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 ――2日目 12:11

 車で移動して数十分。到着したのは、仙台市内にある総合病院だった。なんでも日向だけでなく、被害者の六宮もこの病人に運ばれているらしい。彼の命を繋いだのは、現場と病院が近く、早い処置が出来たかららしいと、日向の母が車中で菅原たちに教えた。
 エレベーターを使って数階上がる。この病院の独特な匂いと雰囲気には、どうも慣れない。しんと静まり返っている、というわけではなく適度に会話も聞こえるし、テレビの音も聞こえてくる。でもこの空間に立ち込める空気は少しだけ重たくて、言葉を発するのが難しい。
 病院についた頃には喋っていたのに、病室が近づくたびに言葉数が減っていった。
「ここです」
 いつの間にか、日向がいるという病室の前についていた。心臓がいやに早い。
 ドアをノックしてから、扉を開ける。
 小さな病室だった。大きめの窓から入ってくる風でカーテンが揺れ、光が降り注ぐ。中にはベッドが一台と、そばには棚。その上にテレビが乗せられている以外、備え付けられたものはなかった。
「兄ちゃん!」
 夏がベッドに向かって走っていく。それに気づいた日向は両手を広げて、彼女が乗り上げてくるままに抱きしめた。いつもどおりの笑顔を浮かべていることにほっと一息付いたものの、安堵は出来なかった。
 額にガーゼをあて、それを抑えるように巻かれた包帯がオレンジの髪に混ざって、異様な存在感を放つ。顔には数箇所テープが貼られ、夏を抱きしめている腕にも何箇所か包帯が巻かれている。布団を半分かけているので、足がどうなっているかは分からないが、それでも十分酷い怪我をしているように見えた。
 本当に田中や西谷、影山がいなくてよかったと菅原は心中で零す。もしいたら今頃、病院中に響き渡るほどの大声で日向の名前を連呼した挙句、家族の前でボゲだのなんだのと怒鳴る同級生を見せる羽目になっていた。本当によかった連れてこなくて。
「日向」
 扉のそばに立ったまま、声をかけたのは山口だ。声に促されるままに視線をこちらに向けた日向が、その体勢のまま固まった。それからあわあわとベッドの上で動き出し、床に顔から落ちそうになる。
(そそっかしいんだからもう!)
 病院で怪我なんてしたら笑いものにもならない。小さく吐息した。
「な、ななななんで!」
「ちょっと、落ち着きなよ。顔面打ち付けるのなんて、レシーブミスした時だけで十分デショ」
「なんか、見た目より元気そう……?」
 心底呆れましたというような顔で、ため息混じりにそう告げた。心配している様子が一切感じられない言い方だが、これでも月島も日向が入院したと聞いたときは動揺していたのだ。それを表に出さないように、いつものような嫌味を口にしただけで。
 弄れてはいるが、この後輩は案外わかりやすい。
 山口が言うように、見た目ほど酷い怪我ではないのか、痛がる様子はない。それどころか動転した勢いのままにベッドの上に立ち上がっている。一見元気そうだが、裾から伸びる足にも包帯が巻かれていることに気付き、顔を歪めた。
 ひとまずは、動転している彼をまずは座らせようと試みる。
「とりあえず落ち着けー。立ちっぱは危ないぞ」
「はい! 座りますう!」
「だから落ち着きなよ。いつもよりうるさいってどういうことなの」
「なんだと月島コラァ!」
「あーもー! とにかく座って! ツッキーだって心配してたんだから!」
「黙れ山口」
「ごめんツッキー!」
 山口に促されてようやくベッドに腰掛けた。
 菅原たちのやりとりをベッドに上がって見ていた夏はぽかんとした顔で、日向とこちらを交互に見ている。いくら元気のいい日向でも、家では大声で怒鳴ったりするようなことがそうそうないのだろう。ちらっと視線を横にずらすと、日向の母もぽかんとした顔でこちらのやり取りを見つめていた。さすがに印象が悪いかと心配していたら、
