◇ 15 ◇


 ――3日目 10:05

「失礼します」
「日向あああああ!」
「しょうよおおお!」
 澤村の挨拶にかぶるように叫ばれた日向の名前。叫んだ田中と西谷は扉を勢いよく開け放ち、日向に突進した。
 予想していたことではあったが、この二人の声量はすさまじい。病室だけではなく廊下にも響き渡り、たまたま廊下に出ていた他の入院患者がびくっと肩を揺らしていた。それに気づいた澤村が、慌てて頭を下げ謝る。今の声量なら廊下どころか、扉を閉めている病室の中にまで響いたのではないだろうか。
「大地さん! 田中さん! ノヤっさん!」
「うおおおおおお大丈夫か翔陽! 大丈夫なのかこれ!」
「スガさん大したことないって言ってたじゃないすか! 酷い怪我に見えますよこれ!」
「本人と看護師さんが口をそろえて大したことないって言ったんだってば! もうちょっとお前ら静かにして! ここ病院なの!」
 菅原と2年生たちが慌てて2人を日向からひきはがしにかかるが、それでも騒ぎは収まることはなかった。こういう状況になったらまず真っ先に動く澤村だが、今日ばかりは仕方ないだろうかと溜め息をつく。
 部活着か学生服くらいしか見る機会がない中、今日の日向は当然のように私服だった。夏らしく真っ白い半袖と膝丈のクロップドパンツに、スニーカーといった比較的涼しげな格好だ。怪我にあまり触らないようにと、丈が短めの服を着ているのかもしれない。手足にまかれた包帯が露になっていた。
 日向は普段から落ち着きなく、しょっちゅう強烈なサーブやスパイクを顔面で受け止めたり、レシーブで顔ごと床に突っ込んだりと生傷が絶えない印象ではあったが、ここまでの怪我は初めてだ。自分が怪我をしたわけでもないのに、顔が歪んでしまう。
(ここまで痛々しいとはな……)
 日向の様子を見てつい騒いでしまったのは大目に見ようと嘆息する。しかし、大目に見られないこともある。
 病室内では、田中と西谷が騒ぎ日向の安否を気遣う声をかけるが、そのあまりのやかましさに慌てて菅原と縁下、木下、成田が止めに入る。もっと声のボリューム落としてくれと口にしながら、体のあちこちが痛むであろう日向に抱きつこうとする2人を羽交い絞めにして止めていた。
 一方、澤村の後ろでは、大柄な男子高校生の集団驚いたのか、はたまた一層凶悪な顔をした東峰を見てビビったのかは分からないが、子供が大声で泣きわめいている。それを止めようと東峰が声をかけると、さらに泣き声が大きくなった。その隣ではあいも変わらず、影山と月島が何かで言い争い、山口が必死に止めようと奮闘している。そんな二組に挟まれたせいか、それとも実際に見た日向があまりに痛々しかったせいか谷地まで泣きだし、清水がそれをなだめていた。そんな騒がしい集団を見て足を止める患者が多数と、どうしたらいいのかとオロオロし始める看護師が数名。
(動物園かここは!)
