◇ 18 ◇
――3日目 12:12
「及川さん!」
警察署前で烏野の到着を待っていると、つい先ほど見たばかりの面々が揃って現れた。この暑い中全員走ってきた様子で、額に汗が浮かんでいる。
「岩泉さんから、連絡もらって……写真ってなんですか」
「そのまんまだよ。国見ちゃんがたまたま撮ってた写真がそれっぽかったから」
及川の横であくびを噛み殺していた国見が、駆け寄ってきた烏野を一瞥し、手にしていた携帯を影山へと差し出した。それに影山は若干戸惑った様子で、恐る恐る携帯を受け取る。
(まあ無理もないか)
中学時代、影山と国見、金田一の3人は同じチームにいた仲間だったはずだが、最後までちゃんとした仲間ではいられなかった。“コート上の王様”だったかつての影山が相手なら、チームとして反発したくもなっただろう。
“トスを受け取らない”という方法で反旗を翻した、最悪の終わり方をした元チームメイト。そのせいでこの3人は、今もギクシャクしたままだ。要は3人とも子供で、譲歩も協力も話し合いも、まともな喧嘩すら満足に出来なかったせいで起こった悲劇だったのだが。
烏野に入ってから変わった影山を見て、2人もなにか思うところがあるのだろう。明らかな侮蔑や嫌悪の色が薄くなったように、及川には見えた。
(ま、飛雄ちゃんがひねくれた一因って俺かもしれないけどねー)
及川に自覚はあれど、それを後悔したり悪びれたりはしない。叩くなら折れるまでだ。才能の塊で、放っておいても勝手に育って強くなっていく相手を自分の手で育てるなんて冗談じゃない。
育てていたつもりだったのに、気がついたときには全身を食いつぶされていた、なんてことになりかねないのだから。
それでも夏休み中、一度だけあった元後輩に多少のアドバイスはしてやったのだ。ありがたく思え。
「それ、10番っぽいだろ」
「確かに、日向っぽいな、この頭」
その場にいた全員の視線が日向へと注がれると、彼は随分居心地が悪そうに顔を歪めていた。
とりあえず中はいりましょうよ、と月島に促され、ぞろぞろと集団が所内へと入っていく。不特定多数の視線が集中した。高校生が集団で、しかもジャージ姿のまま入れば注目も集まるというものだ。
「この写真、こっちの日向じゃない方が、六宮さんかな?」
「じゃないかな。暗いし着てる服も黒いし、よく分からないけど……そういえば日向、バス停で待ってる時に寄ってきた人も、上下真っ黒な服着てたんだったよな?」
「はい。んで、ウサギの面被ってて、目隠しされる一瞬で見えた鳥のお面の人も黒い服着てました」
「え、待って目隠しってなに。お面ってなにチビちゃん」
先ほど会ったときには随分と端折った説明をされたことは分かっていたが、端折りすぎじゃないだろうか。事件の概要が全然理解出来ない。
そんな及川たちの考えを察知したのか、烏野の面々が真剣な面持ちで、実は、と小声で切り出した。
「日向一昨日誘拐されて、暴行を受けたんだ。それを止めた被害者が、犯人グループに刺されて放置された、っていうのが、この傷害事件の一連の流れなんだ」
「はっ? 誘拐?」
慌てて声量を落としながら問いかけた金田一は、信じられないといった様子で眼前の日向を凝視していた。いくら小さいといっても、彼だって男子高校生だ。そうそう誘拐されたりするはずがない。
しかし、菅原は今『犯人グループ』と言った。複数人存在するのなら、誘拐されてもおかしくはないのかもしれない。
まったく、端折りすぎだ。そんなことになっていると誰が想像出来る。詳細が不明であることに変わりはないが、先程よりはよほど明瞭な説明を受け、内心でため息をついた。
「まさかこんなに及川たちが関わることになるとは思ってなかったら……あんまおおっぴらにはしたくないしな」
「その被害者ってのが、さっき言ってた六宮さんって人なの?」
問いかけると、烏野全員が静かに頷いた。彼らを見ながら、及川は思案する。
昨日見たニュースでは、まだ被害者が高校生だということしか伝えられていなかったはずだ。その後続報もあったのかもしれないが、如何せん朝から晩まで部活漬けでテレビニュースを見る機会はほとんどないと言っていい。かといって、わざわざ調べるほどのニュースでもないと思っていたのだ。なんなら、その場にいたもう1人の男子学生が犯人だろうとすら思っていた。
男子学生が日向だったとは、夢にも思わなかった。己の無関心具合にため息をつく。
そんな及川の後ろに立っていた国見が、金田一となにかこそこそと話し始めた。
「どうしたの2人共?」
「あ、いえ。珍しい名字だから……中学の時、練習試合した相手校に六宮って人いたから、もしかしてと思って」
黙って話を聞いていた西谷が、ああ、と呼応した。
「さっき病室で聞いたけど、太白中の元エースらしいぞ。今はもうバレーやってないって言ってたけどな!」
