◇ 16 ◇
――3日目 10:47
澤村たちと別れ、病院から一歩外に出た途端、日向が入口前で思いっきり伸びをした。たった2日とはいえ、病院に閉じ込められてずっと窮屈だったのだろう。
昨日とは違い、今日は快晴。キラキラと輝く太陽に照らされて、にこやかに笑う日向を目にした東峰は、ほっと息をついた。
(やっぱり、太陽の下の方が似合うな)
ひっそりと微笑んで、内心で呟く。名は体を表すというが、日向はまさしく太陽のような輝きを持っていると東峰は思っている。それが一瞬でも曇ったこの事件に、胸を痛めていた。
一つ吐息して、気合を入れる。
(これから事件現場を見に行くんだもんな)
澤村たちと別れたあと、一同はその後の予定を簡単に話し合っていた。
今日は人数も多いので全員電車を使ってこの病院まで来ていたのだが、日向の話によると、事件現場は駅までの道中にあるらしい。どうせ駅まで歩くことに変わりはないのだから、一度事件現場を見てみないかと言いだしたのは菅原だった。
警察官でもない、特別な知識を持っているわけでもない普通の高校生が事件現場を見たところで、何かが変わるとは東峰には到底思えなかった。だが、事件解決への糸口とは言わないまでも、もしかしたら日向を見た人が現場近くにならいるかもしれない、という淡い期待も込めているらしかった。
「場所ちゃんと覚えてんのか?」
「おう! なんかカトちゃんケンちゃんみたいな名前の店のそばだった!」
(居酒屋かな?)
自信満々な様子の日向を先頭に歩き出すも、早々にその隊列は崩すこととなった。
場所は仙台市内。8月現在は多くの学生が夏休み真っただ中だ。それが理由か、それとも他県の人たちが、数日後に控えている七夕まつりを目的に前乗りしているためか。午前中だというのに人通りがいつもより多かった。
(人とぶつかる可能性高いよな……日向怪我してるんだし)
そう判断した東峰は日向の服をつかみ、さりげなく自分の隣に来るように促した。その考えを察知したのか、菅原も日向を挟むように反対側を歩き、日向と腕を組む。
「人多いもんな! 今日は俺と旭にはさまれとけー」
「おっす!」
「なんだ、てっきり小さい日向を見失わないためなのかと思った」
「んだとこら!」
本人の意図しないところで思わず3年2人に挟まれて、内心どう思っているのかと少しだけ不安だったが、日向は特に気にしていないようだった。それどころか少し嬉しそうに、空いている方の手を東峰に差し出してきた。
男子高校生が3人腕を組み、手をつなぎ歩く姿はどうなのかと不安になったが、いつの間にか先頭を歩き始めていた田中と西谷に隠れて、ほとんど誰にも気づかれていないようだった。
(スガと日向は違和感ないんだけどなー)
にこにこと笑い合う2人を横目で見やり、はあと小さくため息をつく。それとほぼ同時に、後ろからもため息が漏れたのに気がついた。月島だ。
「どうかしたか?」
「……つけられてるみたいですよ」
誰に、とは続けなかったが、おそらくは警察関係者だろうと予想した。
つけられていると聞いた途端、日向が後ろを振り返ろうとした。だが既のところで、月島が日向の頭を鷲掴みにして無理やり前を向かせた。
「バカじゃないの、後ろ振り向いたら気づいたことに気づかれるでしょ。気になるなら鏡か携帯越しに見て」
「なるほど!」
言われるがままに携帯を取り出し、後ろを写そうとする姿を見て苦笑した。前方を見ると、田中と西谷まで同じことをしようとしていたが、2人は一番前を歩いているんだからどう頑張っても無理だろう。
携帯を鏡代わりに使うためには、日光を遮る必要がある。日向が携帯を手にしたことで空いた手をかざして、少しばかりの日陰を作った。
月島と山口の間を縫って映し出された背後には、正直どれが尾行している人なのか分からないほどに人が密集していた。
「分かんねぇ……」
むうと口を尖らせて、再び手をつないで歩き出す。
日向の証言を鵜呑みにするわけにはいかないのだろう、最低限の注意を向けていることは分かる。被害者である六宮の証言が得られれば、無実であることはほぼ証明出来るだろうが、彼は正直に話すだろうか。澤村たちに期待しよう。
「あ」
前方を歩いていた影山がなにか嫌なものでも見つけた時のような声を出した。表情も少し曇っている。
「どうした?」
「……及川さん、と岩泉さんがいます」
「えっ?」
ほら、といって指さした方向に視線を向けた先、横断歩道の反対側に2人を見つけた。
こちらも人のことは言えないが、どんなに人ごみに紛れていても背が高いため割と目立つのだ。群衆から頭一つ分飛び出ているのだから当然だが、件の及川たちは東峰たちに気づいている様子が一切見受けられない。
