満月の夜なら


 翔陽の背後でTVの画面が光り、治のリビングの壁を白く照らす。シーンが変わるごとに明滅するそれを視界の隅に捉えながら、時々瞬きをする睫毛を見ていた。
 実家から持ってきたはいいものの、これまでパッケージを破いたこともなかった映画のDVDがある。そういえばと、話に出したら翔陽が興味を持ったから、デッキに入れた。入れはしたが、中盤を迎える前にはすでに彼を膝の上に跨らせて、今に至る。結局は映画など、正当に部屋を暗くするための、彼の横顔を見つめるためだけの都合の良いアイテムに過ぎない。
 深夜、薄暗くした密室の中で彼を前にしたら、軽いキスだけで済ませられるわけがなかった。舌は薄い唇を勝手にこじ開けるし、手は熱を帯びて気ままに服の下へもぐりこんでいく。吸い寄せられるように、無意識のうちにそうしてしまう。翔陽も、映画のことなど今はすっかり忘れたような顔をして、治へ上半身を預けていた。どっしりとした二つの体重に、安めのソファが鳴る。
 シャワーを浴びたのに、その後コンビニへ出かけたせいで翔陽からは仄かに汗の匂いがする。それが出したばかりのルームディフューザーの香りと混ざって、彼が自分の部屋にいるのだという事実を脳へダイレクトに伝えた──部屋へ入るなり香りに気付いた翔陽に「かっけー! 大人って感じ!」とはしゃがれて、得意になる気持ちと格好をつけた気恥ずかしさとを、無表情の下にそっと隠した。
 部屋のコンディションは快適だ。なのに、彼の乳首の片方に触れた時、鳩尾辺りには小さな汗の水滴があった。擦り寄せた身体の熱のせいで治も皮膚のところどころにじわりと汗が滲んでいる。Tシャツの裾を鎖骨までたくし上げたところ、現れた突起を舌先で舐め転がすと、膝の上の身体が大きく揺れた。片手で胸元の汗の滴を撫でるようにして伸ばす。
 治の首に腕を回して、翔陽が低く小さく声を漏らしている。色気を含んだそれにはまだ慣れない。それは当然で、触れ合うのは今夜で二度目。互いの動作からは遠慮が少し減って、それでもわずかに相手の出方を待っているところがある。余裕を見せてはいるつもりだが、性急な求め方をしている自分には気付いていて、治は隠れて己を鼻で笑った。そんなことをしながら、この次、翔陽の奥のどこまで触れていいのか見極める。
 二人の膨らみきったものが窮屈な布ごしに触れ合っていた。時々腰を揺らしてわざと刺激を与え合っては、揃って鼻から吐息をこぼす。治がもう片方の乳首も口に含もうとする頃には、耐えきれないとでもいうように翔陽が治の股間を撫で始めた。
「っ、アイス溶けてまうよ。ええんか」
 早々に翔陽の手から取り上げてローテーブルへ移したカップアイスの下には、少し前から水たまりができている。翔陽から目を離してそれを目視する。両頬が手のひらに包まれて上を向かされると、性欲に濡れかけ恨めしげな翔陽の顔があった。アイスのほうは振り向きもしない。
「こんなにさせときながら今そんなこと言うの、ずるいっすよ」
 ずるい、の言葉は的を射ないようでいて、伝えたいことは十二分にわかる。欲しがらせたいから意地の悪い質問をした。熱を帯びたかけひきが治を愉しませ、先に進めさせる。
「このままする? それともベッド、行こか」
 照らされていた室内がわずかに暗くなった。シーンは転換し、甘く愛を囁く女の声と、雰囲気を掻き立てるBGMが流れる。そんなものはきっと翔陽の耳には入っていないはずで、縋るようでもあり、反して奪おうとでもするような眼差しが治を見下ろしていた。
「ベッド、いく……っ」
 翔陽の勃起にぐっと強くものを押し付けてやると声なく喘いだ。思わず喉を鳴らす。こんな彼を独り占めするのは今の治の一番の快感だった。
 コートの中心で観る者の視線を奪い、マイクとフラッシュを向けられ、誰をも虜にするような男が、舌の動きひとつ、指先の絡みひとつで夜の顔に変えられる。かと思えば治の腕をするりと抜けて笑い、陽の下へ誘い出す。本人が気付いてはいない表情の移り変わりが好き、魅せる表情の全てが好きになった。有名人然としない自然体も、それでも立場や人の視線をほどほどに意識した立ち振る舞いも。それなりに稼いでいるはずなのに、コンビニで迷わずラクトアイスを選ぶところとか。
 立ち上がってリモコンを繰り、その流れでふやけたカップを摘み上げる。翔陽を腕に抱き込みながらバニラ味の液体を全て飲んだ。
「あ! 俺のアイス!」
 そうしたのは、蒸し暑い中に残しておくのも気掛かりだし、かといってキッチンへ処分しに行くのも面倒な上に無粋と思ったからだ。液状になったものなどいらないだろうと判断したわけだが、少し臍を曲げさせたらしい。翔陽が子どものように唇を突き出して、本気で怒ってはいない顔をしていた。
「お? 飲みたかったんか。すまん」
「んぶ、」
 喉の奥がひりつくような甘さ。また口をこじ開けさせて、その味がたっぷり残る舌を食ませてやる。唾液を送って、濡れた口の周りも舐めて、奥まで擦って、これからしようとしていることを前もって例えてやるように。立つ翔陽の足がもたつき、腕が必死に治の身体に縋るようになったところで、満足して解放してやった。
「はあっ……、アイス食うたびに、思い出しそ……」
 この前見た、達する寸前のような顔でそう言うから、良い気になった。簡単には会えない関係だから、まだ真新しさがある関係だから、翔陽の中に治を想起させるものを刷り込ませるのも、ありかもしれない。
「ええやん、それ」
 陽の下が似合う彼。その日常の景色に潜り込み意識を独り占めできるのなら、それは随分な快感になる。