◇ 3 ◇
――2日目 7:36
月島の予想通り、普段より早い時間に迎えに来た山口と体育館についた頃には、既に何人かが中に入って練習していた。開始時間前から練習している人なんて、毎日飽きもせず体育館一番乗りをかけて全力疾走している小学生と王様ぐらいだ。だが、今日だけは、扉を開けるまで誰が練習を始めているのか分からなかった。
メールの通りなら、日向はこの場にいないはずだから。
「おはよーございまーす」
中にいた人が一斉に入口へと目を向けた。扉を開けたのが日向なんじゃないかと期待したのだろう。焦りと落胆と戸惑いが一度に混ざったような表情を浮かべている。。
「……皆さん、知ってるんですね」
山口の声は小さく、隣に立っている月島にしか聞こえないのではないかと思われた。しかし、しっかりと他の人にも聞こえていたらしい。無言で首を縦に振る者、小さく答える者、苛立ちを露にする者と反応が様々だった。
唯一影山だけは、二人を睨みつけただけでまた練習に戻っていた。
「翔陽! いるか!」
全力で走ってきましたという様子の西谷が、転がり込むようにして体育館に入ってきた。体育館内をざっと見回して、日向がいないことを確認するとくしゃっと顔を歪める。
「俺ちょっと日向に電話してみるわ」
「ああ、頼む」
そう言って菅原が携帯を片手に体育館を出て行く。
横を通り過ぎたときに気がついたが、彼の目の下には隈が出来ていた。よく見ると他にも隈が出来ていたり、いつもより顔色が悪い人たちがいる。夜中にあのメールを受け取ったせいであまり眠れなかったんだろう。月島もその一人なので追求する気はなかった。
「おーお前ら早えな!」
「皆さん、おはようございます。今日も一日……あれ? 日向君来てないんですか?」
烏養と武田が揃って体育館に現れた。案の定というか、日向がいないことにいち早く気づく。しかしこの二人の様子からして、メールの存在は知らないのだろう。
「だめだーやっぱり繋がらない」
「どうした菅原。日向遅刻か? 休みか?」
携帯を手に体育館に戻ってきた菅原を見て、日向に連絡を取ろうとしたことが分かったらしい。烏養が畳み掛けるように尋ねた。
一方の菅原はその場で足を止め、どう返したらいいものかと考え倦ねいているようだった。当然の反応だ。この中で正確に状況を把握出来ている者などいないのだから。
なかなか答えない菅原にしびれを切らしたのか、烏養が他の部員に順繰り視線を移していく。誰か何か知ってるじゃないのかと、視線だけで問いかけていた。
いよいよ正直に話すべきなんじゃないかという空気が流れ始めた頃、体育館入口に見知らぬ二人の成人男性が立っていることに気がついた。
「誰だ?」
木下が呟くと、今までその二人に気がついていなかった人たちも入口に目を向ける。
彼らは、外靴を脱いで、手に持っていた来賓用のスリッパに履き替えるとスタスタと軽い音を立てながらこちらに近づいてきた。
「すみませんね、いきなり。私たち、こういうものですが」
そう言って彼らが懐から取り出したのは、黒革の手帳。中には彼らの顔写真と名前と、所属等が事細かく書かれていた。月島も実物を見るのは初めてだったが、確信する。
間違いない。警察手帳だ。
「警察?」
「警察の方が、何の用でしょう?」
恐る恐るといった様子で訪ねた武田を一瞥して、50代くらいに見える男――石本という名前らしい――が至極つまらなさそうな表情を浮かべて口を開いた。
「ちょーっとした事件を調べてましてねぇ? それで、この高校の日向翔陽君、彼はここの部員ということで間違いないですか?」
日向の名前が出た瞬間、全員が息を飲んだのわかった。警察が日向のことを調べに来た。この状況で動揺しないわけがない。上手く声が出せないのか、つっかえながらも肯定したのは澤村だ。続けて、日向がどうかしたのかと先生が問いかけると、目の前の男は口元にだけ薄く笑みを浮かべる。
「とある事件に関わってる可能性がひじょーに高いんですよぉ。なんで一応、昨日の彼の行動とか、聞きに来たって次第です。そういうわけなんで、昨日の様子を教えていただけますか」
