◇ 22 ◇
――4日目 17:07
日向の回復力には舌を巻く。
つい3日前に酷いケガをしたばかりだったのだが、恐ろしいことに今日から軽い練習には参加出来るまでに回復していた。
本人の強い意向によるものなので、医者が許可を出したとかではない。なんせ日向の怪我は、捻挫や骨折などの明確に傷の具合が分かるものではなく、打撲と擦り傷切り傷がほとんどだ。人によってはいつまでも痛みが続いたり、はたまた数日で痛みが消えたりするのが打撲というもの。田中にはあずかり知らぬところだが、痛みの継続期間についてはおそらく、精神的なものが起因している。
病は気からとも言うし、そう考えると、日向の驚異の回復は精神的なものによるのかもしれない。根性論とか、そういうのではなく、ただただバレーがしたいという気持ちが痛みを鈍らせているのかもしれない。
田中の知る日向翔陽は、例えば試合中に強烈なスパイクやサーブを顔面で受け止めたとしても平然と試合を続行するような人間だ。普通なら、脳震盪を起こして動けなくなったとしてもおかしくない強さのボールだったとしても、けろっとしている。
それを考えればごく自然なことだ。多分、間違いなく、おかしい気はするけれど。そこは日向だから、という一言で終わらせよう。
(あの旭さんのスパイクを受けても、ぶっ倒れはしたけどすぐ起き上がったしな)
とはいっても、周囲の人間はとかく心配しているので今日のところは飛んだり跳ねたりしないで、彼が特に不得手としている守備に重点を置いた練習を続けていた。
強烈なスパイクを確実にレシーブで返すためには、まず基本だ。ボールを確実に、セッターポジションに返す練習。腕のどのあたりに当てれば力も回転も殺して返せるかを探す。
指導者は澤村と菅原だ。レシーブに関しては西谷という天才が烏野バレー部には在籍しているが、天才ゆえに指導者には向かない。天才は感性と本能で行動しているために、どうすれば上手くレシーブ出来るかを言葉で懇切丁寧に教えることが出来ないのだ。
同様の理由で、天才である影山もまた、セッターながらレシーブ力も高いのだが、やはり指導者には向いていない。特に相手が日向だと、指導していたつもりがいつの間にか怒鳴り合いの罵り合いになりかねない。
その点で、3年生である2人は今まで培ってきた経験から懇切丁寧に指導することが出来るし、先輩の言葉なら日向も素直に受け入れられる。
「もっと腰落として、ボールしっかり見て! 日向は目もいいし身体能力も高いんだから、絶対うまくなる!」
「はいっ!」
いくぞー、と声をかけて少しばかり緩めのスパイクを放ち、それを日向が指導された通りにぐっと腰を落としてレシーブする。ぽん、と山なりに上がったボールはセッターポジションで待機していた菅原の頭上へとキレイに返った。
「よーし、全員集合!」
ホワイトボードのそばに立っていた烏養が集合をかける。それに従って、体育館にいた全員が彼のもとへと走り寄った。
「予定通り、今日はこれで練習終了だ。早く帰ってしっかり休めよ。今日は自主練はなし!」
それに異を唱えたのは案の定というか、影山と日向の両名だった。烏養は嘆息し、2人をじとっと睨む。
「休むのも練習の内だっつーの。それに、今はまだ日向の事件のことがあるし、遅い時間まで残したくねえしな」
「なるべくばらけないように帰ってくださいね。自分は大丈夫、なんて過信してはダメですよ」
烏養と武田に言われてしまっては、頷くしかない。渋々日向と影山も応と返事を返した。
体育館内の片付けと掃除をあらかた済ませた頃、澤村が日向の肩をぽんと叩いてその場にいる全員に聞こえるように話し出す。
「今日は俺たちが日向送るな。昨日は田中たちに任せたし」
「ええ! 大丈夫ですよもう! 自転車も谷地さんに直してもらって復活してるし、それに今日病院寄れってお医者さんに言われたし……」
