# 03
牛島が校舎を探し回っている頃、日向は早くも落ち込んだ気持ちを立て直し、校門を出て隣の大型スーパーに向かっていた。
(まぁ、イジメなんて慣れてるし…影山はいないけど、今は五色や川西さんがいるから、何とかやっていけるよな…)
入学して1ヶ月を少し過ぎたところだ。変な輩に目をつけられたかもしれないが、バレー部の体育館に近寄らなければ関わることもあるまい、と日向はたかを括っていた。
スーパーに入ると食材を次々カゴに入れ、カートを押して歩く。
大型スーパーなだけあり雑貨や日用品の品揃えも豊富で、日向は食器などが並ぶコーナーに寄ると、端にカワウソのイラストがプリントされたブラウンのランチョンマットとカワウソの箸置きをカートに入れた。
日向の料理を食べたいと食費を出してきた川西の分である。
それからノートとボールペンを探しにいく。
ノートはカバンに入れやすいA5サイズのものを、ボールペンは使い慣れた好みのメーカーを見つけると、グリップ部分がオレンジ色のものを取る。
私物を壊されるのは小学生以来で、複雑な気分だ…。少しだけぼーっとしてしまった思考を振り払う様に首を振り、日向はカートに買う予定のものを全て入れると、レジへ向かった。
レジは昼時ということもあり、近隣の住民も多く買い物に来ていてどの列も混んでいた。
行列の先の店員が読唇術でもわかる様な話し方をするかどうか見極め、列に並ぶ。
今日は補聴器も無くしてしまったため、聴覚障害があるとわかってもらうことが出来ないかもしれない。
それでも何回も買い物に来ているし、大体物を買う流れはわかっている。なんとかなるだろうと日向は思った。
だが列が進み、次が日向の番になろうという時、もう1人の店員がレジの中に入ってきて、何やら話しをすると、日向の番になるタイミングで交代したのだ。
交代した新しい店員は口元をマスクで覆っており、日向は心臓を跳ねさせた。
(どうしよう…っ)
さっきの今で落ち込んでいる心は嫌な方嫌な方へ思考を持っていく。震えそうな手で財布をギュッと握った。
買い物をすることはそれほど難しいことではない。いつものポイントカードを出して、現金を支払うだけである。
金額はレジの黒い画面に書かれているのだから大丈夫だ、と日向は自分に言い聞かせた。
商品の登録をして会計カゴが山盛りになっていく。
そして最後に小物であるランチョンマットや箸置き、ノート、ボールペンと登録していった。日向は店員の手元よりも、会計金額と店員の口元を無意識に見てしまう。その口元がマスクで覆われているのに見ずにはいられない。
大丈夫、大丈夫と思っていると、店員のマスクが俄に上下した。
金額を言ったのだろうか、と思ったが店員は日向を見て困った様にマスクを動かす。
日向は焦りながらも首を傾げた。
すると店員は今度はノートとボールペンを会計カゴから取り出し、指差してくる。
わからない。
ノートとボールペンは買えないのだろうか?何か別のこと?なんだろう。どうしよう。
日向の顔がだんだん青ざめていく。今日一日何もかもが上手くいかない。
そもそもバレー部に近寄ったのが悪かったのだ。好きだからと体育館まで行かず、我慢してメールをしたらよかった。
聴覚障害で他人に頼らなければわからないことが多い自分が、少し五色や川西と仲良くなったからと分不相応にもバレーに触れたいと思ってしまったことが間違いだった。
今更後悔しても、あの3人に揶揄われたことは事実として日向の心に残った。まぁ1人は揶揄われたと言うより驚いていた様子だったが…。
そして今も、混んでいるレジには後ろにもたくさん客が並んでおり、客の苛立っている雰囲気や店員の言葉がわからない。混乱して全てに焦り出し、日向はまた泣き出しそうになった。
その時。
「っ!?」
トントンと肩を叩かれて、びくりっと肩を跳ねさせ振り向く。
「学生手帳だよ」
振り向くと後列に頭を下げ、列を割って入ってきただろう、ミルキーブロンドの髪の男が立っていた。
白鳥沢の学生手帳を日向に見せながら店員を指差しす。