「挨拶しとくか?」
「っつってもなー、すれ違うとしたら横断歩道上だろ? この人混みだし声かけるのも難しそうだな」
そうこう悩んでいるうちに信号が変わり、人の群れに習って歩き出す。
やはり及川たちはこちらに気づいていない様子で、すれ違う時にも一瞥もしなかった。
のだが。
「やっほー! 飛雄ちゃんに烏野のみなさーん! 無視するなんて酷くない?」
「わあ!」
横断歩道のど真ん中で、先程まで東峰たちに全く気づいていない素振りを見せていたというのに突然、人をかき分けて正面に回ってきた相手を見て驚かないはずがなかった。東峰は日向と2人、手を取り合い、早鐘を打つ心臓を落ち着かせることに必死だった。
「コラくそ川! 場所考えろ場所を!」
「悪口略さないでってば!」
「あああ信号変わるから! とにかくどっちかに動くぞ!」
ちかちかと点滅し始めた信号を前に、一同はひとまず及川たちがいた側の歩道へと走った。
及川はずっと東峰たちの後ろを気にかけていた様子だったが、信号が赤になり人の波が途絶えると小さく笑ってこちらに向き直った。
「うん、あっちに残ったみたいだね。で、なんで尾行されてたの?」
「……よく気づいたなぁ」
心底感心したという様子の菅原に対して、及川は得意げに笑いかけた。
信号が変わる直前、こちらに走った東峰たちと違い、後ろからつけていたらしい誰かは、反対側にとどまったようだった。
「まあ及川さんくらいになると、女の子から尾行されちゃったりとか日常茶飯事だからって痛い! 痛いよ岩ちゃん!」
隣に立つ岩泉が、それはそれはもう良い音を立てて及川の頭を平手で打つ。若干涙目で頭を押さえ抗議するも、どこ吹く風といった様子で全然取り合わない。
確かこの2人は、小学校のクラブチームから一緒だと聞いたことを思い出した。なんの遠慮もない旧知の仲なのだろう。それにしても痛そうだった。
「尾行だって確信なかったけど、俺たちが声かけた途端姿隠そうとしてたからね。ところで、みんな揃ってこんなところでなに……チビちゃん! どうしたのそれミイラ男みたいになってるよっ?」
「そ、そこまで酷くねえ! ですよ!」
ずっと周りに囲まれて姿が見えていなかったのだろう、日向の姿を見つけるやいなや、常に浮かべている笑顔を消して驚愕する。隣に立つ岩泉も同様に、日向の姿を見て驚いている様子だった。
「何があったのさチビちゃん。包帯全然似合ってない!」
「似合うって言われるのも嫌だな、それ」
どうしたのなにがあったのと問いかけ続ける及川に、どう返せばいいのかと日向は悩んでいるようだった。昨日東峰たちが、烏養や武田に日向がいないことをなんと説明したらいいか悩んだように、彼も言葉を探せずにいる。あまりおおっぴらにしたくはないという心情も働いているのだろう。
及川を注視しつつ、影山が日向たちに近寄って小声で話しかける。
「ああなると及川さん、なかなか引き下がらないですよ」
「うわ、面倒くさいな……」
影山からの忠告をうけ、菅原がしばらく唸って考える。どうするのが最善かと考えた結果、意を決したように及川の名前を読んだ。
「一昨日、このあたりで傷害事件があったってニュースは見たか?」
「え? ああ、意識不明の被害者がいるってやつ……それがチビちゃんだったとか言わないよね?」
「違うけど、その事件に巻き込まれて怪我したんだよ。で、日向もちょっと疑われてるの」
概要は間違っていないが、ものすごく端折った説明だった。これで納得するのかと内心どぎまぎしながら事の様子を伺っていると、しかめっ面ではあったが、なるほどねと言葉をこぼしていた。ひとまずは納得してくれたらしい。
「そういえばなんで及川さんたちが……」
「別におかしくないでしょ? うちの学校ここからすぐ近くなんだから」
そういえばそうだったと東峰は納得した。この辺一帯は、彼らが通う青葉城西高校にも近かったことをすっかり失念していた。
「むしろなんで烏野は大所帯でこんなところにいるの? 堂々と偵察に来た、ってわけでもないんでしょ、その様子だと。そういえばキャプテン君がいないね。あと練習試合の時にいた子」
「日向が入院してた病院が近いのと、事件現場も近いからついでに見ていこうって話になって。あと3人は別行動中」
事件現場も近い、と聞くと及川の表情が変わった気がした。少し嫌な予感がする。
それはどうやら岩泉も同じだったようで、こっそりため息をついていた。
「俺たちも行こうよ岩ちゃん!」
「言うと思ったけどなんでだよ! 部活どうすんだおい」
「だいじょーぶだって! まだ開始まで時間あるし!」
何がどう大丈夫なのか。
