◇ 7 ◇
――1日目 19:33
朝早くから始まった練習がようやく終わり、体育館をあとにしたのは19時をとうに過ぎた頃だった。
湿気を含んだ夏の夜風を受けながら、数人で連れ立って歩く。今日の練習の反省だったり、明日への意気込みだったり、先に待ち受けている大会の話や、夏休みの課題の話など。あらゆる話をしながらゆっくり坂を下る。
そうして烏養が働く坂ノ下商店の前を通り過ぎたあたりで、小さなうめき声がした。
「日向どうしたの?」
「……パンクしてる」
ハンドルを持って押していたためすぐには気付かなかったが、よく見ると日向の自転車前輪の空気が抜けていた。家と学校とを繋ぐ生命線が途切れたことに少なからずショックを受け、その場にしゃがみ込む。
烏野高校のそばには商店街があるが、今の時間営業している店は多くない。自転車販売店は19時には閉店していたはずだ。かといって、簡易修理キットのようなものを準備しているはずもなく、日向は途方にくれた。
「仕方ないな。コーチに頼んで店に自転車置かせてもらって、今日はバスで帰れ」
「ううー……はい。明日は影山に負けるの決まった……」
「そっちの心配か」
主将命令とあっては断ることが出来ないので、渋々日向は烏養に頼み、自転車を止めさせてもらう。明日の練習の休憩時間に体育館を抜け出して、自転車を直しに行こうと決意した。
(バス……バスか……やだなあ)
日向にはひとつだけ気がかりがあった。
暗闇だ。暗闇が怖いのだ。
普段光もまともに届かない山道を通ってはいるが、自転車のスピード感と練習後の高揚感のまま走れるのでそこまで気にならない。今もバレー部のメンバーと歩いているから、多少暗くても何も怖いことはない。
だがこのあと、日向はたった一人でバス停に立たないといけないのだ。あまり街灯も多い場所ではなく、利用者も多くはないであろうこの時間に、たった一人で。それが、非常に怖い。
怖いことがあるときは、楽しいことを考えて気を紛らわせるべきだと分かっている。だというのに、なぜかこういう時に限って昔見た心霊番組を思い出してしまうのだ。
加えて今は夏だ。夏といえば心霊。怖い話。肝試し。暗い山道で一人バスを待っていたはずなのに、気づいたら隣に血色の悪い女が立っていて……というような、よくある話を想像して身震いした。
「日向? 大丈夫か?」
ひょいと背を曲げて顔を覗き込ん出来たのは、菅原だ。人を見る観察眼に優れている彼は、小さな後輩のわずかな変化も目ざとく気づく。正式に入部する前から何かと面倒を見ていたから、というのも理由の一つだろう。
「もしかして、暗いの怖い? なんなら、バス来るまで一緒にいるか?」
「いえっ! だ、だいじょぶです! 全然、怖くないです全然!」
両手を振って必死に訴えると、菅原は苦笑しながら日向の頭を撫でた。次いで前方を歩いていた西谷が振り返り、笑いかける。
「なんだ翔陽! ビビってんのか?」
「び、びびってなんかないですよ! 幽霊こわいとか思ってな……あ」
言うつもりがなかったのだが、つい口をついて出てしまった本音に思わず固まる。ちらっと視線を動かした先にいた月島が、日向の幽霊発言を聞いて小さく吹き出していた。
「あー幽霊か。確かに夏だし山だし、出そうだよなぁ。分かる分かる」
「こらヒゲチョコ、不安煽るなよ」
「そうだ! 旭直伝の、試合前の緊張をほぐす最強に怖かったことを思い出すとかどうだ?」
言われるがままに思い返す。
あの初めての練習試合、影山の元チームメイトである金田一から聞かされた“コート上の王様”の話。そのせいで元々高まっていた緊張が限界点を突破し、試合でミスしまくった挙句の影山への後頭部サーブ。そのあとの、影山の顔……。
「……やっぱ幽霊よりよっぽど怖い」
「おー効果は抜群だ! この先の道だよな。気ぃつけて帰れよー」
「はい! おつかれっした!」