「よく覚えてたなお前ら」
「逆になんで覚えてないんだよ影山は。あんなことあったのに」
あんなことってなに、と問いかけようとすると同時に、所内に大きな声が響いた。見ると、1人の警察官と思わしき男が及川たちの方へと小走りでよってきている。
「お待たせしました! で、証拠になるかもしれないっていうものはどれですか?」
「これなんですけど、証拠、になるかは……」
手にしていた携帯を差し出し、撮っていた写真を順番に見せる。時々画面から視線を上げて日向の方をチラチラと見ていたので、写真と実物の確認をしていたのだろう。
確かに写真自体は暗く、不明瞭ではあったが明度とコントラストを上げるだけでもだいぶ見やすくなるはずだ。国見の携帯にそんな機能があるかは知らないが、なかったとしてもパソコンに転送すればいいだけの話だ。
「ご協力ありがとうございます! 解決にまた一歩近づきそうです。今日は他にも情報提供者がいたし、本当助かりました。じゃあすみませんけど、少し書類作るのでお時間いただけますか」
心底面倒くさそうな顔をした国見が、警察官に促されてカウンター席についた。何かと書類を作ったり、ご苦労なことだ。
そちらを見ていると、日向が小走りで国見たちに近寄った。何をするつもりかと眺めていると彼は、それはそれはもう大きな声で礼を言い、小走りで戻ってくる。ぽかんとした顔で日向を見送る国見と金田一の表情を見て、及川が小さく吹き出した。
あの影山をも変えた少年の影響力は、とてつもなく偉大らしい。
「不幸中の幸いってやつだろうけど、この時期でよかったじゃない。もう少し遅かったら春高に出れないところだった。まーチビちゃんやっかいだし、出ないでくれれば楽に勝てそうだけど」
この言葉は本心だ。日向が烏野チームにいなければ、どれだけ楽に試合が進むだろう。
実際にそう思っているのだが、誰かに負わされた怪我のせいで出場出来ないと知ったら、どうだろうと自問する。
少なくとも面白くはない。オーバーワークや自分の不注意で負ってしまった怪我が原因で出場できないのなら、恐らく何も思わないだろう。だが、理不尽な暴力でそうなるのは頂けない。
「そっか……春高に出させないため……」
成田がなにか真剣な面持ちで考え込んでいたが、小さく言葉を漏らしたのをきっかけに続けて話しだした。
「ずっと気になってたんです。なんで日向が狙われたのか。犯人は日向の行動を制限したかったみたいだったし、もしかしたら怪我させて春高に出させないため、だったのかなって」
「うちの戦力を削ぐため、だったって?」
「影山とか旭さん、月島なんかでも戦力は大幅に削がれると思うけど、狙いやすいのは日向だと思うんです。基本背の高い、ガタイのいい男を狙うなんてリスクの高いことはしたくないだろうから」
話を聞きながら、納得する。烏野が誇る最強の囮である日向翔陽。彼がいるのといないのとでは、相当チームの戦力も士気も変わってくるだろう。何より、セッターである影山にとって日向は要だ。戦力的にも、心理的にも。
「ゴールデンウィークの時、1セット目から影山と日向の速攻止められたじゃん。その時猫又監督が、影山と日向を“鬼”と“金棒”だって言ってたんだって。だから、まずは金棒である日向を止めた……それと同じ発想?」
鬼と金棒とは、なかなか秀逸なたとえだ。ゴールデンウィークということは、青葉城西との練習試合があった後のことだろう。
インターハイ予選までの短期間に日向が成長していたのはその経験があったからだったのか。監督が言っていたように、よほどいい練習試合が出来たのだろう。
(そのうち、鬼と金棒じゃなくて、鬼と鬼になっちゃうんだろうけど……)
「でも、そのメリットってなんでしょうね? 春高予選をスムーズに進めること、ですか?」
それまで黙って話を聞いていた月島が、ぽつりと漏らした。
春高で烏野の勢力が弱まれば、有利に働くチームはたくさんあるだろう。大会に出場する以上、どのチームも全国への切符を目指して戦っている。強敵が居なくなればそれに越したことはない。
「何が気になってるんだ?」
「うちはまあ弱くはないでしょうけど、インハイでは青城に負けましたし、その青城だって白鳥沢には勝てなかった。ベスト4どころか8にも入っていないうちを潰すことに、なんのメリットがあるのかって」
本当に春高を勝ち進むために烏野の戦力を削ぎに来たのなら、その前に潰すべきチームはたくさんあるだろうというのが、月島の言い分だった。
仮に予選に出場する有力チームを潰して、どこかの学校が全国へと進んだとしても、そんな手を使って勝ち進んだチームが全国の猛者たちを相手に勝てるはずもない。1回戦負けするのが目に見えている。
なら、日向を誘拐し暴行を加えた犯人の目的とはなんだ?
