◇ 21 ◇


 ――4日目 12:40

「でかい……」
 ぼそっと呟いた言葉は隣に立つ木下の耳に届いたのを最後に、周囲の喧騒に飲み込まれて消えた。
 敷地に違わず、大きな門扉の前で縁下と木下は立ちつくした。門の内側には警備室があり、この暑い中警備員が1人、両腕を後ろに組んで直立している。
「さっすが、私立高」
「マンモス校ってだけあるよなあ」
 絶えず生徒が出入りするのを眺めながら、2人は同時にため息をついた。
 学校内を取り囲むように築かれた壁の内側には、等間隔で樹木が植えられている。葉の形状から、入口近くに植えられているのは桜のようだ。
 外門扉から一番近い建物まで、目算で30メートルくらいだろうか。レンガタイルで覆われた建物で、警備員の話によると、そちらには用務室、事務室、第一保健室などがあるという。ぱっと見た限り、普段縁下たちが使っている体育館とそう変わらない大きさだった。
 その更に奥にそびえ立つ、白いコンクリートで覆われた巨大な建物が、校舎だという。
 彼らが通う烏野高校も十分大きいはずだが、そこは県立校と私立高の違いなのだろうか。おそらく烏野高校の3倍以上の規模がありそうだ。門扉から見てこの広さなのだから、奥は更に広大に広がっているのだろう。
(ほんとでっかい……)
 学校入口で動けずにいたせいで、周囲から視線が注がれ始めた。
 夏休み中とはいえ、部活動に勤しむ学生や、休み明けの体育祭や文化祭の準備に走り回っている学生が多い。そんな中、他校生である2人は周囲の視線を集めたが、それ自体は珍しいことでもないのか一瞥してすぐ視線を逸らし、どこかへと移動していく。
「さて、行くか」
 よし、と気合を入れて、縁下たちは広大な学校の敷地内へと足を踏み入れた。

 六宮と対話してすぐ縁下たちは、彼がこの事件に巻き込まれた原因を調べ始めた。
 本人は、弱みを握られるようなことをした自分が悪い。因果応報なのだと自嘲していたが、その原因を突き詰めればもしかしたら、日向が狙われた理由や六宮が殺されそうになった理由につながるかも知れない。そう考えて、病院を後にしたあと、彼の証言に基づいてとある学校へと連絡した。
 本当は別の人物へと連絡をとりたかったのだが、流石に個人のアドレスを入手する手立てはない。なので、その人物へと繋がるだろう学校へと連絡したのだ。その学校が今、縁下たちがいるこの私立高だ。
 運動部も文化部も強豪というこの学校は、位置はほとんど宮城なのだが、住所はぎりぎり山形県に位置する。烏野からここまで片道2時間近くかかるので、2人は理由を無理やり作り上げ部活を早退し、ここまで来ていた。
「こちらです」
 親切にも校内を案内してくれた事務員の女性に礼を言い、2人はさらに校内奥へと進む。聴き慣れたボールが弾む音が次第に大きくなってきた。
 事務員の話によると、この学校には体育館が3つあるそうだ。そのうちの1つが、縁下たちが目指す場所。この学校が出来た当初からある一番古い体育館で、場所は北棟校舎2階にある。雨風に晒されることなく入れるのはいいなと、ぼんやり思った。
 体育館入口から中を覗き見る。
 縁下たちが練習に使っている体育館よりも若干天井が高く、とても広かった。中では女子バレーボール部と男子バレーボール部が声を掛け合いながら練習に勤しんでいる。
 練習内容もさることながら、その平均身長の高さに驚いた。男子の身長が高いのはもちろん、女子もほとんどが縁下たちと変わらない身長だ。一番小さいと思われる子も日向くらいはありそうだったし、一番背が高い子は影山くらいあるのではないだろうか。
(さすが、強豪)
「あの、なんですか?」
 訝しんで声をかけてきたのは、体育館の入口そばに立っていた女子生徒だ。大量のタオルを抱えていたので、おそらくマネージャーなのだろう。
「昨日ご連絡致しました、烏野高校の縁下といいます。保志監督がこちらにいると伺ったんですが」
「ああ! はい、ちょっと待ってくださいね!」
 そういうと彼女は、手にしていたタオルを近くの長机に乗せるとステージ側へと走っていった。その後ろ姿を目で追うと、彼女が行った先に初老の男性が立っていることに気づく。あの人がおそらく、保志監督だ。
 彼は縁下たちに気づくと、手招きしてこちらに来るように促した。他校の体育館に入る機会はそうそうないので、少しばかり緊張しながら呼ばれるままにステージ側へと歩いていく。その緊張を察したのか、保志はにこやかな笑顔で迎え入れた。
