# 01

 日向翔陽は生まれつき聴覚障害を持っている。
 補聴器をつけているが大した意味もなく、機械がやっと拾った音は全てごちゃ混ぜになり聞き取る事はできない。それでも補聴器がなければ無音で、どこか寂しくて、何より自分が聴覚障害を持っていると周りに示さなければ、誰も日向を助けてはくれない。
 煩わしくて嫌がる人もいるが、ちょっとしたお守りの様に、日向は補聴器をつけていた。
 それでも日向が普通に生活していくには、まだまだ世間は厳しかった。
 特に子供は無邪気で、ただ楽しいからと大した悪意もなく日向の障害を弄って遊んでいた。
小学生の頃は最も酷く、補聴器を壊された事も声をバカにされたことも多かった。
 日向は手話は一通りできたが、周りの子供が日向1人に合わせるわけもなく、基本的に筆談で会話をする事になっていた。
喋れば終わることをわざわざ字で書いて伝える行為は、小学生には煩わしかったのだろう。そのうち誰も日向と話をする子はいなくなった。
けれど、元々人懐っこく明るい性格の日向は、諦めずに何度もノートに字を書いた。
 みんなは日向自体が面倒になると今度はノートやペンを隠しだし、度々日向を困らせた。
 それで結局、聞いたことのない発音を必死に駆使し話しかける。

「のーぉ、どぉこぃあるぅか、しぃらなぃ?」

 日向自身はなかなか上手くしゃべれた様に思っても、生まれてから一度も聞いたことのない音を正しく発することは早々できない。
 それはとても歪な音で気味が悪く、女の子達は顔が引きつらせ、男の子達は笑い転げて日向の補聴器のついた耳元で「のーおーどーこぃあーうかしーらなーーーい!!!」と馬鹿にして大声を出した。
 補聴器に突然入った大声が雑音に混じってハウリングし、キーーン!!と音を出す。
 日向は思わず耳を塞いだ。
 その手がたまたま耳元で大声を出した男の子の頬に当たり、爪で軽く引っ掻いてしまったのだ。
血が出るほどではないが、赤いミミズ腫れができた様で男の子は頬を抑えて、驚いて日向を見た。

「痛ったーー!」

 耳が聞こえない日向は、男の子が痛がっている声にも気が付かず、ハウリングした補聴器を取って慌てて直している。
 その愚鈍さに腹が立ったのか、男の子は日向が持っていた補聴器を取り上げて、空いていた窓から勢いよく外に投げ捨てた。
 2階の窓からひゅーんと飛んだ補聴器は、中庭の小さな池にぽちゃりと落ちる。
 日向は唖然としてそれをみていた。

「うおーー!ナイス!〇〇くん!」

 見事に池に落ちたそれを見て、他の男の子が声を上げる。
へへっと得意気になったその子は次に、もう片方の補聴器を取り上げようと、日向の反対側の耳につかみかかった。

「あっ!あぇて!!」

 少し早産で生まれた日向は未熟児で、聴覚障害と共に体の小ささも小学生の時から目立っていた。
だから他の男の子がつかみかかってくると、体格でも劣る日向は成す術がなくなる。
 すぐにもう片方の補聴器も取られると、同じ様に外に投げ捨てられ、池に落ちた。
 開け放された窓に食いつき、日向は補聴器が池に落ちたとわかると項垂れてしばらくぼーっと外を見ていた。

「またあのおもちゃ付けてこいよ!今度は3階からやろうぜ!」

 男の子達はそう言って去っていったが、日向には何も聞こえず、ただ窓の縁を強く握っただけだった。



 日向はその後も明るく過ごした。何をされてもへらへらニコニコと新しいノートとペンを持ち、誰も構ってくれない教室や廊下をウロウロとする。
 ノートが盗まれるとめげずに喋るが、変な発音とリズムに笑われる。
 机や黒板に気持ち悪いだとか、死ねだとか、喋るなと書いてあっても笑って全部1人で消した。
 教師は面倒ごとは嫌なのか、無気力なのか、気がつかないふりをして無視を決め込んでいるようだった。
 そうして放課後や人気のない図書室で日向は1人になると、ふと口元が縫われた様に硬くなり、痙攣する様に震える。
 眼球がプールに溺れる様に濡れ、ポタポタと水が溢れる。
 自分がひどく惨めで、無力で、悲しくて、けれどこんな耳の聞こえない欠陥品の自分でも母や父は変わらず愛してくれて心配してくれる。それがとても申し訳なく、せめて笑って心配をかけない様にしないと、と日向は幼い心にそれだけ思っていた。

それしかできないのだから、と。



 3年間そんな生活をしていると、日向はまず喋ることをやめた。日向が喋る度、同級生は酷く日向を虐めて邪険にするからだ。
 それから、体格の大きな男の子には近づかない様に心がけた。
 ニコニコしながらもそっとその場を離れる。
見つかれば意地悪をされ、引き攣る様にニコニコ笑う日向がムカつくのか、叩いたり暴力を振るうこともしばしばあった。
 日向は尚更大柄な人が苦手になった。
近づくとピッタリ張り付いた笑顔の下で口が少しだけ戦慄く、手に汗がじわりと滲むのに身体はヒヤリと冷めていく。
 音が聞こえないだけで、世界はこんなにも生きづらいのか、とまだ幼い日向の心にジクジクと治らない傷がたくさん増えた。