 はあと大きくため息をついて、騒ぎの元凶――主に日向とは関係ないところで騒いでいた複数名――の頭を軽く小突いて、病室に閉じ込めた。これで廊下への被害は多少免れるだろう。
 ある程度騒いだところでようやく落ち着き始めたのか、田中と西谷も静かになりつつあった。
 澤村と菅原は、先ほどからずっと病室にいた日向の家族と医師や看護師に頭をさげた。目を見開き、ぽかんとした表情でことの成り行きを見守っていた彼らは、澤村たちが頭を下げたことで意識が戻ってきたかのようにはっとし、一拍後には笑いだす。
 それは恐らく、日向のコミュニケーション能力のたまものなのだろうと澤村は当たりをつけた。たった2日の間に、随分と医師や看護師と打ち解けていたようだ。
 日向の母と妹にいたっては、お兄ちゃんが家で話す通りねなんて言って笑っていたがちょっと待て。
(家で一体何を話してるんだ日向……)
 あとで日向に直接尋ねてみようと考えていると、いつの間にか、澤村のすぐ近くに日向の妹が立っていた。菅原が話していた通り、身長と髪の長さ以外ほとんど日向と変わらない風貌だ。
「お兄ちゃんは、大地さん? キャプテンの」
「ああ。澤村大地だ。日向の、妹さんだよな?」
「夏って言います! で、さっきのお兄ちゃんたちは田中さんとノヤさん! でいいんだよね? で……」
 夏は言葉を切って、扉に背中を預けるように立っている影山をジッと見つめる。それから、ちょっとムッとしたような、嬉しそうなよくわからない顔で、びしっと音がなりそうなほどに勢いよく指をさした。
「あの人がトビオ! でしょ?」
 その瞬間、病室が笑いと戸惑いと恐怖と怒りとに包まれる。言わずもがな、恐怖したのは日向で、怒っているのが影山だ。
 日向が影山の後頭部にサーブを決めた時以来の大笑いをしているのでは、と思うほど笑っている月島が「トビオだってよ王様!」と腹を抑えながら、息も絶え絶えにからかう。それに続けて、田中と西谷が影山の背中をばしばし叩きながら大笑い。
 散々に笑われたのもあってか、影山はぎっと眦を釣り上げてベッドに腰かけていた日向を睨みつける。そして、集団の一番後ろからずんずんと大股で距離を詰め、胸ぐらを掴み上げた。日向の顔が真っ青に染まる。
「てめぇボゲ日向ボゲェ!」
「ごめんっ!」
「日向ってば、家では影山のことトビオって呼んでるの?」
「ちがくて! 中学の時とか部活入る前とかは、影山飛雄ってフルネームで呼んでたから! そしたら名前の方だけ、覚えちゃって……悪気は無いからな! 怒るなよ影山!」
 涙目になりながら、頭を庇うように両手を上げて懇願する。怒り心頭といった様子の影山だったが――日向が腕を上げたことで必然的に目に入ったのだろう――、包帯の存在を思い出してか、早々に日向を解放した。
 何故解放されたのか理解していないらしい、影山が手を出してこないことに違和感を覚えた日向が恐る恐る様子を伺うと、バツの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。
「怪我が治ったら、一発殴る」
