# 02
ブラックジャッカルの拠点である大阪から車でビュンと1時間弱、日向と侑はおにぎり宮に程近いコインパーキングに降り立った。
ぐーっと体を伸ばし、車内で固まった体を一様にほぐす。
「着いたなあ。翔陽くん腰とか痛ない?」
「俺は長距離移動慣れてるので全然平気です!それより運転任せちゃってスミマセン…」
日向が申し訳無さそうにしながら荷物を取り出そうとトランクを開けると、侑がさりげなく日向の前に体を差し込みさっと日向のボストンバッグを取り出す。
「ええねんええねん。俺が誘ったんやし、そもそも翔陽くん免許もってへんし」
「うぅ、そうなんですよ。俺も取ろうかな…」
むう、と口を尖らせる日向に「ほいっ」と手渡す。
そしてそれよりひと周りは小さいバッグを手にし、侑は何もなくなったトランクをしめる。
そうして振り返ると、侑はくしゃっと日向の髪を撫でた。
「俺の車の助手席は翔陽くんの指定席やから、免許はいらへん。いつでも使うたってや」
いつもの笑みでそう言うと、何事もなかったかのように「こっちや」と侑は歩き出す。日向はにっと笑うとその後ろをぴょこぴょことついていった。
おにぎり宮の暖簾が春の風で揺れている。
古風な店構えで、こじんまりとした店の引き戸を開けると、カウンター越しに帽子を被った治と目があった。
「よぉ来たな、元気やったか日向」
「治さん!お久しぶりです、元気です!」
顔を綻ばせ、声をかける治に日向の顔も自然に綻ぶ。
治の側まで駆け寄るその背中に、後から入ってきた侑が顔をしかめた。
「元気やったかて、親戚のおっさんか。」
「なんや、お前も来とったんか」
「当たり前や!誰がここまで車飛ばしてきたんやっちゅう」
「日向腹減っとらんか?」
「出る前に冷蔵庫空っぽにしてきました!」
「聞けや!」
早々の双子の掛け合いに日向が笑う。
そのカラカラと笑う楽しそうな顔を見て、双子は何とも言えぬ表情で目を見合わせた。
壁の時計がかちっと音を出して3の数字に針を合わせる。
15時ともなれば、店内に他の客がいないのも合点が行った。
昼ご飯は出る前にしっかり食べてきたというのに、ふわっと香る美味しそうな匂いに鼻がピクッと反応する。
まだやいのやいのと言い争う二人にどう声をかけるかと思案していたら、声の前に腹の音が鳴り響いた。
「はっ!あ、いや、違うんです!」
「ふっ、何が違うねん。ほんなら腹鳴っとったんは侑か?」
「あんだけ食うたのにまだ腹減っとん翔陽くん。」
騒がしかった双子は、何やらいきなり諍いをやめ面白そうに日向をおちょくりはじめる。
日向には決して見せない様な顔で、お互いをボケだなんだと罵り合うその空気が一瞬で変わった。
端正な顔に、決して大きすぎないがバランスの良い少しタレ目の瞳が4つ。その全てに自分の姿が写っている。
何故か、この二人は自分に甘い。
相当好かれてるのでは?なんて。
ついそんな事を考えてしまって、自意識過剰も甚だしいと日向は心のなかで苦笑した。
顔の良さは申し分なく、体格も完璧。性格だって、色々と話は聞くが日向にとっては何の問題もない。
出会いこそ強烈で、侑にいたっては正直初対面の印象は最悪だ。
なのに、その出会いから6年近く立った今その印象は真反対へと変わった。
チームに加入して間もない頃から、侑は特に世話を焼いてくれたし、少しでもいいプレーができるとそれはもうベタベタに褒めてくれる。練習後も何かと部屋に遊びに来てくれて、お陰で日向は初めての土地、新しい家で寂しいと思ったことは一度もなかった。
