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 ――2日目 14:06

 床に叩きつけられたボールが顔のすぐ横を通り、壁にあたって転がる。それを最近入部したばかりの新人マネージャーが回収し、おっかなびっくりしながらも小走りでカゴの中へと戻しに行く。
 得点板のそばでは清水がスポーツドリンクを補充し、タオルの交換に走る。度々響く轟音に眉一つ動かさず、淡々と仕事をこなす姿はさすがとしか言い様がない。いずれ新人マネージャー、谷地仁花もああなってくれるだろう。
 コートでは西谷がトスの練習に精を出していた。青葉城西チームのリベロからヒントを得て、西谷もトスをあげられるように練習し始めてからそれなりの時間は経つ。
 今までリベロとしてレシーブ一本で勝負してきた彼にとっては、ほとんど初めての挑戦だ。影山のような正確なトスを、とまではいかないだろうが、彼ならどうにかするだろう。
「影山ー、こういうときどうすりゃ上手く上がんだ?」
「そういうときは、スッといってこうグワッとやる感じです」
「おー分かった! サンキュー!」
(なんでその説明でわかったんだ西谷)
 セッターとして天才的な才能を持つ影山と、リベロとして天才的な才能を持つ西谷。この天才コンビの会話は、傍で聞いていると何を言っているのかさっぱりわからない時が多い。小難しい単語は一切なく、ひたすら擬音での説明。それで互いは理解しているというのだから恐ろしい。感覚だけで動いている天才と凡人の差か。
 西谷のすぐ隣では影山がひたすらトスを繰り返し、澤村、東峰、縁下、田中がスパイク練習を続ける。その反対側では、成田と木下が飛んで来たスパイクを使ってのブロックの練習をしていた。東峰レベルのスパイカーをブロックで止めることが出来れば相当強力な武器になるだろう。
 練習風景を眺めながら、烏養は大きなため息をついた。
 菅原、月島、山口の三人が抜けてから既に3時間以上が経っていた。
 顧問である武田が車を出し、日向の家に向かったはずなのだが、なかなか帰ってこない。体育館でひたすら練習に打ち込むメンバーも、集中してはいるのだがどこか落ち着かない様子だった。
 今日は朝から何かと忙しなかった。普段なら、影山と日向の体育館一番乗りをかけた全力ダッシュから始まり、烏養が決めたメニューをこなしながら遅くまで練習する。しかし今日はそうではなかった。
 まず烏養が体育館についたとき、日向がいなかった。元々メンバーが多いわけではないし、それを除いても日向は目立つのでいるかいないかはすぐに気づく。常に動いているか喋っている小さな1年生。まだまだ素人同然の下手糞だというのに、ひとたびコートに立つとその存在感で敵も味方も引き付ける、小さな獣。烏野バレー部が誇る、最強の囮。
 そんな彼がいなかった。そうして少しした頃、まさかの警察の登場。先日事件が起こり、その重要人物として日向を捜査しているようなことを言ったときは、心臓が止まるかと思った。
 心配した菅原を筆頭に、代表を選出して日向宅に向かってもらったわけだが。
(遅ぇ……)
 烏養の予想では、長くても昼休憩までには戻ってくるだろうと思っていたのだが、休憩が終わって1時間近く経つ今もまだ帰ってこない。武田がついているから大丈夫だと思うものの、やはり気になる。
(連絡してみるか……)
 携帯を片手に連絡先を探し出し、通話ボタンに指をかけた。
「ただいまー!」
 通話ボタンにかけていた指をギリギリのところで横にずらし、電源ボタンを一回押す。通話キャンセル成功。
「タケちゃん!」
「スガ!」
「月島!」
「山口!」
 誰が誰の名前を呼んだのかは分からないが、とにかく体育館に残っていたメンバーが全員声を揃えて誰かしらの名前を呼んでいた。入口に立つ月島が面倒くさそうな顔でそっぽを向く。
「おっせえよ! どこで油売ってた!」
「すみません、烏養君。ちょっといろいろありまして」
 頭に手をやり、苦笑しながらこちらに近寄る武田より先に、メンバーが彼ら4人に近寄って取り囲んだ。そうしてそれぞれが好き勝手に、4人に何かしらを訪ね始める。
「順番に聞けよ。流石に一度に聞けねえし答えらんねえだろ」
「そうだなーまずは部活戻んぞ。んで、報告はその後」
「いやいやいやいやスガさん! 今! 今教えてくださいよ!」
「部活終わりってあと何時間あるんすか! 気になって集中出来ないっすよ!」
 眉を下げて困ったように笑った菅原が、烏養に視線を向ける。どうすればいいのか訪ねたいようだったので、一つため息をついてから首を縦に振った。
 実際のところ、烏養自身もとても気にしていたのでちょうどいい。1時間も2時間もかかるような話ではないだろうし。
「んじゃー報告すっか。とりあえずお前らちょっと近いから、離れて」