「昨日って……普通に、いつもどおり部活やっただけで、特に何か変わったこととかは……」
「部活は何時までだったんです?」
「全体練習は6時までで、その後は自主的に居残ったりして……最終的に全員が体育館を出たのは8時近かったかと」
へー大変ですねー、なんて軽く口にする男に月島は苛立ちが募っていった。態度が横柄で、口調からも表情からもこちらを、ひいては日向を蔑んでいるのが伝わってくる。事件に関わっているかもしれない人物を調べるのに“一応”なんて言葉を使った時点で、気分は急降下していたが。
見れば見るほど、話を聞けば聞くほど苛立ちが募る。
「あ、そういえばさ。昨日日向のチャリ、パンクしたよな」
「ああ。あの時間じゃ修理してくれる店も閉まってて、仕方なくコーチの家に置かせてもらったんだったか」
「日向君の家は雪ヶ丘でしたよね? 自転車がダメになって、帰りはどうしたんでしょう?」
ここで初めて、一歩下がったところでこちらの話をメモしていた男が口を開いた。20代後半から30代前半くらいに見える若い男。川西と名乗っていた彼は、手前に立つ男よりよほど真剣に月島たちの話に耳を傾けている。
「バスで帰ったはずですよ」
「ところで、なんの事件なんですか? 聞く権利くらいありますよね」
「傷害事件ですよ、今朝ニュースでもやってた。そうそう、形式的な質問になるんですけどねぇ? 被害者……六宮雅輝君って言うんですけど、面識あったんですかねぇ日向君は」
すっと頭が冷めていく。間違いない、この男、石本は端から日向を犯人だと決めつけてかかっている。そしてそのことに、ここにいる全員が気づいているだろう。皆一様に表情が険しくなった。
男の問いには首を振って答えた。実際誰も被害者のことを知らないし、日向と面識があるかどうかも知らない。珍しい苗字なので、話に出てくることがあればそうそう忘れたりもしないだろう。
「じゃあ我々はこれで、朝早くから失礼しました」
そう言って踵を返そうとする石本を、田中が呼び止めた。眦がいつもより釣り上がり、ヤンキー然とした顔が更に凶悪になっている。
「日向を疑ってんのか? あいつが、その六宮ってやつを刺したって、そう思ってんのか!」
「ちょっ、田中! 落ち着け!」
「落ち着いてらんないっすよ旭さん! 日向がそんなことするわけないじゃないっスか!」
「西谷までー! ほんと落ち着いてお前ら、相手警察!」
2年生二人がギャイギャイ喚きながら石本に食ってかかるが、相手はどこ吹く風といった様子で気にもとめていないようだった。長年警察組織の中で働いている彼にとって、こういう状況は日常茶飯事なのかもしれない。その後ろで、川西は戸惑っている様子だった。
「はあ……あのねぇ、六宮君の背中に刺さってた凶器には、日向君の指紋だけがべったりついてたんですよぉ? それで彼を疑わないはずがないでしょう」
まただ。この石本という男は、相手を貶めていることを隠そうともしないで平気で声に載せる。そんな言葉を聞いて、田中たちが大人しくしているはずがない。
案の定、先程よりもよほど激高した様子で吠えていた。放っておいたら殴りかかりそうな雰囲気だったため、田中は東峰と成田が、西谷は菅原と木下が抑えにかかっていた。
「日向のことだから、目の前で倒れてる人に慌てて駆け寄って、つい触っちゃったんじゃないかな」
「私もそう思う。刺さってる凶器抜こうとしたとか……」
「ああ……日向ならやりかねないかも。でもそれやったら出血酷くなるんだよね」
月島の隣では山口と谷地が、目の前の光景に焦りながらもそんな言葉を交わしている。たしかに日向を知っている人間にとったら、そちらのほうがよほど自然な流れに思えた。
「彼がやったかやってないかは、こちらが決めることだ。君たちの意見は聞いてない」
「なんだと!」
「まったく、目上の人間に敬語も使えないとは。程度がしれますなぁ」
「すみませんっ、きつく言って聞かせますので」
