トライアウト!!
2018年、夏。
天高く青が冴える晴天なれど、空の下には一つ嵐があった。
■
「あ〜憂鬱やわ」
MSBYブラックジャッカル本拠地。
練習場である体育館へと向かう道すがら、明暗修吾は重苦しくため息をついた。
隣を歩いていた後輩、犬鳴シオンもまた渇いた笑いを漏らす。
「まあまあ。もしかしたら今年は何事もなく済むかもしれませんし」
「それ成功確率なんぼや……」
「まぁ、今年は佐久早も入ったし、2パーセントぐらいですかね」
「ほぼゼロやんけコラ」
明暗は犬鳴の顔面をタオルで叩き、そしてもう一度深々と息を落とす。
ーーと、いうのも。
本日、明暗たちが所属している男子バレーボールチーム『MSBYブラックジャッカル』では、トライアウトの2次審査が行われている。
トライアウトとは各チームが独自に設ける入団試験の一種で、年齢などの条件を満たした希望者であれば誰でも志願が可能で、1次審査(書類選考)と2次審査(実技試験)を通過すれば、晴れてチームに入団することができるもの。
Vリーグに参加しているチームに入る王道の道はチームからのスカウトだが、残念ながらすべての選手がその道を辿れるわけではない。そんな選手たちがプロになるための方法が、このトライアウトによるチームへの入団であり――現在、明暗を思い悩ませている憂鬱の種であった。
「あいつら今日本社に呼び出されてくれんかな。それか下痢」
「チームキャプテンが言うセリフじゃないなぁ、それ」
「そうでもせなどーにもならんやん……」
犬鳴の尻にタオルをぶつけつつ、明暗はここ数年のトライアウトの記憶を辿る。
MSBYで行なっているトライアウトの2次審査では、試験の一環として現役選手との合同練習を実施する。
その合同練習中に、数年前から明暗は必ずと言っていい程胃を痛めていた。
原因は宮侑と木兎光太郎という、端的に言えば問題児にあたる2人の後輩選手にあった。
宮と木兎は、揃って「妖怪世代」と称されている優秀な選手が多い世代の中の代表的選手だ。まだ若手ながらチームのメインメンバーとして活躍しており、トライアウトを受けに来る選手の中にも2人に憧れている者は数多くいる。
優秀な事は確かで、それは明暗も認める所だ。
だが同時に。
彼らにはどうにも、どしようもないほどに性格に難があるである。
例えば宮。奴は誰に対しても歯に衣着せないので、トライアウト生に向かっても、ド直球に「下手糞」と言い放ったり、彼らがミスをすればあからさまに嫌な顔をしたりする。
例えば木兎。奴は基本いいやつなのだが、悪気なく「うちに入るならもっと練習が必要だな!」やら「今回はダメでもまた来いよ!」やらをでかい声で言い放ってくれる。
この2人の発言のせいで何度空気が凍り付いた事だろう。
とうとう去年に至っては、宮たちの言葉に挫けたトライアウト生の1人が試験途中で帰宅するという事件まで起きてしまった。
ほんま、すみませんーー事実確認のために呼び出された先で謝ったチームキャプテン明暗に、社の偉い人は同情気味に言った。
『流石モンスター、人の言うことばかり聞いてくれないねぇ』ーー全く、理解が深過ぎて有難いやら悲しいやらである。
何度も改善は試みたものの、宮は「下手糞に下手糞言うてるだけです」の1点張りであるし、木兎は「分かった!」と自信満々に言いつつ全然理解してないので、まさに暖簾に手押し。馬に説法。
更に今年はこの2人に加え、佐久早聖臣という宮と同じ年の、これまた歯に衣着せぬタイプの後輩が入団したので、明暗の不安は去年の比ではなかった。
幸いなことに佐久早は宮たちとは違い、自分から他人に絡みにいくタイプではないが……時として宮以上に手厳しい発言をすることもあるので決して油断はならない。
そんなわけで本日明暗は、3つほどの爆弾を肩に乗せている気分で練習にむかっているのである。
「まあアイツらも去年ちゃんと怒られてますし。流石にあぁはなりませんって。俺もできる限りフォローしますから」
「ホンマに頼むで……」
後輩に肩を叩かれ励まされた所で体育館につく。
既に数人のチームメイトが来ていたようで、中からは聞き馴染んだボールのバウンド音がした。
「おーやってるやってる」
体育館に入るなり、犬鳴が楽しそうに声を上げる。
視線を辿ると、コートでボール回しをしているチームメイトの奥、黒に白字のビブスを着た集団が体育館の隅にいた。
彼らこそ今日の主役であるトライアウト生たちで、恐らく今は試験項目の一つである体力テストの最中なのだろう。全員揃って跳躍力を測るためにヤードスティックという器具の周りに立っていた。
「次跳ぼうとしてる子なんやちっさいな。下手しいお前ぐらいちゃうか?」
壁際に荷物を置いたあと、ストレッチをしながら試験の様子を見ていてふと気づく。
4人いるらしい受験生のうち、今計測のための助走位置に入っているのは、他のトライアウト生より10センチは頭の位置が低い青年だった。恐らく170センチと少しあるぐらいだろうか。あまり見かけないオレンジがかった髪色が一際鮮やかだった。
「下手しいってなんですか。でもまあそうですね。リベロ志望かな」
やや不満げに言った犬鳴だったが、自分と同じポジション志望かもと言う事で興味が惹かれたらしい。腕の筋肉を伸ばしながら、オレンジ髪の青年のほうを見た。
ここからでは背面からしか見えないが、小柄な割に半袖短パンから見える手足にはしっかりと整った筋肉がついているようだった。
髪色しかりこころなしか肌も浅黒いから、もしかしたら外人か、もしくはハーフの選手なのかもしれない。
「いきます!」
しかし、青年が手を上げるのと同時に聞こえてきたのは綺麗な日本語だった。
なんや日本人なんか――なんて、ぼんやり考えていた明暗の目の先で青年が駆け出した。
ドゴッッ!
体育館を突き動かすような跳躍音。
腕を振り上げ、背をそらし。
ぐんっと目を疑うほど高くーー気づけばあの青年は宙にいた。
照明に照らされたスパイクモーションは美しく、鮮烈で。
太陽の光に焼かれるみたいに、その一瞬はジリッと音を立てて明暗の目の奥に焦げついた。
「なんや、あれ」
ヤードスティックの羽を青年が叩いた所で我に帰り、明暗は止まっていた息をハッと吐き出した。
「誰やあれ。まさか星海ちゃうよな」
明暗の脳内に、Vリーグ三連覇をなしているチーム『シュヴァイデンアドラーズ』に所属している「小さな巨人」と呼ばれている選手の姿が浮かぶ。星海も宮たちと同じ妖怪世代で、あの青年と同じほど背格好でありながら、最高到達点351センチというトンデモナイ跳躍力を持つバケモノ級の選手なのだ
犬鳴もホウと息を吐きつつ、いやいやと首を振った。
「まさか。……でも、星海以外にもあんな奴いるんですね」
犬鳴は半ば呆れたように息を吐き、続け様に「あれはリベロじゃないわ」と呟く。
「なんぼほど跳んでたんやろ。オリバーらぁと同じぐらいちゃう?」
身長207センチの外国人チームメイト、オリバー・バーンズ。我らがチームの主砲の最高到達点は350センチだが、青年の跳躍はそれにも勝る勢いであった。
「まあ、少なくとも確実に、明暗さんよりは?」
「そうは言わんでええねんアホ」
と、今度は別のトライアウト生が跳ぶ音がした。身長はさっきの青年よりうんと高くみえたが、指先の高さはあの青年の方が上。
けれどそれは決して今跳んだトライアウト生の跳躍力が低いわけではなく、むしろVリーグ選手の平均的な数値である340センチは跳んでいたように見えたから十分立派な記録だ。
ただ、さっきの青年が『異質』すぎてそう見えにくいのである。
「あれでなんでトライアウト受けてるんですかね、あの子。スカウト受けてそうなものですけど」
犬鳴の言葉を拾い、明暗は顎に手を当てて首をひねった
「たしかにせやな。黒鷲旗で見かけたことあったか? ……まさか高校生やろか」
「だとしたら恐ろしすぎますけど」
そうこうしているうちに全員の計測が終わったようだ。トライアウト生たちはワチャワチャとヤードスティックを片付けると、あの青年を中心に団子になって自分たちの荷物が置いてある方へと歩いていった。
これまでに何度かトライアウト試験の様子は見てきているが、受験生同士があんなに仲良くリラックスしているのは珍しい。というか初めて見る光景だった。
『Hi!シューゴ、シオン!』
「お疲れさんです」
声をかけてきたのは、チーフコーチを伴った監督のサムソン・フォスターだった。
にこやかに歩いてくる彼らに明暗は軽く手を上げ、2人をむかい入れる。
『おや? シューゴは顔色が優れないね。何か心配事かな?』
『ええ。そりゃもう。心配で心配で夜も寝られませんでしたわ』
額に手を当てて答えた明暗に、監督はフッフと歯を出して笑った。(ちなみにMSBYでは外人である監督と話すときは基本的に英語なので、程度に差はあれ所属選手は皆それなりに英語を使いこなせる。明暗は日常会話に困らない程度といったところだった)
『去年は中々エキサイティングだったね。今年はどうなるかな』
『面白がらんでください』
しっかり嫌な顔を作って見せ、それから明暗はトライアウト生たちの方を見て訊いた。
『あの、オレンジ色の髪色の子。ヤードでめっちゃ跳んでましたよね。ナニモンなんです?』
『ああ! ヒナタのことだね』
直ぐに思い当てた監督はいっそう楽しそうな顔で頷いた。それからコーチが興奮した声色で明暗たちに話す。
『彼、日向翔陽くん。いや〜凄い逸材だよ。正直、身体能力に関しては他のトライアウト生とは比べ物にならないな。足の速さや敏捷性もだけど、なによりあの身長で最高到達点が350センチときた』
『350!?』
明暗は胃がひっくり返ったような声を上げた。
確かにそれぐらい跳んでいるとは思ったが、
「まじで星海やないか……」
目を丸くして青年――日向翔陽を改めて見ると、他のトライアウト生に手を振って体育館を出て行くところだった。練習開始までまだ時間があるから多分便所か自販機かだろう。あの子が350。
日向の背中を見送った犬鳴が、監督たちを向く。
『日向くんって高校生ですか? 大学生ならスカウトされてるだろうし、ここにいるのが不思議なんですが……』
監督はアハハと上を仰ぎ、ノーノ―と手を振った。
『たしかにヒナタは君たちに比べても若く見えるけど22歳だよ。私も驚いたけどね』
『22……じゃあやっぱり大学生なんですね』
22というと宮や佐久早と同じ年齢であるが、トライアウトを受けているとなら恐らく1学年下だろう。
にもかかわらずスカウトを受けていないとなると、もしかしたら怪我かなにかをしていて大会では大きな活躍ができなかったのかもしれない。かつての明暗と同じように。
しかし監督はまたもノーと言った。
『いや、ヒナタはつい最近までブラジルでビーチバレーをしてたからね。大学は行っていないはずだよ。今はフリーターって言ってたかな』
『……はい?』
反射的に聞き返してから、明暗は監督の言葉を頭で反芻する。
ブラジルでビーチバレーをしてたからね。
――ブラジルでビーチバレー?