坂を下りた先の分かれ道。日向は一人でそのうちの一本に歩を進めた。後ろを振り返ると、まだ日向を見送ってくれている仲間の姿が見えたので、両手を大きく振りまわす。それに気づいた何人かが、同じように手を振り返してくれたのを見てから、日向は街灯の少ない暗がりの道を走り出した。
空には満月が浮かび、夜道を照らしている。日向が歩く道は本当に街灯が少なく、家や店も少ないので明かりがほとんどない。これで新月や、曇空だったらどれだけ暗くなってしまうのか。不幸中の幸いだ。
ぼんやりとした明かりの下、目的のバス停が見えてきた。時刻表を見ると、次のバスは19時54分。それを逃したら、21時すぎまで一本も来ない。
「よかったー! もうすぐバス来るじゃん!」
自転車がパンクしたことで落ちていた気持ちが少し浮上する。今から来るバスに乗れば、21時までには家に着けるだろう。先程から必死に腹の虫が空腹を訴えていたが、あと少しで家に着く。そうすれば待ちに待った晩ご飯だ。
(静かだ……)
ずっと体育館の中で様々な音を聞いているせいか、静かなこの空間は落ち着くと思う反面、少しの恐怖感と居心地の悪さを感じた。
待っているだけなのは暇なので、周囲を軽く見渡したが、特に面白いものはなさそうだった。せいぜい、バス停の反対側に黒っぽいワゴン車が1台停まっていたくらいだ。こうも暇なら、ボールを持ってくるんだった。そうすれば、一人レシーブでも出来たかもしれないのに。
(早くバス来ないかな……お腹すいた)
携帯の時計には19時43分と表示されている。あと少しだ、と思っていると、少し離れたところからじゃり、と音がした。小石をアスファルトに踏みつけた時の音に似ている。
音がした方向に視線を向けると、一人分の人影があった。先程まで自分ひとりだけだったので、全く知らない他人とはいえ誰かが来たことに少しだけ安堵した。
(足があるから幽霊じゃないし!)
日向の視線の先にいたのは、黒っぽい服を着た人だった。髪が長いので女の人だろうということは分かったが、なぜかその人はウサギのお面を被っており、顔が全く見えない。
(この辺で祭りとか、今日やってたっけ?)
お面と言えば祭りだろうと思いこんでいる日向は、烏野周辺のイベントを思い起こしながら首を傾げた。縁日は7月中に終わっていたと思うし、8月のイベントと言えば、仙台での七夕祭りくらいしか思いつかない。七夕祭りはあと数日先のはずだ。
ウサギ面の女は、日向の方へとゆっくりゆっくり近づき、かと思ったら、10メートルほど距離をあけ立ち止った。大股で歩けば、10歩くらいでつく距離。
(バスに乗るんじゃないのか?)
バスに乗るのかと思っていたのにバス停手前で足を止め、じっと日向の方に顔を向ける不思議な存在。その場でただじっと立ちつくている。さすがに、違和感を覚えた。
こんな暑い中、黒っぽい長袖長ズボンを着て、お面をかぶっている人を気にしないはずがない。なので、不躾ではあるがつい視線をそらすことも忘れて、ウサギ面をじっと見つめていた。その時だ。
ウサギ面がいる方向とは反対側から、複数の足音がし始めた。ざり、ざり、と地面を踏みしめる音。それは最初、一定の間隔でなっていたのだが、バス停に近付くにつれ徐々に加速し、最後にはバラバラと走り出した。
複数人が突然走りだしたことで、ウサギ面に向けていた意識がそちらに流れる。日向の視線がウサギ面から音の発信源へ向き、その姿を確認しようとすると同時に、日向の目の前を白く揺れ動くものがかすめた。それは唐突に表れ、あれよあれよと言う間に日向の視界を塞ぐ。塞がれる直前の、ほんの一瞬に見えたのは、鳥のような形をしたお面だった。
「なに、んっ!」
視界を塞がれるとほぼ同時に、口にも白い布が回される。驚きに声を発しようと開いた口に布をかませ後頭部でぎゅっときつく結ばれる。猿ぐつわだ。
(なんだよ、これ!)