治は治で、初めてこの店に連れてきてもらった日こそ他人行儀さを感じたが。連絡先を交換し、バレーの事、ご飯のこと、他愛もない世間話などまめに連絡を取り合ううちに気づけば二人で出かける間柄にまでなっていた。
「うまい飯屋あるらしゅうて、リサーチ行きたいんやけど」と。こちらが気を使わないように誘ってくれるその心遣いが、日向は大好きだった。
「日向、どないしたん」
つらつらと、二人の事を考えていたら思いの外無言の時間が長かったらしく、心配そうな治と目があった。いつの間にかカウンターをまわり、こちら側まで来ていたらしく、その顔の近さにぴゃっと身をすくめる。
「治近すぎや。翔陽くん怖がっとるやないか」
しかしそう言う侑もなかなかに近い。
右隣は侑の定位置で、治は左に陣取っている。
「お前かて相当近いわ。…とりあえず荷物置きに上行こか」
治の言葉でようやく離れていく両隣に、ほっとして、でも少しの物足りなさもあって。
そんな自分に首を傾げながら、二人の背を追った。
一人暮らしと聞いていた治の住居スペースは、台所、居間、寝室、客間、そしてトイレに風呂場。
片付いた家の中は不要なものはあまりなく、治らしい。
荷物を置くと、「どこでも見てええで」という言葉に素直に頷きぐるっと一回り散策した。ちなみに許可を出したのは家主ではない。
どの部屋も畳張りで、良き理解者でありスポンサーでもある友人の家を思いだす。
そういえば研磨の家も風呂場広かったっけと、最後に回ってきたそこを一瞥しパタンと閉めて居間へと戻った。
「どやった?えっちな本みつけてもうた?」
ちゃぶ台の脇にごろりと横になって、我が家のようにくつろぐ侑は、日向が居間に入るなりそう聞いた。
隠しもしないにやにや顔に、治が鬱陶しそうに蹴り飛ばす。
その手には先程の腹の虫に食わせるためか、お菓子とお茶の乗ったお盆がしっかりと握られていた。
「あほか、簡単に見つかる場所に置いとるわけないやろ」
「いったあ!蹴ることないやろくそ治!」
「あ、ある事は否定はしないんですね!」
「そもそも何勝手に人んちの見学ツアー催しとんのや」
「お前あっつあつの茶ぁ持っとるやないか。日本代表のセッター様が火傷したらどうすんねん!」
「もうちょっと探してみようかな…ヒント下さい!」
三者三様の反応に突っ込む人間はここにはいない。
日向は荷ほどきもせぬままくつろぐ侑の横に、笑いながら腰を下ろした。
どうでもいい応酬はしばらく続いて、いつの間にか最近食べた美味しい物の話になり、バレーの話になり、気づけばあれから1時間と少し、明るかった空が少しづつ夕暮れへと近づいていた。
「あかん、そろそろ店もどらな」
そう言うと、治はきゅっと帽子をかぶり直した。
空になっていたコップをさっと下げる
「俺は下におるから、腹減ったら降りてき」
「あ、そしたら俺何か手伝いとか」
ここに泊まらせてもらうのだ、やはり働かざるもの何とやらだと日向が立ち上がり、後に続こうとするのを服の裾をひっぱり侑が止める。
「ええんやって翔陽くん、俺らは客なんやから」
「いや、でも」
「お前は皿洗いや侑。はよ支度せんかい」
日向の戸惑う声に被さるような治の台詞に「うそやろ!?」と、侑が割と真面目な調子で返す。
じゃあ俺もと言いかけた日向の頭を治はぽんぽんと撫で「冗談や」と笑った。
「これは俺の仕事や。日向の仕事は休息やろ?」
「そ、そうです…ケド」
しどろもどろの日向に優しく言い含めるその姿を、後ろで侑がムスッと見ている。
「それに、せっかく日向が来るて言うから明日明後日は店休みにしてん」