影山は複雑な表情を浮かべ、日向は怯え、月島はいかにも面倒くさいですというような顔で、田中と西谷はしかめっ面で威嚇している。しかしそのどれにも反応を示さず、及川はいつものように笑顔を浮かべて先を促した。
人混みに囲まれながら目的地を目指す。大通りを歩いていると、「あった!」と日向が叫んだ。
「この店ですよ! カトちゃんケンちゃん! んで、現場はこの角曲がった路地裏の」
「ちょ、ちょっと待ってチビちゃん。カトちゃんケンちゃんって何? 何を言ってるの?」
及川が慌ててストップをかけるも、日向は何を止められたのか心底分かっていないような顔で彼を見返していた。東峰自身、最初に日向がそういう名前の店があったことを覚えているといったときは特に疑問にも思わず、せいぜい居酒屋の類だろうかと思っていたのだが。
日向が指さした先には、随分とおしゃれな建物が佇んでいた。
ベージュやアンバー、キャメルのような柔らかい色を基調としたクラシックな作りの店だ。扉前には、赤いリボンをつけた黒猫のオブジェが飾られている。戸惑いつつも、大きなガラス窓から店内を見る。ショーケースに入れられた可愛らしいケーキと、焼き菓子が並んでいるのが目に入った。ちなみに、店内にいる従業員も客もほぼ女性だけ。
間違いない、ここは洋菓子店だ。
「カトちゃんケンちゃんっていうから、てっきり居酒屋とかだと……」
「え、店の名前、なんかそれっぽくないですか?」
促されるままに店名が掲げられている看板を見上げる。そこには『Chat noir Clément』と書かれている。
どう読んでも、東峰にはカトちゃんケンちゃんとは読めなかった。
「カトちゃんケンちゃんってなんだよ。どう読んでも、チャットノイアクレメントじゃねえか」
すでに口を押さえていた及川だったが、影山の発言を聞いてついにこらえきれなくなったのか、その場で肩を震わせて笑いだした。わざとボケているわけではなく、2人はいたって本気だ。本気だからこそ笑えてくる心理は理解出来なくもないが、それにしても笑いすぎだ。
その様子を一部始終見ていた岩泉が若干距離をとっている。あのまま放っておいたら膝をついてしまいそうな気がした。
「何堂々と間違えてるの王様。どう読んでも、シャ・ノワール・クレマンでしょ」
「ショパンをチョピンって読むのと大差ないねツッキー」
「なんであれでシャなんだよ。ノワールって、ワはどっからきたんだ。ダブリュねえぞ」
「イー、の上に変な点ついてるけどあれなに。書き間違い?」
「フランス語だよ2人共!」
「もうやめて及川さん笑い死ぬから!」
東峰たちとしてはだいぶ耐性もあるのでどうってことない2人の発言も、耐性の無い及川にはきつかったようだ。今日はそんなに笑うほど面白いことも言っていないと思うが、そうでもなかったのだろうか?
ひとしきり笑い終わった及川が小声で、飛雄ちゃんてあんな面白いこと言う子だっけ、と見当違いなことを言っていた。
「この角を曲がった先の路地裏が現場なのか?」
「そうです! こっち!」
日向の先導で角を曲がり、路地裏をしばらく進むとアングラな雰囲気の場所に出た。陽の光も満足に届かないような薄暗い細い道。そこで日向は歩みを止めた。
「ここか。流石にもう綺麗になってますね」
路地に立ち、上を見上げた。
飲食店や、なんの店かは分からないがいくつか店舗が入っている商業ビルに挟まれた道。
実際に現場を見てみると、道は思った以上に狭く、車一台がかろうじて通れるくらいの道幅だった。例えばここに車を停めて、日向たちを放置していたとしたら、気づくものはいないだろう。
「……この場所じゃあ、気づきにくいかもな。なあ日向……日向?」
見ると、日向がどこか一点を見つめていた。
日向の視線をたどった先には、2人分の人影があった。こちらをしばらく見ていた様子だったが、すぐ踵を返してどこかへと歩いて行ってしまう。その様子を見つめていた成田が、そういえば、と切り出した。
「昔からサスペンスドラマでは『犯人は現場に戻ってくる』なんていうじゃないっすか。あれなんでなんだろ」
「……どちらにしろ、気になっちゃうからだって」
不意にこぼした疑問を拾ったのは、意外にも清水だった。
清水も現場を少し見回しながら、いつもの涼しげな表情のまま続けた。
「自分がやったことに気を大きくしてる人も、反対に怖がってる人も」
「なるほど……」
清水の話を聞いて、東峰はすとんと腑に落ちた。
臆病者だろうがそうではなかろうが、事の重大性を理解していればこそ気になるというのは理解出来た。確認行動の一環なのだろう。
この事件の犯人は、どちらだろう。それとも、どちらでもないのか。
手をつないだままの日向の手が、ぴくりと震えた。