「えっ、お、おう……? って、殴るのは変わんねえのかよ!」
 少し遅れて噛み付くも、嬉しそうに笑っていたのでおそらく影山の気遣いに気づいたのだろう。不器用ではあるが、優しさを見せた影山は、菅原と西谷、田中の3人に頭を撫でられていた。
「さて、じゃあ帰るか。烏養さんが気にかけてたぞ」
「あ! その前に俺、寄るところあるんです!」
「……もしかして、六宮さんのところ?」
 小首をかしげて菅原が問うと、こくんと無言で首を縦に振った。
 六宮という名前を聞いて、瞬間的に空気が固まった。日向を誘拐して暴行を加えたグループの一人だという話を聞いているのだから、当然の反応だろう。
「俺たちも、行っていいよな」
 聞いたのは影山だった。彼なりに日向のことはずっと心配していたし、出来ることならもう危ない目に合わせたくないと思っているのかもしれない。もちろんそれは、澤村たちも同じことだった。
「俺たちも行く……一緒に行こう」
「……じゃあ翔陽、私たちは荷物持って先に家に帰っておくから。皆さん、どうぞ息子をよろしくお願いします」
 そういって日向の母は夏と揃って頭を下げた。頼まれなくても、という意味を込めて全員で声を揃えて返事をする。
 そんなに多くない荷物を抱えて廊下を歩く二人を見送り、澤村たちは彼女たちとは反対方向へと足を進めた。

 六宮の病室は、日向の病室がある棟とは違う棟にあるそうだ。日向が握る小さなメモ用紙には『西棟 506号室』ときれいな字で記されている。
 連絡通路を渡り、階段を上った先に目的の病室はあった。病室の前にはスーツ姿で一様にしかめっ面をした、警察関係者と思わしき集団がいた。その場だけ空気が重たい。
「あ、川西さんだ!」
 日向の視線の先には、エレベーターから降りてきたばかりの川西と、もう一人見覚えのない男が立っていた。先日、川西と一緒に体育館へとやってきた石本という男はこの場にはいないらしい。
 名前を呼ばれたことで、日向たちに気づいた川西は少し小走りで駆け寄ってきた。
「六宮君のお見舞いかな?」
「はい、今入っても大丈夫でしょうか?」
「ああ、まあ良いだろう」
 少し困ったような顔で川西ともう一人は笑っていた。彼らは仕事で六宮を訪ねているのだから、優先されるべきは彼らの方だ。それを訴えても答えは変わらなかったので、煮え切らない彼らの態度に疑問を抱きつつ、病室の扉をノックした。
「失礼しまーす」
 日向が先頭を切って病室の扉を開ける。
 病室は日向と同じく、小さめの個室だった。ただ圧倒的に違ったのは、病室に用意されている器具類の数だ。何に使うのか全くわからないようなものから、ドラマや映画でよく見るような機器にいたるまで、六宮のベッドを囲むように所狭しと並べられている。
 六宮はベッドの背を軽く起こして、ゆったりと座り本を読んでいた。掛け布団で下半身が隠れているため断言出来るわけではないが、身長は高そうに見える。影山と変わらないのではないだろうかと予想する。
 腕には点滴が刺されており、他にも数箇所、包帯が巻かれていたりガーゼが当てられていたりと痛々しい姿をしていた。
(あ、れ……?)