『……ビーチ出身の帰国子女ってことですか?』
いやなんやそれ。
『やぁ、それが聞いてくれるかい? 彼、インドアバレーの修行をするためにわざわざブラジルまで行ってビーチバレーを勉強しに行ったんだってさ! それも2年間! 信じられる?』
ンフフフ! とご機嫌に笑う監督を前に、明暗は犬鳴と顔を見合わせた。犬鳴の顔には分からぬ、と力強い筆文字で書かれていた。おそらく自分も同じ顔をしているだろう。
インドアからビーチに転向するという流れはまま聞く。けれどその逆は中々聞かないし、ましてやインドアの修行としてビーチバレーを学ぶなんて話は聞いたことがなかった。
『はあ、なんや、すごい子っすね』
頑張って咀嚼したものの、結局言えたのはそれだけだ。
監督がウンウンとにこやかに頷く。
『しかも向こうではプレイスタイルからニンジャショーヨーって呼ばれてファンができるぐらい、ビーチバレー選手として人気だったみたいだからね。今から実力を見るのが楽しみだよ』
「……あかん。もうあかんわ。なんやねんニンジャショーヨーって。設定盛りすぎやろ。主人公か!」
明暗は辛抱堪らずにツッコミを入れた。確かに外人てニンジャとかサムライとか好きやけどな!? うちのバーンズやトマスも好きやけど!
『ニンジャみたいなプレイスタイルってどんな感じなんですか?』
『さて、きっと後で見れるんじゃないかな』
訊いた犬鳴に監督は意味深に笑うと、今日もよろしくと言い残しコーチを伴って歩いていった。
「……なんか、思った以上にヤバイ子でしたね」
惚けたように言う犬鳴に明暗もせやな、と深く頷く。
本当にその一言に尽きた。
と、そこに。
「俺参上っ!」
「お疲れさんです〜」
「……ちわっす」
普段通りの騒々しい声。普段より気の抜けた声。普段よりくたびれている声。
三者三様の様子で木兎、宮、佐久早と、明暗の悩みの種たちがやってきた。
3人一緒に来るなんて珍しいやん。明暗は目を瞬かせたが、そういえば今日は午前中から3人でのインタビューやら撮影やらに出かけていたのだったか。流れるように出先で何か迷惑をかけなかっただろうかと思考を滑らせ、首を振る。過ぎたことはもういい。
それよりこれからのことだと明暗はそれぞれの顔を確認し、
「……アカン」
明暗は額に手をやり嘆いた。
一番大きな心配の種である宮は、この合同練習を毛嫌いしているだけあってやはり機嫌が目に見えて悪かった。次に佐久早は仕事中何かあったのか知らないが眉間の谷が物騒なことになっている。そして木兎はいつも通りの元気小僧。予想はしていたものの、状況はあまりいいとは言えなかった。
今年は珍しく合格しそうな逸材がいるというのに。
どうにかならんやろか。明暗はひとつため息を落とした。
スカウトで十分優秀な選手が獲得できるネームバリューがあるMSBYだからこそ、トライアウトの合格難易度は他チームとは比べ物にならないほどに高い。よってトライアウトは毎年実施してはいるが、合格者は出ないのが通例であった。
そんな中現れた、監督もコーチも認める可能性を秘めた日向翔陽という青年。もしかしたら数年前に合格した明暗以来となるトライアウト加入者になるかもしれない――やっぱりチームキャプテンとして、トライアウトの先輩として、これは何が何でも妖怪たちから守らなあかんやろ。
静かにしかし熱く気合を入れ、明暗は「お疲れさん。ちょっとこっち来いや」と問題の3人を呼び寄せた。
「よ、お疲れ佐久早。大丈夫か?」
猫背に疲労を滲ませて歩いてきた佐久早に、犬鳴が苦笑い気味に尋ねた。
すると側にいた木兎が、頷いた佐久早の肩にガシッと腕を回す。
「なんだぁオミオミ、取材なんかで疲れたのか? スタミナ不足じゃん! ランニングしろ!」
ドッカンドッカン、一言一言元気いっぱいに木兎が喋る。3人の中だとこの木兎が最年長なのだが、一番落ち着きがないのもこの男である。
対する佐久早は「違います」と平坦な声で言うとその腕から逃れ、持っていた除菌シートでひたすら自分の腕を拭き始めた。多分、木兎の唾かなんかが飛んだのだろう。
心身ともに潔癖なところがある佐久早には大事だが、それを見ていた宮はケラケラ笑い茶々を入れた。
「人間ってこんなに眉間に皺寄るんやな〜。爪楊枝3本ぐらい挟めそうやん」
「あ?」
「うわ、おっかな。それぽちでカリカリすんなや、見てる方がしんどわ」
タンパク質足りてないんちゃいますか〜? と宮は佐久早の顔を覗き込むように背を曲げた。
確かに元から性格がいい奴とは言えないが、機嫌が悪いせいか今日は輪にかけて絡み方の質が悪い。まるでどこかのチンピラである。
「おいこら宮」
流石に目に余るので止めに入る。けれど全てを言う前に、佐久早がそれまで限界まで寄っていた眉間をふと緩め宮に向かってフンと鼻で笑った。
そして微かではあるが滅多に出さない笑顔まで浮かべる。
「それを言うならカルシウムだし、血液中のカルシウム濃度は一定になるようになってるから基本的に不足することはない。そもそも、カルシウムが足りてないからイライラするのも嘘だし」
「えっそうなの!? 知らなかった! オミオミ賢いな!」
驚く木兎に、拭き終わった除菌シートを持参のゴミ袋に入れつつ佐久早は頷く。
「まあどっかの誰かよりは」
「……賢いアピールとかうざったいわ〜」
「……どう考えてもお前よりましだろ」
「あ?」
「――ええ加減にせんかい!」
腹からの一喝。
明暗の怒号が体育館中に響いた。ざわついていた空気が一瞬にして凍り付く。
トライアウト生がびくついたのを片目に引っ掛かけ、明暗はフーと息を吐き頭に上った血を一度落とした。
それからジロリとしょぼくれたり、ぶうたれたり、バツが悪そうにしている後輩たちを見下ろした。
「ええ大人が下らんことで喧嘩しよって。そんなん見るために呼んだんちゃうわアホタレが」
またやってら。チームメイトの誰かの声から体育館には少しずつざわめきが戻っていく。
「まず、佐久早本人が嫌や言うてるんやから不必要に絡むないつも言うとるよな木兎」
「ハイ、ゴメンナサイ」
「宮は苛ついてるからって他人にそれ擦り付けんなや。佐久早も最後のはいらんかったとちゃうか」
「……すみません」
木兎は素直に佐久早は渋々と。2人はそれぞれ謝ったが、宮はうざったそうに後頭部をかいてそっぽを向いた。その態度を見てだろう。佐久早の眉間にまた皺が寄った。
妖怪世代と一纏めにされている後輩たちだが、残念ながら特別仲がいいわけではない。
むしろ宮と佐久早に関しては状況によってはやや悪い寄り。木兎はどちらとも仲が悪いわけではないが、良くも悪くも空気が読めないのでふたりの機嫌を軽率に悪くして、今のように喧嘩の火種を作ることがままあった。
ここは幼稚園やったんか、俺は保母さんか――もう反省を終えてミニゲームに混ざりに行こうとする木兎の首根っこを掴みながら、明暗は鉛のようなため息をついた。
「10秒でもええからちょお大人しく話を聞いてくれ。……いいか、お前ら。今日のトライアウトのことやけど……」
「下手糞に気ぃ使え言うんやったらノーセンキューっすわ」
