# 01


店に行く前に必ずメッセージを送る。
「おいで」
すぐに3文字が返ってきたのを確認して、頬がゆるむ。
「あぁ…お腹すいたなぁ」

ガラリ
暖簾をくぐり、触り心地の良い木の扉を横に滑らせて中を覗う。
「いらっしゃい、翔陽くん」
店主の治が、こちらを向いて笑顔で出迎えてくれる。軽く会釈をして、店内を見渡す。
テーブル席が4つと座敷席が2つ、あとカウンターが5席。こじんまりとした清潔感のある和風の店は、治によって居心地よく整えられている。
テーブル席に3組、家族連れと思しき人達と、常連客のサラリーマンが美味しそうにおにぎりを頬張っている。
「カウンター、いいですか?」
「…ええよ。好きな席座りぃ」
好きな席、治の調理姿がよく見えるカウンターの1番真ん中。前までは無かったパーテーションで仕切られてはいるけれど、ぼやけたプラスチックの向こうに治の手が見える。
「ご注文は?…今日あたり来る思うて仕込んでるで」
ぐるりと店内をまわって治さんが温かいおしぼりと、冷たい麦茶が出してくれる。他の客には聞こえないようにニヤリと笑い冷蔵庫を顎でしゃくる。
「わ!やった!じゃーアレと、鮭のおにぎり!大きめでお願いします!あと…豚汁。あとおまかせ小鉢ください」
「はいよ。飲み物は、お茶でええか?」
「ええですー!」
わざと嘘くさい関西弁のイントネーションで答えて、にっこり笑顔を向ける。治がぷっと吹き出し「すぐ用意するわ」と厨房へ戻る。
◾︎
厨房に戻った治は手を洗う。
注文をとる時にペンやら紙やら持つやろ?雑菌やウイルスはどこについとるか分からへんからな。
「ちゃんとやんねん」と高校の先輩の信条を守り、手の指、手のひら、手の甲、肘までを丁寧に洗っていく。ペーパータオルで手を拭い、手指消毒を欠かさない。そこからおもむろに調理を始めるのだ。
翔陽はこの工程を見るのが好きだ。
治によって調えられた厨房、指先まで浄められた手で作られる食事が翔陽のカラダの一部になるのを実感する。
日頃から翔陽はアスリートとして必要な栄養バランスを考え、食生活をコントロールしている。口から摂るもので己の身体は作られていると知っているからだ。
けれど、疲れるときもある。
そんな時、治の作る食事はカラダとココロを満たし、調えてくれるのだ。
四季折々の素材の味や食感を味わい、美味しいねと笑い合える存在が居ることの大切さを翔陽は治によって教えられた。

「直で握った方が絶対美味しいねんけどな」と、店で作る場合は必ず手袋を使用して握られたおにぎりは、素人の翔陽には違いがわからないほど美味しく握られている。軽く、握り込みすぎず、けれどしっかりと握られたおにぎりは、口に入れた瞬間に米がほどけて、口いっぱいに米そのものの旨味と甘味を感じる。そこに合わされる鮭はちょうどいい塩梅で、添えられた青じそと胡麻味噌の和え物と共にかじれば、また違った味わいを楽しむことが出来る。
そして翔陽にだけ出される特別メニュー、卵黄の醤油漬けのおにぎり。常連客でさえ知らない裏メニュー。このおにぎりは、出会った頃に『おにぎりもいいけど、TKGが1番好きっす!』と翔陽が無邪気に答えたことがきっかけで作られた。
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『好きなもん食わせときゃええやん、茶碗に飯と玉子出したり!』と双子に呆れられながら、翔陽に「治さんのおにぎりが1番好き」と答えさせるために何日も何日も試作を繰り返した。
『その執念は何やねん!』と2週間毎日試作品を食べさせられ続けた侑がキレる頃には、治は自分の気持ちに名前をつけることが出来た。
『俺、日向翔陽のこと、好きやわ』
気持ちを侑に告げた時の侑の、何とも言えない表情は治には見覚えのあるものだった。
好きな絵本も、玩具も、食べ物も、何だかんだ同じものを選んできた2人だったから、多分日向翔陽のことも、2人同じように気に入った。
『…おん、そぅか』
侑と治は譲り合うことなんて今まで無かった。
