお燻る高揚感に目を細める。
 バレーとは異なる道を選んだ自分が、巡り巡ってあんな贅沢な試合を間近で見られる機会に恵まれて。更にはかつて戦った対戦相手と和やかに酒を酌み交わすなど、当時の自分からしたら想像もつかないだろう。この場にいる誰かが違う道を進んでいたら、今と同じようには交わらなかったかもしれない。改めて考えると、縁とは何とも不思議なものだ。
「あざっす! でもそう言われると何だか、春高の時の治さんみたいですね」
「……俺?」
 突然名指しされ思わず治が首を捻ると、日向は目線を上げた。店の天井ではなく、いつか立っていたコートの景色を思い出すかのように。
「治さんだってセッターじゃないのにセット上手くて、フェイクに双子速攻まで決めてたじゃないですか。
 それって、今俺がやってることと似てるなって」
 やれることを全てやる。コートの中において真の自由とは、あらゆる事態に対応出来るだけの能力が無ければ得られない。バレーボールという競技において最も重要視される『高さ』を持たなかった日向のような選手ならば、尚更。
 では自分はどうだっただろうか。日向とは境遇こそ異なるものの、やはり出来ることが多い方が楽しかったのに変わりはない。すぐ傍に負けたくない相手がいたおかげもあって、一度やれるかもしれないと思ったら本当にやれるようになるまで繰り返し練習した。それを試合の中で成功させた時の達成感と興奮は、今でも忘れられない。
「あの瞬間は悔しいって気持ちも当然ありましたけど。でもすげぇな、こんなことまで出来るなんてかっけーなあとも思ったんですよね。
 やっぱり、『何でも出来る』は強いんだって」
 たったの二回。公式戦においてはたった二回しか戦わなかった相手だ。高校でバレーを辞めた治の中には強烈な記憶として焼きついていたが、日向は必ずしもそうではないと思っていた。彼はいつだって、今が人生最高の試合であるかのようにコートに立っていたから。
 だから日向が自分のプレーを覚えていたことに、動揺が無かった訳ではない。むしろ驚き過ぎてかえって表情筋への信号が滞ったのだろう。顔色だけは大して変えないまま、治は必死に言葉を探した。
「あん時は……ツムがおったからな。無茶しよるヤツには何かと引っ張られんねん」
「それはきっと、隣にいたのが治さんだったからですよ」
 疑うことを知らぬかのような真っ直ぐな眼差しが、治を捉える。
 ――ああ、もしかしたら彼も同じだったのかもしれない。日向もまた、誰よりも負けたくない相手がいつもすぐ隣にいた筈だ。それは恐らく、今でも。
「……まあ、現役選手から評価されて悪い気はせえへんわ」
「そうっすよ! めいっぱい自慢してくださいね!」
「フッフ、えらい自信やん」
 自分こそ存分に自慢してもいいだろうに、可笑しくなってつい笑みが溢れてしまう。ここまで嫌味も下心も感じさせないのは、ある種の才能だろう。
「俺、高校生の頃はまだへたくそだったし、上手い人のプレーは余計に忘れられなくって。
 格好良いって思ったら、やっぱり自分でもやってみたくなるじゃないですか」
 そういえば侑も以前似たような話をしていた。たとえそのために安定したスタイルを犠牲にすることになっても、彼らはやると決めたからにはやる生き物だ。出来たらもっと格好良い。もっと面白い。そんな理由で。
 それは何も治だけという話ではなく、日向がこれまで出会ってきた選手全てに言えることなのだろう。きっと彼はたくさんのバレー馬鹿たちからあらゆる『格好良い』を吸収し、自分の中に落とし込んできたに違いない。
 それでも日向翔陽という選手を構成する要素の中に、僅かながら自分も含まれている。そう考えると、何だか悪くない気分だった。
「勿論ただ真似してるだけじゃ強くなれないんで、俺なりにシコーサクゴしながら今に至るわけです」
 ふふん、と胸を張る様は微笑ましい。けれどその自信の裏で積み重ねてきた研鑽を察せぬほど、鈍いつもりはない。直接戦った経験があるからこそ、今の日向がどれだけ強くなったかがわかる。
 ストイックに。我武者羅に。丁寧に。ひたむきにバレーと向き合い、体格的な不利という足枷をものともせず。
 培ってきた血肉とともに高く自由に翔ぶ姿は、人々の目を惹き付けてやまない。
「自分、格好ええなぁ」
 治にしては珍しく、率直に出た感嘆だった。
 だというのに、日向はただでさえ大きな瞳を更に丸くしながら「いやいやいや!」と首を横に振ってくる。
「それを言うなら、治さんだって格好良いじゃないですか。自分で料理を作ってお店開いて、なんて俺には考えられないです」
「俺はただのおにぎり屋の店主やで?」
 まあ多少顔はええかもしれんけど。幾分かの照れ臭さとともに差し挟んだボケは、日向の勢いによって呆気なくスルーされた。
「ただの、じゃないですよ。世界一美味いおにぎり屋の店主です!」
「おお……でっかく出たなあ」
 何故か本人以上に熱くなっている日向の、あまりにもストレートな賛美がむず痒い。動揺を悟られまいとどうにか苦笑を貼り付けたが、次の瞬間には全てが吹き飛んでしまった。
「だって俺、大好きですから!」
 主語が足りてへんで、なんて突っ込む余裕など、この笑顔の前である筈もなく。