こンのゴンダクレのクソガキが――にべもなく言い放った宮に、明暗のこめかみにピキリと青筋が浮かぶ。
とそこで、それまで静観していた犬鳴が宮の背中をバシッと叩いた。
「まあ聞けよ。今年は一人面白い子がいるんだって。ですよね明暗さん」
おもろい子? と訝し気に宮が首を傾げる。
「……おん。お前らと同じぐらいの子ぉで、最高到達点350のバケモノみたいな子がおんねん」
「350!? 俺より高けぇじゃん!!」
ゲンッと分かりやすく驚いた木兎の横で、宮と佐久早も目の色を変えた。やはり350センチには無関心でいられないらしい。
こういうところは仲良しさんなんやけどなと思いつつ明暗は続ける。
「しかもそん子シオンよりちっさいんやで。ヤードの計測みとったけど、一瞬星海かと思ったわ」
「だからわざわざ俺を引き合いに出さないでくださいって。……あとその子、つい最近までインドアの修行をするためにブラジルまで行ってビーチバレーしてたんだってよ。面白いだ」
「――それどの子?」
強い声色が犬鳴を遮った。
突然様子を変えた宮に、明暗は思わず肩を縮めた。さっきまで手に負えないぐらいぶうたれていた顔が、サーブを打つ前のそれに変わっている。
どの子すか? トライアウト生が固まっている方をガン見して、宮はもう一度繰り返した。
「な、なんやねん急に……。さっき便所かなんかに行っとったから今はおらんわ。そろそろ戻ってくるんちゃう……って、ああ。丁度戻ってきたわ」
ほら、あのオレンジの髪の子やで。
明暗は何ともよいタイミングで戻ってきた日向をクイッと顎で指した。やはりトライアウト生たちの群れに笑顔で混ざる様子だけを見たら、宮や佐久早と同じ年には思えない。ガタイの良さは自分たちに近い鍛え上げられたアスリートのものであるが。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「っ!?!?!?! なんやっ!?!?」
唐突に木兎が大声で叫び、明暗は再び肩を跳ねさせた。ドッドッドッとうるさく跳ね出した心臓を手で押さえる。
木兎は目も口もまん丸に開けたアホ面でトライアウト生たちの方を指をさしていた。
そしてトライアウト生たちはそんな木兎を揃ってぎょっとして振り返っている。
話題の日向もデカい目を更にデカくして驚いていた。
だがしかし。他の3人とは違いその顔はなぜかみるみる内に笑顔に変わっていった。
「木兎さん!!」
「日向! やっぱ日向だ!!」
木兎と日向が駆け出したのはほぼ同時だった。
鳥がバサバサと羽をばたつかせるような騒々しさで木兎は日向に飛びついた。
「えマジ? マジで日向??」
「マジで日向です! お久しぶりです!」
懐く190センチの巨大な男を日向は難なく受け止め、フランクなハグで応じる。
は? なんやあれ?? 呆然とする明暗の横をするっと抜ける影。
「えーマジかよ!? マジでめっちゃ久しぶりだな!? なんかすげえゴツい!! あとめっちゃ焦げてる!!」
「なんやねん焦げてるて。食パンか」
「! 宮さん!」
「久しぶりやなぁ翔陽くん」
木兎からパッと離れた日向がこれまた元気に「お久しぶりです!」と宮に頭を下げた。それに対して宮はおん、と笑って答える。
明暗はお前も知りあいなんかと驚く。それと同時にそのあまりの機嫌の変わりように宮を凝視した。
宮がニヤリと笑う。
「やっぱ翔陽くんやったわ」
「へ?」
「明暗さん、ああ、先輩たちな? トライアウト生の中にえらいちっこいのに350センチ跳ぶブラジル帰りのバケモノがおる言うててん。そんなん翔陽くんしかおらんやろ思て」
明暗たちを振り返った宮につられるように、日向の目がこっちを向いた。バケモノってそのまま言う奴あるか! ――なんて当人を目の前に言えるわけもなく、明暗はとりあえずニコッとする。日向からは多少顔を強張らせながらもスポーツマンらしい勢いの会釈が返って来た。
「あー、なんや、3人は知り合いなんか?」
訊くなら今かと明暗は声をかけた。するとよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに木兎が日向の肩にガッと腕を回し、胸を逸らした。
「日向は俺の一番弟子!」
「……は? なんやて。弟子?」
「そう! だよな、日向!」
「は、はい! 木兎さんは俺の師匠です!」
「お、おお。そうなんか。なるほどな」
ってわかるかぁ!
けれど明暗は喉元にまでせり上がったツッコミまじりの疑問を強引に飲み込んだ。木兎相手に訊いたところで余計謎が深まることになるのは分かっているし、ほぼ初対面の日向にツッコむわけにもいくまい。
それに笑った時の明るさが似ているからだろうか、日向からもなんとなく木兎と似た空気を感じた。説明を求めるのはよした方がいい気がする。ただの勘だが。
「ほな、宮は?」
気を取り直して、明暗は宮に話の矛先を向けた。
宮は木兎に囚われたままの日向を見下ろすと、しばらくしてから小さな頭にポンと手を置く。日向は笑顔のまま顔を固め、ビクッと小動物のようにに体を跳ねさせた。
「俺はまあ関わりで言うたら春高で2回戦っただけですけど、初めて試合した時からいつか翔陽くんにトス上げたるって決めとったんですわ」
「ほおん、そうなん。そら、えらい熱烈やな」
というか高校生の身空でそんなことを考えとったんかお前は。明暗には理解しがたいメンタリティである。
言われたほうの日向はと言えば固まってた顔をどっかへやり、くるっとした曇りのない目で宮を見上げていた。
「あれから6年かぁ。持ちくたびれて干からびるかと思たわ、ホンマに。――強なってなかったらどつくで」
笑顔から一転。
宮は整った面を利用した凶悪な顔で日向に凄んだ。チームメイトである明暗ですらゾッとするような恐ろしい形相で。
あまりの急転換に明暗は固まった。だがすぐに去年の惨劇を思い出して、そんなに脅す奴があるかと慌てて間に入ろうと手を伸ばした――しかし。
「砂と風にたくさん鍛えられたんで、前の俺とは違います!!」
その明暗より早く自信を漲らせて日向が答えた。
おかげで思考も伸ばしかけた手も、宙ぶらりんのところで静止する。
「ほおん砂と風なぁ」
宮は緩く首を傾げる。
「はい!」
「……まあめっちゃガタイもようなっとるし、楽しみにしとるわ」
「なーなーそれよりブラジルってどんなだった!? サンバってやっぱ毎日踊るの!? 女の子みんな美尻ってホント??」
「木っくんのそれはどこ知識なん?」
「そう言えば宮さんも木兎さんも俺がブラジル行ってたの知ってたんですね!」
「知ってたんですね! やないわ。飛雄くんから聞き出すまでどこのチームにもおらん、大学にもおらんでブチギレとったわ」
「ヒッ! スミマセン!」
「俺はツッキーから聞いた!」
なにやら盛り上がり始めた3人を眺めつつ、明暗はそっと腕を戻す。
「俺、何しようとしてたんやったっけ?」
「まあいいんじゃないですか? あれなら宮たちもキツイこと言わないと思いますし」
結果オーライですね。体格にそぐわず――なんて口に出したら確実にひとにらみ飛んでくるだろうが――豪胆なところがある犬鳴は、これまでの一連をそんな爽やかな一言で収めた。
