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 ――4日目 19:44

「そろそろ、お部屋に戻ったらどうですか?」
 看護師が声をかけたのは、若い男性だった。
 入院しているのだから、怪我か病気を患っているのだろうが、一見すると至って健康そうだ。足取りもしっかりとしていて、顔色も良い。
 男は看護師に笑いかけ、こてんと小首をかしげた。
「俺まだここに来たばかりなんで、ちょっと迷っちゃって。ここどこかな」
「ここは東棟の2階ですよ。どこの病室なんですか?」
「ああ、東なんだここ。西棟なんですよ。西の、505号室」
 にいと笑った男の口元には、ピアスホールが開いていた。
 両手で抱えていたシーツを片手に持ち替え、こちらですよ、と手を伸ばし、男を誘導する。スリッパのぱたぱたという軽い音が響いた。
 男を先導する看護師は、エレベーターの前を素通りし、階段を上り始める。病院で階段を使うのはほとんどがスタッフで、患者はあまり利用しない。今も、この2人しか使っている気配がない。
 もうすぐ面会時間が終わる。
「そういえば、なんで入院することに? とても健康そうに見えますけど」
「ん? ちょっとね。まあ政治家お得意の理由だとでも思っておいてよ」
 5階に上がると、西棟へと移動する。
 外は暗く、窓ガラスは黒く光っている。鏡面化したガラスに浮かぶのは、夜空に溶け込む黒髪と、血のような赤。
 不気味なほどにしん、と静まっている廊下を歩き、目的の病室前へと来た。だが、男はその部屋を素通りして、隣の部屋へと向かう。看護師もまた、彼に続いて歩いていた。小さく肩が揺れている。
「ちょっと、何笑ってんの」
「ふふ、だって政治家お得意の、とか言うんだもの。おかしくて」
「だーって俺ってば、ちょー健康体だから。治療が必要なのはむしろ、相沢さんのほうじゃん」
 小声でささめき合いながら、隣室の扉前に立つ。そこで男は、今まで履いていたスリッパを脱ぎ、手に持った。スリッパがなくなったことで、足音が消える。
 相沢と呼ばれた看護師が扉に手をかけ、そっとスライドさせた。管理が行き届いている扉は音も立てずに、すーっと開いていく。
 扉の先に広がっているのは、窓から漏れる光と僅かな間接照明だけを残した、暗い部屋だ。外の暗闇に飲み込まれたかのような暗がりの中へと入り、扉をそっと閉める。規則正しい電子音だけが、弱々しく鳴っていた。
 夜闇に目が慣れるまで、2人は扉のそばでじっとしていた。手にしていたスリッパを床に置き、おもむろに立ち上がる。男の口元がいびつに弧を描いていた。そうして部屋の中央へと音を立てずに近寄り、周りをぐるりと見渡す。
 大きなベッドが1台と、その周りを取り囲むように点滴や、様々な機器が置かれていた。ベッドでは、高校生くらいの少年が目を閉じ横になっている。眠っているようだった。それを確認すると、相沢はシーツの中へと手を入れ、小さな箱を取り出した。中には、1本の注射器と小さな瓶が収められている。
 慣れた手つきで注射器を取り出し、瓶から液体を吸い上げると、ベッドで寝ている少年へと近寄った。同時に男は、ベッドの周りで稼働している機器の前に立ち、
「バイバイ」
 告げると同時に、規則的な音を鳴らしていた機器の電源を切った。