 詰め寄りすぎて、菅原たちと居残り組は人一人分の隙間もないくらいの距離感だ。大人しく指示に従い前後左右に少しばかりの隙間をつくる。
 それなりに間隔が空いたことを確認してから、全員を床に座らせ、ようやく口を開く。
「えーっとな、まず結論から言うけど、日向入院してた」
「入院っ?」
 全員が声を揃える。まさか入院していたとは、誰もが思っていなかった。
「ひなた、日向のやつ、無事なんですか」
 流石に相棒のこととなると動揺が隠せないのか、震える声で影山が尋ねた。
 烏養は人づてに聞いただけなので詳しいことは知らないが、影山にとっての日向はいわばトラウマを脱するきっかけをくれた恩人のようなものらしい。相棒で、仲間で、生涯のライバル。そんな相手が入院していると聞かされて、冷静でいられるはずがない。
「大丈夫、って言っていいのかは分かんないけど。そこまで酷い怪我じゃないよ」
 それを聞いて全員が安堵のため息を漏らした。その様子を伺ってから、菅原が真面目な顔で続ける。
「ちょっと話は長くなるけど、みんなにも知っておいてもらったほうがいいと思うから」
 そう言って語りだした話は、耳を疑うようなものだった。

 謎の集団に誘拐され、暴行を受け、殺人未遂の罪をなすりつけられそうになっているなんて、誰が想像出来る。全員が真剣な面持ちで菅原の話に耳を傾け、歯噛みする。
 あの時こうしていたら、ああしていたら、なんていうことを考えているのだろうことは手に取るように分かった。だが、起こったことはもうやり直せない。取り消せない。後悔は先にはたってくれない。
「まあこういうわけで、入院してる。ちょっと遅くなったけど、報告終了」
「……そうか。ありがとな、3人とも。先生も、ありがとうございました」
 澤村が頭を下げると、全員がそれに習うようにして頭を下げ、礼を口にした。重たい空気を察してか、山口が少しばかり明るめの声で続けた。
「でも、日向明日退院するんですよ!」
「まじか山口! じゃあ明日迎えいかねえとな!」
「おう! 俺も行くぜ龍!」
 田中、西谷を筆頭に俺も俺もと手を挙げる。今朝も見た光景ではあったが、これあれか。最後の一人が手あげたらどうぞどうぞって譲るあの芸人のあれか。
「ったくめんどうくせえな! 全員で行っちまえ!」
「いいんですか烏養さん」
「迎えに行くだけならいいだろ。1、2時間抜けるくらい休憩時間って思えばなんてことないしな」
 そんかわり今日はみっちり練習するぞと言えば威勢の良すぎるほどの返事が返ってきた。戻ってきたばかりの3人もしっかりアップをとり始める。
「あ、あの! 先生!」
「どうしました?」
 夏の暑さに流れている汗なのか、緊張のためにかいている冷汗なのか。判別はつかなかったが、額に汗をにじませた谷地が、びしっと手を挙げる。
「今すぐでなくていいんですけど! 日向の自転車直しに行く時間いただけますでしょうか!」
 昨日パンクしてしまった日向の自転車は、烏養の家に保管されている。毎日山越えをして学校に通ってきている日向の大切な足。それがパンクさえしなければ、日向はあんな目に合わなかったのだろうか。
(……違うな。パンクも故意にされたことだろ)
 偶然パンクした日に、偶然誘拐されるなんてことは恐らくないだろう。日向が一人になるように手を回したと考える方が自然だった。
 なんだってこんな事態に巻き込まれたのか。それは現時点では分からないし想像も出来ない。
「いいですよ。ぜひお願いします」
「ありがとうございますっ!」
 ホッと胸をなでおろすように礼を言う。いつも思うが、この子は一体何に緊張してるのだろうか。部に入ってから既に2カ月近く経つはずだが、ずっとあたふたしているような気がする。
 彼女を部に連れてきた清水や日向あたりと話している時は多少落ち付いているようだが。
「あ、でも流石に日向君のことがありますし、一人でっていうのは少し心配ですね」
「じゃあ俺も一緒に行くよやっちゃん。ついでに俺の用事にも付き合ってくんない?」
 そう言って手を挙げたのは木下だった。つい先ほどまでブロックの練習を中心にやっていたせいか、いまだに赤みの取れない手のひらを軽く振りつつ、谷地に近寄った。
 緊張しいの谷地にとって、先輩、しかも男と二人で何かをするという状況は心臓に悪いのではないかと少しだけ心配になる。だが、木下も彼女の性格は理解しているから、配慮してくれるだろう。
「なるべく明るい時間帯の方が安心ですよね。今行かせても大丈夫ですか、烏養君」
「まーいいか。気をつけて行けよ二人とも。チャリ鍵は付きっぱなしだったはずだし、直したらまたうちに置いておいて良いから」
 首にかけていたタオルを取り去り、財布と携帯を手に靴を履き替える。谷地の背中に、領収証はしっかり貰っておけよと声をかけ、二人を見送った。