じゃんけん、あみだくじ、口喧嘩、時には拳などで競い合って所有権を取り合ってきた。
けれど、日向翔陽に関しては侑は引いた。
『翔陽くんと治が仲良うなったら、オレとも兄弟みたいなもんやん?ソレってかなり特別やなァ!』
無邪気を装い翔陽との仲を取り持つ侑に、治は「ありがとう」も「すまん」とも言わなかった。
翔陽が侑無しでも店に来るようになったある日「TKGにはない旨み、あるで」と初めて出した。
試作を繰り返したし、北さんにも試食で『美味いで』とお墨付きをもらった特製醤油漬け卵おにぎり。
「わぁ!!美味しそうっすね!」
頂きます、と両手を合わせて。大きな口を開けて、頭からがぶりと豪快にかぶりつく。ぱりぱりの焼き海苔とほかほかのご飯をはふはふと顔を真っ赤にさせて食べる翔陽は可愛かった。
口の端から食べ損ねた黄身がテロリと流れる。すぐに気づいた翔陽は、赤い舌先でペロリと舐め上げる。
無言で頬張り、咀嚼し、ごくんと嚥下をする。
パリ、はふはふ、もぐもぐ、ごくん
言葉もなく、おにぎりをむさぼり味わう。
程よく冷めたほうじ茶を掴み、ぐびりぐびりと喉を鳴らし飲み干す。「ッハァ〜〜!」と大きな溜め息をひとつ。
そして大きな瞳をキラッキラ輝かせて、翔陽がカウンター越しに治を見上げる。
「めっちゃ美味しかったっす!また食べたいです!」
お皿を両手で持って、ご馳走さまと満面の笑みで差し出された。
「そりゃ、良かったわァ。お粗末さま…」
後から思うと阿呆な面晒してたと思うけど、顔がにやけるのを止めることが出来なかった。
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次にアポ無しで翔陽が訪れた際「治さん、あの卵のが食べたいです」と言ってしまった。ちょうど常連客の賑やかなオッサンオバサン達が居て「ナニ?新メニューか?」「ウチは食べてないで!」食わせ食わせと騒ぎ立てた。
何か言いかけた翔陽の口を素早く塞ぎ、
「あー、すんません。卵かけご飯なんですよ〜。彼、大の卵かけご飯好きでおにぎりやなく卵かけご飯食わせ〜言いましてね」
裏メニュー的に出してるのだと言い訳すると「なんや、おにぎり屋でおにぎり食わへんの?」「治ちゃんのおにぎり食べへんなんて勿体ない子やなァ」とオッサンオバサン達に言われ、翔陽は目を白黒させながら「あっ!ハイ!イイエ!」中年の圧力に戸惑っていた。
急遽裏メニューになった卵かけご飯を提供して、騒がしかった店内が静かになったところで、翔陽が「治さん」と声をかけてきた。
「どしたん?」
洗い物をしていた手を止めて、カウンター越しに顔を合わせる。
「卵かけご飯、美味しかった…デス」
綺麗に米1粒残らず食べ終わった茶碗を見て「ほうか、良かったわ」と笑って返す。翔陽が困ったような顔で見上げてくる。
「あの、こないだの醤油漬けの卵のおにぎりは…」
「あれはなー、試作品っちゅうか特別やなぁ」
手間はともかく時間がかかる。数日前に生卵を凍らせておき、提供する数時間前に解凍し黄身のみを醤油に漬けておくため、レギュラーメニューにする気は起きない。あといちばんの理由は、
「特別…ですか?」
きょとんとした顔で治を見上げる、翔陽にだけ食べさせたいという治の密かな想いは言えなかった。
「特別…やねん」
オウム返しで、理由なぞ答えない。それでも照れくさくて目線をふいと逸らす。
「そう、ですか」
その言葉は翔陽にしては珍しく歯切れが悪い。治は違和感を感じて翔陽に視線を返す。
翔陽は目を伏せ口をとがらせ、手持ち無沙汰に茶碗を摩っている。はぶてた様子が可愛い。
「…また作ったろうか?」
甘やかしたくて、提案する。ついでのように空の茶碗を受け取る為に手を伸ばしたら、その手をつかまれる。翔陽の大きな瞳に自分の驚いた顔が映る。
「特別に、ですか?」
捕まえるつもりが、捕まった。
「…おん、特別や」
きゅっと掴まれた手が熱くて、阿呆になった治はまたオウム返しをする。
両手で手を包まれて、指を絡ませられる。
その仕草が意図するものは。