「初めまして、烏野高校の縁下と申します」
「同じく木下です。今日はお忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございます」
「いえいえ。結構遠かったでしょうに、よく来てくださった。はじめまして、バレー部顧問の保志です」
 どうぞよろしく、と手を差し出す彼の手を順番に握り返した。こちらの監督は随分と温厚な方のようだ。誰と比較して、とかではないけれど。
「用件は昨日の通りでよろしいんですかね。しかしまたなんで、そんな古い話を?」
「実は、俺たちの後輩が変な事件に巻き込まれてしまって。もしかしたらその話が、事件に関わってるかもしれないんです」
 真剣な面持ちで語る2人の生徒を目の前に、先程までの柔和な笑みを消し、保志も真摯に頷く。
「あれからもう3年経つんですねぇ……。ああ、椎名呼んで来てくれるか?」
「分かりました」
 女子マネージャーが返事をし、コートの中へと入っていく。
 それと同時に、強烈な打撃音が響いた。最初、男子部で放たれたスパイクだろうと思ったが、丁度そちらはレシーブの練習中だ。ということは、女子部の誰かが放ったものだったらしい。
 女子バレー部のコートへと視線を移すと、まさしく今スパイクを打ったと思われる女子生徒が反対側に立つブロッカーと話をしていた。東峰には及ばないが、ボールの爆ぜる音から判断するに、下手な男子部員よりもよほど力強いスパイクだったのだろう。
「ちゃんと見たかったな、今の」
「俺見たぞ。結構強烈だった」
 縁下たちが小声で話している間に、先ほどのマネージャーが彼女に走り寄った。ということは、彼女が件の椎名なのだろう。
 マネージャーから簡単に話を聞いた彼女は、タオルを片手にコートから小走りでこちらへと寄ってきた。黒髪のショートヘアで、切れ長の目。その目が、何故か縁下たちを軽く睨むように細められた。ほんの一瞬のことで、次にはそんな事実はなかったかのように会釈する。
「監督、なんでしょうか」
「お前も当事者だからな、ちょっとの間こっちにいてくれ」
「はあ……」
「ああ、簡単に紹介しますね。こいつはうちの部の主将でエースの、椎名茜っていうやつです。で、こちらは烏野高校の縁下君と、木下君ね」
 もしかしたら、縁下たちが今日訪ねてくることは聞いていたのかもしれない。だが、理由は知らないらしく、何故自分がここに呼ばれたのか分からないという表情を浮かべていた。首にかけていたタオルで、流れる汗をぬぐいながら監督と縁下たちを交互に見比べている。
(あれ?)
 思わず縁下の視線が彼女の鎖骨周辺に縫い止められる。
 初めは気付かなかったが、彼女の首、鎖骨あたりには、薄らとだが引き裂いたような跡があった。体温が上がると古傷が目立ちやすくなるとは言うが、彼女のこれはそういうものではない。
 縁下の視線に気付いたのか、椎名は肩から鎖骨周りを軽く撫でた。それに慌てて頭を下げる。
「すみません! 不躾に」
「いいえ。よくあることなので。目立つ傷ですしね」
 何でもないことのように振舞う彼女に、少しばかり違和感を覚えた。
 あくまでも縁下の解釈だが、一般的に女性というのは、体の傷には敏感になるものだと思っていた。
 だが、椎名という少女は、本当に何でもないことのように振舞っている。あくまでも、人それぞれ、ということだろうか。
「なかなか消えねえなぁ。嫁入り前の娘にこんな傷跡残すなんて……」
「監督。あなたは私のお父さんでもお祖父さんでもないんですから。そんなこと気にしなくていいんです」
 悲壮感を持って紡がれた言葉を一刀両断した彼女の態度に面食らう。監督と選手、というよりは本当に、父と娘のてらいのない会話と言ったほうが自然だった。
「こんな傷なんともないんです。痛みもないし、この程度で済んだ」
 ぎゅっと肩周りの布地を掴み、彼女は縁下たちを睨みつけた。その目には、明確な憎しみや怒りが浮かんでいた。
 突然のことに驚き、たじろいだ2人を見て、監督が椎名をたしなめる。言葉を発するわけではなく、ちら、と椎名を一瞬見ただけだった。しかしそれで十分らしい、椎名は一つため息をついて瞼を閉じた。
「……お2人って、烏野高校のバレー部なんですよね。コート上の王様が進学したっていう」
「ええ、影山の知り合いですか?」
「いいえ。面識はありません。有名だし……大っ嫌いな奴だから、知ってるってだけで」
