# 02
小学生も高学年になった頃、日向の家の近くに影山家が引っ越してきた。
そこの一人息子、影山飛雄は日向と同い年で、クラスも一緒だと言う。
バレーボールが好きで、いつも小脇にボールを抱えている少し無愛想な男の子だった。
引っ越してすぐ、影山家が日向家に引っ越しの挨拶に来てくれた。
影山は背も少し日向より高いくらいで、日向はあまり怖がらずにノートに自己紹介を書いた。
影山は繁々とそれを見て、日向の持っていたペンを貸せとばかりに取ると、日向の名前の横に[影山飛雄]とだけ書いてペンを返した。
日向は久々に自分と話をしてくれた同級生に満面の笑みで返した。
影山は、日向が学校でどの様な扱いを受けているのか知るや否や激昂し、転校初日に大暴れした。
元々勝気で正義感のある性格の影山は、自分より背が高かろうが太かろうが問答無用で殴りかかったものだから親が呼ばれ、なぜか日向の親も呼ばれた。
そうして明るみになったイジメは、影山のおかげで急速に収束し、日向を害する者はヒソヒソと鳴りを潜めるに止まったのだ。
[ありがとう]
ノートにそう書けば、影山はおどおどと目を泳がせ、同じノートにペンを走らせた。
[お前のためじゃねー、オレは当たり前のことをしただけだ]
喧嘩して絆創膏をたくさん貼った顔で、影山は恥ずかしそうに、けれど小さく笑った。
日向と影山はそれ以来、些細な喧嘩をしつつも親友と呼んで差し支えないほど仲良くなった。
影山は隣町の引退したプロが教えるバレークラブに通っていた。
日向も見学に行ったが、やはり耳が聞こえないと言うのはチームでやる競技にはとても大きな障害となった。
特にバレーボールは常に上向くスポーツで、ボールから目を離す事は少ないく、チーム内の連携は声を使う事が多い。「チャンスボール」「オーライ」「オープン」「カバー」たったこれだけの掛け声でも、できるのとできないのでは大違いだった。
ましてやコートには6人。
一人一人気をつけなければ足を引っ張ってしまう。
日向はバレーの魅力はとても素晴らしいと思ったが、参加させてもらったミニゲームでそれを思い知り、早々にバレーは諦めた。
それに、影山のバレークラブがない日はよく2人でトスやレシーブ、スパイクの練習をした。
試合はできなくてもそれだけで楽しいし、バレーを見るのも大好きで、影山の上げる綺麗なトス、スパイクを打つ飛ぶ様なフォーム、サーブの迫力、どれもこれもとてもかっこよくて、試合に出られない自分は、どうやったら参加できるのだろうと考える様になった。
プレーができなくても何か、何かバレーに貢献したい。
かと言ってマネージャーになるのも耳の聞こえない日向には難しい。何とするにも誰かと一緒にテキパキできない。
うんうんと数日悩んでいた時、影山が持ってきた月刊バリボーの「体と食」特集を見て日向は飛び上がった。
これだ!
アスリートの体は運動と睡眠と食事、その全てで出来ている。
運動と睡眠はコーチや自己管理でできるだろう。
ならば食事だ!
翌日、まだ小学生の日向は、お年玉を全部使って「健康料理のレシピ全集」と言う分厚い本を買った。