# 03
腹が減ってはなんとやらで、生活のかかっているバレーをしているおれたちにとって、ちゃんとした飯を食うことも大事な仕事のひとつだ。
「俺もまだ飯食うてへん」という侑さんと走って寮まで戻ってきたものの、無常にも食堂の電気は消えていた。調理場にまだ残っていたおばちゃんになんとか泣き縋って、残り物でおにぎりを作ってもらえたはいいが、これだけではとてもじゃないがお腹は満たされない。散々練習をした後で、おれの筋肉はまさに修復しようとしているのである。
「コンビニでもいこか…」
諦めたようにつぶやく侑さんに、
「そうっすね…」
と同じテンションで返した。
最寄りのコンビニは歩いて五分ほどのところにある。 荷物を置くためにロビーへ行くと、お腹も満たされてすっかりリラックスしているトマスとワンさん、そして木兎さんがテレビを見ていた。
「お、日向。遅かったな」
おれたちに気が付いた木兎さんが声をかけてきた。
「はい、飯間に合わなかったんでちょっとコンビニまで行ってきます」
「あ、じゃあさ、アイス買って来て。バニラの」
「パシリとちゃうねんぞ」
隣にいた侑さんが面倒くさそうに言ったけれど、ちゃんと木兎さんの好きなアイスの商品名まで把握していることをおれは知っている。
「トマスとワンさんは何か要りますか?」
「じゃあ、俺も木兎と同じやつ買ってきてもらお」
「ボクモ!」
「了解っす!」
おれはグッと親指を立てて返事をした。
十一月の夜は、冬のような厳しい寒さはないけれど、上着をしっかり着ていないと身体が冷える。おれはジャージのジッパーを襟まで引っ張り上げた。隣の侑さんは両手をポケットに突っ込んで歩いている。
晩飯をめぐるドタバタがあったとはいえ、さっきの今でなんとなく気まずくて、珍しくおれも侑さんも黙ったままだ。
ある程度人口が多い住宅街は街灯の光でそれなりに明るい。安全で安心。こういうところが日本だなぁと、なんとなくリオを思い出した。良くも悪くも光と影が強い街。
車が一台、後ろからおれたちを追い越していく。そのテールランプを見送っていると
「翔陽くん」
と侑さんが言った。隣を歩いていたはずの侑さんはいつの間にか立ち止まっていたようで、振り返ると数歩分距離ができていた。
「つ、付き合うてみる?」
ポケットに両手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうに侑さんは言った。
ツキオウテミル?
一瞬何を言われたのかわからなかったけど、ヒアリングに長けたおれの脳は侑さんが言っ た言葉を正しく翻訳することに成功した。
付き合ってみるか。侑さんはそう言ったのだ。
『お付き合いをするとは、恋人同士になることである』と脳内の谷地さんが解説してくれる。
恋人同士。恋人同士で思いつくのは、エイト―ルとニース。ふたりは喧嘩もよくしていたが、ニースは時間があればエイト―ルの試合を見に来ていたし、ごはんを食べたり、 イベントを共に過ごしたり、さまざまなことを分かち合いそれを楽しんでいるように見えた 。
おれと侑さんがそれをする。
悪くない。悪くないどころか、それはとても魅力的なことに思えた。
「ハイっ!よろしくおねがいしあっす!」
なんだかわくわくして元気よく返事をしたら、俺の返事に気圧されたらしい侑さんが「お、おん」とこたえた。
侑さんが追いつくのを待って、並んで歩く。さっきまでのぎこちなさが嘘みたいに清々しい。心なしか足取りも軽く感じた。
初めてお付き合いをする相手が男だとか、お付き合いをすることによって何が変わるのかとか、そもそもお付き合いって具体的にどんなことをするのかなどが全く気にならないわけではないが、侑さんを好きなだけ触ったり、匂いを嗅いだり、キ、キスをしたりしてもいい権利を得たと思うとなんだかそれだけでぴちぴちと水を跳ねる魚の如く心が弾んだ。
「人生ではじめて告ったわ」
思いがけない台詞に思わず侑さんの顔を見る。
「そんな驚くこととちゃうやろ」
びっくり顔の俺をチラリと見て侑さんが言った。
「いや、なんかこう・・・もっとチャラかったのかと・・・」
「チャラないわ!ずっとバレーと翔陽くん一筋やってん」
「まさか侑さんも俺が初めての恋人とかですか!」
