◇ 14 ◇
――1日目 16:20
六宮雅輝はどこにでもいる、普通の男子高校生だ。友人がいて、それなりに勉強もやって、バイトをしたり彼女と遊んだりする、一般的な普通の高校生『だった』。
そんな彼に転機が訪れたのは、高校2年の夏休み。7月もそろそろ終わろうかという頃に、一通のメールが届いた。六宮が知らないアドレスからのメールだった。
(アドレス変更かな)
メールタイトルはなかったが、知らないアドレスからのメールの大多数はアドレス変更を知らせるものだ。不審な迷惑メールというものは、そういうものとタイトルで分かるようになっている。だから、特に警戒も何もしないでそれを開いた。
瞬間、六宮は目を見開いて固まった。次第に顔が青ざめていき、手が震え出した。
そんな様子を近くで見ていた先輩は、白いパッケージに碇の絵が入ったタバコを手に持ちながら六宮に、どうかしたのかと声をかける。それに曖昧に答えて、六宮は駆け足でトイレの個室へとこもった。
(なんで……!)
震える手で携帯を落とさないように持ち、届いた内容をもう一度読み直す。
その内容は、簡単に言えば“恐喝”であり“告発文”だった。2、3行に渡る自己紹介と挨拶文に続けて書かれていたのは、六宮が墓場まで持っていこうと決めていた秘密だった。
秘密をばらされたくなければ、指定された日時に訪ねてこい、というような内容に、ただ震えることしか出来なかった。
それから数日後、訳も分からず呼び出された先にいたのは、20代に見える男女が4人。そして、部屋の一番奥に、奇妙なマスクをつけた人物が1人、優雅に足を組んで座っていた。マスクは鳥のくちばしをイメージさせる形で、とても不気味に見えた。確か、大昔に何かの伝染病が流行った折、こんなマスクをつけた医者が治療にあたっていたと何かで読んだのだが、マスクの名称は思い出せなかった。
鳥マスクは、六宮が現れたと同時に芝居がかった動作で両腕を肩の高さにまで持ち上げ、
『お忙しい中、御足労どうもありがとう。全員揃ったようで安心しました。警察に連絡されたらどうしうかと、内心ひやひやしていたんです』
舞台俳優のような語り口で言葉を紡ぐのは、機械に通された奇妙な声だった。ボイスチェンジャー、変声機、などと呼ばれる類のものだろうか。
「そういうことが出来ないことくらい、あんた分かってんだろ」
しらじらしく言うんじゃねえよ、と口汚く鳥マスクを罵った男を見て、六宮は一瞬息をのむ。
男の頭髪はアシンメトリーの黒髪で、一部に赤いメッシュが入っている。唇に1か所、耳に数ヵ所、そしてよく見ると舌先にも、シルバーピアスがついていた。街中で見かけたらまず近寄ろうとは思わない、むしろ避けて通るだろうアパッシュ然とした身なりと態度に恐怖したのだ。
何より、鳥マスクを睨みつける三白眼には、明らかな嫌悪と怒りの色が浮かんでいる。その目を見た瞬間、背中に悪寒が走る。常人のそれとはまるで違う異常性を見た。
『ははは、吉永さんの仰る通り! 正当方では逃げられない方々を厳選して、ここにお呼びしました。でも万が一、という可能性もありましたからね』
「で? あなたは、なんで私たちを脅してここに集めたのかしら」
『お願いがあって。それを実行して下されば、あなた方の秘密は永遠に口外しませんし、もちろん書面に記してばらまくなんてこともしませんよ。証拠として集めた数々の写真や映像、証言データなどの諸々はあなた方にお返しします。あとは煮るのも焼くのもご自由に』
「もし、断ったら?」
黒髪の女性がそう尋ねると、鳥マスクの声は止み、室内に沈黙が降りる。何を言われるのかと内心怯えながら凝視していると、小さな笑い声が聞こえてきた。次第に笑い声が大きくなる。
クッション性に優れていそうなソファから立ち上がり、鳥マスクは両腕を広げた。どこまでも動作が芝居がかっている。恐らくはわざとやっている演出なのだろうと六宮は予想した。