何だが釈然としない気がしないでもなかったが、明暗も「まあせやな」で終わらせる。何も起こらなかったのならもうそれでいい。
そこでそう言えば、と明暗はうろっと目を彷徨わせた。いつのまにか気配が消えていたが、もう一人の心配の種はどうした。
後ろを振り返って発見。佐久早は少し離れた場所で一人ストレッチをしていた。
「佐久早は日向くんと知り合いじゃないのか」
寄っていった犬鳴の問いに、佐久早はこくりと頷いた。佐久早の出身校である井闥山学院も春高常連校のはずだが、まあよっぽどのことがない限り他校の選手と知り合うことの方が稀だ。本人の性格を考えても何ら不思議なことではない。
「宮が春高で戦った言うてたけど、日向くんて結構有名やったんか?」
佐久早はちらっと日向を見て、それから答えた。
「……まああの世代は毎年春高には出てましたし、影山の相棒的な選手だったので、そこそこ」
「え。影山っちゅーのはもしかしてアドラーズのか?」
突然出てきた聞き覚えのある名前に明暗は目を剥いた。影山と言えば妖怪世代の中でも天才と名高く、十代の頃から日本代表としても活躍している名実共に有名な選手だ。
佐久早がこくりと肯定を示せば、犬鳴も感心したように日向を振り返った。
「へぇ、あの影山の相棒か」
「マジで結構凄い子やんか。や、まあそれ抜きにしてももう既に色々凄いけどな」
常人場慣れしたジャンプ力やらブラジルへのビーチバレー留学やら。
日向翔陽という青年はまるでびっくり箱のようである。
まもなく始まるトライアウト試験。
不安しかなかった明暗の中に、日向に対する好奇心がじわりと芽生えていた。
■
14時になり、約2時間のトライアウト試験を兼ねた合同練習が始まった。
まずはトライアウト生が前に並び、一人ずつ自己紹介をしていく。セッター、アウトサイドヒッター、ミドルブロッカーの順に進んでいって、最後が日向だった。
「日向翔陽です! 宮城県烏野高校出身で今年の3月までブラジルでビーチバレーしてました! スパイカーポジション希望です! よろしくお願いします!」
「イェーイ!!」
「うっさいわ」
明暗は騒ぎ立てる木兎のべしっと頭を叩いた。いつもならここで小さく笑いが起きそうな場面であるが、今日はみんな日向の自己紹介に気が引かれているようである。「スパイカー?」「ビーチ?」など身に覚えのある戸惑いの小声がそこかしこから聞こえてきた。
気持ちは物凄くよく分かる。
だが変に騒がれても居心地が悪いだろうと、明暗は軽く片手を振ってそれらを散らした。
「練習内容は普段と大きく変わりはないが、例年通り所々でトライアウト生と組んで取り組んでもらうことになると思う。その時は人生の先輩として良識ある対応を取るように」
チーフコーチは前科持ちの木兎と宮を念押しするようにじっと見た。
しかし当の本人たちは「ん?」と何もわかっていない顔で首を傾げたり、素知らぬふりをしたり。
日向との再会で少しは状況が好転したと思ったのだが、それとこれとは話が別らしい。
やっぱり今年も何事もなくとはいかんか。
そう悲しく思っていた明暗だったが、いざ蓋を開けてみればその心配は全く無用のものになった。
「あ、わり長い!」
「OKでーす」
構えていた位置とはやや違う方向に流れていった木兎のボールを日向が追いついて拾う。そしてそれを綺麗に自分の真上に上げると、続けざまにネット越しの宮に向かってしっかりとしたトスを上げた。
「ナイスカバー翔陽くん!」
宮もきっちりスパイクを決め、さらに別のチームメイトがそれを拾ってラリーは続いていく。
全体ストレッチと軽いボール回しを済ませ、始まった本格的な練習。
何人かで分かれてコートに入り、スパイク・レシーブ・トスをすべて交えてラリーをしているのだが、これがトライアウト生レベルだとなかなか難しかった。
スパイクの強さが段々と強くなるにつれてレシーブが乱れ、それによりトスまで上手く繋がらないのだ。
実際、宮と木兎と他数名のチームメイト、そして宮たちがすぐさま確保した日向たちのグループと違い、明暗たちのグループではレシーブの時点でラリーが頻繁に途切れている。
ちらっと見た別グループも同じ具合で、そこに入っている佐久早は口には出していないものの大変不満げな顔をしていた。若干トライアウトが怯えているが、犬鳴が間に入っているので恐らく大丈夫であろう。佐久早で助かった。もしあれが宮たちであったらこうはいかなかったはずだ。
明暗は一先ず去年のような事態は回避できそうなことに安心しつつ、プロに交じって普通に練習をこなす日向の実力に舌を巻いた。
ピッ。コーチが鋭くホイッスルを吹く。さらにスパイクを強くしろという合図だ。
「んじゃ、翔陽くんいくでー! 次は思いっきりいってええからな」
「! はい!」
続いていたラリーの流れのまま、今度は宮がネット越しの日向に向かって柔らかく高々としたトスを上げた。
ふわっと宙に上げられたボールを見つめ、助走を確保して日向が跳ぶ。
ドゴッッ、と再び響いたあの音。
それにひかれ、誰も彼もが手を止めて日向を見上げた。
明暗はさっき一度日向の跳んでいるところを見ている。
けれど、ネット際のその姿は別格だった。
ボールを見つめるご馳走を目の前にした獣のような表情。
全身から迸るように伝わってくる強烈な気配に、否応なく視線が引っ張られた。
「ヤバ……」
呆気にとられた誰かの声がやけに強くその場に響いた。
「うぉぁああああ!!!」
スパイクを決めシュタッと着地した日向に木兎が雄たけびを上げる。叫びきってから、自分より一回りは小さい日向の肩をガッとつかんだ。
「お前どんだけ跳んでんだ!! ロケットかよ!! すげえな!! ヘイッ!」
「アザース!! ヘイッ!」
ヘーイ! と師弟コンビは両手でハイタッチを交わす。
あれをヘーイで済ますなや。明暗がそれを引きつりながら眺めていたら、隣から「やっばぁ……」なんていう声が。
なにかと思えば日向が跳んでいたあたりを見上げた宮が、両手の拳を握り目をキラッキラと輝かせていた。
「翔陽くん!!」
「ハイッ!?」
「すごいやん! 高さもやけど、上まで行くのもめっちゃ速なったな!!」
ネットをぎゅっと鷲掴んで揺する宮に、日向はつられたように顔を明るくさせて「アザッス!」と言った。
「滞空時間もえぐいし、何でもできるやん! カーーーーーーッ! はよちゃんとトス合わせたいわぁ!!」
宮のテンションはまるで試合に出ている時、いや、もしかしたらそれ以上のはしゃぎっぷりだった。近くにいたチームメイトが「宮侑小学三年生です」とぼそりと呟く。明暗も「今日もいっぱい頑張るで!」と裏声で合わせたが、いつもだったら飛んでくるだろうツッコミが刺さってくることはなかった。
「よっしゃ! じゃもう一本いこか!」
「ヘイヘイ! 目指せノーミス!」
「オエーイ!」
3人のグループでまたラリーが始まる。やはりお手本のような安定感のあるラリーだった。
「さ。あそこまでとはいわんけど、もうちょいラリー続くように俺らも頑張ろな」
明暗も自分のグループに声をかけ練習に戻った。
■
ピー!