 そこで澤村は既視感を覚える。
 柔らかそうな黒髪に、アーモンド状の大きなつり目と、右目の泣きぼくろが印象的な少年。ドアの近くからは横顔しか見えなかったが、それでも整っていると分かる顔を、どこかで見たような気がする。
 ずっと本へと落とされていた視線が、顔ごと澤村たちへと向いた。正面から彼の顔を見たことで、澤村の中で疑惑が確信となった。
「なあ、間違ってたらすまない。……太白中だったか?」
「え、ああそうだけど」
 首をかしげながら澤村を見返す六宮は、しかし疑惑が払拭されたかのように顔を驚きに染め、点滴が刺さっていない方の手で澤村を指さした。
「泉舘の主将! でしたよね?」
「ああそうだ、いや、まさかこんな……お前が六宮だったのか」
「大地、知り合い?」
 東峰が首をかしげながら問いかけると、澤村は苦笑しながら頷いた。
「知り合いっていうか……中学最後の試合でこいつのチームに負けたんだよ。しかし、負かした相手のことなんてよく覚えてたなあ。うち弱小校だったのに」
「一人だけバイタリティ違ったから、よく覚えてます。……烏野なんですね、今は」
「ええっ? っていうことは、六宮さんもバレーやってるのっ?」
 驚きに声を発したのは日向だ。いつの間にか六宮のすぐそばに立ち、ベッドに両手をかけて身を乗り出していた。コミュニケーション能力が跳ね上がっていることは知っていたが、ほぼ初対面に近い相手にここまで近寄れるとは。
 純粋にバレーボールの同士を見つけた喜びで問いかける日向に、六宮は少し困ったような表情を返した。
「バレーはもうやめたんだ。中学で」
「え? だってお前、太白の次期エースって期待されてただろ?」
「太白って強豪でしたよね。なのに辞めたんですか?」
 同じく強豪校出身の影山からしたら、バレーをやる良い環境にいたのに続けないという選択をした六宮が信じられなかったんだろう。眉間にしわを寄せて、少し責めるような口ぶりで問いかけていた。
 一方の六宮は、突然会話に混ざってきた影山に視線を移し、驚愕したように目を見開く。影山から他のメンバーにも順番に視線を移し、薄く笑った。
「北川第一の天才セッターに、千鳥山のベストリベロ……? お前らも、烏野なの?」
 信じられない、と言いたげな心情が伝わってきた。口には出さないものの、澤村は内心で同意する。
 影山も西谷も、中学の頃から頭角を表していたいわゆる天才だ。しかし烏野は、昔こそ強かったがここしばらくは結果を残せていない“落ちた強豪”。二人なら白鳥沢とは言わないまでも、もっと強豪校と呼ばれるような場所に行っていてもおかしくはないのだ。
 しかし、仮にそうなっていたとしたらどんな未来が待っていたのだろう。特に影山は、今のようにバレーを続けていられたか疑問が残る。彼が今、新しい舞台で生き生きとバレーが出来ているのは、日向と出会えたからだ。
 日向と同じコートに立つことなく、“孤独の王様”の冠を捨てていなかったら。今頃影山はどうなっていたか、想像出来そうにない。
「でもなんで、強豪校でエースだったのに、バレーやめちゃったの? あ、ですか?」
 純粋に疑問だと言うように首をかしげる日向を一瞥し、再び六宮は目を伏せた。
「……いろいろあったんだよ。それより、日向君だけじゃなくてこんなに集まってるのは、どういうこと? 看護師から日向君が面会したがっているってことは事前に聞いてたけど」
「自分の目で確かめたかったから、かな」
 澤村たちは現状、日向の話しか聞かされていない。日向が嘘をついているとは到底思えない内容の話ではあったが、まだ一方面からしか事件のことが聞けていないのだ。
 正直なところ、彼が自分たちに、事件のことを話してくれるとは思っていない。澤村がここに来たのは先ほどの言葉通り、日向を庇ってくれた六宮がどういう人物なのか、自分の目で確かめるためだ。
(事件のことも聴ければいいなとは思ってるが、望み薄いだろうな)
「あの! 六宮さん、ありがとうございました! 助けてくれて……でも俺、何も出来なくて、ごめんなさい」
 突然、礼と謝罪を口にした日向に六宮は瞠目していたが、すぐに首を振る。
「礼を言われることは何もしていないよ。君は拘束されてたんだから、何も出来なかなったのは当たり前で……君が、謝ることも礼を言うことも、何一つないんだよ」
 非常に弱々しく、近くに立たないと聞こえないくらいの声量だった。しかし日向にはしっかりと届いたようで、泣き笑いのような顔で六宮を見る。
 彼はすぐそばに立つ日向の手をとり、しっかりと握ると目をつむった。
「こちらこそ、ありがとう。日向君のおかげで、死なずに済んだ。それから、ごめんな。俺が臆病者だったばかりに事前に止められなくて……」
 手を握ったまま、日向の頭の先からつま先までゆっくり視線を落として、小さく微笑んだ。
「飛べなくなったらどうしようって、思ってたんだ……」
「え?」
「ちょっとだけ、試合の映像見たんだ。日向君のところだけだったけど。凄かったよ、ほんと」
 二人のやりとりをみながら、澤村は安堵のため息を漏らした。
 確かに日向が言っていたように、六宮は根っからの悪人ではなさそうだった。至って普通の、どこにでもいる高校生だ。
 それが分かれば、とりあえずは十分だろう。
「さあ、日向。そろそろ出るぞ、外で警察の人も待ってるようだし」
「あ、はい! じゃあまた。お大事に!」
 ぞろぞろと連れ立って病室を出ると、入口のすぐ近くで警察関係者が顔を突き合わせて立っていた。そのうちの一人、川西がこちらに話しかけてきた。
「六宮さんと何か話しました?」
「えっと、お礼いったくらい、ですけど」
 首をかしげてそう答える。そっかとつぶやき、困ったように病室の扉を見つめた。
「こっち担当してる同僚がね、六宮さんから何も話が聞けないって困ってるみたいで……」
「何も、って?」
「雑談にも応じてくれないって言うものだから。俺たちも急遽こっちに来てみたんだけど……」
 川西の後ろでは少し苛立った様子で病室を睨みつける警察官がいた。おそらく、彼が件の警察官なのだろう。
(雑談にも?)