「すごい! 兄ちゃんが言ったとおりだ!」
「ちょっ、夏!」
「……ねえ日向、君、家で僕らのことなんて話してるわけ?」
 部活の様子をありのままに話しているんだろうことは分かった。印象なんて気にしなくていいくらいには、そのまま素直に話しているんだろう。
 武田が苦笑して見守る中、月島の迫力に押され、日向が冷や汗を流しながら視線を彷徨わせる。仕方がないので話をそらしてやろう、というか本題に戻そう。
「なあ日向、結構酷い怪我に見えるんだけど、痛くなはいのか?」
「はい! 大げさに包帯とか巻かれてるだけで。ちょっとだけ痛いですけど、すぐ治ります!」
 目を逸らさず真剣な顔で見つめてくる様子から、嘘は付いていないと判断出来た。本人の口から聞いてようやく安心する。深夜からずっと溜めていた不安な気持ちが全部体から抜けていったかのような安堵感だった。
「そういえば、なんで来てくれたんですか?」
「君が連絡もなしに部活サボるからでしょ。みんな電話したりメールしたりしてたよ」
 そこまでいうと、さっと顔を青ざめさせた。それからベッドの上でそれはそれはもう見事な、武田並みに綺麗な土下座を披露してみせる。慌てて頭を上げるよういうと、涙目ですみませんでしたと何度も繰り返し謝罪していた。
「違うんです部活忘れてたわけじゃなくて、なんかいろいろこう、パンクして!」
「大丈夫だから! 事情はみんな知ってるから! 傷に障るからやめなさいってば!」
「病室って携帯使えないんでしょ? なら気付かなくてもおかしくないし」
 山口がそう続けると、なぜか日向が妙な顔で固まる。携帯、という単語を初めて聞いたかのような素振りを見せ、それからはっとしたような顔で部屋の中を見回し始めた。
(あれ、なんか今朝、既に一回こんな流れを見た気がするけど……)
「あら翔陽、この病室携帯使えるわよ?」
「……まさか君まで王様と一緒で、今日一度も携帯見てないなんて言わないよね」
「…………見テナイデス」
 沈黙。
 油の切れたブリキのおもちゃみたいなぎこちなさで、目の前に立つ月島を見上げる顔は可哀想なほど真っ青になっていた。
 しばらく無言で見つめ合ったかと思えば、盛大なため息をついて月島が嗤う。
「ほんっとさ、そんなところでコンビネーション見せる必要ないでしょ、変人コンビ」
「わわ、悪かったな! ちょ、俺の荷物どこにあんの?」
「持ってきてあげるから、大人しくしてなさいって!」
 入口から見ただけではわからなかったが、部屋の奥に小さめのクローゼットがあった。そこを開けると、昨日日向が持っていた荷物が全て入れられている。その一式をそのまま、日向の手元に持ってくるとすぐ鞄の中を漁り始める。バレーシューズにタオル、サポーター、財布……。
「あった! 携帯! ……電池切れてるけど」
「あ、充電コード持ってきたよ兄ちゃん!」
 肩から下げていた小さめのポーチから黒いコードが覗く。
(もしかして、夏ちゃんの方が日向よりしっかりしていたりするのかな)
 妹に礼を言い、すぐさまコードを携帯に接続し充電し始める。充電されるのを待つ時間も惜しいらしい、コードにつなぎっぱなしで携帯をいじり始めた。本当なら電池の寿命を縮めてしまうので推奨されない使用法だが、致し方ない。
 ちらっと見えた液晶画面には、不在着信21件、メール62件と表示されていた。日向自身も予想していない数だったらしい、小さくなんだこれと呟く。
 日向は元々友人が多いし、メールも電話ももらう機会は多いんだろう。しかし、今日に限っては、あのメールを貰った誰かが心配して連絡しようとしたのだろうと考えられた。
 その一連の流れを見ていた山口が弱々しく、日向の名前を呼んだ。
「それ、もしかして、血?」
 見ると、たしかに携帯に何箇所か赤黒い跡がついていた。日向も気づいていなかったようだが、指摘されてもそこまで驚いていなかった。それどころか、ああ、なんてこぼして納得している。
「俺の血じゃないよ、これ」