長めのホイッスルが鳴り、明暗たちは練習を止め監督たちの周りに集まった。
監督の隣から1歩前に出たチーフコーチが、えーと手もみをする。
「それでは合同練習も残り一時間きったので、最後に実践練習に移ろうと思います」
うっし、と木兎が声を上げた。実戦練習とはつまり試合形式の練習である。
トライアウト生にとっては自分をアピールする最後にして最大のチャンスとなるので、皆緊張した面持ちをして――いや、日向だけは木兎とおんなじ顔をしていた。やっぱ似とるんちゃう、この2人。
「試合は25点制3セットマッチ。時間の都合上最終セットだけは15点マッチで行います。じゃあまずそれぞれのチームキャプテンは明暗と犬鳴」
呼ばれた明暗は犬鳴と共に前に出た。
そして宮や木兎、佐久早やバーンズなど、MSBYの主力メンバーたちが次々と呼ばれていった。
のだが、
「なんっで俺と翔陽くんが別チームやねん!!!」
おかしいやろ!!! とチームごとで分かれてから宮は便所座りで盛大にごねた。
コーチたちの采配の結果、明暗チームは宮、木兎、バーンズ、チームのリベロに、ミドルとアウトサイドヒッターのトライアウト生が2人という構成。
対する犬鳴のチームは、佐久早、アドリア・トマス、チームのミドルとアウトサイドヒッター、トライアウト生のセッターと、オポジットに日向という構成となった。
なぜか宮は当然の様に日向と同じチームになるつもりだったようで、別チームに振り分けられてからずっとこの調子だった。同じチームになったトライアウト生に向かって「お前らちゃうねん」と失礼極まりないことを言い放つ始末である。
申し訳なさそうなトライアウト生たちを背に庇い、明暗は宮を戒めた。
「しゃーないやろ、コーチたちが決めたことなんやから。さっさと諦めぇ」
「そーだぞツムツムー。いいじゃん別チームでも! 一緒に日向倒そーぜ!! 夢の師弟対決だぞ!!」
「クソほどどうでもエエ」
嫌やーしんどい―翔陽くんにトス上げたいー。そんな風に不満を垂れ流しつづける宮を、明暗は呆れながらも不思議に思う。日向のあのジャンプ力はたしかに凄いが、高さだけで言ったらバーンズと同じだ。宮がなぜ日向にそこまで執着するのか明暗にはいまいちわからない。
と、そこに様子を見ていた監督がやってきた。アツム、と呼びかけられた宮は不満に思っていることを隠そうともせず文句を零した。
『監督、なんで翔陽くんと別チームなんです? 絶対俺と一緒にした方がおもろいですって』
『私も君とヒナタのコンビネーションは物凄く気になるけど、まずはそれ以外の所を見たいんだ』
『なんですかぁ? それ以外て』
訊かれ、監督はニンマリと笑う。
『ヒナタは面接のときに、“なんでもできます、なんでもやります”と私に言ったんだ』
『……“なんでもできます、なんでもやります”?』
監督の言葉をそのまま復唱して、宮はものを疑うような顔をした。
『翔陽くんそんなこと言うたんですか?』
『ああそうさ。スパイクだけじゃなくてレシーブやセット、ブロックでもなんでもします、できますってね』
ようそんなん言うたな。明暗は表情も保ちながらも戦いた。プロチームの監督に向かって『なんでもできます』なんてなかなか言えることではない。日向は結構な自信家なのか。
『だから彼があの高さ以外でも使い物になるのかをうちの攻撃の要である君のプレーで確かめたいんだ』
「ふーん、なるほどなぁ……」
『頼めるかい?』
宮は監督が差し出した手を数秒見つめた後に掴み、そのまま腕を引かれるようにして立ち上がった。ぶうたれ顔はすっかり直っている。
『そういうことなら、まあオッケーすわ』
『ありがとう。君たちのコンビネーションは2セットから見せてもらうからね。頼んだよ』
『なんやそうやったん? それならそうと早く言ってくださいよ』
監督が宮の背中を笑って叩き、定位置であるポール横に戻っていった後で明暗は呟く。
「普通プロチームの監督相手になんでもできますなんていうか? 日向くんのメンタルどうなってるん」
「まあ翔陽くんやし」
「俺の自慢の弟子だからな!」
片や面白げに、片や自慢げに。
宮と木兎はそれぞれそう言って、コートに入っていった。
試合開始のホイッスルが鳴る。
先攻は明暗のチーム。明暗自身は後衛スタートなのでリベロの選手に場所を譲り、コート外から試合を見守っていた。
ファーストサーバーはサーブランキングトップランカーの宮だ。
ボール片手にエンドラインまで下がって、宮は声高に宣言する。
「翔陽くん! 本気で行くで!!」
1歩、2歩、3歩、4歩……6歩。
エンドラインから数えて6歩、宮が歩く。振り返った顔は練習で見せる顔ではなかった。
ピッと、高々とサーブトスが上がる。
宮が打ち出したボールはドォッと唸りながらコートを走った。
ごっつええサーブ――良すぎて明暗の顔は引きつった。あんなの俺も上手く上げられるか分からへんぞ。
しかし、そんなサーブを後方レフトに構えていた日向はきっちり拾って見せた。
「ヒョッ!?」
自分でも手応えがあったのだろう。そのサーブをAパスで返され、宮は変な声を上げていた。
ふわりと自身の真上に返ってきたボールを、犬鳴チームのセッターは素早く前衛ミドルに上げる。
木兎たちがブロックに飛んだが、壁の完成より早く一段高い所からスパイクを打たれ、最初のボールは明暗たちのコートに落ちた。
「ナイスキー!」
日向が声を出し、わらわら集まって互いの肩を叩き合う犬鳴チーム。それに構わず木兎が声をかける。
「日向お前あれ拾えんのかよ!! スゲェな!!」
「アザス!」
宮は未だエンドライン近くで口を引くつかせていた。
「初っ端にしては渾身のサーブやったんやけど……??」
「拾われたもんはしゃーない。次切り替えてこ」
明暗はコート外から声を飛ばした。
サーブ権が犬鳴チームに移り、セッターのトライアウト生がサーブを打つ。セッターらしく強烈なジャンプサーブだったが、これは明暗チームのリベロがきっちり上げた。そして仕返しのような速攻が決まる。
そこからしばらくは明暗チームのブレイクが続いた。
コーチからの指示もありトライアウト生を中心にボールが集まるが、そうなると浮き彫りになってくるのがセッターの能力差だ。思考回路の速さ、ゲームメイクのうまさ、スパイカーの使い方、単純な技術。どれを取ってもやはり宮の方が格上だった。
あまりの差に惨いとすら思う。だが、それだけセッターというポジションはチームの攻撃力に影響をもたらすのだ。その重圧に耐えずしてあのポジションには立てない。
そしてまた明暗チームに点が入った。これ5連続ブレイクだ。
流石に向こうのセッターは苦し気に唇を噛んでいた。
日向がその背中を明るく叩きに行く。
「ドンマイドンマイ! 次切るぞ!」
「悪い。上手くセット出来なくて」
日向はキョトンとした。それから気にすんな、と1度目より強く背中を叩いた。
「どんなトスでもいいよ! どんなトスでも俺は嬉しい!」
「けどさ……」
「そりゃいいトスの方がいいけど、トスはトス! それを点にするのが俺の役目! だからもっとトスくれ!」
今度はセッターが顔をきょとんとさせた。それからふと顔を柔らかくする。傍目から見ても肩に入っていた力が抜けたのがわかった。
恐ろしい子やな。そう思いながら明暗はその一部始終を見送る。
試合の時、技術が高い選手と同じぐらいチームにとって大きいのが、声に影響力がある選手だと明暗は思う。苦境の場面にそういう選手が明るく声を出すだけで、驚くほど状況が好転することがある。
今の日向の声もまさにそんな一言だった。
「次とるぞ!」
犬鳴の一言にオエーイと向こうのチームが声を張る。
5本目の木兎のサーブ。ネットに引っ掛かったそれをミドルが咄嗟にオーバーで拾った。ボールはセッターへ。
さっきのあれで何か変化はあるやろか。興味深く明暗が見つめる先で、セッターはセンターで構えていた明暗チームのブロッカーを振り切るようにがら空きだったライト方向にバックトスを上げた。今までにない攻撃的なトスだった。
がしかし、
――いや確かにそこがら空きやけど、スパイカーも居らんやろ!!
明暗が心の中でそうツッコんだとき。
コートをものすごい速さで何かが横切った。
「ンンッ」
レフトからライトへ。一気に駆け抜けた日向がボールめがけて跳んだ。
あまりにも一瞬。構えていたブロッカーたちは完全に置き去りだった。
辛うじて木兎が片手で飛びつくも、その横を抜けて日向のスパイクは電光石火のように決まった。
「アーイ! ナイストス!」
両手を上げ日向がセッターに駆け寄る。
「ごめん、結構無茶苦茶した」
「全然いいよ!」
互いの肩を叩き合う日向たちを更に犬鳴たちが取り囲む。トマスがふたりの頭を犬にするみたいにぐしゃぐしゃ撫でて、ドッと笑いが起こっていた。ただ一歩引いたところで突っ立っている佐久早だけは、なぜか嫌そうな顔で日向を凝視していたが。
「でたな、初見殺し……!」
『凄いな、ブロード攻撃なんてひさしぶりに見たよ』
何とも言えない顔で日向を見る木兎、若干引きつり気味に驚いているバーンズ。
男子の試合では滅多に見ることのない攻撃と、なによりコートを駆け抜けたあの速さに明暗チームのメンバーたちは一様に驚いていた。
だが――
「翔陽くんに跳んでもらってどうすんねん、ド下手糞が」
ドロッと聞こえてきた地を這うような声。びくっとしてコート後方を見ると、冷めきった顔で向こうのセッターを見ている宮がいた。
なんや、とその表情の苛烈さに明暗は思わず生唾を飲み込みながら独り言つ。宮がなんでそんなに怒っているのか分からなかった。
確かに無理やりなセットではあったが日向は打てていたし、トス自体は明暗から見ても綺麗だったように思う。セッターから見たら違うのだろうか。
はじめに言っていた「翔陽くんに跳んでもらってどうすんねん」の意味も不明だが、とにかく攻撃的な発言だったというのだけは分かる。
幸い自分以外は誰も聞いていなかったようだったので、明暗はホッと胸を撫で下ろした。もしも向こうのセッターに聞こえていたら空気が冷えていただろう。
その後向こうのサーブミスが入り、ひとつローテーションが回った。
リベロが前衛に上がってきたので、明暗が代わってコートに入る。
現在の明暗チームの前衛は、レフトに明暗、センターにトライアウト生、ライトにバーンズ。犬鳴チームはレフトに佐久早、センターに日向、ライトがMSBYのミドルブロッカーだ。軒並み高身長の選手に囲まれているせいか、いっそう日向の小柄さが際立った。
明暗が入ったあとも試合はやはり明暗チームの優勢で進んでいく。
しかし犬鳴チームも開始直後よりは格段に動きが良くなってきていた。
「日向!」
日向にトスが上がる。明暗とトライアウト生がブロックについたものの、トライアウト生の飛びつくタイミングが少し早かった。
束がばらけたところに容赦なく日向のスパイクが差し込まれる。宮が片腕に当てたが、惜しくもそれは大きくコート外へと飛んでいった。
「すみません! 少し飛ぶの早かったです!」
「ドンマイドンマイ。日向くん滞空時間えぐいから次気をつけよな」
トライアウト生の背中を励ましながら、明暗は日向を見る。やはり、相対した時のプレッシャーがアドラーズの星海に似ていた。
指先や自分の向こうのコートの状況を見られている感覚。空中戦を得意とする者特有のそれ。
白状すると明暗はああいう類のスパイカーは苦手だ。パワー系を押し込むのは得意なんだが。
点が入ったことで向こうのローテーションが一つ回り、日向が後衛に下がった。
次のサーバーはその日向だ。ルーティンなのか、エンドラインで日向はボールを一撫でした。そしてホイッスルが鳴ったと同時に天井高くサーブトスを上げた。
「イン!」
「ふん!」
サイドラインぎりぎりを狙って打ち込まれたサーブを木兎が拾った。
「明暗さん!」
宮に呼ばれ、明暗は上げられたトスに向かって跳ぶ。頭を使うのは苦手だが、それに甘んじていて勝てる世界ではない。
これも練習やと、上に向かうまでの一瞬の間で状況を確認する。
ブロックはトライアウト生と佐久早とトマスで3枚。ライト後方では犬鳴が挑戦的な顔で構えていて、エンドラインより後ろにブロックアウト警戒要員がひとり。視界の端で日向がスススとエンドラインの方へと下がったのが見えた。
――ならここやろ!