 澤村たちとはそれなりに話をしてくれたし、日向とは謝罪や感謝やらを述べ合っていたので、その話には少し違和感を覚えた。
 それに、彼の証言がなければ、日向の無実を証明するのに時間がかかってしまう。
「大地? 帰んべ」
「……悪い、先にいっててくれないか」
 立ち止まってしまった澤村の様子を伺っていた菅原と東峰の二人に、真剣な面持ちで澤村は告げた。それだけで二人には澤村が何を考えているのかわかったのだろう、小さく頷いた。
「俺たちも残っていいですか?」
 縁下と木下が真剣な面持ちで問いかける。断る理由もないので了承した。
「おう、じゃあ大地と縁下、木下は居残りで! 俺ら先行ってるからな」
 にっと笑って先を行っていた集団に合流したのを見届け、踵を返す。行き先は無論、六宮の病室だ。
 病室前にはあいも変わらず警察関係者が揃っていたが、先ほど会ったばかりの高校生を気にかける様子はなかった。
 ノックして扉を開けると、驚いた様子の六宮と目があった。何をしに戻ってきたのかと顔にありありと書いてある。
「泉舘の、えっと……烏野の」
「まだ名乗ってなかったな。澤村大地だ。こっちは縁下と木下、俺の後輩で、六宮と同い年だ」
 先ほどとは少しだけ違う空気を察したのか、六宮も真剣な面持ちで澤村たちと向き合う。
「なあ六宮、警察にまだ何も話してないのか?」
「……」
「こういう言い方はちょっと気に入らないんだけどさ。……さっき会った、日向な。あいつが今、警察から疑われてる」
 途端、六宮の目が見開いた。警察の影を睨むように澤村たちの背後を睨めつける。苦虫を噛み潰したような顔で、手をわなわなと震えさせた。
「本当に、罪をなすりつけるつもりだったのか……! あの子に疑われる余地なんてないのに」
「第一発見者で、凶器に指紋が残ってて、しかも日向も怪我をしていた。大方、何かいざこざがあって、カッとなった日向が六宮を刺したとでも思われてるんじゃないか?」
「ばかげてる! あいつは、日向君は、ただの被害者だ!」
「その証明のためにも、六宮の証言が必要だ。あったことを全部教えて欲しい。頼む」
 澤村たちが揃って頭を下げると、彼は一瞬息を呑んだ。
 一体何が、彼の口を閉ざす理由になっているのか。そして何故、危険を承知で日向を助けたのか。
 意識が戻ってから今までずっとだんまりを決め込んでいたのだから、そう簡単に口をわるとは思えない。しかし、話してもらわないといつまでたっても日向の無実が証明出来ない。
「頼む、六宮」
「……日向君は、ただの被害者、です。加害者は俺たちの方だ」
 震える声でそう告げると、顔を上げて息を吸う。揺れていた瞳が、確固たる意思を持ったように光を宿した。
「警察の方、そこにいるんでしょう。入ってもらえませんか、話したいことがあります」
 六宮の声を聞いた川西が顔を覗かせる。これから事件の話をするというなら、自分たちはいない方がいいのだろうかと縁下たちと顔を見合わせると、それを読んでいたかのように、
「澤村さんたちも、いてください。お願いします」
 痛むだろう背を曲げて、頭を下げた。驚いて六宮と川西の顔を交互に見ると、苦笑しながらも頷かれる。ここにいていいようだ。
「話して、頂けるんですね?」
「はい。ずっと、悩んでたんですが……覚悟は、決めました」
 震えを自分で抑えるように手を重ね、目の前に立つ警察官を仰ぎ見る。
 この事件の真相を話すことで、彼の人生は大きく変わるだろう。緊張も不安もあって当然だと思った。
 一つ大きく深呼吸をして、口を開いた。
「日向翔陽は、ただの被害者です。彼を誘拐して、暴行を加えたのは俺たち。だけど、事件を企てたのは1人の男で、俺たちは脅されて、従わされたんです」
「事件を、企てた?」
「詳しくは知りません。俺たちは日向君の情報がまとまった資料と試合映像見せられて、それからすぐ烏野そばのバス停前に行ったので。作戦は、車内で説明されました。実行犯は、俺を含めて6人。最初からマスクをつけてた1人以外、苗字と顔は分かります」
「覚えてるのっ? 似顔絵かけるやつ早く連れてこい!」
 言われるがままに、川西と一緒にいた警察官が病室の外へと出て行く。
 数分後、女性警官を一人連れて戻ってきた。手にはスケッチブックと鉛筆を握っている。彼女が椅子に腰掛け、スケッチブックを開くのを確認してから、話を続けた。
「面をつけてた奴は声も変えてたけど、身長は俺とそう変わらなかったし、喉仏が目立ってたから男で間違いない。鳥みたいな面で、あの、昔伝染病が流行った時に医者がつけてた鳥っぽいマスク、みたいな感じの……」