日向を送ると言い出した澤村と菅原に恐縮してしまったのか、日向はぶんぶんと首を横に振って何度も大丈夫ですからと繰り返す。
ちなみに昨日は澤村が言った通り、田中と西谷、成田の3人で日向の家までバスで送っていった。その時も彼は、今と同じように大丈夫だからと断ろうとしていたが、結局田中たちが押し切ったのだ。
一番下の学年で、しかも日向は中学まで先輩というものがいなかったため、どうすれば良いか分からないのだろう。上下関係が発生する場においては、先輩が意味もなく威張り散らしたりするところも少なくない。後輩の面倒をみるのも嫌だという者も結構いるし、そういう話は日向も聞いたことがあるだろう。
その点、烏野バレー部の上下関係は相当緩い。だらしないとか、上も下もない友人のような関係とかではない。後輩は先輩を敬い、先輩は後輩を守り自分たちを頼らせる、そういう良い上下関係が築けていると田中は思っている。
「何言ってんだ日向! 昨日も言ったろーが、後輩を助けるのが先輩の仕事だって! 遠慮してないで頼れ!」
「そうだぞ日向。それにいくら自転車直したからって、まだしばらくは乗っちゃダメー! あの山道を自転車でなんて当分ダメ!」
顔の前で腕をクロスさせ、大きなばってんを作る菅原も、学校から日向の家までの道のりを知っている1人だ。
日向から話は聞いていたものの、昨日実際に通学路の一部をバスで通ってみて田中は心底驚いた。舗装されているとは言え、相当急な坂も多い道を毎日自転車で通っているなんて信じられなかった。
それに日向本人は気づいているか分からないが、事件があった日に日向を1人にしたことを全員が後悔している。特に菅原は、直前まで一緒にいようかと言っていたのに、結局1人にしてしまったことを激しく悔いている様子だった。
日向を家まで送ることで、その後悔を払拭しようとしているわけではない。起こったことはもうやりなおせない。ならせめて、これ以上の後悔を積み上げない選択をしたい。もう二度と、危険な目にあって欲しくないと願っているのだ。
「つーわけで! 日向は今日大地と俺に送られていきます。あと、清水も送ってくな!」
「……日向送った後でいい」
「やっちゃんは俺が送っていこうか。ちょっと遠かったよね」
「旭さん! 俺も一緒に行きます! 影山たちも送って」
「いえ、大丈夫です」
3年生を中心に1年生を送る計画を立てるも、あえなく影山、月島、山口の3人には断られてしまった。流石にこの高身長な男どもを攫ってどうこうするには無理があろうだろうが、可愛げなく断った3人が少し心配だったので食い下がる。
最終的に、澤村と菅原、清水、日向のグループと、東峰と西谷、谷地のグループ。いつもどおりの月島、山口のコンビに、田中と成田、影山のグループに分かれることで話がついた。
「じゃあここで失礼します! お疲れっした!」
「おう! 全員、帰ったらちゃんと帰宅メール送れよ!」
はい、と声を揃えて返事をし、歩き出した。
田中たちが歩く道は人通りも多く、空はまだ明るい。路地裏を通るようなこともないし、至って安全といっていいだろう。
「なんかこんな明るい時間に帰るのも、妙な感じだよな。元々決まってたこととは言え」
「っすね。最近はずっと、暗くなるまで残ってたし」
1年生が入ってきてからの約半年は、本当に練習漬けの日々だった。想像以上の有力株が入ってきたこともあり、目標としていた全国が、ただの夢物語ではなくなったことも一因としてあるかもしれない。
田中自身、本当は今日も遅くまで練習したいと思っていた1人だ。というか、練習したいと思っている人は相当いただろう。しかし、理不尽な事件が解決するまで少しでも危険から遠ざけたいと思う大人の心境も分かっているつもりだ。そこまで子供ではないと自負している。
日向を誘拐した挙句に暴行を加え、殺人の罪を着せようとしている犯人には一刻も早く捕まって欲しい。そしてまた、みんなで時間も気にせずずっとバレーをしていたい。心から、そう思った。