# 02


五色は午後の部活が終わると、調理室に向かった。
 調理室のドアの窓から中を覗き、日向がいるのを確認すると、扉を開けた。
部屋の端から回り込み、日向の視界にゆっくりと入り込む。

「!」

 日向が気がついて人懐っこくニッと笑う。五色は密かに、こいつの方が犬っぽくて可愛いと思っていた。
 前までは肩を掴んだり叩いたりしていた五色も聴覚障害を調べるうちに、その様な行為は音の聞こえない世界で生きる日向をとても驚かせてしまう事だと学んでいた。

「日向、これ」

 空の弁当箱を取り出すと、右手で自分の右頬を軽く叩き、そのまま左手の甲にトンと落として上げ、軽く頭を下げた。

『美味しかった、ごちそうさま』

 手話でそう言われて、日向はまた満面の笑みでニシシッと笑うと小指で顎をトントンと叩いた。

『お粗末さま!』

 本来は"どういたしまして"と言う意味だが、ご馳走様に対する答えはこちらだろう、五色は理解して空の弁当箱をシンクで洗った。
 軽い挨拶程度なら手話でできる様になった五色だが、未だ難しいものは筆談を使っている。
 洗い物を終えると、日向はノートを見せてきた。

[今日も夕飯食べてく?]

 五色の顔がパッと明るくなる。
ワクワクとした瞳でノートを見ると、すぐに[食べる!]と書いた。

[じゃぁ風呂入ったらここ集合な]

 集合と言いつつも日向は下拵えをし、五色より早く調理室に行き料理を作る。
 五色はコクコクと頷いて、洗った弁当箱を水切りカゴに入れて、部活で汗をかいた体をサッパリさせるため風呂に向かおうと振り返った。

「っ!!!??」

 すると、調理室のドアの窓から、男子生徒が1人こちらを覗いて腕を組んでいる。

「かっ、川西さん!!!??」

 五色は狼狽えているが、日向は気が付かず夕飯で使う肉を切って、下拵えをしていた。
川西がバンッ!と扉を開けても日向には聞こえない。

「コソコソ何やってんだ?」

 川西は2人に近づくと、そのまま背を向ける日向の肩に手をやり、手元を覗こうとした。

「ちょ!川西さん!」

「!!!?」

 日向はびくりっ!と飛び上がり、持っていた包丁を滑らせた。
幸い落とすことはなかったが、親指の側面に刃が滑り抜け、スパリと切ってしまう。

「っ…!」

「日向!?」

「うわ!悪ぃ!」

 咄嗟に包丁をシンクに入れ、親指を抑える仕草に、五色と川西は瞬時に焦った声を上げる。
 日向はすぐに水を出すと傷口を洗い、五色は近くにあった綺麗な布巾を取ると洗った傷口にぎゅっと巻いて抑えた。
 血がひどく滴るほどではないが、じわりと布巾に血が滲む。

「ななななにやってんですか!?川西さん!」

「す、すまん!!そんな驚かれると思わなくてっ…」

「日向は耳が聞こえないんですよ!?」

 川西はハッとして、五色の部屋に行った時のことを思い出した。
あの時は白布が何やら対応してたし、大して興味もなく去ってしまったが、そうだ、このオレンジの髪は五色の同室の奴で、聴覚障害者だったと思い出す。

「わ、わりぃ」

 そう言って謝るが、日向はキョロキョロと生肉とまな板を見渡している。
どこにも血がついていないことを確認しホッとすると、傷は五色が押さえてくれて、自由になってる手でノートを手繰り寄せる。

[大丈夫です!]

 川西は申し訳無さそうに眉尻を下げたが、日向は何度もノートの文字をトントンと叩いて笑顔を見せた。
 五色が日向の視界にひらひらと手を振り注目させると、口元を動かす。

「保健室、行くぞ」

 日向がわかる様にゆっくり言うと、コクコクと頷く。
2人はそのまま調理室を出て行った。

「…やべー、やっちまった…」

 誰もいなくなった調理室で、川西は小さくつぶやいて、頭を掻く。
 別に脅かすつもりもなかったし、怪我をさせるつもりももちろんなかった。ただ聴覚障害という大きな一点を忘れていたのだ。
 後輩に彼女ができたらムカつくという、幼稚でくだらない思考で事に及んだことを川西は後悔した。

「…はぁぁぁ」

 大きな溜息を吐き、調理室をウロウロしてしまう。
 途中まで切った生肉や、ボールに入った野菜が『そもそも包丁を持っている人に、肩に手を乗せただけだが、からかい半分で手出しをするな』と言っている様で、川西は更に「うう…」と落ち込んだ。

「…あ、ノート」

 大丈夫と書かれたノートを視界の端に見つけ、これがないと困るのではないかと思い当たる。贖罪ではないが届けてあげようと、川西はノートとペンを持つ。調理室を出かけたところで残された食材も心配になり、軽く生肉と野菜にラップをかけて出ていった。



 川西が保健室に着くと、ちょうど2人が出てきたところだった。

「五色、日向!」

 五色が川西に気がつき、日向に指を刺して知らせる。

「日向、あの、さっきは…」

 と言いかけるが、耳が聞こえないことを思い出し、慌ててノートに書こうとする。だが、勝手に書いていいのかとまたあたふたしてしまう。

「ノート書いてもいいですよ、俺もそれで会話してますから」

「そうか!」

 五色の言葉に川西はノートにペンを走らせた。

[さっきはごめん!耳のこと忘れちまってて…]

 それを読んだ日向もペンを受け取り、書き加える。

[大丈夫です!絆創膏だけで治るくらいだったんで!]

 グッと親指を立てて川西に見せる。
確かに大判の絆創膏一つ貼ってあるだけで、包帯やら何やらと大袈裟な感じではない。
 ホッとしつつも川西は[次からは気をつける]と書き足す。日向はまたにっこり笑って頷いた。

「てか、何であそこにいたんですか?」

 五色が言うと川西はぎくりと肩を跳ねさせた。
 日向に怪我をさせてしまった手前、後輩の彼女の面を拝むと同時に天童にチクる予定だったとは言い辛い。

「…お前が手作り弁当食ってたから…美味そうだなぁってよ…」

「……」

 五色は、視線を逸らしながらモゴモゴと言う川西を不審に思いジト目で見たが、日向が五色のジャージの裾をクイクイッと引くので視線を逸らした。
自分の方を指差し、次に片手で拝む様に縦に振る。

『何て言ったのか教えてくれ』

「……日向の弁当が、美味しそうだって、だから調理室に来たってさ」

 ゆっくり言うと日向は川西を見た。

「はぁ?聞こえんの?」

「読唇術が使えるみたいで、見やすくゆっくり話せばわかります」

「先に言えよっ」

 川西は持っていたノートを握りしめた。
そのノートをクイッと引っ張り、日向はペンを持つ。

[夕飯一緒に食べますか?]

 川西は驚いて日向を見た。

「いいのか?」

 日向は大きく頷き、五色は川西にバレないよう小さく溜息をついた。