 なんていうんだっけあれ、と頭を抱えだした。澤村たちも彼の言葉をヒントに記憶をたどる。
 鳥みたいなマスクで、伝染病が流行った時に医者がつけていた……。
「あっ、ペストマスク、ですか?」
「それ! それだ! ペストマスク! そんな感じのつけてました」
「六宮君とそう変わらない、って。ちなみに君の身長はいくつあるの?」
「4月に測ったときは、181.5センチでした」
 澤村の予想通り、影山とあまり変わらないくらいの身長だった。
 そんな彼とあまり変わらない身長で、あの不気味なペストマスクをつけている男を想像する。その姿だけでホラー映画が作れそうだ。鳥の面といえば、目隠しされる寸前に日向が見たのも鳥っぽい面だったと言っていなかっただろうか。
「1人目は、吉永さんっていう男性です。日向君の暴行を率先してやってた。三白眼で、アシンメトリーの黒髪の一部に赤いメッシュが入ってて……」
 六宮の話す通りに似顔絵が出来ていく。今は鉛筆のみなので、色の指定は文字で書かれていた。一部の赤いメッシュは、右側のもみあげあたりに入れているらしい。耳と唇、そして舌にもピアスをつけているそうだが、そんな男なら、街中であっても一見で分かりそうだと澤村は思った。日向を誘拐するときは、表情が何も浮かんでいない真っ白いお面をつけていたらしい。
 渡部という名の男は、切れ長の目と金髪に近い茶髪を顎の辺りまで伸ばしている。ひょろっとしていて、どこか病的な雰囲気。彼が使っていたのは、覆面だったそうだ。
 相沢という名の女は、長い黒髪で少しだけふっくらした体型だったそうだ。事件の最中は、狐の面を被っていたという。確か、日向と六宮に睡眠薬を飲ませた奴が『狐さん』と呼ばれていたはずだ。
 津川という名の女は、茶髪のロングヘアと濃いアイメイク、両耳にピアスがついていたらしい。かぶっていたのはウサギの面。バス停で日向の注意を引くために最初に姿を現したやつは、ウサギの面をつけていたと言っていた。
 六宮から話を聞きながら描かれた4人分の似顔絵を見る。もし見かけるようなことがあったらすぐ対応できるように、顔の特徴をしっかりと記憶した。
「これすぐに回してもらって!」
 言うが早いか、似顔絵が描かれたスケッチブックを手に女性警官が病室を飛び出す。すぐ外で待機していた他の捜査官に手渡し、ばたばたとどこかへ移動していった。データにして交番などに回したり、捜査官が持ち歩くようにコピーを作ったりするのだろう。
 その間にも、六宮は話を続けていた。
 日向を暴行するために連れて行ったのは、温室だったそうだ。ただ、その中は散漫としており、殆ど管理も何もされていないことがひと目でわかったという。住所は知らなかったが、近くの建物の特徴から場所は割り出せるだろうと話していた。
 だが、今澤村たちが一番気にしているのは犯行場所ではない。
 何故、日向が狙われたのか。
 何故、六宮は手伝わされることになったのか。
 何故、危険な目に遭うかも知れないのに、日向を庇ってくれたのか。
 一つ一つ聞いてみるしかないだろうと、澤村は意を決する。
「なあ、なんで日向だったんだ?」
「……さっきも言ったけど、詳しい事情は知りません。ただ、春高に出ないでくれるといいんだけどな、みたいなことは言ってたので、その辺に関係してるのかと」
「そうか。もう一つ、なんで六宮は脅されることになったんだ?」
 それを訪ねた途端、六宮は表情を固くした。
「六宮は普通の高校生だって話してみて分かった。日向を庇ってくれたしな。でも、危険を承知で庇えたのは何でだったんだ?」
「……また、あの恐怖を味わうのが、怖かったんです」
 ぎゅっと唇を噛み締める。彼が口にした『恐怖』とは、何を指しているのだろう。
 苦しそうな顔で押し黙ってしまった六宮をじっと待つ。犯罪行為に巻き込まれてでも守りたかった秘密を、今この場で言うことにためらいはあるだろう。だが、脅されたという事実があるなら、それを説明しないわけにはいかない。
 沈黙が場を支配する中、六宮は川西と澤村の顔を見て、口を開いた。
「俺は……昔、多くの人に消えない傷を残した上、人の人生を、奪ったことがあるんです」
「人生を、奪った……? それはつまり、人を」
 人を、殺した、ということか。
 問いかけようとしたが、結局言葉にはならなかった。だが、彼には澤村の言いたいことがわかったようで、無言で首を振っていた。
「殺したわけじゃないです。でもある意味、それよりよほど酷いことをしたと思ってます」
「命を奪うより……?」
 死に、殺されることより酷いこと、と言われても事例が思いつかない。
 か細い声で訥々と話す六宮を、全員がじっと見つめた。