 『大っ嫌いな』と口にした時の声が一段と低く、本当に嫌いなんだというのが嫌というほど伝わってきた。
 影山は、中学の頃から頭角をあらわしていた天才だ。しかし、“コート上の王様”という皮肉めいた異名をつけられ、チームメイトから拒絶された過去を持つ。
 そのために、未だに影山を嫌っている人間が多いのは仕方のないことかもしれない。ただし、それは同じチームメイトだったら、の話だ。
 彼女は女子バレー部で、しかも影山と面識がないという。だというのに、何故ここまで彼は嫌われているのか。その理由を追求しようかと思ったが、今日来た目的からはずれそうだったので取りやめる。
 縁下たちがここに来たのはあくまでも、3年前のことを調べるためだ。
「あの、俺たち3年前のことを聞きに来たんです。話して頂けませんか」
「ああ、だから私が呼ばれたんですね」
 そう言うと、椎名は自分の鎖骨から肩にかけてついている大きな傷跡を撫でる。
「私も、その事件の被害者です」
「えっ? じゃあ、その傷は」
「その時についたものです。でも、今はもう痛みもないし、後遺症もないですよ。先輩がかばってくれたおかげで……」
 悔しそうに顔を歪める彼女を見、もしかしてと思った。
 彼女の言う『先輩』が、六宮から唯一聞けた被害者のことか。
「その先輩っていうのが、水谷さんって方ですか?」
「そうです。先輩はかっこよくて、誰よりも頼もしくて、優しい人だった。なのに、あいつらのせいで、あんな……!」
 震える声で、搾り出すように言葉を紡ぐ。その姿があまりにも辛そうで、息が詰まりそうだった。
「それが、六宮さん、ですか?」
「っ、六宮を知ってるんですね。そう、あいつのせいです。逃げ出したから、表沙汰にはなってないみたいだけど」
 そこまで言うと彼女は一度言葉を切り、目をつむり、深呼吸をした。
 次に目を開けた時には、獲物を狩る猛禽類のような鋭さを宿し、縁下たちを睨めつける。あまりの迫力に一瞬息が止まった。
 男の怒った顔もなかなか恐怖を感じるが、女性のそれは比べ物にならない。蛇に睨まれた蛙の心境が少し理解できた。
「3年前、うちの母校――千鳥山なんですけど、太白と北川第一とで練習試合をしたことがあって。男子も女子もまとめて。他所の体育館を借りたんですけどね。……そこで、ガラスが落下したんです」
「……」
「数日前に割れた窓の交換作業中だったらしいんですけど。それを引き起こしたのが、彼……」
 つまり、彼女と水谷という人は、落下したガラスの下敷きになったということか。
 以前、まだ縁下が小学生だった頃。教室の扉にはめてある小さなガラスが同級生に落下する事故を目撃したことがある。厚みもあまりなく、小さく軽いガラスだったが、同級生の頭はパックリと割れていた。あのサイズであれだけの流血騒ぎになったのだ。窓ガラスが人の上に落ちたというのなら、死んでいたとしてもおかしくはない。
 しかし六宮は昨日、人を殺したわけではないと言っていた。死人は出ていないと、確かに言った。
「何人かの先輩方が様子を見に来てくれてたんです。多分男子部に天才リベロがいたのと、及川さんの代わりに試合に出たって噂になってた影山がいたからだと思うんですけど」
「ああ、西谷って千鳥山だったもんな」
「……もしかして、西谷も、烏野にいるんですか? なんで?」
「あーえっと、家が近いのと、制服が、学ランだったから、とかいってた、ような……」
 違う。一番の理由は、女子の制服が好みだったからだ。しかしそれを女子生徒の目の前で言うことは憚られた。口にしたらおそらく引かれてしまう。
(じゃあその日、西谷も現場にいたってことか)
 六宮は影山と西谷のことも知っていたが、2人は彼を知らない様子だった。思い返せばインターハイ予選の折、及川のサーブを取るまで、西谷は中学の時に当たった“強烈なサーブを打つ奴”がイコール及川であることに気づいていなかった。相手校の選手は背番号で覚えることが多いため、顔や名前は記憶していないのかもしれない。
 六宮が2人を、そして澤村の顔を覚えていたのは彼の記憶力が高かったからだろう。その証拠に、彼は犯行グループの4人の顔や背格好などをきちんと覚えていた。
「他にも、被害者がいるんですよね」
「ええ、重軽傷者は10人弱……」
「その、水谷さんにもお話聞きたいんですけど、住所とかご存じないですか?」
「家の住所を教えるのはちょっと……今通ってる大学と、バイト先でいいですか? 両方とも宮城県内ですから」