「そうなんですか!?」
「まじか…」
「せやからいっぱい遊んだってな。楽しみにしてるで」
そう言うと、何を思ったか日向の頭においていた手を滑らせ、額にかかる髪の毛を掻き分けた。
不思議そうに、そのまま立ち尽くす日向のあらわになったそこに、ちゅっと音を立ててキスを一つ落とした。
「え、え?」
「おい治!何抜け駆けしてんねんコラッ!」
驚き硬直する日向の後ろから侑の怒声が飛ぶが、治は特に気にするでもなくカラカラ笑うとそのまま店へと戻っていった。
「治さんてああいう冗談言う人だったんですね」
ちょっと意外でしたと、見るでもなく見ているテレビから視線は外さず侑に喋りかける。
治が店に降りていったからしばらく立ったが、侑の機嫌が治らない。あのキスの後からずっと眉間にシワを寄せているのだ。
「…翔陽くんは隙が多すぎんねん」
ぶすくれている侑はだいたいめんどくさいんだよなあと、日向は一つため息を吐く。
「侑さん侑さん」
呼んでみたがこちらに来る気配はない。
相変わらず畳に寝そべる侑にずりずりと座ったまま近づいた。
侑の金髪に手を伸ばす。脱色を繰り返すその髪は思うよりサラサラで少しひんやりとして気持ちが良い。
「…翔陽くん?」
額にかかる髪の毛をどかし、ちゅっと軽く唇をくっつけた。
「…へ?」
「あれ、違いました?これがしたかったのかと思ったんですけど」
きょとんと侑を見つめる。
「いや、まあ、したいかしたくないかっちゅうたらめっちゃしたいねんけど」
「それはよかった」と言いながら身を引くと、侑が体を起こし、ずいっとついてきた。
「なんでキスしてくれたん?」
侑の瞳がじっとりと日向の瞳を射抜く。
試合してる時の様な、そんな獰猛さが垣間見えて、日向は僅かに体を揺らした。
なんでと言われてもと、困ったように日向が口を開く。
「え、えーと。治さんとスキンシップとって侑さんだけしてなかったから…寂しかったかなって、思いまして…」
「スキンシップ…」
「ブラジルでは…えーと、割と普通です」
理由に困りそうは言ったが、さすがに男同士でおでこにちゅーなんてしない。
スキンシップ、と何度か反芻する侑の顔はうつむき表情は見えない。なにかまずっただろうかとはらはらしながら見守っていると、ようやく侑が顔を上げた。
「ふーん、翔陽くんはこんくらいのスキンシップは普通なんやなあ」
やたらスキンシップを強調しながら、侑はニヤリと笑った。
「ほな俺からもしたるわ、翔陽くんおでこだして」
「おでこ、ですか?」
「髪の毛が邪魔でちゅーでけへんから、のけて」
意地の悪そうな顔から一転、まるで悪い事などしたことありませんよとでもいいたげな笑顔でさあ早くと日向を促す。
そんな様子に、日向は困惑を隠せずたじろいだ。
おでこくらい、さっさとだして終わりでいいはずだ。
けれどキスされるためにあえて出すという行為が、どうにも羞恥心を煽った。
まるでそれを望んでいるみたいじゃないかと、そんな気にさせる。
「治にはさせたのに、俺はあかんの?」
「そんなこと、は、」
いくらか淋しげにそう言われ、何故だか罪悪感がわきあがる。
なかなか動こうとしない日向に焦れたのか、侑はさらにぐっと顔を近づけた。
侑の唇が、ほとんど日向の頬に触れてしまいそうな距離。
心臓が跳ねるのを感じ、身を引こうとするも侑の手に腕を掴まれ阻まれる。
掴まれた腕がやたらに熱い。
「それとも…別のとこにしてほしい?」
普段と違う低い声。囁くのと一緒に漏れた吐息が頬にかかる。
顔に熱が集まるのを感じて、思わず小さく声を漏らしてしまった。
