幸せにして差し上げます


少しだけ怖かった第一印象は、いつのまにやらきれいさっぱり消え去っていた。
治さんは高校時代に出会ったときよりもとてもやわらかな印象で、何度か侑さんと一緒にお邪魔したお店でも、おれにえらく気を遣ってくれてたのがわかった。うちのアホが迷惑かけてへんか、日向の好きなもんはなに、苦手なもんはないか、最近困っとる事はないか、さすが飲食店経営なだけあって、世間話もさりげない気遣いもソツがなかった。
ええこぶんなよ…!とにこやかな治さんをじっとりと睨む侑さんに、ちょっと引いたくらいには、治さんは大人だった。
好きな食べ物は卵かけご飯で、苦手なものはないです。侑さんにはよくしてもらってます、困ってることは、今のところ、とくにないです。と律儀に答えるおれを見る瞳は近所の子どもを見守る大人のようだった。

「今度、飯でも食いにいかん?」

侑さんがトイレに立ったとき、治さんはカウンターの向こうから、内緒話でもするようにおれに声をかけてきた。閉店間際のお店にはバイトのひとも、他にお客さんもいなかったから、なんでそんなこっそり話すんだろう、とは思ったけれどおれは、もちろん!と渡されたメモに電話番号を書いて二人でにこにこと笑い合った。

「アイツは抜きで」
「アイツ?あぁ。侑さんですか?」
「秘密な」

そこでトイレから出てきた侑さんを見て、治さんは人差し指を立てて、にんまりと口角をあげて見た。その顔は、臣さんの嫌がることをわざとしようとしてるときや、敵チームの裏をかこうと画策してるときの侑さんのヒトデナシの顔によく似ていた。

それから何度か夕飯を食べに行ったり、おれ一人でお店に行くことも増えた。ツムには内緒で、と会う約束をするたびに決まりごとのように言ってくる治さんに理由を聞いたところ、秘密ってなんかおもろいやん、と返されて、やっぱり彼らは同じ遺伝子なんだなぁと呑気に思った。
今日も今日とて、何度目かの夕食をともにした後のことだった。
最近じゃ、治さんのお店の定休日とおれの夜の予定があえば出かけたりする日も増えて、侑さんからは、最近付き合いがわるい!と愚痴を言われるようにもなってしまった。すっかり定位置になった治さんの運転する車の助手席でその話をすればやけにご機嫌そうな横顔がそこにあって、俺はこの顔はやっぱり似てるな、なんてなんとなく笑ってしまう。
ただ、そこでおれはハッと思い出す。そんな愚痴を言う侑さんを適当に流してたおれに、おそらく嫌がらせのつもりで言い出した、侑さんのおはなしを。

『あんなぁ、ここらへんって昔墓地やったらしいんよ。まぁ別に?翔陽くんみたいに早寝早起きの子は関係あらへんとおもうけど?やけどな、夜中、俺、たまぁに聞こえるんよなぁ…
廊下を歩く、ぴちゃってした足音。ほんで、その足音がな、部屋の前で止まったりすんねん。だれやって聞いたらな、なんも答えん。なんやねんウッザってドアあけたらな、誰もおらんのやんか。なんかの間違いやったんかな?聞き間違いかな?おもて、床見たらな、水たまりがな、こう、あんねん。窓も何もあいてへんのに。………あんまし遅なったら、ばったりもあり得るかもしれんな。……あ、これ以上は言わんどこおか。もお時間やもんな!翔陽くん、ほんなら行ってらっしゃい。気をつけて、ごゆっくりぃ』

語尾にハートでもつけそうなくらいに、表面上はご機嫌そうに、にこやかに、おれを送り出した、意地悪な先輩を思い出して、ちらりと時計を見る。いつも通りならば治さんは寮のすぐ近くまで送ってくれるはず、と時間を計算すれば、日付の変わる時間までには余裕で間に合う。が、お風呂に入ってベッドにもぐるまでに、いわゆる深夜という時間帯になってしまうのではないだろうか。
いやいやいや、アレは間違いなく侑さんのいつもの嫌がらせと意地悪だ。おれがビビってるのを見て楽しんでただけだ!と自身に言い聞かせるが、廊下に残った水たまりが頭の中にこびりついて離れない。

「日向?」

うぅーん、と考え込む俺に治さんが少しだけ眉を寄せて聞いてくるが、えっと、とどこから話せばいいのかと口籠るおれに、治さんは首を傾げた。
それと同時に、信号が青になってアクセルを踏んで車が動き出したとき、おれは心の中の弱音と本音をほろりと吐き出した。

「……かえりたく、ないなぁ……」

その一言より突如として、車体が大袈裟でなくつんのめった。
ふぎゃぁ!と情けないおれの悲鳴と、ブレーキの音にあわせてシートベルトのロックが引っかかりおれの身体はなんとか堪えた。

「…」
「…」

しばし沈黙の車内、ぱっとサイドミラーを確認して念のため振り向けば、後ろにも前にも車はおらず、ほっと息をつく。

「び、ビックリした…!」

どうしたんだろう、いつも安全運転なのに。と少しだけバクつく心臓をおさえながら、運転席を見れば、いつも眠そうな目をがっちり見開いてる治さんが、こちらを食い入るように見ていた。