「チビちゃんのいない烏野になら、多分及川さんたちストレート勝ちしちゃえるだろうなあ」
「今度は絶対負けないっす!」
「うん、そのためにも、ちゃーんと治すんだよチビちゃん。その上でしっかり倒してあげるからさ。お大事にね」
にっこりと微笑み、日向の頭を軽く撫でる。見た目通りフワフワした髪だなと思っていると、何故か日向の顔が見る見る青く染まっていく。終いには小刻みに震えだした。
自慢ではないが、及川が今浮かべている笑顔で笑いかければ、大抵の女性は頬を染めて喜んでくれる。だというのに、一体何故、日向は真っ青になっているんだろうか。
「チビちゃん? 息してる?」
「だ、大王様が優しい……!」
「明日は雨かな」
「雪かも知れないっすよ。まだ8月だってのに」
「ちょ、ちょっと待ってよチビちゃん! ていうか烏野にとって俺ってどんなイメージなのっ?」
優しく声をかけてあげたのにまさか怯えられる日が来るとは夢にも思っていなかった。及川が慌てて日向たちに問いかけると、顔の青さがだいぶマシになった日向が、言いにくそうに視線を右往左往させながら切り出す。
「すっげーバレー上手くてかっこいいけど、めちゃくちゃ怖い影山の元先輩」
「性格の悪さが戦略ににじみ出てるなーって思った」
「タイムアウト中の様子見る限り、イケメンかっこ笑いかっことじるって感じですよね」
日向に続けて口を開いたのは菅原と月島だった。なんだかっこ笑いかっことじるって。口頭でそんなこと聞いたの初めてだ。
「酷いな! 国見ちゃんたちなんか言ってあげてよ!」
「『ざまあ』って岩泉さんからメール来ました」
「岩ちゃんが一番酷かった!」
無表情で携帯片手にメールを送信してきたであろう幼馴染の顔が浮かんだ。伊達に長く一緒にいるわけではない、互いのことなど手に取るように分かるし、辛辣ではあっても悪意があって言ってることではないことは及川自身が一番よく分かっている。
なのでまあ、オーバーリアクションは取っていたとしても対してショックは受けていなかった。岩ちゃんらしい、と思って終わりだ。
「あ、コーチから電話きた」
「ああ部活あるもんねお互い。岩ちゃんのメールもそれでしょ、多分……悪かったね。怪我人引きずってきてもらって。チビちゃんがいたほうが話早いだろうと思ったからさ」
「いや、助かったよ。じゃあ俺たちはもう行くな」
書類作りを続けている警察官に軽く会釈をして、警察署を出て行く一同を見送りながら、そういえばと思い出す。
「さっき言ってた『あんなこと』ってなに?」
金田一が一瞬、なんのことだか分からないというようにきょとんとした顔で及川を見たが、すぐに合点がいったのか、小さくああ、と呼応した。隣で相変わらずあれこれと質問され続けている国見を一瞥して、座っていた椅子から立ち上がる。
「及川さんたちが引退して少し経った頃だったかな。太白中と練習試合組んだことがあったんですけど、事故があって。ほとんど試合は出来なかったんですよ」
「事故?」
そんなことあったっけ、と首をかしげて思い返す。引退したあとのことなのだから知らないのも無理はないのだが、後輩づて、あるいは学校内の噂みたいなものでも聞いた覚えが全くなかった。
「うちに被害者いなかったんで、話題には殆ど上がってないともいますけど」
「それどんな事故だったわけ?」
「ガラスが落ちたんですよ。その下敷きになった人が結構いて、それで救急車呼んだりなんだりって大騒ぎになったんです」
練習試合中、ガラスの落下という事故があったなんてインパクトの強い話をすっぽり忘れていたのか、影山は。あるいは事故のことは覚えていても、イコール六宮の名前が一致しなかっただけか。
多分中学時代の影山は、他人にほとんど興味がなかったはずだから仕方ないといえばそうなのかもしれないけれど。
そんな事故の話を全く聞いたことがないことにも疑問が残ったが、後輩たちに被害者がいないのならそういうものなのかもしれない。
(事故、ねえ……)
未だ作り終わらない書類を眺めながら、帰ったら岩泉にも聞いてみようと決めた。