混乱する中、日向はとにかく逃げようと暴れ始める。目と口は塞がれてしまったが、手足はまだ自由だ。散々に暴れれば、日向の背後で目隠しをした何者かに一発くらいはあてて逃げられるのではと思考したが、その発想は早々に打ち砕かれた。
振り上げた腕を何者かが強くつかみ、目や口と同様に柔らかい布状のもので縛りあげられてしまった。いよいよ日向の武器は足のみ。しかしそれでも諦めず、背後に立つ何者かの足の甲でも踏みつけてやれないかと右足を軽く宙に浮かせた。そこで、日向は浮遊感を覚える。
(持ち上げられた……!)
あまり背が高くなく、体重も軽めの日向は簡単に抱え上げられ、そのままの状態で運ばれる。日向を取り囲むようにして複数人が小さく会話していたが、混乱している日向にはその内容がまったく届いていなかった。
がらっ、と何かがスライドしたような音が耳に届く。そういえば、バス停の反対側に黒っぽいワゴン車が停まっていたことを思い出した。ワゴン車の扉は大抵、スライド式ではなかっただろうか。
(車に乗せられるのかっ?)
誘拐だか拉致だかは分からないが、車に乗せられてしまったらどこに連れて行かれるか。最悪、海に捨てられるような事態に巻き込まれでもしたら!
猿ぐつわのせいで喋ることは出来なくても、声を出すことだけは出来る。日向は、ギリギリまで助けを呼ぼうとあがいたが、もともと人通りの少ない道では無意味だった。その声は誰にも届くことなく、宙に霧散する。
車に放り投げられるようにして入れられると、すぐさまエンジンがかかる。複数人が同じ車に乗り込む音がし、そのうちの一人が日向と同じ席に座った。その何者かは、扉を閉めるとすぐ日向の足も布状のもので縛りつけ、暴れられないように押さえこむ。
「じっとしてろよガキンチョ。すーぐ着くからな」
(どこにだよ!)
どこかからか聞こえた男の声に反論するも、音は意味を持たない呻きとなって消え去った。
あまり止まることもなくスムーズに走る車の中は、妙な静けさに包まれている。ラジオが控えめに流されている以外、殆ど誰も何も話さなかった。車のエンジン音と、走行音が響く。
その状態のまま、どれくらいの時間がたっただろうか。
先ほどまで走っていた平坦な道が終わったのか、急にガタガタとした振動が伝わり始める。アスファルトで覆われた道路から、砂利道にでも乗ったのだろう。暫くガタガタと車体を揺らしながら進んでいた車が、止まった。カーラジオからは、交通情報を読み上げる優しい女性の声が流れていた。
「よーし。おろすぞ」
先ほどの男の声がしたかと思えば、急に車の扉が開かれた。横倒しにされていた日向は、乗せられたときと同じように抱え上げられ、そのままどこかへと進んでいく。
しばらく進んだ頃、外の熱気とは別の生ぬるい空気に包まれた。それを感じ取ったと同時に、日向は地面に転がされた。幸い頭は打ちつけなかったものの、左肩と太ももに少しばかりの衝撃と痛みを感じる。
「さてと、悪いねこんな手荒なまねして。おわびに、口塞いでる布だけはとってあげるよ」
そういうと誰かが日向に近寄り、猿ぐつわをはぎとった。久しぶりにまともに呼吸が出来た気がして、日向はそのまま数回深呼吸を繰り返す。そうして大きく息を吸い込み、力の限り叫んだ。
「悪いと思うなら最初からこんなことすんじゃねーよ!」
「あはは、確かにそうだ! でもねー、俺たちにも事情ってもんがあんのよ」
目隠しされている為、日向には男の表情は全く見えない。声は、まるで友達と話しているような軽やかさだった。話している男はきっと楽しげに笑っているんだろうと日向は思う。だが突如、その軽やかさがなりを潜め、何の感情も載っていない平坦な声へと変わった。