「なわけあるか!一緒にすんなや!て待って?・・・ほんまに君は俺が初めてなん?」
「ハイっ!時間なくて!」
なんとも言えない表情をして立ち止まった侑さんをコンビニの煌々とした白い光が照らした。
間もなく二十一時という時間のせいでチルドのコーナーにあるメニューは少なかった。
持っているカゴの中には、タンパク質がたくさんとれるという謳い文句の、チキンとゆで卵がのっているサラダと、インスタントのお味噌汁が2つずつ入っている。
「なんかOLのお昼ご飯みたいやな」
「これじゃさすがに足りないっすね」
「バナナも買こおとく?」
「バナナいっすね!おれサ○スも買いたい」
「ほんなら俺も買お」
「なんかお菓子買います?」
「ええけど、もっと腹に溜まるんがええなぁ」
「そしたらレジでポテト買いましょう!」
「チキンも買おうや」
店内をウロウロしながらカゴの中身はどんどん増えていく。
ヤバい、既に楽しい。
晩飯を食いそびれて、お腹はぺこぺこだし、本当はもっと栄養のあるものを食べたいけれど、なんかそれよりも大事なこと。
やっていることは今までと変わらないはずなのに、なんだか妙にくすぐったくて、ぽわんとした空気に包まれているみたいだった。バレーのことしか頭になくて知らなかった。極めるシリーズの本にも書いていなかった。
侑さんに触れた腕がサイダーみたいにシュワシュワとはじける。エイト―ルとニースも、いや、世界中の恋人たちはこんな感じなのだろうか。
「納豆味のポテチって誰が食うん?納豆食いたかったら納豆くったらええやんな?」
侑さんが正論のような言いがかりのようなことを言っている。それすらもなんだかよかった。
形容しがたい何かも一緒に袋に詰めて、おれたちはコンビニを後にした。
変わらずロビーで寛いでいた面子にアイスクリームを渡して、食堂ではなく侑さんの部屋に向かう。「食堂におったら木っくんにつかまってしまいそうや」という侑さんの提案である。
初めて入る侑さんの部屋は、当たり前だけど侑さんの匂いがして、それだけでもう胸がいっぱいになった。
ベッドの上に積み重なった洗濯物も、床に詰まれた月バリも、なんだか普段の侑さんの様子が垣間見れるようで嬉しくなる。六年前は未知だった存在が、今はこんなにも近い。
部屋にあるミニキッチンでお湯を沸かしている間に、買ってきたものを小さなコーヒーテーブルに並べる。握ってもらったおにぎりとサラダ、そしてコンビニのポテトとチキン。ほかほかと湯気をあげる味噌汁を並べると、結構ちゃんとしたごはんに見えた。
リオではひとりでごはんを食べることが当然だった。人間関係ができてからも、やっぱり言葉の壁や文化の違いは否めなくて、すっかり寛いだ状態で食卓を囲むことは難しかったように思う。
でも、今こうして、残り物のおにぎりとコンビニのおかずでこんなに満たされている。冷たいおにぎりを食べて、「悪ないけど、やっぱおにぎりは出来立てがうまいよな」とやっぱりわがままな侑さんに「そうっすね、でもこれも十分美味しいです」と諭すようにおれは言う。
「こんなシナシナなんポテトとちゃう!」と文句を言いながら、それでもテーブルの上のごはんはしっかりと減っていた。
ちゃんとした飯ではなくても、身体が満たされる飯。
好きな人といるだけで、地味で栄養の偏ったごはんもきらきらとしたなんだかいいものに思える。それを知っただけでもこの関係はすごいものだと思った。
これが恋人というものなのか。おれは人生で初めて、家族以外の人間に特別な感情を持った。
ごはんを食べ終えてテーブルの上を片付けても、なんとなく離れ難くて、侑さんの隣でテレビを見ていた。
今日この時をこの人と過ごさないでどうする、みたいな気持ちだった。
もう二十二時を過ぎていて、いつもなら眠りにつく準備をしている頃だ。そろそろお風呂に入って寝ないといけない。明日も朝から練習だし、週末には公式戦が控えている。わかっている。
だけどもう少し、この時間にとどまっていたかった。
「翔陽くん、そろそろ寝なあかんのちゃう?」
だから侑さんが現実的なことを言ったのが、思いのほかかなしく感じた。
「寝ますっ!寝ます、が。なんというか…」
言い淀むおれに侑さんは信じられないことを言った。
「一緒に寝る?」
「は!」
いよろこんで!