「っ、あつむ、さん」
これはいけない、早急にこの空気を変えなければと日向は渋々髪の毛を掻き分けて額を晒した。
妙な緊張感で構える日向に、侑はためらいもせずリップ音をさせながらキスをした。
思わず目を瞑る。
額に感じた感触に、またもや「っん」と漏れた声が恥ずかしい。
恐る恐る目を開けると、すぐそこには侑の顔。
見つめられ、鳴りっぱなしの鼓動がさらに大きくなっていく。
「で、…どこにされると思うたん?」
いつもと違うゆったりとした口調が、日向の思考を溶かすようにじわりと滲みていく。
「…くち、びる」
言わなくてもいいはずなのに、有無を言わせぬその気迫に押され拒否できない。
侑の指がつつつと近づいてきて、日向の少し荒れた唇をむにっと触った。
「ここ。翔陽くんは…俺にキスされるの嫌?」
下唇をなぞりながら問われる。
そんな聞き方卑怯だと思うのに、頭がうまく回らない。
このおかしな空気のせいだと思うが、今この場を支配しているのは自分ではない。何もできないと、日向は泣きたくなった。
「わかんない、です」
そう答えるのが精一杯で、見上げるように目の前の顔を見つめる。
それはゆっくりと近づいてきて唇に触れた。
おでこへのキスとは違い、静かに触れて離れていく。
初めての他人の唇の感触に、無意識に自分の唇を守るように手を当て俯く。
顔どころか、耳まで熱い。
「ふふ、顔まっかっかやなあ、もしかして初めてやった?」
「うっ!…なんでわかったんですか?」
ズバリ当てられた事実に、ぐうと唸る。
侑は「まじか」と何故か嬉しそうで、唇にあてがわれていた日向の手をそっと握り、頬に当てた。
「どやった?初ちゅう」
「…やわらかかったです」
「ふはっ、せやなあ。…な、も一回してみん?」
頬に当てられた手が熱い。自分の掌を介しているのに侑の体温がまるで伝わってくるかのようだ。
断ったっていいはずのその誘い。
しかしキスへの好奇心からか、それとも雰囲気のせいか。理由などわからないまま、日向はコクリと頷いた。
ちゅっ、ちゅっ、とリップキスを繰り返され、ポヤポヤとした気分の中、ようやく体を離した侑は最後のおまけと言わんばかりに額へキスをし、その纏う空気を一変させた。
「ん。…翔陽くん、ウイイレでもやろか」
ニコっと笑うその顔は正真正銘いつもの侑で、困惑しながらも日向は「はい」と一つうなずく。
ゲーム機の方へ行く侑の背中を見ながら、危なかったと深く息を吐き出した。
もう少しで下半身が反応するところだった。そんな事になったら恥ずかしくていたたまれない。
しかしどうしてこんな事を?と考えている間に侑がコントローラーを手に戻ってきた。
若干の恨めしさを感じながら、しかしすでに追求する雰囲気でもなく。そうこうしている間にゲームにだんだんと意識をそがれていった。
初めてやるゲームに悪戦苦闘していると、あっという間に日が落ちた。
先程もらったお菓子も消化され、特に何もしていないのに腹が空いてくる。
またお腹なったら嫌だななんて、そんな事を考えていると見透かしたように侑が「さてと」と立ち上がった。
「そろそろメシ食いに行こか」
指でちょいちょいとジェスチャーで示された階下に、期待で胸が膨らんだ。
「治さんのご飯めっちゃ楽しみだったんです!」
「まあ、本職やからな。美味しないとあかんやろ」
ふっと鼻で笑う素振りをみせながらも、少しの嬉しそうな顔が微笑ましい。
まるでさっきとは別人のようだなんて、つい思い出した、キスをする侑の顔。
また顔に熱が集まりかけて、急いでその思考を打ち消した。