「うれしい。…治さんのおにぎりもっと食べたいです」
絡められた指に翔陽がチュッと口付ける。
意図するものは食欲か、それとも。
ゴクリ、喉が鳴る。
「…任しとき、お腹いっぱいにさせたるわ」
◾︎
翔陽が食べ終わる頃には最後の客も出て、治は早めに暖簾を下ろした。テイクアウトの営業時間も終わり、あとは片付けだけだ。
「ご馳走さまでした」
翔陽がぱんっと両手を合わせて、ふーっとひと息つく。姿勢良く食べる姿は見ていて気持ちがいい。
しまっていたマスクをピッと付けて、パーテーション越しに治に「美味しかったです!」と声をかける。
治が目元を緩め「お粗末さま」と返すとマスク越しでも分かる満面の笑みを浮かべる。
「卵おにぎりは安定の美味さですね!あと豚汁の中のサツマイモ美味しかったっす」
ぴかぴかに食べ尽くしたお椀を掲げて翔陽が報告する。今日のごはんの中で一番美味しかったものを聞くのが治の楽しみだ。
「昼間に北さんが持ってきてん。美味いやろ」
蒸しただけでも美味かったと伝えたら「いいなぁ!明日の朝ごはんで食べたいなぁ」と見上げてくる。
付き合うようになり知ったが、日向翔陽は不器用だ。誰とでもそつ無く仲良く出来る性格のくせに、いざと言う時ははっきり言えない質らしい。
『お腹がすいた』は『甘えたい』
『食べさせて』は『愛して』
『明日の朝ごはんで食べたい』は『今夜一緒に過ごしたい』
翔陽の言葉の変換もだいぶ上手くなってきた。
もともと治は誤解されがちな侑の片割れとして、空気を読んだり、人の顔色を窺うのが得意だ。だからといって我慢したことは無いが。
(素直に言えば良いのに。まあ、言えへんのが翔陽くんやしな。)
美味しいものを食べさせてと強請るなら、『もういらない』と言われるまで満足させるまで。
「ええよ。せやったら、泊まってき」
「ヨッシャー!片付け手伝いマス!」
厨房の中は聖域なので入りませんと宣言している翔陽は自分の食べた食器を治に手渡すと、慣れた手つきで店の片付けを手伝ってくれる。
テーブルを拭きながら翔陽が治に話しかける。
今日あった事、侑さんと仲間たちとの話、相槌を打ちながら手早く洗い物や、翌日の予約の確認と仕込みをしていく。楽しそうに話す翔陽の声を聞いていると、つい早く自室に帰り可愛がりたい気持ちが湧いてくる。
「掃除はだいたいでええよ。消毒だけして残り明日の朝俺がするし」
床の掃き掃除をしている翔陽に声をかけると
「明日の朝ゆっくりしたいから、今やりましょ」
掃除は嫌いじゃないです、と手を動かす。
朝のふたりの時間を思うと甘やかな気持ちになる。
たわいの無いことを話すこの時間も、忙しいふたりにとっては互いを感じられる大切なときだ。
「わかった、助かるわ」
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店じまいを終え、外に出る。夜はまだ冷える。
「手ぇ繋ご」翔陽に手を差し伸べる。
「ソーシャルディスタンス、取れませんね」
へへっと笑い合って、翔陽が手を重ねる。
「身内やから、許してもらお」
深夜に近い時間、人通りは少なくはなっているが近所の人に見られる可能性もある。
以前はお互い人目を気にして外で触れ合うことは無かった。マイノリティの自覚はあった。メディアに露出する仕事もあるふたりだから、閉ざされた空間だけで愛し合えばいいと思っていた。
くだらない喧嘩や気持ちのすれ違いを何度か繰り返した後、会える時間はとことん楽しむことをふたりで決めた。
『翔陽と俺が出会って、付き合った。それだけのことやんな』
『隠すことやない、ですネ』
胡散臭い関西弁を話す唇に誓のキスをした。
お揃いの指輪はネックレスに通して身に着けている。
きっとSNSで気付く人は気付いているだろう。
「治さん、何か考え中ですか?」
翔陽が繋いだ手に体を寄せて見上げてくる。
「…翔陽に何食わせたろうか考えててん」
ナニが喰いたい?と耳元で嘯いたら、クスクス笑いながら翔陽が身をよじる。
「治さんが食べさせてくれるなら、ナンデモ!」