「……被害者の、か?」
「え、なんで……」
「事情は知ってる、って言ったろ?」
 菅原は自分の携帯を取り出し、件のメールを日向に見せた。もしかしたら日向に届いた大量のメールの中にも、これと同じものが紛れているかもしれない。
 それを見て、息を呑む。それから勢いよく顔を上げ、
「俺は、やってません!」
「うん、知ってる。わかってる」
 笑いかけると、泣きそうな顔で笑いかえした。その表情が、先程の夏とかぶって見える。
 警察が言うことは確かに最もだ。凶器に日向の指紋しか残っていないなら、疑うのは当たり前。それはわかる。菅原たちは、日向翔陽がどういう人間かを知っているから信じられるだけだ。
 しかし、その他大勢にとっては、そうではない。日向を知らない人間にとったら、数の力こそが物を言う。そしてそれを利用しようとしてるのが、このメールなのだと、菅原には思えた。
 日向を知っているか知らないかなんてどうでもいい。事件を起こしたのがこいつだ、と告げることでその他大勢は鵜呑みにする。加害者や被害者の関係性や人間性、そこに至る経緯なんてどうでもいい。
 メールの送り主は、そういう無意識を利用しようとしているのだろう。
「日向君、僕たちは昨日の君に一体何があったのか、それを直接聞くために来たんです」
 武田先生が促すと、なぜか日向は視線を彷徨わせ、俯いた。
「俺も、何があったのかよくわかってなくて。六宮さんって人は、なんか知らない人に襲われて……えっと、刺されちゃったから、救急車呼んでそれで……」
 いつもより声が小さく、目が合わない。言葉を探るように話す姿は、どうみてもいつもの日向ではなかった。
(多分、嘘だ)
 本当のことも混ざっているかもしれないが、全体を通したら嘘を付こうとしているように感じられた。真っ直ぐすぎる彼は、思ったことをそのまま相手に伝えることは得意だが、反対に嘘をつくことは苦手だ。本人としては精一杯頑張ろうとしているのもわかるのだが、挙動不審すぎる。
 苦手な嘘をつこうとする理由。起こったことをそのまま伝えられない理由なんて。
「ねえ日向。君さ、自分が嘘苦手って自覚してないの?」
「う、嘘なんていってないし!」
「へえ? 嘘じゃないって言うなら、君の怪我はどう説明するの? 階段から落ちたとでも言う?」
 月島にそう指摘されると、ぐっと押し黙る。沈黙こそが肯定なのだが、それでも日向は言葉を続けようとする。それを菅原が優しく制した。
「なあ日向。俺たちはさ、お前が事件を起こすわけない。そんなこと出来るはずないって思ってる」
「……」
「俺も、日向のことは信じてるよ。そんな日向が嘘をつこうとしたってことは、その必要があるからだって、思う。けど、ちゃんと話さないと」
 山口が静かに諭すと、ぎゅっと唇を噛み締めた。
 自分はやっていないと主張する一方で、本当のことを話すのに躊躇っている。その理由なんて、誰かを庇おうとしているとか、脅されているとか、それくらいしか思いつかない。
 もう一度ダメ押しで、日向の名前を呼ぶと、「すみません……」と小さく謝罪した。
「よく分からない、っていうのは、本当で。知らない人に襲われたっていうのも、本当なんだけど……あの人は、六宮さんは、そこまで悪い人じゃないと、思うから……」
「日向がかばいたかったのは、六宮さんなのか?」
「……はい。俺のこと助けてくれようと、したのに、俺は、助けられなくて……!」
 包帯が巻かれた両手を震わせ、布団を握り締め嗚咽をこらえようとする。その姿からは、悔しさとか悲しさとか、いろんな負の感情が渦巻いていることが伝わってきた。日向の隣に座っていた夏が、震える手を優しく両手で包む。
「ゆっくりでいいから。何があったのか、教えてくれないか?」
 そう問いかけると、今度は涙をこらえつつも顔を上げ、まっすぐこちらを見る。まだ迷いはあるのだろうが、首を縦に振り肯定の意を表した。
「信じられないかもしれないんですけど……俺、昨日誘拐されたんです」