「ね、猫でも、飛び出して、きたんですか…」

少しだけ怖い目線を誤魔化すように笑ってみせるが、こころなしかギラついたように見える瞳はおれを見つめたまま瞬きひとつしない。

「いま、」
「え?」
「いまなんて?」

いま、ネコ…、と口に出して首を傾げれば、治さんは、ようやく俺から視線をはずして、ふぅん、とそれだけを呟いた。

「……まぁ………ほんなら、行こか」
「あ、はい。すいません」

結局あわや追突事故を起こすところだった原因はなんだったのかは分からずじまいであるが、治さんがハンドルを操る動作はいつもの通り安全運転に戻っていた。ゆるやかなアクセル、ブレーキ、そして先ほどのことからの緊張からの開放感もあって、うとうととしてしまう。
朝から夕方まで、みっちり練習をしてからの、お腹もいっぱいで心地よい空間、助手席で舟を漕ぐのは実はこれが初めてではない。

「明日、休みなんやっけ」
「はい…」
「ふぅん」

こくりこくりと頭を揺らしていれば、とおいところから、ほんまにええんか、とやけに優しい声が聞こえた。おれは、とにかくねむくて、ええですよぉと適当に返してしまった気がする。
助手席の窓、うつらうつらとしたかすんだ視界に、やけに派手なピンク色や青色の光が映るのがみえた。
今日の夢はやけに派手できれいだなぁ、とおれがそのまま眠りについて、ふと、ウインカーの音とともにテーマパークのパレードみたいな速度でおれたちを乗せた車が光の中に入ってくのがわかった。そして、バックギアに入った車の音と、とたんに、しんと暗くなる視界。

「日向、」
「ん…」
「ついたで」

ほっぺたをつつかれて、うっすら瞼を開ける。思ってたよりも早いな、そう思っておれが瞼を開ければ、見慣れないガレージの薄暗い空間に車が駐車されている。おれは寝ぼけ眼を擦りながら、ん?と首を傾げるが、治さんはそのまま、はよ降り、とおれを促してくる。

「え、」
「行こ」

ここがどこか、なんの説明もされないまま、治さんはおれのシートベルトをはずしてから、鞄まで持って車を降りた。
頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにしたおれをさっさと置いて、おれも慌てて車を降りる、追いかけるように車の後ろ側へいけば、鉄製の扉の前で治さんはおれを待って、その手を出した。

「こーいうとこハジメテなん?」
「は、ハジメテっていうか、えっと、」

そもそもここはどこですか。
そんな風に聞こうとすると、治さんの手はおれの手をさらりと握って、ふ、ととても嬉しそうに目を細めた。重々しい錆びた音を立てる扉の先には、これまた年季の入った階段が二階に向かって伸びている。
カンカン、とあるくたびにやけに響く音を立てるその鉄階段は、狭さもあってやけにドキドキした。繋がれたままの手はやけに優しいのに、階段を進むスピードは、急かすように早い。
おさむさん、と声をかけても振り返られることもない。階段の奥にあった、悪趣味な水色の部屋番号の書かれた扉に怯むおれなんかを気にすることもなく、治さんはさっさとその扉を開けた。
ここまでくれば、さすがにわかった。

(ここはエッチなことをするためのホテルなのでは?)

真ん中にどかーんと置かれた大きなベッド、バスルーム、トイレ、二人がけのソファー、向かいには大きな液晶テレビ。
これだけを言えばただのホテルだが、色合いがもうポップでファンシーで目がちかちかする。ピンクと水色の、いかにも現実離れした色合い。バスルームはなんでかガラス張りで、外を見るための窓が無い。極め付けは、なんかよくわからんがやけにムーディーな音楽が部屋に流れているところだ。

「…えぇ〜…?」
「日向?」

玄関で立ち尽くしたままのおれの手を、治さんは首を傾げながら握っている。そういえば、たしかにおれはかえりたくないなぁと言った。
うん。言った。思い出した!それもこれもこの人の片割れのせいであるんだけども。あっ!もしかして治さんはなんらかの奇跡的な双子パワーでおれの言いたいことを汲んでくれて、今日は寮に帰らないように気を遣ってくれたのでは??別にラブホテルだからといって、そんな本来の目的を果たすためではなく、かわいそうなおれとみっちり一晩語り合おうかという先輩の純粋なる好意として、きっとそうだ。うん、きっとそうなんだ。

「ハジメテがラブホなんてイヤやったか?」

あっ、ちがった!純粋なる行為のためでした……。

「えっ、ちょっとまって、あの」
「ほんまにイヤなんやったら無理強いはせぇへんけど」
「あ、はい、えっと、」

その方向で、というか誤解なんです。おれの帰りたくない、っていうのはアレなんです。女の子とかのお持ち帰りオッケーよ、ってそういうのではなく、貴方の片割れさんによる嫌がらせのせいなんです、どっちかといえば、帰りたくねー!こえー!っていう小学生男子的な心理なわけで…!!
そう誤解を解こうとした俺を治さんはぐっと引き寄せて、抱きしめた。

「嬉しい」
「へ」
「日向と、こんなふうになれたん、めっちゃ嬉しい」

おいおいおいおい、どういうことだ。流れるんじゃないムーディーな音楽!治さんは、今日はできるとこまででええからな、とやけに優しくおれの頭を撫でている。

「ツムにバレたらからかわれんのわかってたから、ずっと秘密にしといたんや」
「……」
「好きやで」

うっとりと、そんなとろけるような優しい目で見られてしまえば、今更誤解だなんだと言えるわけ…………あるわけないだろ…!!!
侑さんとは似ても似つかないそれはもう幸せそうな笑みをドアップで見せつけられて、おれはついにこくりと頷いた。

畜生……。
責任とって、幸せにして差し上げます…。