明暗はふわっと力を力を抜いてボールをブロックの後ろに落とす。普段あまり明暗がしないプレーに「マジか」と犬鳴が言ったのが聞こえた。
ボールコントロールも位置も我ながら完璧。
完全に穴をついたと思ったのだが、なぜかボールが落ちていく先には日向がいて、明暗渾身のフェイントはあっけなく拾われた。
それをすかさずセッターがトマスに繋ぐ。
素早いカウンターを決められ、相手のブレイクとなった。
「あん??」
明暗は相手コートを見つめる。
思い返してみてもたしかにあそこは穴だったはずだ。
しかし走り込んできたにしては余裕のあるレシーブだった。なんでや。
その後も同じようなことが何度もあった。やたら日向に拾われすんなりとスパイクが決まらない。木兎は「あいつマジでレシーブ上手くなったな!」と悔し気に言っていたが、果たしてそうだろうか。
いや間違いなくそうなのだが、それだけではない気が――。
ローテーションが一周し、明暗は再びコート外へ。
汗を吹きつつ試合を見守るが、さっきの動きが気になって目はどうしても日向を追いがちになってしまう。
「バーンズラスト!」
トマスの強烈なサーブをリベロと宮が何とか繋ぎ、バーンズにボールが上がった。
犬鳴チームが主砲の衝撃に備えそれぞれ動くが、
「あ!」
明暗は日向の動きを見て声を上げた。
そしてその明暗が見つめる先で、バーンズの大砲の如きスパイクを日向は見事に拾う。
観戦していた選手のどよめきがさらにラリーの熱を上げた。
『気づいたかい? ヒナタの動き』
いつの間にか隣にいた監督に尋ねられ明暗は頷く。
明暗はたしかに見た。バーンズがスパイクを打つ直前、日向が一度ブロックアウト対策に入れる位置まで下がった所を。それからスパイクが打ち下ろされるとほぼ同時に、バーンズが狙った日向の前のその“穴”まで戻るところを。
多分、いや、監督の言葉からしてもあれは――
『あそこに打たされてんねや……』
『その通り』
監督は満足げに歯を見せた。
『ヒナタは相手の攻撃を誘うのがものすごく上手い。おそらくビーチバレーで身につけた技術だろうね』
『おお、ビーチバレー……!』
ここで出てくるんか、といった感じだった。
『そして彼は小柄だから基本的には目につきにくいし、動きも素早い。スパイカーからすれば気配もなく突然現れたように思うだろう』
監督の言葉にうんうんと首を振りハッとする。
動きが素早く、気配なく突然現れる、
「……ニンジャってそれか!」
『そうそう。ニンジャ・ショーヨーね』
ンフフと監督が笑う。
コートの中ではそのニンジャがまたスパイクを拾っていた。打った木兎が「あれ!?」と驚いている。
「がら空きじゃなかったっけ!?!?」
「にひひ!」
「見事に術にハマっとるな……」
一度ニンジャだと認識するともうそういう風に見えてくる。
更に日向は、セッターが封じられた場面で見事なセットを佐久早に上げてみせた。
ラリー練習の時から思っていたが、セッティング技術も物凄く高い。
『ホンマになんでもでもできますね』
躍動する日向を見て明暗はしみじみと言う。
“なんでもできます、なんでもやります”と言うのはビックマウスでもなんでもなかったのだ。
けれどそこで監督は「Yes.But,…」と明暗に言う。
『彼のアレは言わば羽ばたく為の布石だ。真価はまだ出せていないな』
『え、まだ何か出来るんですかあの子??』
『ああ、とびきり素敵なことがね。それはきっとあとでアツムが見せてくれるよ』
フッフッフと笑った監督は、鋭く光った両眼で日向を見ていた。
■
「ヘイヘイヘイ! 俺最強!!」
木兎のクロスが決まった所でセット終了のホイッスルが鳴った。
日向の活躍はあったものの、結局1セット目は19対25と結構な点差で明暗チームがセットを取った。
それにしては一本一本のラリーが長く、明暗は練習着で鼻下の汗を拭う。
「木兎さんのクロス相変わらずスゲーかっこよかったです!!」
「だろ!! けどお前もなんか色々、マジで色々上手くなってたな!! ビーチバレーやべえ!!」
「アザっす!! ビーチはヤバイっす!!」
そんな明暗とは違い、汗はかきつつもまだ元気一杯の木兎と日向。明暗とてまだまだ現役だが取り巻く若さが違う。
水分補給を済ませたあと、コーチは一度選手たちを集め直した。
「えーそれでは第2セットは両チームのセッターを入れ替えます」
「待ってました!!」
言われるなり宮は意気揚々と日向の横に並びにいった。
「そや、どうせなら臣くんとトマスも向こうチーム行ってくれへん? 代わりにこっちはそっちのトライアウトのでええっすわ」
ウキウキと浮ついた声で、宮は一ミリの悪気もなさそうに言った。なさそうというか、事実ないのだろうが。
「トライアウトのでってお前な……」
堪忍な、とトライアウト生に謝るとイエイエと苦笑いぎみに首を振られた。宮より余程大人である。
ため息をついて明暗は腕を組んだ。
「佐久早もトマスもこっちにきたらほぼ試合のメンバーやんけ。流石にバランス悪すぎやろ」
「翔陽くん使うならそんぐらい歯応えある相手じゃないとつまらないんすもん。心配せんでもちゃんと勝負になりますよ、多分」
ニヤァと性悪な笑みを浮かべた宮に、佐久早が小声でキモと吐き捨てる。しかし宮は「言っとれ言っとれ」と珍しく取り合わなかった。どうやら無謀なことを言っているつもりはないらしい。
「じゃあまあ、それでいくか」
監督とコーチの小会議の結果、本当に宮の意見が採用された。
「ほんまに大丈夫ですか?」
「まああまりにも試合にならなかったら途中で考えるさ」
それなら、と明暗は引き下がる。監督たちがそう言うなら別に文句はない。
「よっし! ほんなら作戦会議や! 犬さんいきましょ」
「おー。じゃ行くか」
宮に背を押されるようにして向こうのチームはコートに移動していく。
「翔陽くん、飛雄くんとのアレやんで」
「! マジすか!?」
「マジもマジ、大マジや! 侑さんに任せとき」
漏れ聞こえてきた宮と日向の会話に明暗は「ん?」と首を傾げる。
「飛雄くんって影山飛雄よな? アレってなんや?」
「え、わかんない。なにが??」
近くに木兎がいたのがよくなかった。明暗は首を振る。
「……まあええわ。ほんなら俺らも軽く打ち合わせしよか」
「よし! トライアウト生くん行くぞ!」
トライアウト生の背中をひと叩きし、木兎は真っ先にコートにかけていった。
第2セット。明暗は前衛レフトスタートで、ネットを挟んだ所に宮がいた。明暗はそっと声をかける。
「お前、自分のセット決められなかったからってトライアウト生らどつくなよ」
すると宮は手をぐーぱーしながら「あー」と気の抜けた声を出した。
「その可能性があったの忘れてましたわ。そっか、打ち損ねなぁ……。ま、今日のとこは多少なら大目に見ますわ。色々試したいこともあるし」
「……お前ほんまに宮か?」
「は?」
明暗は心底驚いていた。
普段なら自分のセット技術に絶対の自信があり、打ち損じなどしようものなら年齢や所属歴など関係なくキレ散らかすような奴なのに、今日のその寛大さはなんだ。
本当に今日の宮はいつもと違いすぎる。確実に日向が要因だが、なにがどうなったらこうまで変わるのだろう。
「まあ、それならええけどな。ほんまに頼むで」
「はいはいっと。そんなことより、明暗さんこそブロック頼みますね」
「はい?」
宮は明暗を見て挑発的な顔をする。
「まあ止められたらやけど」
と、そこで試合開始のホイッスル。
明暗は最後に投げかけられた一言に疑問を持ちつつも両手を頭の後ろで組んだ。
「オミオミナイッサー!」
木兎の掛け声が飛ぶ。
佐久早はペイペイと独特の動きのルーティンを済ませたあと、ピッとサーブトスを上げた。