武田はそういって頭を下げたが、次に顔を上げた時は、いつだったかに見せた凄烈な表情で目の前に立つ男を睨めつけ、
「口は悪いかもしれませんが、大切な仲間を心配しているだけです。そんなことをするはずがないと信頼しているだけです。彼らを、日向君を、それ以上貶めないでください」
睨みつけるだけで何も言葉を発さずに、石本は体育館を出ていこうとする。川西はこの場の空気に気圧されながらも、こちらに向かって頭を下げそのあとを追おうとしていた。
正直、言われっぱなしは癪に障る。月島は口元を歪ませ、携帯を片手に川西を呼び止めた。
「ちょっと見ていただきたいものがあるんですけどー」
この空間においては久々に浮かべる愛想笑いで、それはもうにこやかに睨みつけた。
首をかしげながらこちらに戻ってきた彼に携帯を差し出すと、その内容に驚愕したように、目を見開いた。すぐさま画面から顔を上げ、どういうことかと尋ねる。
「そのメール、深夜に僕ら全員に送られてきたんですよ」
「メール? なんのことだお前ら」
問いかけたのは烏養だった。近くに立っていた清水が自分の携帯を彼に差し出すと、隣に立っていた武田と一緒になって画面を見、素っ頓狂な声を上げた。なんで話さなかったんだと問いただす声を背後に、月島は警察官二人を相手に話をする。
「傷害事件のニュースを見たのは、今日の早朝です。でも、このメールはその前に送られてきた」
「野次馬が写真撮って回したんだろう、よくある話だ」
すっ、と眼鏡の奥で目が細められる。この男は本当に警察官なのかと疑いたくなった。
こんな違和感だらけのメールを見ても何も思わないのか。何も考えないようにしているのか。どちらにしても、彼の理解力について思考している時間がもったいない。話を進めるために再度口を開こうとした時だ。
「おい月島、メールってなんのことだ」
ここまで不思議なくらい大人しくしていた影山が、仏頂面で話しかけてきた。だが、今彼はなんと言った?
自分の耳がおかしくなったのかと一瞬思うも、隣に立つ山口たちが唖然とした顔で彼を見つめる様子から考えるに、聞き間違いではなかったようだ。
「え、ちょっと待って王様。メール見てないの? 届いてないの?」
「王様って呼ぶなっつってんだろうが! だからなんのことだよメールって!」
「まさか影山、昨日の夜から今日まで、携帯見てないとか、言わないよね?」
「見てねえ」
そこは胸を張って威張るところじゃない。断じて違う。本当この変人コンビは予想の斜め上を行くから手に負えない。
だいたい携帯メールは部活の連絡にも使うのだからこまめに見ておきなよ。なんなのこいつ。
一人メールの存在すら知らなかった影山は、菅原に促されて、自分の携帯を取りに行ったらしい。横目で彼の様子を確認すると、やはり内容に驚いたのか凶悪な顔が更に凶悪になっていた。
はたと思い出す。そういえば体育館に来たとき、こいつは日向がいない状況に動揺する部員の中で一人だけ、黙々と新速攻用のトス練習をしていた。あれは気にしてないとかメールを信じていないからとか以前に、その存在を知らなかっただけだったらしい。
(なんなのこいつ。ほんっと苛々する)
浮かべていた愛想笑いがヒクつく。それを自覚し、一度吐息して普段通りの無表情へと戻した。
「……脱線しましたけど、このメール変なところしかないでしょう」
「えーっと、どこが?」
川西もあまり頭は良くないのか。月島は、漏れそうになるため息をぐっとこらえた。
大丈夫、変人コンビの赤点回避対策に比べれば。あれ以上に教えることが苦になるようなことはない。あれ以上はない。そう思いたい。
「野次馬が送ったと仮定します。その誰かが、僕ら全員のメアドを知っていることに関しては、置いておくとして。なぜ日向と被害者の名前や学校名、クラス、所属してる部活まで知っているんでしょう」
「偶然にしては出来すぎてるね。ジャージに部活名は入ってるけど、真夏に着ないし」