待ってましたと飛びつきたいところをぐっとこらえた。侑さんと一緒に寝て果たして質のいい睡眠は得られるのだろうか。答えは否である。すやすやと寝られるはずがない。
おれは生活のかかっているバレーをしている身だ。高校生の部活ではない。
「はい、といいたいところですが、安眠できる気がしませんので・・・」
顔を見ると気持ちが揺らぎそうで、目線を逸らせてこたえると、侑さんはぐいっと顔を寄せてきた。
「あんな、俺六年待ったゆうたやん?」
「は、はい・・・」
「六年待ってん」
「はい・・・」
「こっち見ろや」
言われて怖々侑さんを見る。でもその顔は思いがけず真っ直ぐで、釣られておれも身を正した。
「そしたらその子は、今日突然キスしたいて言うてきて、キスしたらうるうるな目で見てくるし、付き合う?てきいたらめっちゃ元気に『はいっ!』て言うてん」
「はい・・・」
「コンビニ行ってもなんやずっとウキウキしとるし、めっちゃ距離近いし、飯食うとるときも幸せそおやなぁって。部屋にも帰らへんしまだ俺とおりたいんやなって嬉しかってん」
「はい」
「そんで一緒に寝る?てきいた答えがそれか。俺、楽しいことだけしてほなさいならとかいややねん、て言うたよな?」
なんだかどこかで何かがすり替えられているような気もしなくもないけど、要は、おれとまだ一緒にいたいってことなのだろうか・・・。さっきから飴とムチがすごすぎて混乱する。
「いや、なので、侑さんとでは落ち着いて寝られない気がして・・・。侑さんもおれと一緒では窮屈かと思いますし」
「俺とは寝られへんてか?」
ムチ!!!できれば飴のほうを・・・、と思いながらとにかく誤解をとくべく言葉を探す。
「侑さんと一緒だとドキドキしすぎて、とても寝られる状況ではないと、思います・・・。そして明日も朝から練習なので、その・・・お互いの体調を考えると今日は別で寝たほうが、よいのではと・・・」
「君はそんなにやわなんか」
「やわじゃないっす!」
「せやんな?はよ風呂入っといで」
胡散臭い笑みを浮かべて侑さんは言った。
これ以上御託を並べても、ノレンニウデオシな気がして、観念したおれは大浴場に行こうと立ち上がろうとした。
「侑さんも一緒に行きます?」
中腰の姿勢できいたら、
「・・・なんや、今日はやめとくわ。部屋でシャワー浴びる」
と突然の飴モードに襲撃されて、ここに治さんがいてくれたらもう少しこの人を理解できるのだろうか、とおれは頭を抱えた。
風呂に入って、再び侑さんの部屋を訪れたのは二十二時半。練習の疲れと、侑さんとのあれこれでいつもより疲労していたおれは、もうこのままひとりで幸せな気持ちを抱えて眠りたかった。
でもそんなことをしたら、侑さんになんと言われるかわからない。
一緒に寝るって一体どこまで含まれるのだろうか。緊張した面持ちでドアをノックすると、眠そうな侑さんが出迎えてくれた。
「はよ寝ようや」
と侑さんはおれをベッドへと誘う。
高まる緊張感で固まるおれに、
「今日の今日でなんもせぇへんわ」
と侑さんは言った。
それもそうだよな、とすっかり安心したおれは、セミダブルの空いたスペースに身体を滑りこませた。
侑さんがリモコンで照明を消す。部屋が真っ暗になって、視覚があてにならない分、ほかの感覚が敏感になる。
静かな部屋。侑さんの匂い、侑さんの体温。
