◇ 13 ◇


 ――1日目 22:50

 白と黒とかチカチカと爆ぜる。砂嵐のようにも見え、なんだか気持ち悪い。
 それと同時に、頭がグラグラとかき混ざり、平衡感覚が消えうせた。
(このまま、死ぬのか……)
 本能的な危機を感じた。だが、どこか他人事のように内心でひとりごちて、視界いっぱいに広がる砂嵐を見つめる。手を伸ばしてみようと思ったが、どういうわけかうまく体が動かない。首もあまり動かせなかった。
(死ぬんだから、体が動かなくなってもおかしくないのか……)
 書物には、人の死に際には走馬灯というものが流れると書いてあった。生まれてから死ぬ直前までの、自分の記録。記憶の全てがものすごい速さで脳内を駆け巡るのだとあったが、多分、それは嘘だ。
 事実、今死にかけているというのに、思い出も何も一つも出てきやしないじゃないか。
 だいたい、本を書いたのは死んだ人間じゃないということをすっかり失念していた。死んだ時のことは死んだ人間にしか分からない。死後の世界があるかも、三途の川があるのかも、閻魔大王が審判を下す場所があるかも、天国も地獄も、何もかもを知っているのは死んだ人間だけだ。
 生きている人間には、想像することしか許されていない。だからきっと、走馬灯はただの願望だ。死ぬ直前に自分の身に起こったことをすべて見たいと思ったどこかの誰かが、そういうシステムがあればいいのにと願って本に記述しただけに違いない。
 実際には、ただただ不明瞭な視界が広がるだけで、情緒も感傷もへったくれもない。なんてくだらないんだ。思わず笑いが出た。声にはならなかったけど。
 相変わらず不気味なほど砂嵐がかかった世界の先で、何かが動く。
 わかっている。死にかけていても頭はちゃんと動いてる。
 砂嵐は現実に起こっていることじゃなくて、自分の目にだけ起こっている不具合だ。目、なのか脳なのかは断定出来ないが、実際の世界には砂嵐なんて吹いていない。
(なんだ……?)
 目に映る世界は白と黒しか存在しない、モノクロの世界。その世界の中で、何かがずっと動いている。こちらに声をかけているような、気がする。
(全然聞こえない)
 砂嵐が邪魔で目の前に何がいるのか分からない。耳は耳で、ずっと下手くそなバイオリンのような高い音が鳴り続けているせいで、他の音がまるで聞こえない。
 これもどこかで聞いた話だけど、死ぬ間際最後まで活動するのは耳なんだそうだ。その肝心の耳が使い物にならないってどういうことだ。馬鹿になっているとはいえ、目の方がまだ使えるなんて。……ドングリの背比べだった。目も大して使えない。
 耳が最後まで動くんだという話も、死後の世界を想像した人間の創作物だったのか?
 ああでも、なんだか悲しそうで必死そうな声のような気がする。ちゃんと聞こえないし何をしゃべっているかは分からなかったけど、なんとなく、そんな気がした。
 いよいよ瞼が言うことを聞かなくなってきた。こちらの意思とは無関係に、勝手に閉じようとする。
 このまま目を閉じたら、そのときはもう生きていないのだと思った。

 気づいたら、全てが真っ白な世界にいた。
 不思議なことに、先程まで厄介なことこの上ないと思っていた砂嵐が消えていて、ギイギイとうるさかった音も聞こえなくなっていた。
(どこだ、ここ……)
 死後の世界、という場所だろうか。そんな場所を、意識して見ることが出来るとは思っていなかった。
 死んだのなら、腕は動かせるだろうか。足はあるだろうか。昔から幽霊には足がないというけど、実際にはどうなんだろう。そう思って、実際に動かしてみた。まずは腕の確認を、と持ち上げてみると、なんだか恐ろしいくらいに重たかった。腕一本で灯油缶を運んだ時の感覚に近い。それくらい重たかった。
 視界に映った腕は、なんだか白く霞がかかったようにぼやけている。砂嵐の次は霞か。迷惑な。
「六宮さん……?」
 左側から男の声が聞こえた。白くかすむ目を向けてみると、ぼんやりとだか人の形が浮かび上がる。彼は少しだけ斜めに倒れているようだ。不思議な体勢だな。
「六宮さん! 意識戻ったんですね!」
 喜んでいることが分かる大きな声。何がそんなに嬉しいんだろうと首をかしげようとして、ようやく気がついた。
 声をかけてきた男が斜めになっているんじゃなくて、俺が横に倒れているんだ。
 先生を呼んで来ますねと大きな声がして、また視界が真っ白になる。先生ってなんだろう。
 時間が経つにつれ、目の前の薄い白霞が晴れていくのがわかった。ただただ真っ白だった世界に、少しずつだが色が戻ってきていた。物の輪郭も分かる。
 俺が倒れていたのは、白い天井と、白いカーテンと、白い壁に囲まれたどこかだ。よく見ると天井には格子状の線が入っているし、カーテンも真っ白じゃなくて薄い黄色のような色だった。壁はところどころ斑模様が入っていて、ついでにいえばカーテンの先、窓の向こうには白い雲が多く漂ってはいたが青も混ざっていた。
 全てが真っ白な世界などではない、現世に存在するどこかの一室。
 どうやら俺は、生きているようだ。