そして長身を生かした打点から、一切の手加減もされていないサーフが放たれた。
「翔陽くん!」
ボールはレフト後方にいた日向の真正面へ。
位置取りは完璧だ。
だが妙な回転をかけられている佐久早のボールは、日向の腕に触れるなり明後日の方向に飛んでいった。まずは明暗チームに1点入る。
ボールを上げ損ねた日向の頭の上には、クエスチョンマークが沢山跳ねていた。
「臣くんちょっと大人げないんちゃう?」
宮が不満げな声を上げる。佐久早は極小声で「お前に言われたくねぇ」と眉を寄せた。全くもってその通り。第一セット、宮はサーブの度に日向しか狙っていなかったのである。
2本目。佐久早はまたも日向を狙ったが、これは回転が緩かったのか綺麗にAパスが上がった。
「――いくで!! 翔陽くん!!」
宮が叫ぶと同時だった。
ドゴっとあの音が響いたのは。
明暗の顔にふわと影が落ちた。
「!?!?!?」
見上げた先に日向がいた。
日向が跳び、スパイクモーションに入っていた。
明暗は慌ててブロックに跳ぶ。
けれど上まで飛びきる前に、明暗の体の横を矢のようにボールが駆け抜けていった。
「は?」
ピッと笛が吹かれ、犬鳴チームの得点板が1枚はぐられる。
背後に転がるボールの行方を目で追いつつも、明暗はまだ今起きた一瞬に頭が追い付いていなかった。
恐る恐る、日向を見る。
日向は右手を見つめ――その手を強く握り込むとまっすぐ前を向いて静かに笑った。
「ッッッッッハーーーーーーー!!!! クッソ気持ちええ!!!!」
宮の奇声で明暗は呼吸を思い出す。
盛大にガッツポーズを決めた宮は、まるで木兎のように日向に飛びついていた。
「翔陽くんどうやった!? ちょぉ遅かったやろか?」
両肩をつかんで迫る宮に、日向は感動しきりの顔で胸の前で両手を握った。
「若干、ほんの若干遅かったです! けどマジで来たんでびっくりしました! やっぱ宮さん凄いっす!」
「せやろせやろー。にしても思った以上に跳ぶの早いなぁ、あれでも早めに上げたつもりやねんけど。よっしゃ、次は完璧にあげたるで!」
「オナシャース!」
2人の発言を聞きながら明暗は口許をひきつらせる。あれで完璧じゃなかったらなんなんだ。更に上があるというのか。意味がわからない。
「恐怖、初見殺し……!」
大仰な様子で言う木兎はどうやらあの攻撃を知っているようだった。明暗は相手が木兎だと言うことも忘れて思わず訊く。
「いや、ほんま初見殺しもええとこやで。なんなんあれ」
「高校んときのカギャーマと日向の必殺技! のツムツムバージョン!!」
「……もうちょい頑張れんか?」
「なにを??」
だめりゃこりゃ。明暗は諦めて片手を振った。ちょっと期待してみたが、やはり木兎。期待を裏切らない。
と、未だざわめいている明暗チームをサーブのためにボールを持った宮が振り返った。
なんともまあ最高に楽しそうな顔をしている。
「臣くんと木っくんは分かっとると思うけど、こんなんまだまだ序ノ口やからな。明暗さんも嫌がらんと最後までちゃんと付き合うてくださいね」
「はい?」
「……ウザ」
「望むところだ!」
このセットが始まる時と同じように何やら意味深なことを言った宮。
しかし疑問に思ったのは明暗だけだったようで、佐久早たちは宮の宣戦布告っぽい宣言をばっちり受け取っていた。
「楽しみやなぁ。あかん、燥ぎすぎんようにせんと」
そう言って宮は足取り軽くエンドラインまで下がっていく。
ーーそれからのゲームは何といったらいいだろうか。
『彼のアレは言わば羽ばたく為の布石だ。真価はまだ出せていないな』
『ああ、とびきり素敵なことがね。きっとあとでアツムが見せてくれるよ』
監督が言っていたこの言葉の意味を明暗は身を持って思い知らされることになった。
「翔陽くんナイスキー!!」
鋭い音を立てて日向のスパイクが決まる。
パラッと捲られた得点板の数字は10対4。
10が犬鳴チーム、4が明暗チームの得点だった。
明暗はクソッと吐き出しつつ顎の下の汗を拭う。
「チッ」
そして明暗の隣でも、先の得点で完全にブロックを剥がされた佐久早が苛立ちを露にして相手コートをーーいや、正確に言うと宮と日向を睨んでいた。
気づいた日向がネットの向こうでピッとビビり退くと、宮がその背後ににやつきながら立った。
「もう一回翔陽くんやと思わなかったやろ? いい釣られっぷりやったで〜臣くん」
「うるさい。話しかけてくるな」
「わかる。わかるで〜その気持ち。翔陽くんウザったいよな〜。コバエか! 言うて」
「コバエ!?」
「まあ次は釣られんように頑張ってな?」
宮は言うだけ言うとウハハと笑い、コバエに引っ掛かっている日向を連れてネットを離れていった。
「アイツホンマに性格悪いな」
明暗は思ったことをスルッと吐き出した。佐久早も即座に頷く。
「あークソー。久しぶりにやると日向マジでわけわかんねぇ! 普通に昔よりうめぇし」
ガサガサと髪をかき混ぜて木兎がぐぬぅと唸る。弟子の成長を喜んでいた師匠の余裕はもうどこにもなかった。
「ホンマやで。あのワケわからん速攻だけでも厄介やっちゅうに」
なーにがとびきり素敵やねん、めんどくさいの間違いやろ。明暗はポール横に立っている監督を恨みがましく見た。
日向の武器があの速攻だけならまだ良かった。あんな速度の速攻は見たことがないが、それでも止める方法はチームワークの利もあるしあったはずだ。
けれどそうじゃないから、こんな点差をつけられていた。
「一本ナイッサー!」
日向の掛け声の後に飛んできたサーブを、まずは佐久早がセッターにきっちり繋げる。
セッターからボールは自分へ。素早く飛び上がった明暗に日向ともう一人トライアウト生がブロックにつく。
塞がれたクロス方向を避けてストレートにスパイクを打ち込むと、そこには当たり前のように犬鳴がいた。明暗は舌を打つ。ブロックもちゃんと上手いねんな、こいつ。
犬鳴が上げたボールは完全に勢いを殺され、ふわっと宮の元へ向かう。
「レフトォ!!」
叫んで、日向がブロックから降りた瞬間にライト方向に走り出した。その勢い、声、色、気配に、自然と目とが引っ張られる。
――第1セット、日向はここまで厄介じゃなかった。そりゃレシーブはやたら拾われたし、時折トリッキーな攻撃を仕掛けられたけれど、対応できる範囲だった。
第2セット。第1セットと本人の動きには大して変わりはないはずなのに、なぜ佐久早や木兎、明暗たちが日向に振り回されているのか。
宮だ。
宮のセット技術が日向の動きを最大限に生かしていた。
「翔陽くん!」
宮は首をそらすようにして走る日向を確認する。
この試合中、日向は隙あらばどこからでもスパイクを打ちに跳んできていた。
けれど跳んだとてそこにトスが上がらなければ意味はない。1セット目は、日向の動きにトライアウトのセッターがついていけてなかった。だから明暗たちが日向に気を取られることはあまりなかったのだ。
けれど宮侑は違った。MSBYブラックジャッカルの正セッターであり、高校時代から日向にトスを上げると宣言していたという男は、日向が跳ぶ先どこへだってトスを持っていった。
そして日向翔陽は躍動し始める。どこからでもスパイクが打ち込まれるようになり、気を抜けばあの超速攻が明暗たちを襲った。
異様な存在感を放つ小さな体を気にせずにはいられない。
それこそが日向と宮の狙いであり、
「げ!」
「もろた!」
――ハッとした時にはもう遅いのだ。
宮に届いたボールはスパイカーに上がることなく、慌てて手を伸ばしたリベロの指の先で明暗たちのコートに落ちた。トントンコロコロ。ボールが転がる。
またやられた――明暗はこめかみにビキビキと血管を浮かべた。
「今度はツーかよ! ツムツム性格悪いぞ!」
「最高の誉め言葉やわ〜」