あぁ、なんか幸せだ。
侑さんの背中にすり寄ってぬくみと匂いに満足していると、ごそごそと侑さんがおれの方に身体を向き直した。
近い。何もしないとは言われたものの、やはりドキドキしてしまう。顔を上げると、暗がりの中できらりとした侑さんの目に見つめられていた。
「夢とちゃうよな。朝起きたらおらんくなるとかやめてな?」
甘えているときの侑さんは、やっぱり幼い頃の夏みたいで可愛い。だからつい夏にしていたように接してしまう。安心させるように、左手をそっと侑さんの頬に添えた。
「夢じゃないです。すっげードキドキしてます」
おれがそう言うと、侑さんはおれの左手首を優しく掴んで、触れるだけのキスをした。ぎゅっと抱きしめられると、侑さんの鼓動が伝わってくる。それは明らかに早いテンポで、緊張しているのは自分だけじゃないんだと嬉しくなった。
侑さんは名残りを惜しむように、もう一度キスをすると、
「これ以上はやめとく」
そう言って、さっきと同じようにくるりとおれに背中を向けた。おれは侑さんの腰に腕を回して、その背中にぴったりとくっついた。侑さんの心臓の音は徐々に落ち着いていく。それを子守歌みたいにきいていたら、実家にいた頃は夏とこうして寝ていたことを思い出した。あれ以来、こんなふうに誰かと寄り添って眠ったことはない。
好きな人とくっついて眠るってこんなに幸せなんだ、と自分が笑っていることも知らずに、おれは陽だまりのゆりかごで眠る赤ん坊のようにすやすやと眠りについた。
目を覚ますと、抱きついていたはずの身体に抱きつかれていた。本当に一緒に寝てしまった。寝られるはずないと思っていたけど、安心感がそうさせたのか、なんならいつもよりぐっすりと眠れた気がする。
そういえば極めるシリーズの睡眠の本に、パートナーと一緒に寝ると睡眠の質が上がるというようなことが書かれていた気がする。読んだ時はそんなものかと思っていたけど、今度読み直してみよう。
腰に回された侑さんの腕をそっとおろして、ベッドを抜けだした。ぐーっと伸びをして身体を目覚めさせていく。ガタイのいい男がふたりで寝るにはセミダブルはやっぱり狭くて、少し身体が固い。
時計を見ると六時を過ぎたところで、まだ外は薄暗かった。カーテンを少し開けて外を見ると、もうすぐ日の出なのか、東の空が曙色に染まっていた。今日も天気がいいみたいだ。
少し肌寒くて、雑にハンガーに掛けられていた侑さんのパーカーを拝借した。コーヒーテーブルを少しずらしてできた空いたスペースで座禅を組む。
目を閉じて、鼻から大きく息をすって、吐き出す。
ふーー。
それを何度か繰り返していくと、意識が段々と外から中に向けられていく。
――いい匂い。侑さんの匂い。
す―――、ふぅ――――
――静かだなぁ
ゆっくりと身体が弛緩していく。意識と無意識の波間でたゆたう。
「――くん、翔陽くん」
甘やかに呼ばれて意識がふわりと現実にもどってくる。思考がクリアになってくると目の前の景色が鮮やかに見えた。
ベッドに横になったまま肘をついてこちらこちらを見ていた侑さんと目が合う。
「おはようございます!ロードワーク行きましょう!」
まだ寝ぼけ眼の侑さんに向かって笑うと、侑さんは曲げていた腕を伸ばしてベッドに倒れ込み
「ほんっまに君は、いつでも腹減っとるなぁ」
と笑って言った。