『断ったら! 愚問にも程があるでしょう相沢さん! あなた方が秘密にしている全てが、世界中に拡散され、警察に捕まって楽しい刑務所暮らしが始まりますよ! 私個人としては、それで十分だと思うんですけど、脅しの材料として弱いですか?』
その声に続くように、部屋の中で何かが音を立て始めた。規則正しくカチカチと音を立てる何かを探して、部屋の中をぐるりと見る。古びた机と椅子、使われなくなって久しいであろうキッチンに、無造作に置かれた衣類の数々。
「……お前ら、そこから離れろ」
それまでずっと興味なさげに目を伏せていた金茶髪の男が、硬い声で告げる。彼の視線の先にはチェストがあり、その上に小さめの時計が置かれている。よく見ないと気づかないが、時計からは数本コードが伸びていた。
カチカチという音は、あの時計から聞こえているようだ。
よくわからないまま、彼の指示に従って全員がその場を離れ、部屋の入り口付近に集まる。全員の意識がその時計に集中したところで。
時計が置かれていた小さなチェストが、炎を撒き散らして吹っ飛んだ。
「なっ、なに。なによぉあれ!」
黒髪の女――相沢が、甲高い声で悲鳴を上げた。爆発音とともに吹き飛んだチェストは見る見る間に火に包まれていく。
『渡部君、扉のそばに消化器があるでしょう。それ使ってその火消しておいてもらえます? 建物ごと燃えるのは流石にまずいので』
先ほどとあまり変わらない様子で淡々と言葉を紡ぎ、指示を出す。渡部と呼ばれた男――いち早く時計に気づいた金茶髪の男だ――は、冷や汗を流していたものの、大人しく指示に従っていた。
あまり大きい炎でなかったため、すぐに消火作業はすんだが、六宮の心情は大荒れだった。
『ご覧頂いたとおりです。最初に申し上げたように、あなた方が抱える秘密だけで私としては十分すぎるくらいの脅しの材料だと思っていたんですが……それでも足りないと仰るようなら、あなた方の命もあわせて、脅しに使いましょう』
「……つまり、あんたの言うとおりにしないと俺たちは秘密をばらされた挙句、殺されるってことか?」
『はい。もちろん、引き受けてくださいますよね?』
長身痩躯の、鳥マスクをつけた男が小首をかしげて問いかける。この真夏に黒いロングコートを着て、黒い手袋をはめた不気味な存在。現実離れしたこの光景に動けないでいる六宮の前で、最初に彼に噛み付いた男――吉永が動いた。迷いなく鳥マスクの前に立ち、荒々しく彼の胸ぐらを掴みあげる。
「ふざけた事言ってんじゃねえぞ、何様のつもりだ」
『ああ、名乗ってませんでしたね。私、エスと申します』
「んなこと聞いてんじゃねえんだよクソが! てめえが俺たちに何させるつもりか知らねえけどな……この場に出てきたのは間違いだったな」
告げると吉永は、鳥マスクの男――エスと名乗った彼の首に手をかけ、力を込めた。
「ちょっ、何やってんのよ! 殺す気っ?」
「そうすりゃ秘密知ってる奴はいなくなって、変なことに巻き込まれないで済むだろーが」
『落ち着いてください津川さん。……そう出るだろうと思いましたよ』
首を絞められているせいで、苦しげに吐かれる声は、この自体を想定していたと告げた。訝しげに全員の視線がエスへと向けられる。
『私に何かがあった場合、あなた方の秘密が警察をはじめとした各所へと流れるよう手筈はすでに整えてあります』
「は……」
『私だって馬鹿じゃないですから。保身のためなら、どんな手だって使いますよ』
苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちした後、吉永はエスを解放した。咳き込む音だけは、ボイスチェンジャーにあまり通らなかったようで、普通の声も混ざって聞こえていた。
