# 02
現実というのは奇妙なもので、思いがけず望みが叶ったりする。
体育館の高い天井にシューズの摩擦音とボールを穿つ音が響く。それに交じって一際大きな声がコートの一画から上がった。
「俺にトスもってこーーーーーーい!!!」
「うるせぇボゲェ!」
怒号の飛び交うコートの外で変人コンビのやり取りを半ば夢でも見るような心持ちで見ていた。
俺達は遠征合宿と称して東京にやって来ている。あちらからの熱烈なアプローチがあったらしく、それに応えるかたちで合同合宿に加わる運びとなったようだ。監督からその内容を聞いたときは「遠くまでご苦労さんやな」としか思わなかったが、現地を訪れてみればそれは驚きに変わった。並んだ黒いジャージの群れにわが目を疑ったのも無理はない。まさか県外の烏野まで呼ばれていたとは思ってもいなかった。
「飛雄君、お疲れ」
「っす」
練習後に汗を拭う飛雄君のもとへ寄っていくと、彼はぺこりと小さく会釈した。
「それにしても宮城の烏野までおるなんてビックリや」
「うちは音駒と親交があるんで呼ばれたんです」
細かい事情は知らないが、両校には因縁があるのだとか。過去に東京で合宿を行った経緯もあって今回も声がかかったようだ。
「合宿の間、宮さん達のプレー見て勉強させてもらいます」
(うーん、敬語だけど目ん中に闘志がギラギラしとるな)
もっと強くなってやるという意思が宿った目は嫌いじゃない。セッターとしては生意気だと思うが、プレイヤーとしては好感が持てた。絶対口には出してやらないが。
「それより飛雄君、ええ加減「侑さん」て呼んでや。治と紛らわしいやん」
「いえ、問題ないっす」
「何でこの子ここまで頑ななん……?」
飛雄君も大概面白いと思う。『変人コンビ』と呼ばれる由縁をプレー以外の言動からもひしひしと感じた。
だが、片割れも負けず劣らずではないだろうか。ボールカートの影からこちらを窺う、一対の大きな瞳が放つ熱視線を頬に感じながら、あれで隠れてるつもりなのかと漏れそうになる笑いを堪えた。
「それで……そこの翔陽君、隠れとらんでこっちおいで」
声をかけるとカートの下から見えていた足が飛び上がった。翔陽君はそーっと顔を覗かせると、飛雄君と俺を交互に見比べて何ともいえない表情になる。怖いけど、こちらの様子が気になるといった顔だ。もしかして、俺が飛雄君をいじめているとでも思ったのだろうか。
「怖ないでー。せや、飴ちゃんやろか?何味が好き?」
「飴……?」
荷物から飴の袋を取り出してガサガサと音をさせると、それに釣られて野生動物よろしくふらふらとカートの裏から出てきた。目線は袋の中身に釘付けだ。練習後の空腹野生児には小さな飴でも効果があるらしい。
「いちご……オレンジ……」
「好きなの持ってってええよ」
甘い誘惑に抗えずに恐れも忘れて手を伸ばしてくる翔陽君。目の前まで歩いてきた彼が飴を掴んだ瞬間、片手でその体を抱きこんだ。
「ふぎゃーーーー!?」
「翔陽君ゲットや。自分チョロすぎん?」
「えらいこっちゃ……自分と同じ顔した奴の犯行現場に居合わせてもた」
「あっ、俺の飴……!」
翔陽君は踏んだり蹴ったりで、俺に捕まったうえ突然やって来た治に飴を奪われた。治が無情にも飴を口に放り投げてばりぼり食べているのを涙目で見上げている。
「か、影山っ」
翔陽君は助けを求めようと飛雄君を振り返ったが、彼はもう興味が尽きたようでさっさと練習後のクールダウンに向かっている最中だ。それを見るや否や、先程まではうっすら涙を浮かべていたのに、今度は遠ざかる飛雄君の後姿を歯ぎしりして見つめている。本当にコロコロと表情が変わるのが面白い子だ。