「ねー日向君。俺たちはこれから、お前を死なない程度にぼこぼこにしなきゃいけないんだよね。痛いだろうけど、ちょっとだけ我慢してくれる?」
「……は?」
「手足折らないように、とか注文が多くてさ。ていうか、殺さないようにっていうのが一番難しいんだけどね?」
そう言い切ると同時に、日向は腹部に強い痛みを感じた。あまりにも突然のことに頭がついていかなかったが、一拍後には蹴られたのだろうと予想がついた。腹部を襲った圧迫感、衝撃のせいで激しくせき込む。しかし続けざまに同じ箇所を痛みが襲い、一瞬息がとまった。
「なーあー、俺だけにやらせるつもりなのー? 運命共同体でしょ、俺たちは」
呼応するかのように、複数人が日向に近寄る。目を塞がれている為に、何人いて、どこに誰が立っていて、これからどうなるのか全く予想がつかない。頭の中が恐怖で支配される。
最初は腹部。次も同じ箇所。次は臀部で、その次は背中だった。
あらゆる個所をけられ、殴られる。蹴りが中心なのか、回数こそ少ないが、一発一発が重たい。
(クッソ、痛ぇ)
殴り合いの喧嘩なら割と最近、影山とやりあったが、こんな一方的な暴力を受けるのは初めてだった。
死なない程度にというのはどの程度なのか。手足は折らないというけど本当だろうか。もし折られてしまったら、バレーが出来なくなってしまう。一体いつまで続くのか。どうやってここから逃げようか。逃げられるのか。
立て続けに浴びせられる暴力で、元々良いとは言い切れない思考力がさらに鈍る。犯人たちの声も聞こえているのかいないのか、その判断すら危うい。
だからこそ、飛び込んできた弱々しい声は幻聴かと思った。
「もう、やめましょうよ……!」
弱くも悲痛なまでの叫びに、日向を傷つける足が止まる。声が震えている。少し遠いところから聞こえてきたので、言葉を発した誰かは恐らく、日向に暴力をふるっていなかったのだろう。
「やめるっていったってね、やらなきゃ俺たちの人生が終わるんだぜ? 分かってるだろ」
「でも、俺はもう、そっち側に立ちたくない……!」
場を支配する空気が変わった気がした。その悲痛な声を上げた男に、周りの意識が集中する。
「つーまーりー……君は、俺たちを裏切るってこと?」
『困りましたねぇ』
突如、歪な声が混ざる。機械で無理やり変えていると一発で分かる声がすると同時に、日向以外の人間全員が息をのんだ。
『ほんの少しだけ、日向君を大人しくさせたいだけなんですけど……嫌なんですか? 貴方』
「……嫌です、もう、俺は秘密をばらされても、それでもやりたくない!」
『そうですか。なら……ああ、こうしましょう』
機械越しの声はまるで名案を思い付いたときのような明るい声色で、続けた。
『六宮さん。貴方、死んでください』
「……は?」
日向は自分の耳を疑った。死んでくださいと、確かに聞こえた。だが、その言葉はあんな明るい口調で言えるものだっただろうか。
『貴方が死ねば、他の方々の秘密は守られます。そしてその罪を、日向君になすりつけてしまえばいい』
機械越しの声が何を考えているのか全く分からないが、嘘や冗談でそんなことを言っている訳ではないだろう。
この声の主は、本気で、日向を庇った男――六宮を殺そうとしている。
「なに、っ、なにいってんだ! ふざけんな、そんなことっ」
腹部や胸部、背中を強く蹴られたせいで呼吸が上手く出来ない中、日向が叫んだ。横倒しにされた状態から、腹筋の力だけで上体を起こそうと試みる。しかし、誰かに肩を踏みつけられたせいでかなわず終わった。
六宮がいる方向から、質量のあるものが地面に落ちる音がした。続いて、呻き声が聞こえ始める。目には見えなくても、先ほどまでの日向と同じ状態にされているのだろうことはすぐに分かった。
「やめろ! やめろってば!」