『もう一度聞きます。引き受けて、くださいますね?』
全員が何も言わず、静かに首を振った。
『難しいことじゃないですよ。ただ、一人の少年を誘拐して死なない程度に暴行を加えて欲しいだけなので。あ、出来れば手足の骨とかは折らないでくれると助かります』
「……は?」
思わず面食らった。これだけの脅しをかけて指示することが、それなのか。
暴行を軽く見ているわけではない。立派な犯罪行為だ。ただ、このような面倒くさい方法をとり、万が一自分が殺された場合の保険をかけてまでやらせたいことなのか、という疑問はあった。
誰がターゲットなのかは分からなかったが、エス一人だけでも出来るのではないだろうか。
『これが少年の情報です。読み終わったら、燃やしてくださいね』
エスから手渡された資料を恐る恐る開く。これを見た瞬間、もう他人事ではなくなってしまう。どっどっ、と早鐘を打つ心臓を上から抑えるように胸に手を当て、深呼吸をした。
少年の名前は、日向翔陽というらしい。
住んでいる場所は雪ヶ丘。両親と年の離れた妹が一人いる。友人も多いようで、近所の大人にも可愛がられているそうだ。
身長は162.8センチメートル。6月21日生まれ。
雪ヶ丘中学校を卒業し、現在は宮城県立烏野高等学校に通っている。驚くべきことに、家と高校の間にある山道を毎日自転車で通っているそうだ。中学の時から男子バレー部に所属し、現在も続けている。数枚添付された写真を見る限り、とても高校生には見えなかったがそれよりも。
(この身長で、男子バレー部……しかもポジション、リベロじゃなくてミドルブロッカー?)
男子バレーは女子バレーよりネットの高さがあるし、当然選手はみんな長身だ。高校の部活とは言え、170センチメートル以上ある女子も少なくない。だというのに、下手したら女子よりよほど背が低いであろう少年が、ブロッカーをしているなんて。
(烏野って小さな子をミドルブロッカーにしなきゃいけないほど、メンバー少ないのかな……)
全く関係ないチームを思って、六宮はわずかばかり同情した。
『読み終わりましたかね、では次に彼の試合中の映像を少しだけ見てもらいましょうか』
「は? なんで?」
『言葉だと伝えきれないなと思ったもので』
その言葉の後、テーブルに乗せられていたパソコン画面に試合中の映像が流れ始めた。
(……すごい)
圧倒された。ただそれだけだった。対戦校は県内でも強豪校と名高い、青葉城西だ。その強豪を相手に、日向翔陽は戦っていた。意図的に日向のプレーだけを切り取って編集されているようだったが、それでも迫力は凄まじいものだった。
身長が低いのにミドルブロッカーだなんて、と思った数分前の自分を殴りたくなるほどの存在感に、呼吸するのも忘れて六宮は映像を見ていた。
並外れた跳躍力、瞬発力、体力。ボールを繋ぐため諦めない姿勢。技術はおそらくまだ素人の域なのかもしれない。しかしそれをずば抜けた身体能力で補い、宙をかける。まさしく“飛んで”いた。
『この身体能力が、少々忌々しくてね……ちょっとの間だけでも大人しくしてて欲しいんですよ。せめて、春高に出れないようになってくれるといいんですけどねぇ』
「春高?」
「バレーの甲子園みたいなものですよ」
確かまだ予選も始まっていなかったはずだが、そこから潰しにかかるつもりだろうか。
断れば、秘密はばらされ命も危うくなる。でも、将来有望な選手を、潰すのか。
『決行は今日の夜。日向君がバスを使わざるを得ない状況をこちらで用意するので、皆さんはバス停で待つ彼を捕まえてください。あとはこちらの指示通りに動いて下さればそれで十分です。ああ、顔を隠す様のお面と服はこちらで用意しましたから、それつけてくださいね。名前で呼ぶことはさけ、つけている面で呼び合ってください』
「……わかりました」
『よかった。では、お願いしますね』