 治は知らぬ間に止めていた息を、微かに震わせながら吐き出した。
(あん時と同じや)
 今でも鮮明に思い出せる。一進一退の攻防、食うか食われるかのせめぎ合い。会場に響き渡る声援さえも遠く、ただ互いにコートの反対側しか見えていなかった、あの時。目の眩むようなオレンジは、治の心を確かにとらえた。
 ――太陽を直接見たらどうなるか。
 目に、心に焼き付いたまま、消えなくなってしまうのだ。
(ほんま怖いわ、コイツ)
 まさか、またこの感覚を思い出すとは思わなかった。
 飢え。渇望。希求。
 かつてその対象はバレーであり、勝利であり、あの時間そのものだったように思う。
 だが勝負の舞台からとっくに降りた今、治の中で再び目覚めた空腹の獣は、一体何に焦がれているのか。高校生の頃とは似て非なる衝動が、腹の底から湧き上がってくるのを感じる。
 そしてそれは今や、目の前のたったひとりに向けられていた。
「……おおきに」
 ようやく返せた礼は、騒がしい店内ではかき消されてしまいそうなくらい小さく。しかし日向にはしっかり届いたらしい。
「あれ、もしかして治さん酔っちゃいました?」
 グラスに入っているのが酒でないことくらい分かりきっているだろうに。コイツ、と思わず睨みつけた先にあったのは、日向にしては珍しいいたずら小僧のしたり顔で。
 何やねんさっきからずっと可愛いやんクソが。心の中で無意味に毒づくも、明らかに勝敗は決していた。要は単なる負け惜しみである。
 治はわざとらしく肩を竦めてから、彼の肩を裏拳で軽く叩いてやる。
「あほ、麦茶で酔うやつがおるか。俺は車やっちゅうねん」
「あはは」
 こう見えて実は日向の方こそ酔っぱらいなのかもしれない。頬をほのかに紅く染めてけらけらと笑う彼は、名前の通りお日さまのように眩しくて温かくて、まだ遠い春の陽気すら運んでくる。
「……けど、かもしれん。俺もツムのこと言えへんな、何や浮かれとるわ」
 この居心地の良さを、手放したくないと思ってしまった。
 奥で寝息を立てる片割れをちらりと視界に入れ、もしかしてお前もそうやったんか、と口には出さずに独りごちる。だがこの感情が侑と同じものかどうかは定かではない。限りなく似た遺伝子を持っていても、結局道を違えた別々の人間だ。何処かでボタンを掛け違えてもおかしくない。
 少なくとも、治には自覚が生まれた。ならばどちらであろうと関係ない。重要なのは、自分がどうするか、だ。
「なあ、俺とも連絡先交換してくれへん?」
 意外そうにぱちぱちと瞬きを繰り返して、日向が軽く首を傾げる。きょとんとした顔に浮かんだのは純粋な疑問符だ。
「勿論いいですけど、今までは侑さん通してましたよね?」
 確かにこれまでは、何かあっても侑を介してやり取りをすれば事足りた。日向への個人的な用件も特に無かったし、このコンビは大抵一緒にいるから尚更。治もそれに何の疑問も感じていなかった。
 しかし、それだけでは足りなくなってしまったのだから仕方ない。
「ツム通してやないと話せへんとかむかつく」
 こちらをじっと見つめる日向は、治の言葉の意味を探っているように見える。片割れの後輩はざっくばらんに見えて、殊の外丁寧に物事を咀嚼しようとする癖があるのかもしれない。食事にしろ、対人関係にしろ。
 そういうところも嫌いではない。いや、正直に認めよう。好ましいとさえ思っている。
「因みに今ならおにぎり宮の新作情報をいち早くお届けするサービス付きや」
「まじすか!? 喜んで!!」
 疑問よりも本能が勝った瞬間だった。もう少し考えてくれても良かったのだが、彼の思考を左右出来る程度には胃袋が掴めているのならば何よりである。
 治は緩んだ顔を取り繕うことをやめた。テーブルに肘をつき、隣の青年を下から覗き込む。
「素直な子ぉは好きやで」
 無邪気に喜んでいた日向がピタリと動きを止めた。心なしか先ほどより紅みを増した頬が、熟れた林檎のようで美味そうだ。遠慮なく眺めていると、今度はそわそわと視線が泳いで、最終的には何処か不満げに唇を尖らせる。
 成人男性でこんな表情に違和感がないのはこの世でコイツくらいやろうな、と治はにやけた顔のまま日向の百面相を楽しんでいた。
「ぐう、これだからイケメンは……っ」
「とっくに見飽きた顔やろ」
「侑さんと治さんは違いますって!」
 今の彼にとっては違うのか。高校時代にはろくに見分けもついていなかった癖に、とはさすがに意地が悪いので言わないが。
 ああ、これは駄目だ。一滴もアルコールが入っていないのにひどく気分がいい。満たされた傍から腹が減る、まるであの頃の無間地獄のような幸福感。望むところだ。
「ほな、これから改めてよろしくな。……翔陽」
 名前を呼ぶ音に、僅かな緊張と甘さを忍ばせる。
 大きな瞳をさらに丸くした日向が、差し出された手に気付いて鮮やかな笑顔を咲かせるまで、僅か数秒。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
 固く握り返された手のひらは、戦う男のかたちをしていて。
 心地好い空腹感と共に、また手放すのが惜しくなってしまうのだった。