「そう。それに、凶器がバタフライナイフと断定しているのも変でしょう。野次馬の距離から見て、明確に分かるものですか? しかも、暗がりの中で」
「刃物ってのは分かるかもしれないけど、明確には分からないよな」
縁下、菅原がフォローするかのように言葉を続けた。そこまで言われてようやく、川西も納得したといったような顔でメールに視線を戻す。
「写真もですよ。日向が写ってる2枚は、野次馬位置からのものでしょうけど、他の2枚はどう見てもおかしい」
「どこがおかしいんだよ」
理解していない人が部内にもいた。揃って首をかしげたのは田中と西谷、そして影山のバカトリオ。普段はここに日向が加わってカルテットになるわけだが。黙っててくれないかな。
「えっとな、山口、悪いんだけどちょっとそこに横たわってくれない?」
「あ、はい」
菅原に促されるまま、体育館の床に横たわった山口に、携帯カメラを向ける。そのままの姿勢で前後左右に数歩ずつ歩みを進め、「ここだ」そう呟いて写真を一枚撮った。菅原が立ったのは、うつ伏せで横たわる山口の左手側、足先があるくらいの位置だった。
「ありがとな山口。見ての通り、この写真と同じ構図で撮ろうと思ったら、さっきの俺と山口の距離感じゃないと撮れないんだよ。それにこれ、多分写真撮ってる奴の影だろ?」
「つまり野次馬の距離から撮ったんじゃ、どうしたってこの写真は撮れないわけ」
「なるほど! でもそうなると、やっぱおかしいよな」
ようやく理解したといった様子の西谷が、違和感の一つに気づいたらしい。血まみれで倒れる被害者の写真をじっとみて、やっぱり変だと声を上げる。
「翔陽が、あんな至近距離で怪我してる奴を撮ろうとしてるの見て、黙ってるわけねえ!」
「相手がどんな悪人面でも大柄な男だったとしても、食ってかかるだろうな」
小心者なのに変な度胸あるもんなーなんて笑う。
日向は小心者だ。初めての練習試合に緊張して吐いたり、トイレにこもったりするくらいにはストレスに弱い。怖がりで、すぐにびくつく。しかし、おっかなびっくりしながらも相手に向かっていく度胸がある。あの裏表のない真っ直ぐすぎる性格では、こんな常識離れの行動を起こそうとする人間を黙って見ているだけなんてこと出来るはずがない。ありえない。
「じゃあこの写真は、日向が見てない時に撮られたってこと、だよな? メールには日向が刺したって書いてあるのに」
「そもそもその場にいなかった、っていう可能性もゼロじゃないぞ」
「そっか。しかし、そうなるとますます変だな。この写真撮ったやつは通報しなかったんだろ?」
「そもそも、死にかけてる人間を写真に撮るってどういう神経してんだよ。胸糞わりい」
「第一、野次馬って救急隊や警察がいるから集まるんでしょ? そんな状況で被害者に近寄れるか?」
バレー部員が次々と疑問点を投げかける。それくらい、このメールは変なのだ。なにもかもが。
これだけ矛盾点が存在する以上、野次馬が送ったのでは、という仮定は成り立たないだろう。
野次馬が、たまたま日向と被害者の名前や学校名を知っていて、たまたま遠距離からでも凶器を判別出来る目と知識を持っていて、たまたま近くで写真を撮れ、たまたま月島たちのアドレスを知っていてメールを送った。そんなことあり得るはずがない。
「このメールを送ったのは、倒れている被害者に近寄れた人間……ってこと。そしてそんなことが出来るのは、通報した日向か、日向より先に被害者を見つけた誰かか」
「真犯人か……か?」
「可能性の一つですけどね」
「そうなると日向の奴、真犯人に罪を擦り付けられてるって、ことになんじゃ」
「なるほど……このメール送っていただいてもいいですか」
先程より真剣な面持ちになった川西にそう問われ、了承した。このメールを受け取った人が他にもいるかもしれないのだから、その辺りもあわせて調べてもらえれば良いだろう。
連絡先を聞いたあと、ようやく二人が体育館を出ていった。そういえば今更だけど、一介の高校生の話をよく聞いたなあの人。
「日向、今頃何してるんだろうな……」