「生徒手帳、持ってるでしょ?」
日向はハッとしてカバンから白鳥沢の自分の生徒手帳を出した。
店員はどこかホッとした面持ちでレジを操作する。日向はなんとかお金を支払い、レジの行列から抜け出した。
サッカー台で会計カゴから大きな袋に品物を入れ替えた日向は、スーパーの入り口付近に設けられている休憩スペースで、列に戻っていった人物を待った。
しばらくしてその人物はレジを抜け、スーパーを出ようとしたところで、休憩スペースにいた人物がぴょんぴょん飛びながら手を振っているのを見つけ、近寄ってきた。
「大丈夫?」
袋四つ分の大荷物を見て動く口に、日向は早速新調したノートを開いた。
[さっきはありがとうございました!白布さん]
白布はノートの字を見て、徐に休憩スペースの椅子に座る。日向も向かい合って座り、ノートとボールペンを置いた。
白布がボールペンを取ると、さらさらと綺麗な字で[白鳥沢の生徒は、このスーパーで文房具を買うと3割引なんだよ]と書いた。
白鳥沢に来てまだ一ヶ月そこそこ、ストックしている料理研究用のノートはまだあるが、壊された筆談用のノートやボールペンを買い換えるのは初めてであった。
見た目が幼い日向である。中学生に見えたとしても白鳥沢の生徒であったら割引があると店員は言っていたのだろう。
日向は驚いてノートと白布を交互に見た。
[知らなかった!助かりました!」
日向はにっこり笑って白布にノートを見せた。
わからないことがやっと理解できた安心感からか、少し泣きそうな顔に笑顔が上乗せされている、そんな表情だ。
白布は先ほどの、レジの前で今にも泣き出しそうな日向を思い出した。
大体のものは白鳥沢の校内にある売店で買えるのだが、白布が愛用しているシャンプーは品揃えの多いこのスーパーにしか売っていない。
部活の昼休憩にサッと買いに来たのだ。買うものは決まっているし、お目当ての品物を取ってレジに並んだ。
しばらく並んでいると、ざわざわと先頭のあたりが滞っている様で、並んでいる客も頭を左右に伸ばしキョロキョロと様子を伺っている。
白布もなんだろうかと首を伸ばしたところ、レジの先頭で揺れるオレンジの髪を見つけたのだ。
(五色の同室の奴…だよな…?、たしか日向…)
五色の話や部屋前のプレートから名前を思い出し、列を抜けて近寄ると、マスクをした店員がしきりに「生徒手帳ありますか?」と聞いている。
日向は首を傾げながらも、ワナワナと口が震え、焦る様に目を泳がして手でカードの形を作ったり、戸惑って財布を開いたり閉じたりしている。
「白鳥沢の生徒さんですか?文房具割引になりますけど…」
なんの音も聞こえない世界で、視界から入る映像がどんどん聴覚障害者を焦らせる。何をどうしたらいいのか戸惑い、もたもたする日向に後列の客が「早くしろよ、グズが」と呟いたのを聞いた瞬間、白布は列に割って入り、日向の肩を叩いたのだった。
[会計上手くできなくて、待たせてすみません。並び直しもしましたよね、ごめんなさい]
[謝らないでよ]
白布はギュッとペンを握った。
[日向は悪くないでしょ]
ノートを見てギュッと固く口を結ぶ日向は、なんだか抱きしめてあげたいほど心許なかった。
泣くまいとする姿が痛ましい。
先ほどの様に聞こえるくらいの悪口を言われても日向は感知できずに、目に見えるものだけをどうにかしようと踠く様が、白布の心になんとも言えないやるせなさをもたらす。
思わず、俯いてしまった鮮やかな髪を撫でた。耐える様に震える肩に小さくため息を吐く。
白布はつくづく今居合わせたのが自分でよかったと思った。きっと五色ならアホだから後列の客を殴り飛ばしてる、と考え、日向の大荷物に視線を移す。
[もう帰るなら、それ半分持ってやるから、さっさと帰ろう]
日向はノートを見て、えっ、と顔を上げる。
[帰らないの?まだ用事ある?]
書き足された文字に慌てて首を横に振る。それを見てから白布は日向の荷物を半分持つと、立ち上がって出入り口へ向かった。
日向は慌ててノートとペンを仕舞い、残りの荷物を持って白布の後を追った。