己を指さしてなじってくる木兎に、宮がそれはもうイイ顔を向けた。
「絶対に日向に上がると思ったのに。日向もそう思ったよなぁ?」
「チョ、チョットダケ!」
「ほらぁ!」
「何がほらぁやねん」
宮は日向を楽し気に見下ろす。
「だからこその『囮』やろ?」
「――はい!」
日向は力強く返事をした。
ピッ、コーチがホイッスルを吹く。
「次は絶対止める!」
「次も絶対引っぺがしたる! な? 翔陽くん」
「ウッス! 絶対振り向かします!」
互いに好戦的な視線を交わし合う3人を見て、明暗も気合を入れる。
縦横無尽にコートを駆け、囮になる。
それこそが監督が言っていた日向の真価であり、武器だ――さてどうやって打ち破ってやろうか。
「ワンチでもいいからとにかく触るで!」
「オエーイ!」
負けず嫌いはプロの常である。明暗の声にチームメイトも大声で応えた。
サーブが上がる。
そして白熱する試合の様子を、監督はコートの横で満足げに眺めていた。
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「え、翔陽くんこのあと東京帰るん?」
「はい! 明日もバイトがあるんで!」
「えーまじで? なんやねん。練習終わったら一緒に飯行こ思てたんに」
「日向バイトってなにしてんの??」
「ウーバーの配達員です!」
「「ウーバーの配達員!?」」
――実践練習終了後。
クールダウンの柔軟をしながらの日向の回答に、そばで胡坐をかいていた宮たちがゲラゲラと笑った。
スクイズボトルを傾げつつ会話に耳をそばだてていた明暗も、先の暴れっぷりを見ているだけにマジがと胸中で呟く。マック届けにくる好青年があんなヤバい子だなんて、客側は思いもしないだろう。
もしかしたら数年後には「あの日向にウーバーの配達してもらったことある!」なんて騒いでいる人間がいるかもしれない。
「つかそんなん休めばええやん。泊まるとこならサムんとこあるで」
どうしても日向との飯を諦めきれないのか。宮は軽率にそんなことを言い出した。
ぴくり。明暗の中の嫌な予感センサーが震える。
「サム?? ……ああ!! ウィングスパイカーの人!!」
「そーそー。アイツ今はバレーやめて大阪で飯屋やっとんねん。一人暮らしやから遠慮せんでええで」
この相手の都合など一切考えていない発言を、あえてでもなんでもなく宮は素でしている。
お前が決めんなやクソボケーー折を見ては美味いお握りを差し入れに来てくれる宮の双子の兄弟が怒鳴る様が、明暗にはありありと想像できる。この兄弟が喧嘩をすると間はおにぎりの差し入れが途絶えるからやめて欲しい。
と、そこで木兎がとんでもない爆弾を投げ込んだ。
「あ! じゃあさ、日向このまま残って一緒に練習してけよ!」
「うえ!?!?」
日向が素っ頓狂な声を上げると同時に、明暗もブッとスポドリを吹く。隣にいたトマスが「What!?!?」と叫んで飛び退いた。すまん。けど、今それどころやないわ。
明暗は口端からだらだらとスポドリを垂らしながら木兎たちを見た。
「だって日向どうせ合格だろ? なら別に今から練習したっていいだろ、俺まだ試合したりねぇし。でさ練習終わったらみんなでサムサムんとこいこーぜ!」
名案じゃね? と胸を張った木兎に宮も「それや!」喜んで膝を叩く。日向は足を開いた体勢のままアワアワしていた。
「ええなそれ! 珍しく冴えとるやん木っくん」
「だろ!」
「イエ、イヤ! え、えーと……?」
「ダメに決まっとるやろがアホタレども!」
口元を雑に拭い、明暗は常識知らずな後輩2人の頭の上にゴチンと拳骨を落とした。不意打ちを食らったアホどもは揃って頭をかかえる。
「困らせてすまんな日向くん。後でちゃんと言って聞かせとくからさっきのは聞き流してな」
日向は慌てて立ちあがり「ハイ! イイエ!」とへんちくりんな返事をする。
なんやそれと思わずツッコんでいると、悶絶していた宮たちが涙を浮かべて抗議してきた。
「めーあんさん痛い!」
「グーはあかんてグーは!」
「痛くしたんやから当たり前やろが。お前らは相手の都合っつーもんをちっとは考えんかい」
全く……と明暗が腕を組んだところで、コーチがトライアウト生たちを呼んだ。時刻は16時を過ぎた頃。トライアウト試験もいよいよ終わりである。
明暗は腕を解いて日向を見下ろした。
例年に比べれば大した問題もなく進んでいった今年のトライアウトだったが、日向翔陽というこの青年に何度驚かされただろうか。
日向は必ずMSBYに来る。
木兎たちではないが、明暗もそう確信していた。
「ほな、またすぐ会うと思うけど気をつけて帰り。知らん人についてったらあかんで」
「は、はい!」
「明暗さんもうそれ親戚のおっちゃんやん。……じゃあ翔陽くんまたな」
「こっちくるときは連絡しろよ!」
宮と木兎はそれぞれ乱雑に日向の頭を撫でた。おお、先輩しとるわと明暗は変に感動する。
「はい! 今日はありがとうございました!!」
日向は満面の笑顔を残し、体育館の出入り口で大きく頭を下げて帰っていった。
2018年、夏。
天高く青が冴える晴天の日に開催されたMSBYブラックジャッカルトライアウト試験は、去年とは違う嵐の爪痕を残し幕を閉じた。
――数ヶ月後。
「俺さんじょーう!」
「お疲れ様ですー」
「ちわっす」
「オナシャース!」
騒々しい声。飄々とした声。平坦な声。元気いっぱいな声
三者三様の様子で木兎、宮、佐久早、日向がやってきた。
先に来ていた明暗と犬鳴は4人を振り返って笑う。
「今日も一緒か。ほんと仲良くなりましたね、アイツら」
「日向がおらんとすぐケンカしよるけどな」
デカい男どもに囲まれている小さな新人を見つつ、明暗は薄く笑う。
日向は予想通りトライアウトを這い上がってきた。
そして今や戦力的にもチームのモチベーション的にも欠かせないムードメーカ的存在だ。
素直だし聞き分けはいいし礼儀正しいし、たまに木兎とアホなことをすることはあるが怒ればちゃんと反省する。あの佐久早が気を許すほどなのだから、ほかの連中が気に入らない訳がなかった。そしてそれはもちろん明暗だってそうだ。
というか、でかい妖怪世代たちの面倒をよく見てくれているという点で他のメンバーより感謝している。日向が来てから幼稚園の保母さんになる日はだいぶ減ったのだ。
ほんまエエ子で助かったわ、と感慨深く見ていたら不意に日向と目があった。
日向は髪と似た色の目をパッと明るくして「明暗さん! 犬さん!」と駆け寄ってくる。
可愛いやっちゃなーと明暗が呟くと、犬鳴もですねと笑って頷いた。
「お疲れ様です!」
「おう、お疲れさん」
「お疲れ。なんか嬉しそうだけどいいことでもあった?」
「今日の夜、明暗さんと飯行きます!」
犬鳴に訊かれ日向はニコニコ答えた。飯ひとつでこんなに喜んでくれるのだから、本当に可愛がり甲斐のある後輩である。
「日向と明暗さん飯行くの? 肉?? 俺も行きたい!」
「明暗さん依怙贔屓は良くないで。俺も連れてってや」
カルガモよろしく日向についてきていた木兎と宮が口々に言う。一番後ろに居る佐久早も黙ってはいるが、誘えば断らなそうな雰囲気をそこはかとなく醸し出していた。
随分手は焼かされているけども、なんだかんだ言ってもこの3人だって可愛い後輩だ。飯だっていつもだったらいくらでも、は懐的にきついが……まあ食べ放題なら連れて行ってやらないこともない。
けれど今日は、
「今日はトライアウト組だけの秘密の飲み会やねん。せやからお前らはまた今度な」
「は? なんやて? トライアウト組??」
「せやで。スカウト組には分からん苦労を語り合うねん」
な、日向。
明暗が肩を組んでそう言うと、日向は元気いっぱいに「ハイ!」と笑った。
END