「つか誰が犯罪者やねん。これは健全なコミュニケーションや。俺は翔陽君と仲良うなりたいねん」
「お前みたいにデカイ奴がこんなチビ抱きこんどるん犯罪の現場にしか見えんわ」
治が「チビ」と形容すると、下の方から弱弱しい声で「俺はチビじゃない」と聞こえたが、上から俺達二人が覗き込むと借りてきた猫のように大人しくなった。
「ええやろ、それに想像の翔陽君じゃもう満足できへんもん」
「「もん」とか言っても1mmも愛嬌ないで?あとそれ痴漢の発想やから」
「誰が痴漢や!」
「想像の俺……?」
「あ、翔陽君は気にせんでええ。こっちの話や」
にっこり微笑むと野生動物は怯えたように頷いた。
腕に抱えた獣は記憶よりも小さくて華奢に思える。俺と治に挟まれているとそれがより強調されていた。身長なんて頭一つ分以上違うし、掌だってこんなに小さい。――でも、俺は知っている。この体が躍動する瞬間を。
(もっと間近で見てみたい)
コートの向こう側もいいが、今度は俺の上げたトス目掛けて飛び上がる姿が見られたらいい。治が言うように、飯を食うみたいに腹を減らして貪欲にボールを求められる。これほどセッター冥利に尽きることはない。
「で、翔陽君この後時間ある?」
「え……大丈夫、デス」
「ほんならスパイク練する?俺がトス上げたるよ」
「ほほほほ本当に!?」
目から光でも出ているのではないかと思うくらい翔陽君は瞳をキラキラと輝かせた。興奮を抑えられない!といった様子でわなわなと震えている。
「ほんまほんま。好きなだけ打たせたる」
「あざーっす!」
先ほどまでの怯えはどこへやら、ご機嫌な笑顔で翔陽君は頭を下げる。こんなに嬉しそうにされたらこっちの気分も良いもので、俺までヘラっと表情を崩した。
「ほな行こか」
「はい!」
しかし、俺の腕から解放され勇んでコートへ走りだそうとした翔陽君は、一歩踏み出したところで潰れた蛙のような声を発して止まった。
「ぐえっ」
「監督から今日は居残り練禁止って言われただろ馬鹿」
「げほっ、そうだっけ……?」
「忘れたのかこのボゲ」
いつの間にか戻ってきたらしい飛雄君が翔陽君の襟首を掴んで後ろに引っ張った。苦しかったのかギャンギャン文句を言い始めた翔陽君だったが、飛雄君は相手にもしていない。俺から引き剥がすように小さな体を自分の方へ引き寄せると、真っ直ぐとこちらを見て言い放った。
「じゃ、こいつ貰ってきます」
飛雄君は名残惜しそうな翔陽君を引きずって、こちらを一度も振り返ることなく烏野の輪に戻って行く。その目は言外に、「お前にこいつはやらない」と告げていた。
「分かりやすい牽制されてやんの」
「うっさいわ」
追い討ちをかけた裏切り者の尻に一撃入れたが、下降した気分はてんで戻らなかった。
分かってはいたがこうもあからさまな態度をとられるとその事実が如実になる。あの翼は飛雄君のものらしい。
それにしても、あそこまではっきりとした独占欲を晒してきたのは意外だった。翼を手に入れるのは思った以上に困難な道のりかもしれない。
実際あの子と同じコートに立つのはもっと先だと思っている。確信があった。今ではない。それが分かっていたから、今日はちょっと試すくらいの気持ちしかなかったはずなのに。
(あかん、他人のものだと思うともっと欲しなる。俺の悪い癖や)
体の底からむずむずとした衝動が這い上がってくる。こういった感覚は覚えのあるものだが、得てして自分でも押さえ難い。
どうしたものかと蹲って頭を抱えていると、痛みに悶えていた治が哀れむような目をして俺を見下ろしていた。
「ツム、お前今外道なこと考えたやろ」
「何でそんなこと分かんねん」
「双子エフェクトや」