手足をばたつかせ、どうにか縛っている物をほどこうと苦闘するも、全くほころぶ様子がない。地面にこすりつけてみるが、手に痛みが走っただけで切れる様子もなかった。
何度もせき込みながら日向は叫ぶも、暴行の手は止まらない。日向自身、暴れたことで再び背中に蹴りを入れられてしまった。
機械越しの声はひたすら淡々と話す。
『最初に言ったでしょう? 秘密と引き換えだって。それで駄目なら命も取引しましょうって』
「……」
『戯言じゃないということは、嫌というほど分からせてあげたでしょう?』
六宮はうめく以外何も話さない。他の誰も口を開かない。今喋っているのは機械越しの声だけだ。
淡々とした語り口に、寒気がしてくる。日向には、彼らが何の話をしているのか全く理解出来なかったが、この声の主に逆らえない雰囲気だけは感じ取ることが出来た。
『こちらの言うとおりにしてくれれば、まだ長い人生を過ごせたでしょうに……残念です。狐さん』
「っはい」
『狐さん』との呼び掛けにこたえたのは、女性だった。心なしか声が震えている。
『テーブルの上に、小さな木箱があるでしょう? その中に入っているものを、二人に飲ませてあげて下さい』
指示に従って、何かを探し始めたらしい。
二人に飲ませて、というところの二人とは、日向と六宮のことだろう。
先ほどこの声の主は、六宮に死んでくれと言っていた。加えて、殺人の罪を日向になすりつけるとも言っていた。
「何飲ませる気だ!」
『安心してください、命を奪うような危ないものじゃないですから』
「ほらっ吐き出すんじゃねえぞ」
誰かに無理やり首を上に向かされたので、慌てて口をぎゅっと閉じる。ここで口を開いたら、何かを飲まされることになると思い必死に抵抗した。
「往生際悪いな!」
苛立ったような女の声の直後、鼻をつままれる。口を閉じ、鼻を塞がれたら息が出来なくなる。
(くそっ……!)
どう足掻いたところで息苦しさにかなうはずはない。酸欠状態になると体が空気を求めて、日向の意思とは関係なく口を開いてしまった。
そのタイミングで何かが入れられる。しかし日向は最後まで抵抗した。
口の中に何かが入ったタイミングで、歯にわずかに当たった指に思いっきりかみついたのだ。痛みに驚いた女がわずかに悲鳴を上げ、
「いってーじゃねえかよクソガキ!」
オレンジ色の髪を乱暴に掴み、地面に頭を叩きつけた。流石に頭を打ち付けたせいで目が回っているような気がする。
再び髪をつかみ上げられ、もう一度口に何かを入れられ、水が注ぎ込まれた。飲み下すものかとわずかに抵抗するが、顔を上に向かされ鼻をつままれ、無理やりにでも喉が動くように強制される。
ごくっと、喉がなった。
口に入れられた何かを飲み下してしまった。
「けほっ……くそっ」
頭を強く打ったせいで脳が揺れているような感覚が続く。
『今飲ませたのは催眠剤ですよ。超短時間型のね。ちゃんと医療機関で処方されている安全なものですからご安心を』
「さいみ、ん……?」
『睡眠薬って言った方が分かりやすかったですか? 貴方縁遠そうですもんね、その手の薬とは。彼に飲ませたのも同じものです』
少しずつ気が遠くなってきているのは、頭を強打したからなのか薬のせいなのかは日向には分からない。ただ、このまま眠ってしまったら恐ろしいことが起こるのだという事だけは分かっていたので、必死に抗った。上体を起こし、少しでも眠気を追い払おうとする。
『ただでさえ一日動きっぱなしで眠いでしょうに。頑張りますね? そのまま眠ってしまいなさい。再び起きた時、貴方は殺人犯の仲間入りをしているかもしれませんが……』
うまく力が入らない体に苛立ちながら、意識が飛ぶ寸前まで拘束から逃れようと必死に足掻いた。しかし無情にも、不愉快な機械越しの声を聞きながら、日向の記憶はそこで途切れた。